全てを失った少女
*
「よし、終わったー! 右腕が完全に治ったぞ、安樹!」
「あはは。良かったね、風太」
ここは、大型ショッピングモール「メガロパ」内にある、接骨院。
風太は完治した右腕を、さっそくグルグルと回しながら、医院の出入口から飛び出した。その後ろでは、安樹がいつものキャスケット帽を被り直しながら、風太の背中を追っている。
「おれの用事なのに、付き合ってくれてありがとうな。安樹」
「ううん、気にしなくていいよ。デートって、こういうものだし」
「なるほど。友達同士で遊ぶことも、デートって呼ぶんだな。てっきり、恋人同士でやる恥ずかしいものだと思ってたけど」
「そうだね。これもまたデート。関係性はどうあれ、二人きりで同じ時間を過ごせば、それはもうデートなんだ」
「へー、知らなかった。じゃあ、これからも安樹といっぱいデートしたいな」
「フフッ。まずは今日の放課後デートを楽しもう」
「おう!」
「デートをしよう」なんて誘っても、硬派気取りでカッコつけの風太が、素直に応じるはずもなく。そこで安樹は、「デート」という言葉の意味自体をやんわりと変え、風太を騙すことにした。
安樹の狙いは、「風太とデートをした」という事実を作って、雪乃を牽制することなので、今日のデートの内容はどうでもよかった。
「おれの用事も終わったし、次は安樹に付き合ってやるよ。どこか行きたいお店とかあるか?」
「うーん、そうだなぁ。やっぱり本屋さんかな。新しい小説がほしいと思ってたところなんだ」
「本屋か。それなら1階だな。向こうにあるエスカレーターを使って、一番下まで降りて、それから……」
「うん? それから?」
「えっと……」
「風太? どうしたの?」
「……」
正面を指さしたまま、風太の声は、何故かだんだん小さくなっていった。
目はどこか遠くを見つめており、ぼんやりとしている。何か別のことに、意識が囚われているようだ。
「おーい。おーいってば。ねぇねぇ」
「……」
「脇腹を指先でツン」
「ひゃうっ!?」
やっと戻ってきた。
「どうしちゃったのさ。会話の途中で、いきなり固まって」
「い、いやあ、なんでもないっ」
「風太の“なんでもない”は、絶対に何かある時だよね」
「う゛……! 安樹には、関係ないことなんだっ!」
「ボクに隠しごと? ひどいなぁ。友達なのに」
「……わ、分かったよ! 言うよ! 実は少し前に、美晴と雪乃とおれの3人で、ここに遊びに来たことがあってさ」
「ふむふむ。それは興味深いね」
迷子になった雪乃を、美晴と協力して捜した、あの時の話だ。
風太はあの日の出来事を、安樹に話した。
「結局、雪乃は家電売り場にいてさ。マッサージチェアで気持ち良さそうに眠ってたんだ」
「フフッ、あの子らしいね」
「とにかく雪乃が無事で良かった。そう思って、あの時のおれは、ただホッとしてたんだけど……」
「けど?」
「今になって考えると、もしもおれ一人だったら、迷子になった雪乃を見つけられなかったかもしれない。あの時、雪乃を捜すことに協力してくれた奴がいたんだ。おれは焦ってばっかりだったけど、そいつは落ち着いてて、すごく頼りになって。そいつのことを、なんとなく今、思い出しちゃって……」
「ああ、そうか……」
風太の記憶の中には、まだ美晴がいた。しかもその美晴のイメージは、憎き宿敵の美晴ではなくて、優しくてしっかり者の美晴の方。
「……」
風太はどこか寂しいような顔をして、黙り込んでしまった。
そんな風太の顔を見て、安樹は少しだけ強く奥歯を噛んだが、すぐに落ち着いて、にこやかな笑顔を作った。
「そっか。じゃあ、やめようよ。本屋さんに行くの」
「ごめん、安樹……」
「フフッ、なんで謝るの? デートなんだから、ボクたち二人が楽しめる場所じゃないとね! うーん、そうだなぁ。何か食べに行く? 美味しい物を食べたら元気が出るよ、風太」
「そうだな。よーし、アイス食べよう! イチゴのやつ!」
「確か、アイス屋さんも1階にあったね。じゃあ、風太の快気祝いってことで、今日はボクがおごってあげる!」
「えっ、いいのか!? それならおごってもらうぞ! サンキュー安樹! お礼に、ひざまくらでもしてやりたい気分だ」
「うーん、男子のゴツゴツしたひざは遠慮するよ……。とにかくほら、行こう風太!」
「あはは、待てよ安樹っ!」
安樹は駆け出そうとする前に、風太の顔をもう一度見た。その表情は明るく、心からこの時間を楽しもうとしている様子で、安樹は少しホッとした。
二人で仲良く駆け、2階から1階へと降りるエスカレーターまでやってきたちょうどその時、誰かのバカデカい泣き声が、ショッピングモール全域に響き渡った。
「ふえぇぇーーーーーんっ!! ふえぇーーーーんっ!!」
安樹の足が止まり、それを追う風太の足が止まった。
「!?」
誰かの泣き声。
誰か。……いや、聞いたことのある人間の泣き声。
「風太、この声って……!」
「まさか。いや、ありえない」
「どうする? 無視する? ボクたちデート中だし」
「無視するわけにもいかないだろ……。一応、見に行ってみよう」
「一応、ね。ちょっと様子を見るだけだからね。ボクたちも忙しいんだから」
「うん……」
風太と安樹は、エスカレーターで下へ降りるのをやめ、上へと続く反対側のエスカレーターに乗った。
声がする場所は、おそらく4階だ。
*
「げっ! ここって……」
「うん。あの人のお店があった場所だね」
やってきたのは、4階の奥地。にぎやかなショッピングモール内で、もっとも寂れた場所。
ここは、あの人……「牡丹さん」のお店、「ウィッチズ・マジカルショップ」があった場所である。「牡丹さん」とは、風太と安樹に入れ替わりペンダントを授けた、魔女の格好をしたお姉さんだ。
「でも、潰れたハズだよね。あの変な店」
「ああ。牡丹さんも、田舎に帰ったはずだ」
「じゃあ、これはどういうこと? 復活してるよね?」
「さあ。それはおれにも分からない」
なんと、あの変な店は復活していた。怪しい雰囲気そのままに、風太と安樹の目の前に存在している。しかし、看板に書かれている文字は「ウィッチズ・マジカルショップ」ではなく、「マジカルショップ・ダニエル」。
「名前が変わってる……? なんで?」
「聞いてみろよ。店の前で大泣きしてる奴に」
「う、うん。この怪しい店のこと、何か知ってるかもしれないしね」
「でもさ、あいつって……」
「そうだね、彼女だよ。あの子の名前は」
「「プチ子」」
怪しい怪しい「マジカルショップ・ダニエル」の前には、あの南極風の格好をした女の子、プチ子がいた。理由はさっぱり分からないが、大声でわんわん泣いている。
安樹はプチ子にそっと近づき、後ろから肩をトントンと叩いた。
「や、やあ、プチ子。どうしたんだい?」
「ひゃんっ!? ぐじゅっ、あっ、お、おきゃくさんっ!!!!?」
「いや違うんだ。ボクだよ。安樹」
「あ、あんじゅ、ちゃん……! ううぅ、あんじゅちゃんっ!!!!」
「は、はいっ!?」
「きてくれたのっ!? あたち、しゅごく、うれちい……!!!」
「来てくれた、って……どういうこと? どうして泣いてるの? ここはキミのお店なの? 分からないことだらけで、とにかくキミに説明を」
「あ。おはなが、むずゅむずゅちてきた……。ふえぇっ、ふえぇっ、ふえええっ」
「ヤバい……! ちょっ、ちょっと待って! ここでくしゃみはダメだって!」
「ぶぇーーーーっくちょーーーーーいっ!!!」
「うわぁーっ!!?」
風太は少し離れた場所で、べちょべちょの鼻水まみれになる安樹を見守りながら、「おれ、行かなくてよかった……」と、しみじみ感じていた。
*
「……」「……」
「えへへ。あんじゅちゃん、ふうたくん! おじいちゃんのおみせにようこそーっ!」
気を取り直して、風太と安樹が「マジカルショップ・ダニエル」に入ると、店の奥のカウンターにはプチ子が立っていた。
幸い、涙はすっかり止まったようで、今度はニコニコとまぶしい笑顔を見せてくれている。
「えっと……質問してもいい?」
「はいどうぞ! あんじゅちゃん!」
「まず、キミはこの店の店員さん……ってことでいいのかな?」
「うん! そうだよ! あたちは、このおみせの、てーいんさん!」
「どうしてさっきは泣いていたの?」
「えっとね、このおみせ、今日からオープンだから、いっぱいおきゃくさんにきてもらえるように、チラち、いっぱいくばったの」
「チラシ、ね」
「でも、ずーーーっとまってても、だれもきてくれなくて……。だから、かなちくて、ないちゃったの」
「ふぅん、そういうわけか」
「えへへ。今はもう、かなちくないよ。おともだちが二人もきてくれたから! ふうたくんとあんじゅちゃんが、あたちのはじめてのおきゃくさん! いらっちゃいませー!」
「なるほど。ボクたちがお客さん……ねぇ」
安樹は浮かない顔で、店内をぐるりと一周見回した。そして言った。
「ここは、何屋さん……?」
「おまじない屋さんだよ!」
「おっ……」
「おまじないのアイテムを、たくさんうってるの!」
「うっ……」
「ぜんぶ、あたちのおじいちゃんが世界中からあつめた、めずらちいアイテムなんだよ! すごいでちょー!」
「いや、それは前例が……」
「これから、おきゃくさんいっぱいくるといいなぁ……! あたちも、お金のけいさんとか、レジのやり方とか、れんしゅーちておかなきゃ!」
「あはは。そ、そうだね……」
目をキラキラ輝かせて夢見るプチ子に、「前の店が同じような感じで失敗したんだよ」とは、言えなかった。「よりにもよって、おまじないショップかよ」「開店セールでお客さん0なら、もう無理でしょ」「今月中には潰れるぞ、この店」なんて、とてもじゃないが言えない。安樹は風太の方をチラリと見たが、風太はわざと目を合わせようとしなかった。
話題を変えるため、今度は風太が手を挙げた。
「おれからも質問いいか?」
「はい、ふうたくん! どうぞ!」
「お前がさっきから言ってる『おじいちゃん』っていうのは、何者なんだ? プチ子」
「え? あたちのおじいちゃん? このおみせのオーナーさんだよ。かんばんにかいてあるでちょ? 『マジカルショップ・ダニエル』って」
「ダニエル?」
「あたちのおじいちゃんのおなまえ! 『ダニエル・プラチナ』っていうの!」
「はあ? つまり……が、外国人?」
「うん! アメリカの人なの! えいごペラペラなんだよ!? すごいでちょー!」
「そりゃあ、すごい……。って、アメリカ人が英語しゃべれるのは当たり前だろ」
「ちかも、まほうつかいなんだよ!? いつも、まほうつかいみたいなふくきてて、まほうのアイテムとかいっぱいもってて……」
「ようするに、牡丹さんみたいな人なんだな。やってることが、あの人と全く一緒だし。それで、そのダニエルさんはどこにいるんだ?」
「おじいちゃん? おじいちゃんはいつも、パチンコ屋さんか、マージャン屋さんか、おさけレストランか……。どこかにあそびにいってるとおもう」
「うーん、大丈夫なのか? それ……」
「あたちはよくわかんないけど、毎日たのちそうに帰ってくるよ。あっ、でもたまに泣きながら帰ってくる日もあるかも」
「泣くのか……」
「うんっ! このまえは、『ウウッ……。ワシノ大事ナペンダント、盗ラレテシモウタ……』って、泣いてた」
「ペンダントを盗られた?」
「たちか、女の人といっしょにおさけをのんで、きもちよくなって、よっぱらってねてたら、おきたときには、もうペンダントがなくなってたみたい。とっても大事なペンダントだったのに、って」
「ん? どこかで聞いたことあるような話だな……。そのペンダントって、どんなやつだ?」
「え? ちょうど今、ふうたくんがつけてるみたいなのだよ。青とピンクの2つがあってぇー、すごい力があるらちくて……なまえはたちか……」
「「「入れ替わりペンダント!」」」
風太、安樹、そしてプチ子。三人の声は、ぴったり重なった。
*
青色のペンダントは現在、風太の首に。ピンク色のペンダントは美晴から突き返され、現在は風太のポケットにある。
風太がポケットからピンク色のペンダントを取り出し、三人の真ん中にそっと置いたところで、まずは安樹が話し始めた。
「話をまとめるとこうだ。最初にプチ子のおじいちゃん(ダニエル)が持っていた入れ替わりペンダントを、牡丹さんが盗み、それを今度は風太に渡した、と」
そして、プチ子が立ち上がった。
「おじいちゃん、こまってるの! だから、そのペンダント、おじいちゃんにかえちてあげて! ふうたくんっ!」
負けじと、風太も立ち上がった。
「それはできない。おれだって、このペンダントが必要なんだ。牡丹さんが盗んだことは、おれも悪いと思ってるけど……」
しかしプチ子は退かない。
「やだやだーっ! かえちてよー! それ、おじいちゃんのペンダントなのにっ!」
「ダメだ。これがないと、おれはおれじゃなくなっちゃうんだ。分かってくれ、プチ子」
「分かんないよー! ひとのもの、盗ったらダメなんだからねー! ふうたくんこそ、ワガママゆっちゃダメ!」
「なんて言われようが、無理なものは無理だ。これだけは絶対に、おれの首からハズさないって決めたんだ」
「えぇーっ!? そ、そんなぁ……。ふぇっ、ふえぇっ、ふえええっ」
「いいさ。涙も鼻水も、全部受けてやる。その代わり、これについては諦めてくれ!」
二人は真っ向から対峙した。友達同士とは言え、ここだけは互いに譲れない場所である。
険悪な雰囲気を解消すべく、安樹はその二人の間に割って入っていった。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。話し合いで解決できるところなんだから、無駄にいがみあう必要なんてないさ」
済ました顔の安樹に、風太は食って掛かった。
「話し合いで解決ぅ? 何言ってるんだよ、安樹!」
「すぐケンカ腰になるのは、風太の悪いクセだよ。時には戦う勇気も必要なのかもしれないけど、落ち着いて話し合えば簡単に解決する問題でさえ、キミはややこしくしている」
「そっ、それは……! うぅ……」
「まあ、ここはボクに任せて。ねぇ、プチ子? 風太の言ってることは分かるよね?」
安樹は風太を冷静に退け、プチ子に話を振った。
「ペンダントはかえさない、って……!」
「“今は”、返せないんだ。風太にもいろいろ事情があってね。ただ、いつかは必ず返すよ。それは約束できる」
「いつかって、いつ?」
「そうだなぁ……。1年くらい? 半年もあれば大丈夫かな? とにかく、早く返せるようには努力するから、それまで貸しておいてくれない?」
「うーん。でも、早くおじいちゃんによろこんでほちい……」
「キミのおじいちゃんには、『ペンダントはもうすぐ返ってくるからね』と伝えてよ。それだけでも、きっと喜んでくれるはずだよ」
「そうかなぁ……。うーん、そうかも……」
もうひと押し。
安樹は少し声色を変えた。
「ところでプチ子。アイスは好きかい?」
「えっ? あ、アイス?」
「そう、アイス。イチゴ味のアイスは好き?」
「す、すき……だよ。あたち、さむがりだけど、アイスはすき」
「わあ、よかったぁ! じゃあ、これから三人でアイス食べに行こう! ……おっと、財布はいらないよ。ボクがごちそうするからね」
「えっ、いいの? あんじゅちゃん」
「もちろん! ペンダントを貸してくれてるお礼だよ。それに、美味しい物はみんなで仲良く食べなきゃ、つまんないでしょ?」
「うんっ! うぅーー、やったーーー!! みんなでアイスーーー!!」
プチ子はドスンドスンと飛び跳ね、全身で喜びを表現した。そして、まだまだ興奮が抑えきれないようで、今度はのっしのっしと店の外へ飛び出した。「早くいこーーっ!!」と、大声で安樹と風太を呼んでいる。
安樹は風太の隣に立ち、ふふんと自慢気な顔を見せた。
「どうだい? たまには、こういう解決もいいもんだろう?」
「ああ。すごいな、安樹は。おれにはこんなことできない」
「いろんな意味で、プチ子とはケンカなんかしたくないしね。まあ、正面からぶつかることだけが解決策じゃない、ってことで」
「そうだな。もうちょっと、おれも考えて行動しないと……」
「行こう風太。まずはプチ子と仲直りだ」
「うん……!」
店を出ようとする安樹。
その背中を見ながら、風太は何か別のことを考えこんでいるような、遠い目をしていた。
「仲直り、か……。でも、おれと美晴はもう、手遅れだよなぁ……」
*
その日の夜。時刻は、10時を回った頃。
先ほどの風太や安樹とは全く関係のない、ここは「メゾン枝垂れ桜」というアパートの一室。
ゴソ、ゴソ、ゴソ……。
これは、「貧乏ゆすり」の音である。布が擦れて音が出るくらい、激しい貧乏ゆすり。それはまるで、痙攣のようだった。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
荒い吐息を漏らしているのは、一人の少女。夜の闇よりも深い黒の髪を、目元や背中まで垂らした、いわゆる幽霊女のアイツである。
背中を丸めて学習机に向かい、算数のノートを開いてはいるものの、手はペンを握らずに頭を抱えている。
「わたし……の……物……なのに……。わたしが……風太くん……だったのに……」
呪いのような憎悪のこもった言葉を、ブツブツとつぶやいている。
貧乏ゆすりは一層激しくなり、落ち着きとは程遠い精神状態であることが分かる。
「痛い……! 痛い……よぉ……! 痛い、痛い、痛いぃ……!!」
目には涙を浮かべ、右手で下腹部を押さえながら、誰かに痛みを訴えていた。
しかし、その声は誰かに届くことはなく、少女はズンと身体に重く響く痛みを、ただ耐え続けるばかりだった。
「苦しい……。もう……嫌……。美晴……なんか……やだ……。もう一度……風太くんに……なりたい……」
と、その時。
玄関のドアがガチャリと開く音がして、その数秒後、何かがドサッと床に落ちる音がした。それは、やけに大きな物音だった。
「……!?」
少女は自分の部屋から静かに出ると、恐る恐る物音がした場所の様子をうかがった。
玄関の付近。靴が並んでいる、家に入ってすぐの場所。
「お母さんっ……!?」
人が倒れている。
両足が崩れてしまったかのように、力尽きて。




