ホッキョクグマの拳
*
「あ、思い出した……。お前、プチ子だろ」
「うん! あたち、プチ子よ! あなたはだぁれ?」
「風太だよっ! 忘れたのか? 以前同じクラスだっただろ?」
「あー! ゆきのちゃんの……おまけ?」
「誰がおまけだコラ」
南極女の正体は、プチ子だった。
本名は白金縁子。所属は6年3組。月野内小学校の6年生の中で、一番小さい女の子だ。ニックネームの「プチ子」の由来は、もちろんその小ささから来ている。
風太&雪乃とプチ子は、中学年の時に同じクラスになったことがある。だから全くの初対面というわけではないのだが、現在のプチ子は、風太が知る昔のプチ子とはまるで違っていた。
「それにしても、あのプチ子が……どうしてそんなにデカくなったんだ?」
「デカくなってないよ! そうみえるだけ!」
「は? どういう意味だ」
「かさねぎ、いっぱいちてるの! かさねぎちすぎて、たまねぎみたいになってるの!」
「つまり、服をたくさん着すぎて、キグルミみたいになってるのか。デカい体に見えるけど、服を全部脱いだら、小さいプチ子が出てくるんだな?」
「そんなかんじ~。あたち、さむがりだからね」
風太はイスに腰掛け、改めてプチ子の全身を見た。
言われてみれば、確かにやたらモコモコしており、プチ子の挙動は、地方自治体のイベントなどに現れる「ゆるキャラ」みたいだった。
「それで、プチ子はここへ何しに来たんだ?」
「んーとね、あんじゅちゃんって子を、さがちてるの! あたちのクラスメートなの」
「ああ、そういえばお前も、安樹と同じ6年3組だったな。仲良いのか?」
「うん! あたちと~あんじゅちゃんは~とっても~なかよち~♪」
「そうか。じゃあ、教えても大丈夫そうだな。ほら、あそこの布団の中に隠れてるよ」
「ほんとっ!? ありがとう!」
風太はベッドの上を指差し、プチ子に安樹の居場所を伝えた。
プチ子はドスンドスンとその方向へ駆け出し、先程からモゾモゾと動いている布団の塊を勢いよくめくりあげた。
「ばさーっ! あーーっ! あんじゅちゃん見ーっけ!!」
「うわあぁっ!? なんで言っちゃうんだよ、風太ぁっ!」
カブトムシの幼虫のように丸まっている安樹が、布団の中から転がり出てきた。
安樹は慌てて逃げようとしたが、プチ子の大きな手袋に一瞬で捕まり、ぎゅぎゅーーっと抱きしめられてしまった。
「う~ん♡ あんじゅちゃん、かっこいいからすきー♡」
「ぐああぁっ! ボクはキミなんか嫌いだよっ! 放してっ!」
「むぅーっ! きらい、なんていわないでーーっ!!」
「ぎゃあぁっ!!? わ、分かった! 今のナシ!! 好きだから放してぇっ!!」
プチ子の腕の中でバタバタと暴れる安樹を見て、風太はのんきに笑っていた。
「プチ子に気に入られたみたいだな。友達が増えて良かったじゃん、安樹」
「分かってない! 風太はコイツのこと、何も分かってないよ! まったく、どうしてボクの手伝い係に、こんなヤツを……!」
「手伝い係? なんだそれ?」
「ほら、ボクはあまり授業に出てないだろ? だから、6年3組の担任の先生が、『もし安樹ちゃんが教室に現れたら、分からないことを優しく教えてあげる係』を作ったらしいんだ。教室でボクのサポートをする係ってわけ」
「それに立候補したのが、プチ子なのか? へぇ、やっぱり良いやつじゃないか」
「そりゃあ、優しい子ではあるんだろうけどさ……。この子、国語算数理科社会どれにしても勉強はボクよりできないし、自分の大きさを理解してないからそこらじゅうの物にぶつかって壊すし、常に鼻水垂らしてズルズルうるさいしっ! ボクのサポート係なのに、実際はボクの方がこの子のサポートをさせられてるんだよっ! だから逃げ出してきたんだっ!」
「あはは、まぁ仲良くやれよ。変なヤツ同士、お似合いだぜ。お前ら二人」
「ぐぬぬ、風太のくせに……! おいプチ子。生意気な風太におしおきだ」
素直に。
「はーいっ!」
プチ子は元気よく返事をして、まず腕に抱えていた安樹をベッドに戻した。そして、ググッと深くしゃがみ、両足で強く地面を蹴って、ぴょーんと高く跳んだ。
宙に浮く巨体の影が、地上の風太に重なる。
「うおぅっ!? 全身でおれを潰す気か!?」
「あたちの必殺技! “海象・ふらいんぐぷれーーーすっ!!!”」
ドッスン!! バキバキメキメキ……。
間一髪、風太は跳びかかってくるプチ子を回避した。風太がさっきまで座っていた木製のイスが、代わりに犠牲になり、プチ子の腹の下でバキバキと音を立てている。
「ふぅ、危なかった……」
「あれぇ? あたちのこうげき、あたってないの?」
「イスの脚が折れてる……。おいおい、シャレになってないぞ!?」
「よーち、つぎはあてるね」
その破壊力に、風太はもちろん安樹さえも目を疑った。
安樹としては、「おしおき」なんて冗談のつもりで言ったのだ。しかしプチ子は、今の自分の大きさや重さを全く分かっていないうえに、加減というものを知らなかった。
安樹の命令により、プチ子の巨体から放たれるフルパワーの攻撃が、風太を襲う。
「おい安樹っ!! 早くプチ子を止めろっ!! 威力が、冗談になってないっ!!」
「う、うんっ……! プチ子、もういい!! 風太への攻撃をやめてっ!!」
安樹の声は、数秒遅かった。
「あたちの必殺技! “北極熊・なーーっくるーーーっ!!!”」
南極ではなく、北極からの一撃。
北極熊の拳は、風太の腹部を捉え、そのまま保健室のベッドを1つ飛び越えるほどの飛距離を叩き出した。
風太の身体は、放物線を描いて飛んだ後、2つ目のベッドの上にドサッと落ちた。
「ぐはっ!!! ううぅ……!」
そして、風太は腹を押さえながら、言葉にならないうめき声をあげた。のたうち回って泣きたいほどの痛みだが、男のプライドが泣くことを許してくれない。
安樹とプチ子は慌てて駆け寄り、苦しそうな風太を取り囲んだ。
「風太、大丈夫っ!? 大丈夫……じゃなさそうだね」
「あわわわ、ごめんなさいっ! あたち、またやりすぎちゃった……。おようふくをかさねぎすると、パワーぜんかいになっちゃうの」
「いや、今回はボクも軽率だった。とにかく、すぐに保健室の先生を呼んでくるから、プチ子はここで風太の様子を見ていてくれ」
「うん……。ふうたくん、ごめんね……」
安樹は保健室を飛び出し、急いで校医の柴村先生を呼びに行った。
保健室内に残されたのは、風太とプチ子の二人。
プチ子は、水で濡らしたタオルをぎゅぎゅーーっと絞って持ってくると、風太の額の上にそっと乗せて、看病を続けた。
「ふぇ、ふえぇ、ふぇっ」
「お、おいっ……! この状況で……くしゃみはマズいって……!」
「ふえぇーーーん!! ふうたくん、死なないでーーーっ!!」
「あ、泣いてるのか……。紛らわしいなっ……!」
看病を続ける中で、プチ子はふと、風太が青いペンダントを首から提げていることに気がついた。
「あれぇ? このペンダント、どっかでみたことあるよーな……」
*
その日の放課後。
なんとか無事に回復した風太は、雪乃と共に帰路についた。このように、昼休みに保健室で安樹に会い、放課後は雪乃と一緒に帰るというのが、最近の風太の日常になっている。
もちろん女子ばかりではなく男子とも話したりはするが、健也などの男友達が休み時間にやっているサッカーやドッジには、まだ参加することができない。
「なぁ雪乃。そろそろ、おれもみんなとサッカーやりたいんだけど……」
「ダメ。右腕のケガが完全に治るまで運動しちゃダメだよって、お医者さんに言われたでしょ?」
「ちぇっ。美晴のヤツ、本当に面倒なことしてくれたよなぁ」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
美晴に肉体を奪われ、勝手に右腕を折られたのだ。そのせいで、今も運動に制限がかかっており、男友達と一緒にスポーツを楽しむことが許されていない。
痛みこそないものの、風太は自分の右腕を見るたび溜め息をこぼし、美晴への恨みを募らせていた。
「はぁ……。明日、接骨院に行ってみるか。早くお医者さんに運動の許可をもらわないと」
「でも、さっき保健室でプチ子ちゃんにブッ飛ばされたんでしょ? ケガがひどくなってなければいいけど」
「えっ!? おれがプチ子に殴られたこと、どうして雪乃が知ってるんだ?」
「安樹ちゃんとプチ子ちゃんが、先生に謝ってるところを見かけたの。先生は『二瀬くんの件はしょうがないけど、イスを壊すなんて信じられませんっ!!』って、すごく怒ってた」
「おれの件はしょうがないのか……」
男子がケガをした場合と、女子がケガをした場合で、大人からの扱いに差があるのは、よくあることだ。特に風太みたいな活発な男子は、日常的にケガをするものなので、誰かに豪腕でブッ飛ばされた程度では、あまり心配してもらえないのである。その点、「痛いよー!」と泣きわめくだけで大人たちから心配してもらえる女子ってズルいよな……と、風太は思っていた。
「イス以下か。おれの扱いは」
「イス以下だね。風太くんは」
そんな話をしているうちに、雪乃の自宅前に到着した。
「じゃあな、雪乃」
「バイバイ風太くんっ! また明日!」
手を振って別れを告げ、雪乃は玄関の扉の奥へと消えていった。
「……」
とても静かな住宅街。その道路の真ん中。風太という少年が一人。自分の家に着くまで、あと数十歩。
しかし風太は、雪乃と別れてから一歩も前に進まなかった。立ち止まったまま、まっすぐに正面を見ている。
「お前……ここまで来たのか」
なぜ、突然こんなことを言ったのか。
なぜ、歩き出さないのか。
なぜ、帰宅しようとしないのか。
なぜならそれは、風太の家の前に、一人の少女が立っていたからだ。
「風太くんっ……!」
「何の用だ。美晴」
風太は風太として、美晴は美晴として。
少年と少女は、自分の本来の姿で、初めて相手と向かい合った。




