DVなんて許せない作戦
*
時間は少しさかのぼり、前日の作戦会議。
保健室での話し合いの後、「最後に衣装合わせをしよう」ということで、『美晴』と安樹は戸木田家に集合した。
「サイズはどう? 着られた? ボクのドレス」
薄紫色のパーティードレスは、安樹のもの。2年ほど前に買ってもらったが、そこから失恋を経てボーイッシュな服ばかりを着るようになったので、そのエレガントなドレスは自宅に眠っていたらしい。
「ねぇ! 風太ってば!」
「う……うん……」
「なんだよっ、そのぼんやりした返事は! もう入るよ? 入っていい? ボクも早く見たいよっ!」
「……」
着替えは終わったらしいので、安樹はコンコンとノックをしてから、「みはるのへや」の中へと突入した。
「……!」
姿見の前に、ドレスを着た少女が立っている。
「わぁ……」
「……」
「キレイだね。すっごく……キレイだよ」
「……」
「よく似合ってる。花よりも、キミは美しい」
「……」
「ん? 風太? どうしたの?」
さっきから、一言も返事がない。
安樹は不思議に思って、『美晴』と同じ姿見に自分を映した。
「風太……もしかして、見とれてる?」
「うぇっ!?」
ようやく、『美晴』はビクッと反応して、背後にいる安樹の方へと振り返った。
「そんなにじっと見て、ボーッとするなんてさ。言葉を失うほどキレイだった? ドレスを見に纏った自分の姿は」
「じ、自分の……姿じゃないっ……! こ……これは……美晴の……姿だ……。だからっ……」
「キミが見とれていたのは、美晴」
「そ……そんな……」
「別に否定することじゃない。ボクも驚いてるよ。キミは想像以上に、ドレスが似合う女の子なんだ」
「いや……、そんな……わけ……あるか……? 服を……着替えただけで……人の印象が……ここまで……変わるなんて……」
「普通にあるでしょ。あと、髪型もそうだね。キミはこんなに瞳がキレイなのに、普段は前髪で隠しちゃってるから」
服装に合わせて、今は前髪を少し整えている。だから、『美晴』の目は隠れていない。
『美晴』にとって、初めての体験だった。鏡に映る少女の瞳を、こんなにハッキリと見たことは。
(心を奪われるって、こういうことなのか……。でも、おれが、この身体に? 美晴に……?)
今は、悔しいと思う気持ちが大きかった。
幽霊みたいな女だと、あれだけバカにしてきた美晴に。こんな魅力を隠しているということに気付かず、まんまと。一瞬、惹かれてしまったのだ。
「く……!」
『美晴』は、もう鏡を見ないことにした。
「フフッ。着替える前は、あんなに嫌がってたのにね」
「うるさいな……! 今でも……こんな服……脱ぎたいと……思ってるよ……!」
「そうだね。一応大事な服だから、美晴にもそのドレス姿を見てもらったら、自然な流れで脱いでね」
「は……!? 服を……脱ぐ……流れ……って……なんだよ……!」
「『うふ~ん♡ セクシーなわたしのカラダも見て~♡』とか言いながら、脱げばいいよ。そしたら、どんな男でもキミにメロメロになっちゃうだろうね」
「言うかっ……! そんなこと……!」
「まぁ、それは冗談としても……この作戦の最終目標が、『相手を惚れさせること』っていうのは分かってるね?」
「分かってる……さ……。なんとか……してみせるっ……!」
「フフッ、期待してるよ。じゃあ、最後にボクからのアドバイス」
「えっ? アドバイス?」
安樹は『美晴』の両肩にポンッと手を置き、しっかりと目を合わせた。
「絶対に退くな。ここから先、誰が何をしてこようと、キミはひたすら前に進まなきゃダメだ」
その言葉は──。
「ひたすら……前に……?」
「ああ。少しでもビビったら負けるよ。本気で勝ちたいなら、一歩も退くな」
雪乃との一戦で学んだ、安樹の教訓でもあった。
「わ……分かった……。おれは……とにかく……前に……進む……!」
「うん。ボクはいつでも、後ろでキミを支えてるからね」
「おう……。信頼……してるぞ……」
「フフッ……」
安樹は『美晴』の髪を優しく撫で、満たされていく自分に微笑んだ。
「……よし! じゃあ、あとは細かい動きの練習でもしておこうか」
「細かい……動きの……練習……?」
「姿勢とか、仕草とか……他にも、男の子をドキッとさせるような、かわいいポーズとか」
「え……!? そ、それは……また今度で……」
「ダメダメ! 今やるに決まってるでしょ! いくらドレスが似合ってても、動きが変だったら台無しなんだよ!」
それから二時間。
安樹の熱血指導を受け、背筋を伸ばしたりガニ股をやめたりした『美晴』は、さらにドレスが似合う“淑女”へとランクアップした。まるでお姫様のような、気品のある女性へと……。
*
そして現在。
「風太くんっ……!?」
ここは夢ではなく、現実世界。
変わり果てたその姿に、『風太』は目を疑った。
「……」
男子の気質は、まるで感じない。
柔らかく優しいその微笑みは、高貴な女性とも見紛うほど。
「思わず見とれるほどに、美しいだろう? これが今の風太だ。さて、まずはその素敵なドレスを、お客様に見せてあげようか」
「はい……。マスター……」
安樹の言葉に従い、『美晴』はその場でくるりと回って、最後にスカートをふわっと広げた。
しかし『風太』は、見せられたドレスよりも、『美晴』が言った「マスター」という言葉の方が気になっていた。
「あのっ! ま、マスターって……?」
「ドールマスター。つまり、人形使いのことさ。人形たちはみな、ボクのことをそう呼ぶ」
「まさか、その人形は……!」
「ああ。風太はね、ボクだけの着せ替え人形になったんだよ」
安樹はそっと、『美晴』の後ろ髪を撫でた。
『美晴』はそれを嫌がるどころか、表情一つ変えず、微笑みを絶やさなかった。
「ウソでしょ……?」
「なんだ、あまりドレスには興味なさそうだな。淑女がお気に入りの服に着替えてきたら、紳士は上品に褒めてあげるものだよ」
「だって、こんなこと、信じられないっ……」
「それとも、この子のもっと下品な姿を見たいか? では風太、見せてあげなさい」
安樹がそう言うと、着せ替え人形はまた「はい……。マスター……」とだけ返事をして、スカートを広げていた手を上へと動かし始めた。
ススッ……と、静かに、ゆっくりと。むっちりした太ももが露出しても、さらに上へ。
「な、何をしてるのっ!?」
「キミは男だから……見たら喜ぶんだろ? 女の子のパンツ」
「わたし、そんなの見たくないっ! 早くやめさせてっ!」
「フフッ。何を嫌がってるんだ。元々はキミの下着じゃないか」
「くっ……!」
安樹は止めそうにないので、『風太』は席から立ち上がり、スカートを持ち上げる『美晴』の手首をガシッと掴んで、無理やり動きを止めた。
「風太くんっ……! 何をやってるの!?」
「……」
返事はない。表情も変わらない。人形のように、微笑むだけ。
『風太』は、まともに会話ができる安樹の方へと振り向き、キッと睨みつけた。
「風太くんに、何をしたの……!?」
「キミに捨てられた後の風太を、拾っただけだよ」
「わたしが、捨てた……?」
「当時は、傷がたくさんついててね。それに孤独も抱えていて、とってもかわいそうだった。だから、ボクがずっとそばにいて、少しずつ傷をふさいでいったんだよ」
「傷……」
「最初は嫌がってたよ。『おれは……男なんだぞ……!』『お前の……着せ替え人形に……なんて……なりたくないっ……!』ってね。だから、言うことを聞くように……髪の毛を掴んで、顔を殴り、お腹を何度も蹴った」
「そんな、酷いこと……」
「そして、この子が泣いたら、後ろから抱きついて、耳元でささやいてあげるんだ。『ボクに負けるくらい、キミはか弱い女の子なんだよ』って。『ボクに捨てられたら、人形はもうゴミにしかならないよ』ってね。そうするとだんだん素直になって……今はもう、ボクの命令には逆らわない」
「……!」
『風太』はもう一度、『美晴』の方を見た。
しかし、意志なき人形と化してしまった少女は、安樹の語りに対して、肯定も否定もしてくれなかった。
「じゃあ、風太くんを……元に戻してっ!」
「なんで? キミはこの子を捨てたじゃないか」
「ケンカをしただけっ……! わたしはもう、仲直りをしたいのっ!」
「へぇ、身体を返すってこと? 今日はここに、身体を返しに来たの?」
「そ、それは……」
「フン。キミだって酷いやつじゃないか。ボクに対して正義を振りかざすのはやめろよ」
「でも、風太くんから、自分の意志まで奪うなんて……!」
「意志ならあるよ。今でもね」
「えっ!?」
「ボクが『好きにしていいよ』と命令したら、この子は言いたいことをしゃべる。キミをここへ呼んだのも、この子が望んだことさ。面白そうだと思って、ボクはそれに乗った」
「どうして、わたしをここへ……?」
「さあ? 本人に聞いてみればいい。ボクはちょっとだけ席を外すから……ほら、『好きにしていいよ』」
安樹はパチンと指を鳴らすと、いきなり被っていたシルクハットを取り、『風太』の頭にガボッと深く被せた。
「きゃあっ!? ちょっと、見えないっ……!」
スポッ。
ただの帽子なので、シルクハットはあっさりと取れた。
しかし、その一瞬で目の前の景色は、大きく変わっていた。
「……」
部屋の電気が消され、薄暗い空間になっている。
そして、さっきまでいた安樹は姿を消し、目の前には……『美晴』だけしかいない。
「あっ! ふ、風太くんっ……!」
「はい……」
初めて、返事が聞こえた。
安樹の言う通り、今だけは自由に話すことができるようだ。
「……!」
『風太』はきょろきょろと周りを見て、ベッドの上にあった犬と猫のぬいぐるみをどけ、自分ともう一人のための席を用意した。
「と、とりあえず……座って話そう?」
「美晴……さん……」
「美晴でいいよ。いつもそうやって呼んでるでしょ? タメ口で話す方が、風太くんらしいし」
「美晴……さん……」
「ま、まぁ、無理ならいいけど。えっと……でも、何から話せばいいのかな? 色々ありすぎて、ちょっと混乱してるかも」
「あのっ……。助けて……くださいっ……」
「えっ?」
『風太』の両手を握って、すがるように『美晴』は言った。
「わたしを……ここから……救い出してくださいっ……。美晴さんっ……」




