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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第十三章:風太と美晴と菊水安樹
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全てを失った少女


 *


 「よし、終わったー! 右腕が完全に治ったぞ、安樹アンジュ!」

 「あはは。良かったね、風太フウタ


 ここは、大型ショッピングモール「メガロパ」内にある、接骨せっこついん

 風太は完治かんちした右腕を、さっそくグルグルと回しながら、医院の出入口から飛び出した。その後ろでは、安樹がいつものキャスケット帽を被り直しながら、風太の背中を追っている。


 「おれの用事なのに、付き合ってくれてありがとうな。安樹」

 「ううん、気にしなくていいよ。デートって、こういうものだし」

 「なるほど。友達同士で遊ぶことも、デートって呼ぶんだな。てっきり、恋人同士でやる恥ずかしいものだと思ってたけど」

 「そうだね。これもまたデート。関係性はどうあれ、二人きりで同じ時間を過ごせば、それはもうデートなんだ」

 「へー、知らなかった。じゃあ、これからも安樹といっぱいデートしたいな」

 「フフッ。まずは今日の放課後デートを楽しもう」

 「おう!」


 「デートをしよう」なんて誘っても、硬派こうは気取きどりでカッコつけの風太が、素直すなおおうじるはずもなく。そこで安樹は、「デート」という言葉の意味自体をやんわりと変え、風太をだますことにした。

 安樹のねらいは、「風太とデートをした」という事実を作って、雪乃を牽制けんせいすることなので、今日のデートの内容はどうでもよかった。


 「おれの用事も終わったし、次は安樹に付き合ってやるよ。どこか行きたいお店とかあるか?」

 「うーん、そうだなぁ。やっぱり本屋さんかな。新しい小説がほしいと思ってたところなんだ」

 「本屋か。それなら1階だな。向こうにあるエスカレーターを使って、一番下まで降りて、それから……」

 「うん? それから?」

 「えっと……」

 「風太? どうしたの?」

 「……」


 正面しょうめんを指さしたまま、風太の声は、何故なぜかだんだん小さくなっていった。

 目はどこか遠くを見つめており、ぼんやりとしている。何か別のことに、意識いしきとらわれているようだ。


 「おーい。おーいってば。ねぇねぇ」

 「……」

 「脇腹わきばら指先ゆびさきでツン」

 「ひゃうっ!?」


 やっと戻ってきた。


 「どうしちゃったのさ。会話の途中で、いきなり固まって」

 「い、いやあ、なんでもないっ」

 「風太の“なんでもない”は、絶対に何かある時だよね」

 「う゛……! 安樹には、関係ないことなんだっ!」

 「ボクに隠しごと? ひどいなぁ。友達なのに」

 「……わ、分かったよ! 言うよ! 実は少し前に、美晴と雪乃とおれの3人で、ここに遊びに来たことがあってさ」

 「ふむふむ。それは興味深いね」

 

 迷子になった雪乃を、美晴と協力してさがした、あの時の話だ。

 風太はあの日の出来事を、安樹に話した。


 「結局、雪乃は家電かでんにいてさ。マッサージチェアで気持ち良さそうに眠ってたんだ」

 「フフッ、あの子らしいね」

 「とにかく雪乃が無事で良かった。そう思って、あの時のおれは、ただホッとしてたんだけど……」

 「けど?」

 「今になって考えると、もしもおれ一人だったら、迷子になった雪乃を見つけられなかったかもしれない。あの時、雪乃を捜すことに協力してくれた奴がいたんだ。おれはあせってばっかりだったけど、そいつは落ち着いてて、すごくたよりになって。そいつのことを、なんとなく今、思い出しちゃって……」

 「ああ、そうか……」


 風太の記憶の中には、まだ美晴がいた。しかもその美晴のイメージは、にく宿敵しゅくてきの美晴ではなくて、優しくてしっかり者の美晴の方。


 「……」


 風太はどこか寂しいような顔をして、黙り込んでしまった。

 そんな風太の顔を見て、安樹は少しだけ強く奥歯を噛んだが、すぐに落ち着いて、にこやかな笑顔を作った。


 「そっか。じゃあ、やめようよ。本屋さんに行くの」

 「ごめん、安樹……」

 「フフッ、なんで謝るの? デートなんだから、ボクたち二人が楽しめる場所じゃないとね! うーん、そうだなぁ。何か食べに行く? 美味おいしい物を食べたら元気が出るよ、風太」

 「そうだな。よーし、アイス食べよう! イチゴのやつ!」

 「確か、アイス屋さんも1階にあったね。じゃあ、風太の快気かいきいわいってことで、今日はボクがおごってあげる!」

 「えっ、いいのか!? それならおごってもらうぞ! サンキュー安樹! おれいに、ひざまくらでもしてやりたい気分だ」

 「うーん、男子のゴツゴツしたひざは遠慮えんりょするよ……。とにかくほら、行こう風太!」

 「あはは、待てよ安樹っ!」

 

 安樹はけ出そうとする前に、風太の顔をもう一度見た。その表情は明るく、心からこの時間を楽しもうとしている様子で、安樹は少しホッとした。

 二人で仲良く駆け、2階から1階へと降りるエスカレーターまでやってきたちょうどその時、誰かのバカデカい泣き声が、ショッピングモール全域ぜんいきに響き渡った。


 「ふえぇぇーーーーーんっ!! ふえぇーーーーんっ!!」


 安樹の足が止まり、それを追う風太の足が止まった。

 

 「!?」


 誰かの泣き声。

 誰か。……いや、聞いたことのある人間の泣き声。


 「風太、この声って……!」

 「まさか。いや、ありえない」 

 「どうする? 無視する? ボクたちデート中だし」

 「無視するわけにもいかないだろ……。一応、見に行ってみよう」

 「一応、ね。ちょっと様子を見るだけだからね。ボクたちも忙しいんだから」

 「うん……」


 風太と安樹は、エスカレーターで下へ降りるのをやめ、上へと続く反対側のエスカレーターに乗った。

 声がする場所は、おそらく4階だ。


 *


 「げっ! ここって……」

 「うん。あの人のお店があった場所だね」


 やってきたのは、4階の奥地おくち。にぎやかなショッピングモール内で、もっともさびれた場所。

 ここは、あの人……「牡丹ボタンさん」のお店、「ウィッチズ・マジカルショップ」があった場所である。「牡丹さん」とは、風太と安樹に入れ替わりペンダントをさずけた、魔女の格好をしたお姉さんだ。


 「でも、つぶれたハズだよね。あの変な店」

 「ああ。牡丹さんも、田舎に帰ったはずだ」

 「じゃあ、これはどういうこと? 復活してるよね?」

 「さあ。それはおれにも分からない」


 なんと、あの変な店は復活していた。怪しい雰囲気そのままに、風太と安樹の目の前に存在している。しかし、看板に書かれている文字は「ウィッチズ・マジカルショップ」ではなく、「マジカルショップ・ダニエル」。


 「名前が変わってる……? なんで?」

 「聞いてみろよ。店の前で大泣きしてる奴に」

 「う、うん。この怪しい店のこと、何か知ってるかもしれないしね」

 「でもさ、あいつって……」

 「そうだね、彼女だよ。あの子の名前は」

 「「プチ子」」


 怪しい怪しい「マジカルショップ・ダニエル」の前には、あの南極風の格好をした女の子、プチ子がいた。理由はさっぱり分からないが、大声でわんわん泣いている。

 安樹はプチ子にそっと近づき、後ろから肩をトントンと叩いた。

 

 「や、やあ、プチ子。どうしたんだい?」

 「ひゃんっ!? ぐじゅっ、あっ、お、おきゃくさんっ!!!!?」

 「いや違うんだ。ボクだよ。安樹」

 「あ、あんじゅ、ちゃん……! ううぅ、あんじゅちゃんっ!!!!」

 「は、はいっ!?」

 「きてくれたのっ!? あたち、しゅごく、うれちい……!!!」

 「来てくれた、って……どういうこと? どうして泣いてるの? ここはキミのお店なの? 分からないことだらけで、とにかくキミに説明を」

 「あ。おはなが、むずゅむずゅちてきた……。ふえぇっ、ふえぇっ、ふえええっ」

 「ヤバい……! ちょっ、ちょっと待って! ここでくしゃみはダメだって!」

 「ぶぇーーーーっくちょーーーーーいっ!!!」

 「うわぁーっ!!?」


 風太は少し離れた場所で、べちょべちょの鼻水まみれになる安樹を見守りながら、「おれ、行かなくてよかった……」と、しみじみ感じていた。


 *


 「……」「……」

 

 「えへへ。あんじゅちゃん、ふうたくん! おじいちゃんのおみせにようこそーっ!」

 

 気を取り直して、風太と安樹が「マジカルショップ・ダニエル」に入ると、店の奥のカウンターにはプチ子が立っていた。

 さいわい、涙はすっかり止まったようで、今度はニコニコとまぶしい笑顔を見せてくれている。

 

 「えっと……質問してもいい?」

 「はいどうぞ! あんじゅちゃん!」

 「まず、キミはこの店の店員さん……ってことでいいのかな?」

 「うん! そうだよ! あたちは、このおみせの、てーいんさん!」

 「どうしてさっきは泣いていたの?」

 「えっとね、このおみせ、今日からオープンだから、いっぱいおきゃくさんにきてもらえるように、チラち、いっぱいくばったの」

 「チラシ、ね」

 「でも、ずーーーっとまってても、だれもきてくれなくて……。だから、かなちくて、ないちゃったの」

 「ふぅん、そういうわけか」

 「えへへ。今はもう、かなちくないよ。おともだちが二人もきてくれたから! ふうたくんとあんじゅちゃんが、あたちのはじめてのおきゃくさん! いらっちゃいませー!」

 「なるほど。ボクたちがお客さん……ねぇ」

 

 安樹は浮かない顔で、店内をぐるりと一周見回した。そして言った。


 「ここは、何屋さん……?」

 「おまじない屋さんだよ!」

 「おっ……」

 「おまじないのアイテムを、たくさんうってるの!」

 「うっ……」

 「ぜんぶ、あたちのおじいちゃんが世界中からあつめた、めずらちいアイテムなんだよ! すごいでちょー!」

 「いや、それは前例が……」

 「これから、おきゃくさんいっぱいくるといいなぁ……! あたちも、お金のけいさんとか、レジのやり方とか、れんしゅーちておかなきゃ!」

 「あはは。そ、そうだね……」

  

 目をキラキラ輝かせて夢見るプチ子に、「前の店が同じような感じで失敗したんだよ」とは、言えなかった。「よりにもよって、おまじないショップかよ」「開店セールでお客さん0なら、もう無理でしょ」「今月中には潰れるぞ、この店」なんて、とてもじゃないが言えない。安樹は風太の方をチラリと見たが、風太はわざと目を合わせようとしなかった。

 話題を変えるため、今度は風太が手を挙げた。

 

 「おれからも質問いいか?」

 「はい、ふうたくん! どうぞ!」

 「お前がさっきから言ってる『おじいちゃん』っていうのは、何者なんだ? プチ子」

 「え? あたちのおじいちゃん? このおみせのオーナーさんだよ。かんばんにかいてあるでちょ? 『マジカルショップ・ダニエル』って」

 「ダニエル?」

 「あたちのおじいちゃんのおなまえ! 『ダニエル・プラチナ』っていうの!」

 「はあ? つまり……が、外国人?」

 「うん! アメリカの人なの! えいごペラペラなんだよ!? すごいでちょー!」

 「そりゃあ、すごい……。って、アメリカ人が英語しゃべれるのは当たり前だろ」

 「ちかも、まほうつかいなんだよ!? いつも、まほうつかいみたいなふくきてて、まほうのアイテムとかいっぱいもってて……」

 「ようするに、牡丹さんみたいな人なんだな。やってることが、あの人と全く一緒だし。それで、そのダニエルさんはどこにいるんだ?」

 「おじいちゃん? おじいちゃんはいつも、パチンコ屋さんか、マージャン屋さんか、おさけレストランか……。どこかにあそびにいってるとおもう」

 「うーん、大丈夫なのか? それ……」

 「あたちはよくわかんないけど、毎日たのちそうに帰ってくるよ。あっ、でもたまに泣きながら帰ってくる日もあるかも」

 「泣くのか……」

 「うんっ! このまえは、『ウウッ……。ワシノ大事ダイジナペンダント、ラレテシモウタ……』って、泣いてた」

 「ペンダントを盗られた?」

 「たちか、女の人といっしょにおさけをのんで、きもちよくなって、よっぱらってねてたら、おきたときには、もうペンダントがなくなってたみたい。とっても大事なペンダントだったのに、って」

 「ん? どこかで聞いたことあるような話だな……。そのペンダントって、どんなやつだ?」

 「え? ちょうど今、ふうたくんがつけてるみたいなのだよ。青とピンクの2つがあってぇー、すごい力があるらちくて……なまえはたちか……」


 「「「入れ替わりペンダント!」」」


 風太、安樹、そしてプチ子。三人の声は、ぴったり重なった。


 *


 青色のペンダントは現在、風太の首に。ピンク色のペンダントは美晴から突き返され、現在は風太のポケットにある。

 風太がポケットからピンク色のペンダントを取り出し、三人の真ん中にそっと置いたところで、まずは安樹が話し始めた。


 「話をまとめるとこうだ。最初にプチ子のおじいちゃん(ダニエル)が持っていた入れ替わりペンダントを、牡丹さんがぬすみ、それを今度は風太に渡した、と」


 そして、プチ子が立ち上がった。

 

 「おじいちゃん、こまってるの! だから、そのペンダント、おじいちゃんにかえちてあげて! ふうたくんっ!」

 

 負けじと、風太も立ち上がった。

 

 「それはできない。おれだって、このペンダントが必要なんだ。牡丹さんが盗んだことは、おれも悪いと思ってるけど……」

 

 しかしプチ子は退かない。


 「やだやだーっ! かえちてよー! それ、おじいちゃんのペンダントなのにっ!」

 「ダメだ。これがないと、おれはおれじゃなくなっちゃうんだ。分かってくれ、プチ子」

 「分かんないよー! ひとのもの、盗ったらダメなんだからねー! ふうたくんこそ、ワガママゆっちゃダメ!」

 「なんて言われようが、無理なものは無理だ。これだけは絶対に、おれの首からハズさないって決めたんだ」

 「えぇーっ!? そ、そんなぁ……。ふぇっ、ふえぇっ、ふえええっ」

 「いいさ。涙も鼻水も、全部受けてやる。その代わり、これについては諦めてくれ!」


 二人はこうから対峙たいじした。友達同士とは言え、ここだけは互いに譲れない場所である。

 険悪けんあく雰囲気ムードを解消すべく、安樹はその二人の間に割って入っていった。


 「まあまあ、二人とも落ち着いて。話し合いで解決できるところなんだから、無駄にいがみあう必要なんてないさ」

  

 済ました顔の安樹に、風太は食って掛かった。


 「話し合いで解決ぅ? 何言ってるんだよ、安樹!」

 「すぐケンカごしになるのは、風太の悪いクセだよ。時には戦う勇気も必要なのかもしれないけど、落ち着いて話し合えば簡単に解決する問題でさえ、キミはややこしくしている」

 「そっ、それは……! うぅ……」

 「まあ、ここはボクに任せて。ねぇ、プチ子? 風太の言ってることは分かるよね?」


 安樹は風太を冷静に退しりぞけ、プチ子に話を振った。


 「ペンダントはかえさない、って……!」

 「“今は”、返せないんだ。風太にもいろいろ事情があってね。ただ、いつかは必ず返すよ。それは約束できる」

 「いつかって、いつ?」

 「そうだなぁ……。1年くらい? 半年もあれば大丈夫かな? とにかく、早く返せるようには努力するから、それまで貸しておいてくれない?」

 「うーん。でも、早くおじいちゃんによろこんでほちい……」

 「キミのおじいちゃんには、『ペンダントはもうすぐ返ってくるからね』と伝えてよ。それだけでも、きっと喜んでくれるはずだよ」

 「そうかなぁ……。うーん、そうかも……」


 もうひと押し。

 安樹は少し声色こわいろを変えた。

 

 「ところでプチ子。アイスは好きかい?」

 「えっ? あ、アイス?」

 「そう、アイス。イチゴ味のアイスは好き?」

 「す、すき……だよ。あたち、さむがりだけど、アイスはすき」

 「わあ、よかったぁ! じゃあ、これから三人でアイス食べに行こう! ……おっと、財布はいらないよ。ボクがごちそうするからね」

 「えっ、いいの? あんじゅちゃん」

 「もちろん! ペンダントを貸してくれてるお礼だよ。それに、美味おいしい物はみんなで仲良く食べなきゃ、つまんないでしょ?」

 「うんっ! うぅーー、やったーーー!! みんなでアイスーーー!!」


 プチ子はドスンドスンと飛び跳ね、全身で喜びを表現した。そして、まだまだ興奮が抑えきれないようで、今度はのっしのっしと店の外へ飛び出した。「早くいこーーっ!!」と、大声で安樹と風太を呼んでいる。

 安樹は風太の隣に立ち、ふふんと自慢じまんな顔を見せた。

 

 「どうだい? たまには、こういう解決もいいもんだろう?」

 「ああ。すごいな、安樹は。おれにはこんなことできない」

 「いろんな意味で、プチ子とはケンカなんかしたくないしね。まあ、正面からぶつかることだけが解決策じゃない、ってことで」

 「そうだな。もうちょっと、おれも考えて行動しないと……」

 「行こう風太。まずはプチ子と仲直りだ」

 「うん……!」


 店を出ようとする安樹。

 その背中を見ながら、風太は何か別のことを考えこんでいるような、遠い目をしていた。


 「仲直り、か……。でも、おれと美晴はもう、手遅ておくれだよなぁ……」

 

 *


 その日の夜。時刻は、10時を回ったころ

 先ほどの風太や安樹とは全く関係のない、ここは「メゾン枝垂しだざくら」というアパートの一室。


 ゴソ、ゴソ、ゴソ……。

 これは、「貧乏びんぼうゆすり」の音である。ぬのこすれて音が出るくらい、激しい貧乏ゆすり。それはまるで、痙攣けいれんのようだった。


 「はぁ……はぁ、はぁ……」


 あら吐息といきらしているのは、一人の少女。夜の闇よりも深い黒の髪を、目元や背中まで垂らした、いわゆる幽霊ゆうれいおんなのアイツである。

 背中を丸めて学習机に向かい、算数のノートを開いてはいるものの、手はペンを握らずに頭を抱えている。


 「わたし……の……物……なのに……。わたしが……風太くん……だったのに……」


 のろいのような憎悪ぞうおのこもった言葉を、ブツブツとつぶやいている。

 貧乏ゆすりは一層激しくなり、落ち着きとは程遠ほどとおい精神状態であることが分かる。


 「痛い……! 痛い……よぉ……! 痛い、痛い、痛いぃ……!!」


 目には涙を浮かべ、右手で腹部ふくぶを押さえながら、誰かに痛みを訴えていた。

 しかし、その声は誰かに届くことはなく、少女はズンと身体に重く響く痛みを、ただ耐え続けるばかりだった。


 「苦しい……。もう……嫌……。美晴……なんか……やだ……。もう一度……風太くんに……なりたい……」


 と、その時。

 玄関のドアがガチャリと開く音がして、その数秒後、何かがドサッと床に落ちる音がした。それは、やけに大きな物音だった。


 「……!?」


 少女は自分の部屋から静かに出ると、おそおそる物音がした場所の様子をうかがった。

 玄関の付近。くつが並んでいる、家に入ってすぐの場所。


 「お母さんっ……!?」


 人が倒れている。

 両足が崩れてしまったかのように、ちからきて。

 

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