いじめられっ子の末路
*
「ふぅ、食った食ったー。あんなにご飯食べたのも久しぶりだなぁ」
長い旅を終え、風太はやっと自分の家に帰ってきた。
帰宅後、真っ先に向かったのは風呂場だ。シャワーを浴びながら、鏡に映る自分の裸体が男子のものであることを何度も確認し、風太は改めて男子として生きられる喜びを噛み締めた。その後、久々に守利の手料理を存分に味わい、リビングのじゅうたんの上で気が済むまでゴロゴロしたあと、二階にある自室のベッドへと移動し、気が済むまでたくさんゴロゴロした。
「はあぁーーーー……」
想い出の全てが詰まった家。
天井のシミを見たり、床の冷たさを肌で感じたりして、ゴロゴロと転がっているだけでも、風太の脳内には懐かしい記憶がアルバムのように表れた。
「帰ってきたんだ……! おれはおれとして、おれの部屋にっ!! うぅおおおーーっ!! おれは帰ってきたぞーーーっ!!!」
感極まって、大声で叫んだ。手を広げ、足を広げ、大の字になって天井を見ながら。これぞまさしく、「雄叫び」だ。
ドタドタドタ……バタン! その叫び声を聞きつけ、守利はあわてて息子の部屋の中へと侵入した。
「今の声なに!? 何かあったの!? フウくん大丈夫っ!?」
しかし、そこにはびっくりしている息子がいるだけで、他には何もなかった。
思わず声をあげたくなるような害虫などもいない。
「うわぁっ、母さん!? 勝手に入ってくるなよっ!」
「あら……? 何事もないのね。じゃあ、今の叫び声はなぁに?」
「なんでもないよ。ちょっと叫びたくなっただけだから」
「フウくんったら、最近いつも変なことやってるわねぇ。でも、ご近所迷惑だから、突然叫んだりするのはもうやめなさい。分かった?」
「分かってるって。今のは反省する。ごめん!」
「それから、その右手。まだ安静にしてなきゃダメよ」
「分かった!」
痛みは全くなく自由に動かせるが、右腕のギプスはまだ外してはいけないようだ。
風太は大の字で寝るのをやめ、勝手に腕を折りやがった「あいつ」のことを思い浮かべながら、首から提げているペンダントの青い宝石をじっと見つめた。
「あら、キレイなペンダントね。だれかにもらったの?」
「えっ? ああ、母さんには関係ないよ」
「むっ! フウくんのくせに、生意気でムカつく。教えてくれたっていいじゃない。ねぇねぇ、それ誰かのプレゼント? 女の子から? ずっと身に着けてるけど、そんなに大事なものなの?」
「あー、もうっ! しつこいな! このペンダントについての質問は、一切受け付けてない!」
「あ、分かった! ミハちゃんでしょ、ミハちゃん。ミハちゃんにもらったんでしょ。フウくん、最近ミハちゃんと仲良しだもんねぇ」
「ちっ、ちち、違うっ!! もう黙れよ母さんっ!!」
守利の“カン”は、半分くらい的中していた。
これ以上ペンダントについて聞かれるとマズいと判断し、風太は話題を変えることにした。
「それより、おれが『最近いつも変なことやってる』って、どういうこと?」
「へっ?」
「さっき言ってたじゃん。最近のおれ、そんなに変だった?」
「うん、すごく変よ。もしかして、自分で気付いてなかったの?」
「いや、その……。き、記憶があいまいでさ。最近のおれがやってた変な行動、全部教えてほしいんだけど」
風太は、美晴が自分に成りすまして今まで何をやっていたのかを、さりげなく守利に尋ねた。
「そうねぇ。びっくりした時に、『きゃあっ!』って悲鳴をあげるクセがあるかも。この前、部屋に突然クモが出た時なんか、大騒ぎだったわね。涙目になりながら『お母さん、早く来てっ!』って」
「……他には?」
「姿見をやたらと眺めてるわね。最近ずっと鏡見てるでしょ、フウくん。いろんなポーズとったり、服を何度も着替えたりして、モデルにでもなるつもりなの?」
「ほ、他には?」
「宿題を早めに終わらせて、読書をする習慣がついたみたいね。うん、それはすばらしいと思うわ。あと、お手伝いも進んでやってくれるわね。偉いわよ、フウくん」
「他にもまだある……?」
「ええ。その他にも、ご飯を食べる時の一口が、おちょぼ口みたいに小さくなってたり、自分の小さいときの写真をアルバムで見て『えへへ』って笑ったり、テレビの動物特集でネコやウサギなんかが映ると『かわいい……かわいい……』ってつぶやいたり、それから、それから……」
「も、もういいっ!! 分かったっ!!!」
聞いていられなくなり、風太は守利の言葉を遮って終わらせた。
想像以上に、美晴は色々とやらかしてくれたようだ。
「母さん、聞いてくれ!」
「え? なぁに?」
「今日からおれは、『きゃあ』なんて絶対言わないし、鏡もあんまり見ないし、読書も手伝いもしないし、ご飯を食べるときはでっかい口開けるし、アルバムなんて見ないし、テレビを見て『かわいい』なんて口が裂けても言わないっ!!!」
「え……?」
「最近の変だったおれのことは、もう忘れてくれ!! おれは今日から、また生まれ変わるっ!!」
「そうなの? 私は、最近の変なフウくんも好きだけど。っていうか、読書やお手伝いはやめなくていいのに」
「嫌だ! 本なんて読まないっ! おれは男らしく、風太らしく生きるんだ!」
「まぁ、好きにすればいいけど……」
風太は守利の前で、決意を表明した。もう二度と『美晴』にはならないという、強い意志を持った宣言である。
そんな風太の熱い言葉を聞いていた守利は、うまく理解できずに首をかしげながら、部屋から出ていこうとした。
「あっ、母さん! 待って!」
「なによ。まだ何かあるの?」
「話は変わるんだけど、雷太兄ちゃんって、まだ帰ってきてないの?」
「えっ、ライくんのこと?」
最後に質問を一つ。
「雷太兄ちゃん」というのは、ひよこ高校に通う風太の兄のことである。この家に帰ってきてから、風太は一度も「雷太兄ちゃん」の姿を見ていないことに気が付いたのだ。雷太は高校生なので、遅い時間まで部活をしていることも珍しくないのだが……。
「な、なんていうか……久しぶりに雷太兄ちゃんの顔も見てみたいなって思ってさ」
「何言ってるのフウくん? ライくんなら、もうこの家には帰ってこないわよ」
「えぇっ!? それは、どういう意味……!?」
「あの子、一人暮らしを始めたじゃない。今はもう、高校の近くの学生寮が、ライくんのお家よ。2週間ぐらい前にこの家を出ていったのに、忘れちゃったの?」
忘れちゃった、のではない。美晴と入れ替わっている間に起きたことなので、風太は知らなかったのである。
家族がまた一人、この家を出ていった。今ではもう、この家で暮らしているのは、自分と母親の二人だけ。食卓に並ぶご飯も、美晴の家みたいに二人分だけ。永久の別れではないが、知らずのうちに消えてしまった兄弟に、風太は寂しさを感じていた。
「そっか……。雷太兄ちゃん……」
*
同時刻。
ところ変わって、ここは高級感が漂う白い邸宅。6年2組の学級委員長、五十鈴が暮らす家だ。
五十鈴は今夜もココアを片手に、広々としたバルコニーで夜空を眺めていた。彼女にとってこの時間こそが、諸々の不安を和らげる安らぎのひとときである。
「~♪」
スマホの着信音が鳴る。
五十鈴は通話ボタンをタップし、静かな声で電話に出た。
「もしもし?」
「あ、もしもし? 五十鈴ちゃん?」
「蘇夜花ね。こんな時間に、わたしに何か用?」
電話の相手は、小箱蘇夜花。
誰もが認める優等生であり、6年2組で行われている「学級裁決」の主犯である。
「いやぁ、最近ずっと大人しくしてたからさ。いい具合にストレスも溜まってきたし、そろそろ動こうかなって」
「ということは、美晴にまた『刑』を?」
「『刑』かぁ。『ハリ裂けミミズ』、『デメ』、『彷徨い人魚』、『バニーガール』……どれでもいいけど、何かキッカケがほしいね」
「キッカケ?」
「そう。“タイギメイブン”って分かる? 五十鈴ちゃん」
「大義名分? 正当性を持たせるための道理ってことかしら?」
「うんっ! つまり、『あいつが悪いんだから、みんなで攻撃してもいいんだ』っていう空気を作らなきゃいけないわけ。ささいなことでいいから、何かしらのキッカケがないとね」
「なるほど、チンピラのように難癖をつけるってことね……。相変わらず、独特な理論を展開するわね」
「えっ? そうかなぁ。どんな人でも、自分が悪人にならないように立ち回ってると思うけど」
「……」
まず一度、五十鈴は黙った。黙って、ひと呼吸置いた。
そして覚悟を決め、いよいよ核心にせまろうとした。
「ねぇ、蘇夜花」
「ん? なぁに? 五十鈴ちゃん」
「あなたは……何者なの?」
「えっ? いきなり何?」
蘇夜花の正体。五十鈴はそれを知りたがった。
「あなたがうちのクラスに転校生として現れた日から今日まで、あなたはほとんど自分の素性を語ってない。あなたの家族のことや住んでいる家のこと、家では普段何をしているのかも、誰も知らないわ。ある日突然6年2組に現れ、『学級裁決』という名の結束をクラスに授けた、謎の女」
「あれ? わたしって、そういう印象なんだね」
「そして、あなたが行う『刑』も……普通とは少し違う。理論に基づいて、しっかりと計画を練ったうえで行ったり、やたら自分のカメラで映像を残すことにこだわったり……なんていうか、まるで何か“研究”してるみたい」
「“研究”かぁ。うーん、確かにそうかも」
「もしかして、あなたは……誰かに見せるために『学級裁決』をやってる?」
「えっ……」
五十鈴は真剣だった。今の言葉も、冗談で言ったつもりはない。
しかし電話の向こうで、蘇夜花は吹き出して笑った。
「ぷっ、ふふっ! 面白いこと言うね、五十鈴ちゃんは」
「あら、違うの?」
「やりたくてやってるだけ……なんて理由は、今となっては薄っぺらいかな。まぁ、わたしが自分のことをあまり話さないっていうのは、その通りだね」
「じゃあ、今からあなたの素性や考えを、全て話してくれる? このままだと、気になって夜も眠れないわ」
「えぇー。どうしようかなー。全部話すと長くなるよー? 通話料がもったいないよー?」
「いいわ。朝が来るまで付き合ってあげる」
「あはは……じゃあ、少しだけなら語ってもいいよ。五十鈴ちゃんはお友達だから、特別にね」
「……!」
五十鈴は即座にメモ帳を取り出し、一言一句聞き漏らすまいと、ペンを構えた。
「えーっと、まずミサとヨミコちゃんの話は覚えてる?」
「ミサとヨミコちゃん……。ええ、前の学校であなたと同じクラスだった子たちの名前ね」
月野内人権週間の全校集会で、蘇夜花が語ったことだ。
「それが一つ前の学校の話。わたしがそこを去ってからは、ミサはヨミコちゃんたちの裁決を受けている」
「ええ、知ってるわ」
「もう一つ前の学校でも、同じようなことをやってたの、わたし。標的になったのはミユナちゃん。わたしが転校した後、彼女は不登校の引きこもりになったらしいよ」
「もう一つ前って……えっ?」
「さらにその前の学校の話。標的の名前はハユリちゃん。わたしが去った後も裁決を受けて、心を病んだハユリちゃんは、精神病院の隔離病棟に送られたってさ」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「そしてその前の学校でね、標的の名前はリノンちゃん。美晴ちゃんみたいに大人しい子だったよ。最期は橋の上から身を投げて自殺しちゃったけど」
「じさっ……」
言葉を失い、五十鈴は思わずペンを落とした。 ペンはコロコロと床を転がっているが、それに意識を回している余裕などなかった。
「つまり、わたしは今まで色んな学校で同じようなことをやってきて、去る時は必ずそこに『学級裁決』を残していったの。もちろん、大人にはバレないようにね」
「な、なんでっ!? どうして、そんなことを……!?」
「試してるんだよ。自分の力が、どこまで通用するかどうか。さて、美晴ちゃんは最期にどうなるかなぁ」
「でも、そんなに何度も転校を繰り返すなんて……!」
「あはは。わたしの家庭は、ちょっと特殊だからね。後は、五十鈴ちゃんの想像にお任せするよ」
「想像に、お任せ……? そんなこと言われても……」
すぐには飲み込めない。蘇夜花という女の「根っこ」は見えたが、それでもまだほんの一部らしい。
これ以上、蘇夜花の正体を暴こうとするには、まだ心の準備ができていないということに気付き、五十鈴は踏み込むのを思い留まった。一度電話を切って、まずは脳を整理しなければならない。
「五十鈴ちゃん?」
「何? 蘇夜花……」
「今の話、あんまり気にしなくていいからね? わたしの素性や考えなんて、五十鈴ちゃんには関係ないんだから」
「分かってる。とにかく、今はあなたのことじゃなくて、美晴のことに集中するわ。話を元に戻しましょう」
「さすが五十鈴ちゃん。切り替えが早いね」
五十鈴は小さく深呼吸し、改めて蘇夜花に尋ねた。
「それで結局、どうするの? 美晴に『刑』やるの? やらないの?」
「うーん、美晴ちゃんの様子を見てから考えようかな。とりあえず、準備だけはしておいて」
「分かったわ。詳しいことは、また明日学校で話しましょう」
「そうだね。おやすみ、五十鈴ちゃん」
「おやすみ、蘇夜花」
五十鈴は通話を切り、スマホをそばのテーブルに置き、もう一度夜空に光る星を眺めた。
このまま何事もなく、平穏な日々が続くといいなと、そう願いながら。
(頼むわよ、美晴。蘇夜花に目をつけられないように、大人しくしていなさい……)
*
そして、時計の針はくるくると回り、現在は夜中の12時。
再びここは、二瀬風太の部屋。照明は消え、部屋は真っ暗になっている。
「うぅ~ん、むにゃむにゃ……」
まさに快眠。久しぶりの自分のベッドということもあり、風太は非常に気持ちよく眠っていた。気持ちよく、心地よく、夢を見るくらいに。真っ白で何もない、不思議な夢を見てしまうくらいに……。
────
「ん? ここはどこだ?」
きょろきょろと、辺りを見回す。
しかし、上下にも前後にも左右にも、何もない。物体と呼べるようなものが周りに何もない世界に、風太はやってきてしまった。
「夢……かな? 多分、これは夢だな。おれ、さっきまで布団の中にいたハズだし」
右腕には、相変わらずギプスがついている。
「夢の中くらい、ケガが治っててもいいのになぁ。まったく、夢のない夢の世界だな。おーい、誰かいないのかー?」
風太は夢の世界で叫んだ。
すると、空からヒューンと何かが落ちてきて、風太の目の前でドスンと着地した。
「うわっ! ドーナツだ! ドーナツが降ってきた!」
それは確かに、浮き輪のような巨大ドーナツだった。
夢の世界は、欲望を実現する世界なのである。おそらく現実世界の風太は、お腹が空いているのだろう。
「へぇー。夢の世界って、こういう感じなんだ。じゃあ、今度はもっとすごいものを出してみようかな」
欲望からイメージすれば何でもできる、自由でクリエイティブな世界だ。それにいち早く気が付いた風太は、「ダークネスドラゴン……ダークネスドラゴン……」と唱え続け、暗黒の邪竜を召喚しようとした。
パタパタ、パタパタ……。
悪魔のような羽根をはばたかせ、こちらに何かが近づいてくる。
「おっ、ドラゴンが来たのかな?」
残念ながら違った。
悪魔のような羽根、悪魔のようなツノ、悪魔のようなしっぽ。つまり、それは悪魔だった。しかもそいつは、風太がもっとも嫌いな「あいつ」の姿をしていた。
「はぁーい♡ 今日も遊びに来たよー♡」
「げぇっ!? 美晴っ!?」
美晴ではない。あいつは『美晴デビル』だ。
しかし風太は美晴デビルなんて知らないし、美晴デビル側も『風太』が本物の風太だということを知らない。この二人は初対面である。
「ご主人様ー♡ 今日もラブラブしようねー♡」
「うわっ、変な美晴がこっちに飛んでくるっ!」
美晴デビルはさらにパタパタと飛び、そして容赦なく風太に飛びついた。
「うーん、好き好きー♡ ご主人様、大好きー♡」
「ぎゃあっ!!? 離れろ、この大バカ野郎っ!!」
「え?」
風太は力を込めて、その気持ち悪い美晴をドンと突き飛ばした。
「あうぅっ……!!」
美晴デビルは背中から着地し、白い地面を転がった。




