決戦の日
「安樹……? おい……安樹……!」
「ん? ああ、ごめん風太。ボーッとしてたよ」
一夜明け、安樹はまた保健室のベッドへと戻ってきた。いつも通り、『美晴』が待っているベッドへ。
「様子が……変だぞ……。昨日……、何か……あったのか……?」
「いや、なんでもない。計画の方は上手くいってるはずだよ」
「計画も……大事だけど……、おれは……お前の……心配を……」
「あのさ、風太は結婚のこととか考えてる?」
「えっ、結婚……? 急に……どうしたんだ……? それは……真剣な……話か……?」
「うーん、やっぱり冗談だと思うよね。ボクもまだ、冗談じゃないかと疑ってるし」
「んんん……?」
「フフッ、今のは忘れていいよ。おかしいね、今日のボクは」
そのセリフの声のトーンは低く、明らかに元気がなかった。いつもの鬱陶しくて難解なおしゃべりが、今日は聞こえてこない。
『美晴』は、安樹が何か思い詰めていることを感じ取り、ほんの少しだけ意図的に声色を変えた。
「安樹……!」
「うん? どうしたの、風太」
「お前……、やっぱり……疲れてるな……。おれ……こんな身体でも……これくらいの……役には……立てるから……さ……。ほら……、もし良かったら……使って……くれよ……」
「えっ」
『美晴』は正座に座り直し、自分のひざを軽くぽんぽんと叩いた。
「……」
「……」
安樹は「はぁ」とため息をつき、それを利用しなかった。
「それはナイよ。風太」
「えぇっ……!? だ、だって……お前っ……!」
「分かってないなぁ。確かにボクはキミのひざまくらが好きだけど、キミが自分からやるのはなんか違うんだよ」
「わ、分かるかよっ……! なんだ……その……こだわり……!」
「フフフ。しかし、ボクを励まそうとする気持ちは伝わったよ。女の子らしくなってきたじゃないか」
「その……褒め方は……嬉しく……ない……!」
「そう? 風太くんも、優しいキミのことを褒めてくれると思うけど」
「えっ……!? 風太くんが……わたしのことを……!? きゃっ……♡」
「ほーら、またすぐに乙女化するー。男子に戻れなくなっちゃうよ?」
「はっ……! 今のは……ズルいぞ……! やめろよっ……! おれの……『同化』で……遊ぶな……!」
「あはは、ごめんごめん。でも、キミのおかげで、少し気分が晴れたよ」
「それなら……いいけど……」
「じゃあ、今から美晴の様子を見に行こうか。ちゃんと作戦が成功したかどうか、確認しにね」
「お、おう……」
安樹は、またいつもの声のトーンに戻った。
『美晴』と安樹はベッドからぴょんと降り、保健室の扉を開けて、放課後の校舎へと繰り出した。
*
「ほら、あそこにいるよ」
「なんだか……久しぶりに……見た気がする……。おれの……身体……」
6年1組の下駄箱で、『風太』が一人でいるところを発見した。
右腕にはまだしっかりとギプスがついており、全ての動作を左腕一本でこなしている。帰りに接骨院にでも寄るつもりなのだろうか、今日はあいつの周りに友達はいない。
『美晴』と安樹は物陰に隠れながら、『風太』の様子を観察している。
「100年ちゃんがいないな。てっきりボクを警戒して、ガードを固めたりしてくるかと思ったが」
「ん……? 100年ちゃん……? 誰の……ことだ……?」
「ああ、気にしないで。どうやら、お互いに負ったダメージは大きいらしい」
「お前……。いつもより……言ってる……ことが……分からない……な……」
安樹の読み通り、雪乃は昨日の発言を未だに後悔しており、意識するあまりの恥ずかしさ故に、『風太』のそばへは近寄らなくなっていた。
「いやあ、好都合さ。彼女が復活する前に、ミッションを遂行したいね」
「よく……分からないけど……、急ぎで……頼む……。おれの……セイリだって……もう時間が……」
「風太。こういう場所で、そういう話はあんまりしない方がいいよ。男子に聞かれたらどうするの」
「あっ……! わ、悪い……。というか……おれも……男子……なんだけど……」
「それより……ほら、美晴の首元を見てごらん」
「美晴の……首元……?」
『美晴』は『風太』の首元をじっと見た……つもりだったが、『美晴』の視線は、まず『風太くん』の横顔に釘付けになってしまった。
「はぁんっ……♡ 風太くん……かっこいい……♡ 好きっ……♡」
安樹はすぐに『美晴』の胸ぐらを掴むと、パチン、ペチン、ベチィン! と三発、往復ビンタをほっぺたに叩き込んだ。
「ぶふっ……! な、何するのっ……!?」
「いちいち乙女化ないでよっ! 会話にならないじゃないか!」
「だって……しょうがないでしょ……!? ナマの……風太くんは……わたしにとって……し、刺激が……強すぎるのっ……♡」
「もう一発ビンタしよ」
「きゃっ……! わ、分かった……から……やめてっ……! なんとか……気持ちを……抑え込んで……みるから……、手を……放せ……!」
「ふぅ、やっと戻ったね。ほら、美晴の首元を見て」
「く、首元……」
今度こそ本当に、『美晴』は首元を見た。
そこには、自分が首から提げているピンクのペンダントとは色違いの、青いペンダントが提がっていた。
「あっ……! あれは……入れ替わりペンダント……!?」
「ふふーん。どう? ボクの作戦、大成功だね」
「すごい……! どうやったんだ……!? 安樹……!」
「フフッ、それはヒミツだよ。まぁ、美晴の心を上手くコントロールした、ってところかな。とにかく、これで次のステップに進めるね」
「ああ……! 次で……最後だ……! もうすぐ……おれは……元の身体に戻れる……はずだ……!」
「『美晴男の子化計画』、および身体奪還作戦。最後のステップは……美晴がキミに恋をする、だね」
「よーし……! ここまで……来たから……には……やってやる……! なんとしてでも……おれは……おれを……取り戻してやるっ……!」
「おお、燃えてるね。実はボクの方で、最後の作戦も少し考えてあるんだ。あとはキミと二人で、もう少しその作戦を練りたい」
「さすが……安樹……! いいぜ……、なんでも……協力する……! おれに……できることなら……、なんでも……言ってくれ……!」
「よし。じゃあ、今日は一日作戦会議だ。決戦の日は、明日!」
「おう……!」
『美晴』と安樹は拳をコツンと突き合わせ、明日に向けて気合いを入れ直した。
*
そして、決戦の日。
『美晴』が元の身体に戻れるかどうかの、運命が決まる日。
安樹が新たにこっそり仕込んだ招待状により、『風太』は「メゾン枝垂れ桜」という名のマンションへと導かれた。
『風太』は今日、『美晴』と和解するために、ここへやってきた。
「あの日から、ずっと会いたかった。風太くんと、会って話したかった……」
『風太』はトクトクと高鳴る心臓を、骨折していない左腕で押さえながら、軽く深呼吸した。そして改めて覚悟を決めると、勇み足でマンションのエレベーターに乗り込んだ。
「わたしはまだ、美晴デビルの誘惑には負けてない……! 負けなかったからこそ、こうしてまた風太くんに会えるのかも……」
一昨日の夜も、昨日の夜も、美晴デビルは夢の中で『風太』を誘惑し続けた。姫と騎士の世界だけでなく、シチュエーションを変えたり、衣装を変えたりして、様々な手で『風太』の理性を崩壊させようとした。
しかし、『風太』は屈しなかった。肉体は思春期の男子らしく異性への興奮で制御が難しくなったが、精神だけは自分らしくあり続けようと必死に抵抗を続けた。それが実を結んで今日があるのだと、『風太』は心の中で自分を褒めた。
「待ってて、風太くんっ! わたしは、あなたへの誠意を忘れてないからっ……!」
エレベーターの扉が開き、『風太』はマンションの5階に辿り着いた。
そして、戸木田家の玄関の前まで歩みを進めると、キャスケット帽……ではなく、今日はシルクハットを被っているあいつが、そこに立っていた。
「やあ、ようこそ。青いペンダントも忘れずにつけてるね」
「あっ、あなたは……!?」
「フフッ、覚えているかい? ボクのことを」
「あなたは確か、『代浜サユコ』っていう名前の……」
「あの時はちょっとワケがあって、偽名を使わせてもらったよ。『代浜サユコ』は、ボクがなんとなく覚えていたグラビアアイドルの名前さ」
「じゃあ、あなたの本当の名前は……!? あなたは一体、何者なんですかっ!?」
「ああ、まずは自己紹介からだね」
「あなたは、風太くんの何なのっ!?」
そいつはシルクハットを取り、紳士のように礼儀正しく頭を下げた。
「ボクは安樹。菊水安樹。お茶目な人形使いさ」
「人形……使い……!?」
「今日の演目は、刺激的な人形劇。人間のお客様はキミ一人だよ。さぁ、中へどうぞ。ボクたちが暮らす館の中へ」
「……!」
安樹は玄関の扉を開け、客人が戸木田家へ入るのを待った。
『風太』はゴクリと唾を飲み込み、安樹の案内に従って、さらに前へと進んだ。
*
「みはるのへや」。ベッドの上には、客席として座布団が三つ並んでいる。
左右の座布団には、すでに犬と猫のぬいぐるみが座っているので、必然的に『風太』の席は真ん中になった。
「レディース・アンド・ジェントルメン! 改めてようこそ、戸木田美晴さん」
「風太くんに会わせてくださいっ! 人形使いさんっ!」
「焦っちゃダメだよ。招待状に書かれていた通り、キミをここに呼んだのは風太だ。向こうもキミに会いたがってる」
「わたしも会いたいの! だから、早くここに連れてきてっ!」
「おいおい。淑女のお召し変えを、紳士が急かしてはいけないよ。待ち時間も楽しめるような、心の余裕を持とう」
「お召し変え……。つまり、服を着替えてるってこと?」
「イエス。せっかくキミが会いに来てくれたんだから、素敵に着飾った姿を見せたいらしいんだ」
「オシャレすることを、風太くんが望んだの……?」
「もちろん。……うん? 何かおかしいかな?」
「……」
ほんの少し、『風太』は違和感を覚えた。
本物の風太は、誰かに会うからオシャレをする、というようなタイプではない。ファッションにはあまり興味がなく、いつも同じようなデザインの服を着ているのが、二瀬風太という少年なのだ。
「退屈なら、着替えをちょっとだけ覗いてみる?」
「し、しませんっ! そんなことっ!」
「あはは、冗談だよ。風太が禁止してるから、絶対にしないでね」
「分かってますっ……!」
その時、トントンとノックの音が聞こえてきた。
「……!」
「お、風太が来たか。よし、迎え入れよう」
「はい、お願いしますっ」
もしかすると、来ていないんじゃないか。安樹とかいう胡散臭いやつに、騙されたんじゃないか。薄々感じていた不安が消え、『風太』はホッと胸を撫で下ろした。
「いいよ、入って。美晴はもう来てるからね」
が……。
「えっ……!?」
ドアを開けて現れたのは、間違いなく『美晴』。
しかしその姿を見て、『風太』は愕然とした。
「……」
花の装飾で彩られた、薄紫色のパーティードレス。チャームポイントは、腰のリボン。
だが、ただキレイな洋服を着ているだけではない。
立ち方も、いつもと違う。股はぴっちり閉じて全く広げていないし、手はおヘソの辺りで重ねており無駄にブラついていない。
淑やかで気品に溢れ、姿勢よくまっすぐ立つその美しい姿はまるで、夢にまで見た……。
(ミハル姫っ……!?)
身体奪還作戦の最終局面が、ついに始まった。




