風太にとって最高の味方
「安樹、いるか?」
「ああ。待ってたよ、風太」
ベッドのカーテンを開けると、安樹はいつものようにそこにいた。
「よいしょっ、と。分かってはいたけど、美晴のヤツ面倒なことしてくれてさ。これから忙しくなりそうなんだよ」
「ああ、うん……。そうだね」
風太はベッドに乗り、安樹の隣に腰を降ろした。
すると安樹は、磁石が反発するみたいに、おしり1つ分ほど風太から離れた。
「ん? どうして離れるんだよ」
「いや、その、さ……。元の姿に戻ったキミを、改めて見ると……」
「改めて見ると?」
「な、なんだか、ちょっと、おっきいなぁって」
「大きい? おれが、か?」
「うんっ。だって、この前までボクより小さい女の子だったじゃないか。それが急に、こんなに大きくてたくましい男子になっちゃって……」
「何言ってるんだよ。これがおれの元々の姿だって。ほら、もっと近くに来いよ。話ができないだろ」
風太は安樹の手首を掴み、自分の方へと引き寄せようとした。
「きゃあっ!? 何するのっ!?」
しかし安樹はそれに従わず、手を振り払い、さらに風太の手をべチンと叩いた。
「いてっ!? お前こそ何するんだっ! どうしちゃったんだよ、安樹!」
「ふ、風太は、何とも思わないの? ボクとキミは、女子と男子なんだよ?」
「はあ? どういう意味だよ」
「だからぁ! ボク、男子とこんなに親しい距離になるのは初めてでっ! だから緊張してるのっ! 分かってよ!!」
安樹は真っ赤な顔でキレた。
「緊張!? おれが近くにいるだけで!?」
「そうだよっ! 男子の友達なんて、何年ぶりか……」
「でも、寝てるおれのほっぺたにキスしたり、おれのひざまくらで寝たり……今まで散々、いろんなことやってきただろ!?」
「それは……キミが女の子だったから。女の子相手なら、緊張なんてせずにそういうことできるけど、男の子相手だと、どうしても奥手になっちゃうの」
「おれは男だぞ。お前と出会った時からずっと」
「それはウソ。女の子だったじゃん。はぁ……ボクが男のキミに慣れるまで、待ってて」
「いや、だから、心はずっと男で……!」
「身体は女だったでしょ? あぁ、黒髪がキレイで、ほっぺたがぷにぷにしてて、笑顔がとってもかわいい女の子だったのに、今やこんな“やんちゃ男子”になってしまって。残念無念」
「あのなぁ……! おれを男に戻してくれたのは」
「ボクだよ? それは分かってる。でも、ボクは女のキミのほうが接しやすかった!」
「そんなこと言われても、これが本当のおれなんだ。早く慣れてくれ」
「やだよー! 男の風太がそばにいると、緊張するよー!」
「じゃあ、保健室から出て行けばいいのか?」
「やだっ! 行かないでっ! 少し離れた場所にいて!」
「面倒くさいな、お前っ!」
「ボクは産まれてからずっと、面倒くさい女だよ。ふふんっ♪」
風太は、やれやれと呆れながら、安樹から近すぎず遠すぎない場所に座り直すことにした。ちょうどベッドの一番端のあたりに座ろうとすると、安樹はとても満足そうにしていた。
「じゃあ、ここでいいか?」
「……風太ってさ」
「ん?」
「風太って、ボクのわがまま何でも聞いてくれるね」
「別にこれぐらいなら、わがままには入らないよ。いちいち気にすることじゃない」
「ふふっ。ありがと」
「やめろよ、お礼なんて。おれはお前に救われてるんだ。おれがこうやって男に戻れたのも、全部お前のおかげさ。おれ、『美晴』としての生活は何も良いことがないって言ったけど、安樹と友達になれたことは唯一の良いことだったかなって、今は思う」
「友……達……」
「もしも、100ノートのことが全部解決したらさ。今度はおれ、お前のために何かしたいんだ。おれにできることで……たとえば、学校を休んでて授業についていけないのが不安なら、おれが勉強を教えてやるし」
「勉強……? 風太、ボクより勉強できるの?」
「えっ?」
「『行灯』って、なんて読むか分かる……?」
「ぎょうとう……?」
「『行灯』、だよ……?」
「いっ、いきなりクイズ番組みたいなことするのやめろよっ! 体育なら、おれだって教えられるっ!」
「うっ、うぅっ、うううぅ……!!」
「うわっ!? 急にどうしたんだ、安樹!?」
にわか雨が降るかのように、安樹はうつむいてポロポロと泣き出した。
突然のことに理由も分からず、風太は再び安樹のそばへと寄り添い、その様子を見守った。
「ぐすんっ! どうして今日、ボクに会いに来たのっ……!?」
「えっ?」
「風太はもう、ボクに会いに来てくれないと思ってたんだ……!」
雨は、次第に激しくなっていった。
「おれが、もうお前に会わないって……?」
「だって……! 風太はもう元の姿に戻れたんだし、同じクラスの友達の方が大事だから、ボクのことなんて忘れちゃうかもって……!! でも、風太にも風太の人間関係があるから、それはしょうがないことだって、考えてて……!」
「そんなつまらないこと、考えるなよ」
「でも、ボクの存在は、キミの人間関係の邪魔になりそうだし、切り捨てられる前に身を引いた方が、傷つかないし……」
「おれは友達を切り捨てたりしない。お前はもう何も怖がらなくていいって、前にも言っただろ?」
「そ、それは分かってるけど……」
「いいか。勘違いしてるみたいだから言っとくけど、健也たちはおれの友達で、お前もおれの友達だ。どっちの方が大事かなんて、そんなのは最初からないんだよ。おれが考えなくちゃいけないのは、どっちを選ぶかじゃなくて、どうすれば友達同士が仲良くなれるかなんだ」
「友達同士が……仲良く……?」
「そうさ。お前はいいやつだ。だから、いつかおれの友達にも会わせたいんだよ。みんなで仲良くなれば、誰も悲しまないで済む」
「無理だよ……。ボク、すでに健也にはケンカ売っちゃってるし」
「気にすることないよ。健也には、おれがちゃんと言ってやる。『安樹はちょっとヘンテコだけど、すごく頭が良くて、とても優しいやつなんだ』って」
「風太……」
「だから、怖がるのはもうやめろよ。これからもよろしく頼むぜ、安樹」
「うんっ……!」
風太は安樹に、握手を求めた。
安樹が味方でいてくれる限り、どんな困難も乗り越えていけると信じて……。
「えっ?」
ドンッ!
安樹は握手には応じず、両手で容赦なく風太を突き飛ばした。
風太は後ろにドスンと倒れ、ベッドの端にある柵に頭をぶつけた。
「いってぇ……! な、何するんだっ!?」
「距離が近いよ、風太。カッコつけすぎ」
「えぇっ!? なんでそうなるんだよ、安樹のバカ……!」
「でも好きだよ。風太のそういうとこ」
「もう、本当に……お前は面倒くさい女だなっ!!」
「きゃー! 風太が怒ったー!」
安樹は頭から布団を被り、その中に身を隠した。風太はそれをものともせず、布団をめくって安樹を引きずりだそうとした。そして、まくらで叩き合い、布団に潜り合い、足の裏をくすぐり合い……。
ベッドのカーテンの中で、ホコリが舞うのも気にせずに、二人は仲良くじゃれあって遊んだ。
*
「はぁ……はぁ……」
「ゼェ、ゼェ……はぁ、はぁ……」
数分後。
風太も安樹も動けなくなった。あまりにも激しく遊びすぎたのだ。
「ボク、もう疲れちゃったよ……」
「おれも……だよ……。安樹……」
「あっ……! なんか、今のしゃべり方、『美晴』っぽかったかも」
「『美晴』っぽい……?」
「うん。キミ、いつもしゃべり辛そうな感じだったよね。声を出そうとして、出ない時もあったし」
「あれは……首がギュッと絞まるからだよ。一応、筆談するためのホワイトボードもあるんだけど、めんどくさくてあんまり使ってなかったな」
「どうしてそんな体質なんだろう……。理由は知ってる?」
「えっ? 美晴の首が絞まる理由……?」
考えたこともなかった。
「さぁな。今となってはどうでもいいことだ。美晴の身体のことなんて」
「ふーん。でも、ペンダントの宝石が壊れたり、ヒモがブチッと千切れたりしたら、キミはまた『美晴』に戻っちゃうんでしょ?」
「ああ、それは気をつけないとな。そうだ、美晴デビルと会ったことを、お前に話しておくよ」
風太は、今朝の夢で見た内容を、安樹に話した。
「ふむ、なかなか興味深いな。100ノートの化身とも言える悪魔が、キミに接触してくるなんて」
「ちょっとマヌケな悪魔だったけどな。いつかリベンジしにくるらしいけど、その前にノートを見つけて、破り捨てちゃうおうぜ」
「そのことについて、さっき牡丹さんから連絡が来たよ」
「げっ、あの人か……」
図書室ボランティアのお姉さんであり、おまじないコレクターでもある、牡丹さんだ。
残念ながら実家に帰ってしまったので、もうこの街にはいないが、今でも安樹とはスマートフォンで連絡を取り合っている。
「まぁ、あの人も一応味方だから。信用していいと思うよ」
「それで、牡丹さんはなんて言ってた?」
「『100ノートは誰かが拾って、図書室の本棚に置いたんじゃないか』って。図書室では、誰かの私物の本が間違って置かれてることも、けっこうあるみたいだから」
「この学校の図書室か。よし、そうと決まれば……!」
キーンコーン。
昼休み終了のチャイムが鳴った。小学生は、この音には逆らえない。
「おっと、残念だけどここまでだよ。風太」
「とにかく、図書室を探せばいいんだな? よし、やってやるぞ……!」
「がんばろうね、風太。……さて、今日はボクも教室に行こうかな」
「えっ!? お前、6年3組の教室に行くのか!?」
「久しぶりに授業に出たくなってね。フフッ、キミの影響かな?」
「よく分からないけど応援するぞ、安樹! もしクラスで嫌なことがあったら、すぐにおれに言えよな! 男に戻ったおれのパンチで、どんな奴からもお前を守ってやる!」
「心配してくれてありがとう。ボクにはキミがついてると思って、勇気を出して行ってくるよ。じゃあね、風太」
「おう! がんばれよ、安樹」
一緒に保健室を出て、風太は6年1組へ。安樹は6年3組へ。二人はそれぞれの教室へと、迷いなく進んでいった。
*
そして、ここは6年3組。
仲良しクラスの6年1組でもなく、いじめクラスの6年2組でもない、未だ謎だらけの6年3組。菊水安樹は、このクラスに在籍していることになっている。
(ここが……ボクの席ってことでいいのかな?)
安樹はきょろきょろと周囲を見回し、教室の中で一番殺風景な机を選んで、その上に水色のランドセルを置いた。
(気のせいじゃないな。やっぱり、みんなから見られてる……)
教室内はザワザワとしていてにぎやかだが、一部の生徒は「あまり教室に来ない安樹ちゃん」に気付き、友達と会話しながら遠目でチラチラと見ていた。しかし、その視線は排他的や攻撃的なものではなく、どちらかと言うと不思議がっているような、“純粋な興味”の視線だった。
(うーん、様子見されてるって感じ……。まずは、授業が始まるのを待った方がいいかな。それとも、誰かに話しかけてみようか。でも、ヘタに絡んで、変な空気になっちゃうのは嫌だし……)
しかし、いた。
「こんにち、わっ! あんじゅ、ちゃん!」
「えっ……?」
安樹に対し、ヘタに絡んでくる奴が一人いた。




