表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 蔵入ミキサ
第一章:風太と美晴の入れ替わり
9/106

待って


 「トイレに……行きたいっ……」

 

 『美晴』は太ももをり合わせながら、両手で下腹部を押さえつけた。

 来ている感覚は男の時と似たようなものだったが、ガマンの限界はまるで違う。女は許容量きょようりょうが少ないらしく、少しでも気を抜いたら、れ出てしまいそうになる。

 『美晴』はもう、『風太』に助けを求めるしかなかった。

 

 「はぁっ……はぁっ……」

 

 呼吸が乱れる。

 あしはほとんど動かすことができない。


 (このままじゃ、おれ、美晴の身体で……)


 その時突然、『風太』は『美晴』の手をしっかりと握った。そして、今までとは違うハッキリとした口調で、『美晴』に言った。


 「走りましょうっ! 急いでっ!」


 『風太』が手を引くと、それにつられて、『美晴』の脚も動き出す。まず一歩、そして二歩、三歩。『風太』は後ろを向いて歩き、『美晴』の様子をうかがった。『美晴』はそれに応えるため、苦しみに耐えながら、首を縦に振った。

 心の準備ができたことを確認すると、『風太』はさらに強い力で、『美晴』の手を引いて走りだした。


 *


 少年と少女が、住宅街を駆け抜けていく。

 『美晴』は、目の前で『風太』の後ろ髪が跳ねるのを見ながら、小さな足を精一杯せいいっぱい動かして走った。

 

 (あれ? こんなこと、さっきもあったような……)

 

 そして、雪乃に手を引かれて保健室へ行った時のことを思い出した。

 

 (あの時と同じだ……。さっきは雪乃で、今度は美晴)


 (女子に二度も助けてもらうなんて、カッコ悪いな。おれ、男なのに)

 

 (美晴は女なのに。でも、今は頼りになって、男らしくみえて……かっこいい?)

 

 それを意識し始めると、再び心臓がドキドキと高鳴たかなりだした。

 目の前にいるのは美晴のハズなのに、風太の頭の中はポーッと、のぼせ上がった。顔が赤くなって、『風太』の背中を直視できなくなっていく。

 

 (うわあぁぁっ!? なんだなんだっ!? なんでヘンな気持ちになってるんだ!?)

 

 女子と入れ替わった影響により、思考回路が「乙女おとめり」になってしまう現象だが、風太はそれを自覚していない。

 ブンブンと首を横に振り、強引に思考をかき消すと、『美晴』の身体はまた尿意にょういとの戦いに集中しはじめた。


 *

 

 しばらく走った後、『風太』は大きな建物の前で立ち止まった。それに合わせて、後ろの『美晴』も立ち止まり、その建物を見上げた。

 建物の名前は、『メゾン枝垂しだれざくら』。どうやらマンションのようだ。

 

 「はぁ、はぁ……。ここですっ! ここの5階っ!」

 

 壁が薄汚れていて、おせじにもキレイだとは言えないマンションだが、『美晴』はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 

 (も、もう限界だ……!)

 

 『美晴』は涙目になりながら、『風太』に手を引かれてマンションの中へと入った。

 1階のエントランスには、エレベーターと階段があった。今から階段をのぼる余裕はないので、エレベーターが降りてくるのを待つ。


 (4階……3階……2……1……)

 

 エレベーターに乗り込むと、『風太』はすかさず5階ボタンを押した。

 ゆっくりとドアが閉まり、エレベーターが動き出す。しかし、今の『美晴』にとって、5階はあまりにも遠い場所だった。

 

 「はぁ……はぁ……」

 「大丈夫ですか? もう少しだけ、我慢してくださいっ!」

 

 見かねた『風太』が、『美晴』をはげまそうとして背中をさすった。しかし、それはあまりにも唐突すぎる行為だった。


 「ひゃんっ!!?」


 背骨にそって優しく撫でられたので、『美晴』の口からはとても情けない悲鳴が漏れた。

 前に曲がっていた背筋は、一瞬でまっすぐピンと伸び、せまいエレベーターの中には、その情けない声が響き渡った。

 

 「あっ、ごめんなさい」

 「この野郎……覚えてろ……よ……」


 *


 5階に到着。「戸木田」と書かれた表札ひょうさつがある部屋の扉を、『美晴』は自分のポケットに入っていたカギを使って、ガチャガチャと急いで開けた。

 

 「トイレはそこですっ! 一番近くのドアっ!」

 

 ランドセルを放り捨て、くつを脱ぎ捨て、瞬時に一番近くにあるドアを開く。


 (あった……!)


 洋式の便器が、そこにあった。

 もう1秒の猶予ゆうよもない『美晴』は、便器の前に立ち、下半身の短パンに指をかけ、勢いよく下へ降ろし……降りなかった。

 短パンが脱げないように、背後の『風太』が邪魔をしている。


 「なぁっ……!?」

 

 『美晴』はワケが分からず、振り向いて『風太』を見た。すると、『風太』は顔を伏せながら、ささやくように言葉を絞り出した。

 

 「待って。脱ぐ前にっ」

 「いや……無理だって……! もう出るっ……! ションベン……が……出るっ……!」

 「目を閉じてください」

 「え……!?」

 「お願いします。あなたに……見せたくないものがあります」

 「……」


 女子が男子に、「見せたくないもの」があると言っている。

 『美晴』は言われた通り目を閉じ、短パンに引っかけていた指をパッと放した。この先の全てを、両目が開いている『風太』に任せることに決めた。


 (頼むっ……)

 

 『風太』は『美晴』の短パンをスッと降ろし、さらにその次にある「最後の一枚」も降ろした。

 冷たいそよ風が、裸になった『美晴』の太ももの間を、優しく通り抜ける。

 

 (寒い……!)

 

 そして『風太』は、何かゴソゴソとやった後、「座ってください」と静かに言った。

 

 (す、座って? おれ、ウンコじゃなくてションベンするつもりなんだけど……)


 疑問に思いつつも、黙ってその言葉に従う。

 『美晴』は『風太』に助けられながら、前にある便座にゆっくりと座った。すると、そこに座り終わるのと同時ぐらいに、ショワワワ……と排尿はいにょうが始まった。


 「あっ、あぁ……ぁ……」


 ガマンにガマンを重ねた上での解放感からか、『美晴』の口からは自然に声が出ていた。

 身体に溜まっていたものが出ていく感覚が、とても気持ちいい。そして、『風太』がわざわざ「座ってください」と言った理由も、その時の排出の感覚でなんとなく分かった。


 (ションベンが……出てる……)

 

 二人は、戸木田家の静かなトイレで、便器内の水面みなもに水が落ちる音を、最後まで聞いていた。


 *


 「トイレが終わったら、わたしが今やったみたいに、そっといてください」

 「うん……。分かった……」

 

 その後、『美晴』はこの身体で排泄した後にどうすればいいのかを、『風太』から教わった。もちろん、ずっと目をつぶったまま。

 

 (終わったら、紙で拭く……)

 

 これからは、目をつぶりながら一人でやらなければならない。あるハズのものがない違和感はあったものの、『風太』が教えてくれたトイレットペーパーでの拭き方を、身体で覚えた。

 『美晴』がそれを覚えている間に、『風太』は体操服を脱がせて、部屋着へやぎを着せた。

 

 「終わりました。もう目を開けてもいいですよ、風太くん」


 ゆったりとしたゆるめのパーカー。これが美晴のルームウェアであり、お家でのくつろぎスタイルだ。


 「あ、あんまり……人に見せられる格好じゃないですけどっ」

  

 『風太』はモジモジしながら、少し恥ずかしそうにそう言った。仕草は女の子っぽいが、やはり見た目が風太なので可愛くはない。

 そして、『美晴』は少しイライラしていた。

 

 「トイレとか……着替えとか……! こんなに……面倒なことに……なってるのは……」

 「あっ! 待ってください!」

 「な……なんだよ……!」

 「これを使った方が、話しやすいと思いますっ」


 『美晴』は怒りをぶつけようとしたが、『風太』に途中でさえぎられ、さらにアイテムを手渡された。

 そのアイテムとは、小さなホワイトボード。バラエティ番組なんかでよく見る、フリップに近い物だ。ホワイトボードのフレーム部分は紙ねんど(水色に着色したもの)になっており、貝がらやビーズなどで飾られている。

 

 「なんだ……これ……」

 「『おはなしボード』です。昔、お母さんと一緒に作ったんです」

 「いや……! これを……何に……使うのかって……聞いてるんだよ……!」

 「えっと、その……。わたしの声、しゃべりにくいですよね? 首にある『絞まり』のせいで」 


 美晴の首には、たしかに「絞まり」がある。

 途切れたようなしゃべり方になったり、思ったことが口に出せなくなったりする原因がこれだ。さらに、喉を疲れさせたり、緊張したりすると、「絞まり」がギュッと強くなって、咳が止まらなくなることもある。

  

 「だから、この『おはなしボード』で、筆談をすることが多いんです。これだと、わたしの言いたいことが相手に伝わりやすいですし」

 「えぇ……。なんか……めんどくさい……な……」

 「そんなことないですよっ! 慣れれば口で話すより楽なんです。ほらっ」

 

 『風太』はホワイトボード用のマーカーを取り出し、さらさらとおはなしボードに書いた。


 《ふうたくん こんにちは》


 そして、次はそちらの番とでも言うかのように、『風太』は『美晴』におはなしボードとマーカーを手渡した。

 

 (何が「こんにちは」だよ。どうしておれが、こんなことしなくちゃいけないんだ。だいたい、トイレとか着替えとか、面倒なことは全部入れ替わりのせいなのに……!)

 

 頭の中には、たくさんの文句が浮かんだ。美晴にぶつけてやりたい言葉が、傷つけるような言葉が、たくさん。そして、トイレ危機から救ってくれた美晴に対しての感謝の言葉も、ほんの少し浮かんだ。


 《みはる》

 「うんっ。どうしたの? 風太くん」

 《ありがとう》

 「え……」


 目を合わせてくれない『美晴』を見て、『風太』は少しだけ驚き、嬉しくなって笑った。


 *


 「今から部屋を片付けるので、ちょっとだけ外で待っててください!」と『風太』に言われたので、『美晴』は廊下ろうかで待つことになった。『美晴』の目の前には、「みはるのへや」というプレートがかけられたドアがある。

 

 (こいつ、本当にこの状況を何とも思ってないのかな? おれたちが入れ替わってしまった原因を、調べる気すらないのか……?)

 

 先行さきゆきに不安を感じた『美晴』が表情を曇らせていると、『風太』はまた唐突に、「みはるのへや」からバタンと飛び出してきた。

 

 「あ、あのっ! ノート、知りませんか?」

 《は?》

 「ランドセルの中に入ってなくて……! もしかしたら、風太くんが持ってるのかなって」

 《なんのノートだよ おれは何ももってないぞ》

 「そうですよね……。でも、このタイミングで急になくなるなんておかしいし……。もしかしたら、この入れ替わりにはあれが関係してるのかも……」

 「え……!?」


 なんだか重要そうなワードをポロッと口にしたので、『美晴』は思わず声をあげてしまった。


 「お……お前……! 今……なんて……」

 「あっ! もうこんな時間! そろそろ行かないとっ!」

 「ちょっ……待っ……」

 「ごめんなさいっ、もう時間がなくてっ! お母さんが帰ってくる時間なので、わたし、帰りますっ!」


 もう少し落ち着いて話がしたくて、『美晴』は『風太』を引き止めようとしたが、声が小さすぎるうえにしゃべるのが遅すぎた。『風太』はとにかく慌てているらしく、すぐに玄関を飛び出してしまった。

 

 (くそっ……! なんだよ、あいつっ! 自分勝手すぎるだろっ!)


 あいつが通り去った玄関の扉を見つめながら、『美晴』はまた少しイライラをつのらせていた。

 すると、今度はガチャリと扉が開き、その人と思われる大人の女性が現れた。

 

 「ただいま、美晴」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ