14.彼の正体
普通の子ではないだろうと思っていた。
身のこなしは洗練されていて、手は働いたことのない手だった。その手にだって、普通なら出来るはずのない剣ダコがあったりして。
見た目の年齢より大人びていた。一日に恐ろしい勢いで成長したりもした。
はっきり言ってアッシュは不思議少年だった。
それでもどこかの貴族の子息かな、なんて思っていたのだ。それだってだいぶ驚くことだけれども。
――それがまさか。
「レティシア? 顔が真っ青だぞ?」
固まるレティシアを不審に思ったアッシュが、レティシアの頬に手を伸ばす。レティシアは思わずそれを避けた。
手を振り払われたアッシュは驚いた顔でレティシアを見る。「レティシア?」その顔に困惑が広がるのを見て、レティシアはますます混乱した。
エルバート・レストン。
その名前を知らない人間など、この国には居ないだろう。それほど彼は有名な人間だった。
それが目の前に居る。はっきり言って異常事態だった。
「オーウェン、どういうことだ? レティシアがおかしい」
「これが正しい反応なんだって。閣下には分からないかもしれないが」
さっぱり分からん。アッシュは言いようのない苛立ちを抱えたまま、オーウェンを睨む。睨まれたオーウェンは小さく肩を竦めた。
オーウェンは疑うような目をアッシュに向ける。そんな風に見られたアッシュは顔をしかめた。
「本当に記憶ないんですか?」
「そう言ってるだろう」
「……厄介だな……」
明らかに落胆した顔をするオーウェンに、アッシュが苛立つ。そんなアッシュの服の袖を、レティシアが引っ張った。アッシュがレティシアの顔を覗き込む。
「なんだ?」
「……本当に分からないの?」
「分からん」
その顔は嘘をついているように見えない。本当にアッシュは何も知らないのだ。記憶も、まだ十分ではないのだ。
問うような視線を向けてくるアッシュに、レティシアは困ったように口を開いた。
「あのね、王立魔導軍っていうのはその名の通り、多くの魔導師たちで組織された軍なの」
「魔導師……」
「それを組織したのがこの国の第一王子であるエルバート殿下。彼はそのまま王立魔導軍の軍帥の地位に就いてる」
アッシュはしばらくレティシアの言葉を考えていた後、驚きに目を見張った。
* * *
大陸でも古い歴史と高い軍事力を持つセルヴィン王国。その中で「魔術」の存在は、長い間おとぎ話と同列の扱いを受けていた。
セルヴィン王国では、魔術師の存在はほとんど確認されていない。魔術師という人間がいることは、誰もが知っていることである。しかしその存在を目で見た人間が極端に少ないので、誰もが遠い異国の話のように考えていた。
それがひっくり返ったのが、オーランド国との戦争である。
高い軍事力を持つセルヴィン王国は、陸地において大陸屈指の軍を有していた。それは他国を威圧するのに十分な威力を持ち、長い間その威光によってセルヴィン王国は戦争を回避してきた。
その不文律が破られたのが、オーランド国との戦いである。
諸国はその戦いを見守った。セルヴィン王国の勝利という形で終結するだろう、と踏んで。
しかし結果は違った。セルヴィン王国のまったく予想していなかった存在の登場で。
――『魔導騎士軍』の存在である。
それはセルヴィン王国では物語の中の存在となっていた「魔術を使う者たち」で組織されたものであった。
魔術が何であるか。それを正しく理解していなかったセルヴィン王国軍は、魔導騎士軍の前に太刀打ちすることができなかった。
その話はすぐに王国中に広まった。誰もが勝つと信じて疑わなかっただけに、その事実を国民の誰もが疑った。
そして戦慄した。魔術という存在に。
セルヴィン王国の人間は魔術を知らない者が多い。それは王国の中枢を担う者も同じで、魔術を正しく理解しているものは居なかった。
結果、セルヴィン王国はじわじわとオーランド国の侵攻を許すこととなった。打開策が見えないために、戦争の終結も見えなかった。
誰もが疲弊していた。この戦争に。
だが、戦局は思わぬ所から好転した。
* * *
「グラシアス国に遊学に出ていたエルバート殿下が帰還したことによって、戦局はひっくり返ったの」
「グラシアス国?」
「魔術大国と諸国で呼ばれるほど、魔術が発展した国よ。エルバート殿下はそこに留学してたの。そして帰国後、すぐに王立魔導軍を創立した」
それはセルヴィン王国初の、魔導師を含んだ軍だった。エルバート殿下を軍帥に据えたそれは、戦場でその実力を発揮した。元々大陸でも屈指の軍である。魔術対策さえできれば、オーランド国など目でもなかったのだ。
「エルバート殿下……。それが俺?」
「そうだ。エルバート・レストンは俺たち王立魔導軍の旗頭であり、付き従うべき大将なんだよ」
駄目押しのようなオーウェンの言葉。アッシュは頭が痛い、とでも言うように額を押さえ、側に置いてあった簡易椅子に座り込んだ。
アッシュからしてみれば、まさに寝耳に水といったことだろう。まさか自分が国軍の軍帥だとは誰も考えないだろうし。それはレティシアにも言えることなのだが。
親切心で拾った怪我をした子供。それがまさか一国の王子だったとは。
厄介ごとの予感はしていた。しかし、これは予想以上の面倒ごとだ。
レティシアは頭を抱えたくなった。そんなレティシアの様子に気づかず、二人は難しい顔をしている。
オーウェンは持っていたマグをテーブルに置くと、近くにあった簡易椅子に座り込む。
「一応確認しとくけど、どこまで思い出したんだ?」
オーウェンの言葉に、アッシュは思案するように視線を宙にめぐらせた。その顔は難しいものを考えているかのように歪んでいる。
記憶は全てが曖昧で、だけどそれらは確かにアッシュの何かを刺激する。
「断片的にしか。どこか豪華な部屋とか……お師匠のこととか」
「あぁ…お師匠さんね」
どこか含むような言葉に、アッシュが眉を寄せるがオーウェンは何も言わなかった。
レティシアはオーウェンのことを睨むアッシュの顔を睨む。分かってはいたけど。
「やっぱり思い出してたのね……」
なんとなくそんな気はしていた。思い出しているような気はしていたが、アッシュは話してくれなかった。もちろん話すのはアッシュの自由だけど。
ちょっとくらい言ってくれてもいいんじゃないかな、って思うのは甘えなのだろうか。
オーウェンはアッシュの視線を綺麗に無視しながら今後の事を考える。せっかく閣下を取り戻したとしても、今のままでは赤子同然だ。役立たずにもほどがある。
「まずは記憶を取り戻すところからだな……」
「戻せるのか?」
「原因が分かればなんとかなるだろう。幸い、専門家はいっぱい居る」
そう言ってオーウェンはアッシュの背後を見てニヤリと笑った。振り返ると、入り口に集まる部下の皆さんがそこに居た。
みんな、一様にアッシュの姿を見ている。ちょっと怖い。
「やる気もあるみたいだしな」
「…………」
爽やかな笑顔がアッシュを貫く。
ちょっとどころではなく、かなり怖かった。