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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第十二章:身体奪還作戦
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女子更衣室には入れない


 五時間目。

 『風太』が所属するクラス、6年1組の教科は書写。毛筆もうひつの授業だ。

 授業内でつくられた子どもたちの習字作品「希望の光」は、教室の後ろの壁に展示される。


 「できた……!」


 『風太』は、美しくととのった「希望の光」を、左腕一本でなんとか創り上げ、先生に提出し終えた。あとこの時間にすべきことは、運動場のそばの手洗い場でふで墨池ぼくちを洗い、使用した習字セットの片付けをするだけだ。

 『風太』が手洗い場に出ると、そこにはすでに道具の水洗いをしている健也ケンヤがいた。

 

 「お、風太か。その骨折した右腕は、まだ安静あんせいちゅうなのか?」

 「うん。ちょっと時間がかかるみたい。ペンやフォークは持てるようになったんだけど」

 「日常生活さえも大変なんだな。うーん……おれに何か手伝えることはないかな?」

 「ふふっ、今でも充分助けられてるよ。みんなが優しくしてくれるおかげで、体育以外の授業は普通に受けられてるの」

 「そうか、あとは体育だけか……。早く治して、またドッジとかサッカーとか、一緒にやろうぜ」

 「うんっ! わたし、また1組のみんなとサッカーやりたいっ!」

 「お、出たな。『わたし風太』」

 「きゃっ! い、いい、今のはナシ!」

 「あははっ、面白いやつだな。お前は相変わらず」

 「うぅ……。『わたし』って言っちゃうクセ、早く直さなきゃ……」

 「面白いから直さなくていいよ。おれも風太と……それから“あいつ”とも一緒に、サッカーやりたいって思ってるし」

 「うん? “あいつ”って、誰のこと?」

 「へっへっへ、まだヒミツだ。でも、お前とは絶対に仲良くなれると思う。今度“あいつ”と出会ったら、みんなの前で紹介してやるから、楽しみにしておけ」

 「よく分からないけど、新しい友達ってこと?」

 「ああ。見たら絶対びっくりするぜ。だからまだヒミツだ」

 「そ、そう……? まぁ、友達が増えるなら嬉しいけど……」

 

 健也はワクワクした気持ちで、あの「幽霊みたいな少女」のことを、頭に思い浮かべていた。

 そうとも知らずに、健也の隣で墨池を洗っている「元幽霊少女」は、分かりやすく喜びの感情を顔に出す健也を見て、クスッと笑った。

 

 そして、健也は自分の道具を洗い終わり、蛇口の水を止めた。


 「よし、そろそろ教室に戻るか。お前はまだ洗うのか?」

 「うん。もう少しだけね」

 「そっか。おれは着替えもあるし、先に行くぞ」

 「えっ? 着替え?」

 「次の授業、体育だからな。お前は見学だから、着替えなくてもいいのかもしれないけど」

 「あっ、そういえばそうだったね。体操服に着替えて、グラウンドに集合だっけ」

 「たぶん、今日はちょう距離きょりそうだろうなー。お前と勝負したかったぜ」

 「あ、あはは……。ごめんね」

 「しかし、給食のあとの長距離はきっついんだよな。……ほら、見ろよ。他のクラスのやつらも、すごくキツそうだ」


 健也と『風太』が今いる場所は、屋外にある手洗い場。ここから少し背伸びをすると、グラウンドの様子を見ることができる。

 グラウンドでは、ちょうど長距離走を終えた他のクラスの男子たちが、ズキズキと痛む脇腹を押さえながら歩いて、呼吸を整えていた。


 「えっ!? あそこにいるのは……!」

 「あれは6年2組だな。じゃあ、おれ着替えてくる」

 「う、うん……!」


 6年2組。元々の、美晴が所属していたクラスだ。

 あそこで歩いている男子生徒も、木の下に座って休んでいる男子生徒も、グラウンドに大の字で寝ている男子生徒も、美晴はみんな知っている。

 

 (今、男子の長距離が終わったってことは、おそらく次は……)


 『風太』はきょろきょろと辺りを見回し、健也が近くにいないことを確認すると、こそこそと隠れながら、グラウンドがさらに見やすくなる位置へと移動した。


 *


 長距離走。男子の次は、女子の番となる。

 スタートラインに集まっていた体操服姿の6年2組女子たちは、陣野ジンノ先生の「よーい、はいスタート」の声で一斉に走り出した。

 短距離走ではないので、全員まずはペース配分を考えて、軽くジョギングしている。


 「はぁ、はぁっ……はぁっ……!」


 グラウンドを二周ほど走ったところで、先頭を含む足速い子グループ、続いて真ん中の普通な子グループ、さらに後ろに体育苦手な子グループと、女子の走者集団が三つできた。

 『美晴』は、その体育苦手な子グループの最後尾さいこうびにいた。息はすでに上がり、脚がふらつき始めている。


 (くそっ、もう苦しくなってきた……! まだ二周目なのにっ……!)


 本来ならば6年生の中でもトップクラスの走力を持つ風太でも、『美晴』の肉体に閉じ込められていては、これほどまでに残念な結果となる。かろうじて、精神が風太であるおかげか、ぶっちぎりの最下位だけはまぬがれている、という状態だ。

 

 (身体が、前に進まない……。美晴には筋肉がないから、足が上がらないんだ)


 ただでさえ小さい歩幅は、体力の限界が近づくにつれて、一層小さくなってくる。

 『美晴』は、今の自分の身体を、さらに冷静に分析した。


 (腕は振れない、地面も蹴れない。フォームは崩れて、自分の体の重さが、ずっしりと伝わってくる……)


 「体の重さ」とは、主に前方に二つ突き出した胸のことだが、それ以外にも、太ももや尻の辺りも重く感じていた。発育が良い少女の身体は、今の風太にとってはデメリットでしかなかった。

 

 (長い髪は邪魔だし、首が絞まるから上手く呼吸もできない……! 美晴の身体は、何もかもが運動に向いてないっ……!)


 へろへろになりながら、なんとか最後まで走りきった。


 「はぁー……、はぁー……。はぁっ、げほげほっ……!!」 

 

 手足には根性以外の動力がなく、心臓のバクバクは収まらない。

 しかし、こんなに死にものぐるいで一生懸命走っても、結果は最下位。他の女子たちはとっくにゴールし、『美晴』の必死すぎてキモい走り方を、かげで笑いながら見ていた。

 

 (どうしておれが、あんな奴らに笑われなきゃいけないんだ……)


 『美晴』は、とてもみじめな気持ちになった。


 *

 

 「風太くん……」


 『美晴』は長距離走を終え、今は木陰こかげひとりで休んでいる。

 それを間近まぢかで観察できる場所。屋外体育倉庫の裏に、『風太』はそっと身を隠していた。


 (早く風太くんと仲直りして、100日後に消えちゃうことを伝えないと……! 行くなら今……だけど、この右腕を見せたら、仲直りどころか余計に怒らせてしまうかも……。ううぅ、どうしよう……)


 あと一歩が踏み出せずにいて、『風太』は『美晴』を凝視ぎょうししていた。

 一方の『美晴』はというと、誰かに見られているなんて考えもせず、タオルと水筒をそばに置いて、静かにそよ風を感じている。


 (きっと、うまく走れなかったからショックを受けてるんだ……。本当の風太くんは、もっと速いもん……)

 

 だから、今『美晴』の前に姿を現すのは得策とくさくではない、と『風太』は結論づけた。火に油を注ぐことになるだけだ、と。

 そしてまた、しばらく観察を続けた。


 (わたしのせいだ……。わたしのせいで、こんなことになって……。今も、わたしを恨んで……あれ?)


 自己じこ嫌悪けんおおちいろうとしたところで、ふと、『風太』は自分の身体に違和感を覚えた。


 「はぁっ、はぁっ……。なんで……わたし、こんなにドキドキしてるの……?」


 じっと、『風太』を見ていたからだ。じっくりと『美晴』の全身を見ていたせいで、男としての本能が刺激されてしまった。

 『風太』はゴクンと生唾なまつばを飲み込み、おそるおそる自分の身体を見下みおろした。


 (興奮してる……!)


 意志いしに、従ってくれない。 


 「あそこにいるのは、風太くんなのにっ……! 美晴デビルだと、勘違いしてっ……」

 

 悪夢あくむが、現実にも影響をおよぼしている。

 

 「はぁ、はぁ……。わたし、最低すぎる……。落ち込んでる風太くんを見て……自分の身体を見て、興奮してるなんて……。でも……うぅっ、気持ちが抑えきれないっ……!」

 

 目の色が、変わろうとしている。

 『風太』の精神が、漆黒しっこくやみに染まろうとしている。


 (あぁ……。風太くんが、お茶を飲んでる……。風太くんが、わたしの水筒に、くちびるをつけて、お茶を……飲んでるだけ、なのにっ……)


 理性の崩壊。そのギリギリのところで、『風太』は踏みとどまっている。

 今、少しでも気をゆるめると、『風太』は雪乃への想いを忘れて、『美晴』のことを好きになってしまう。


 「あっ! 風太くん、どこかに行っちゃう……」

 

 お茶を飲み終えた『美晴』は、もうすぐ五時間目終了のチャイムが鳴ろうというタイミングで、立ち上がった。そして、水筒とタオルを拾うと、校舎がある方へと向かって、歩き出した。


 「……!」


 『風太』は『美晴』に気付かれないように、その後を追った。


 *


 『美晴』が向かった先は、プールにある女子トイレだった。

 本来、水泳の授業でしか使われない場所なので、プール内やプール用更衣室にはカギがかかっていて入れないが、トイレだけはいつでも自由に使うことができる。とはいえ、グラウンドからはもちろん、校舎からも少し離れた場所にある辺境へんきょうのトイレなので、日常的にこのトイレを使う女子はいない。

 

 「……」


 女子トイレに着くと、『美晴フウタ』は一番奥の個室に入り、カギを閉めた。

 そのあとを追っていた『風太ミハル』は、現在は一応男子なので、女子トイレ内には入れない。


 (トイレなら、他の場所にもあるのに……。どうして風太くんは、わざわざこんなところまで来たのかな……?)


 『風太』は女子トイレの入り口でしゃがみ込み、トイレ内の音を静かに聞いていた。


 (いや、おかしいのはわたしの方だよね……! こんな女子トイレまでついてきて、聞き耳を立てるなんて……)


 まるで変態だった。万が一、この光景を誰かに見られたら、『風太』のニックネームは「変態ストーカー」になってしまうだろう。

 さすがにこの行為はマズいと『風太』は冷静になり、ストーカーごっこはやめて、静かにこの場を去ろうとした。しかし、数歩進んだところで、女子トイレ内の奇妙きみょうな音を聞き、ピタリと足を止めた。


 ガサ……ゴソ……。


 (あれ? 水の音がしない……。風太くんは、女子トイレで何を……?)


 聞こえてくるのは、衣服がれる音だけ。おそらくだが、『美晴』は便器に座っていない。

 『風太』は少し考え、そしてハッと気付いた。


 (あっ! ここで、体操服を着替えてるんだ……! みんなと同じ女子更衣室では、着替えられないから……)


 その推察すいさつは正解だった。

 ブラウスがチョークの粉で汚された先日の事件と、『美晴』の身体に残っている凄惨せいさん火傷やけどあと。この二つのことをまえ、『美晴』は他のみんなが使う女子更衣室をけ、この女子トイレで服を着替えることにしたのだ。くさくてきたなく、着替えに適した場所ではないが、仕方ないことだと割り切っていた。


 (女の子なのに、女子更衣室で着替えられないなんて、そんな……)


 見ていられなくなって、『風太』は一言もしゃべらずに、その場を立ち去った。

 そして『風太』が去った後、『美晴』はバタンと扉を開け、個室から出てきた。


 「よし……! 着替え……終わり……! スカート……だけど……ズボンみたいな生地きじだから……、いつもの……ヒラヒラしたやつ……よりも……恥ずかしくない……な……」


 今日の私服、デニムのスカートのことだ。それでも充分ガーリッシュなのだが、『美晴』は手洗い場の鏡の前で、満足げな顔をして立っていた。


 「ん……? 誰か……いるのか……?」


 何かの気配けはいに気付き、『美晴』はチラリと女子トイレの外を見たが、そこにはもう誰もいなかった。

 

 *


 五時間目が終わり、六時間目も終わった。

 現在は放課後。保健室のベッドには、昼休みの時と同じように、『美晴』と安樹の二人がいる。


 「キミは、スウィートなミルク」

 「……」

 「ボクは、ブラックビターなコーヒー」

 「……」

 「とっても気持ちよく混ざりあったら、何になると思う?」

 「コーヒー……牛乳……?」

 「ブブー、残念。答えはカフェオレでしたー」

 「は……? なんだよ……そのクイズ……。カフェオレと……コーヒー牛乳は……どう違うんだ……」

 「あっ、でもボクはエスプレッソだから、答えはカフェラテかな?」

 「あー……もうっ! 邪魔じゃまだ……!! どけっ……!!」

 「ひゃっ!? あふっ……」


 安樹の頭は、『美晴』の膝枕ひざまくらの上からゴロンと落ちた。


 「もう……いいだろ……!? ひざまくらは……終わりだ……! 早く……ペンダントの……話を……してくれよ……!」

 「やだ。まだあと15分残ってるし。ほら、もう一度ボクをひざまくらに乗せて」

 「だいたい……何が面白いんだよ……これ……! ずーっと……おれの……ひざの上で……意味が分からない……クイズ……してる……だけ……じゃないか……!」

 「ボクにとっては、それが面白いのー。……ねぇ、ボクはちゃんとペンダントを持ってきたし、使い方についても調べておいたんだよ? キミにとって友達というのは、命令を聞くだけの都合の良い存在なの?」

 「なっ……!? それは……違うっ……! 友達っていうのは……お互いに助け合って……」

 「そうだよね。だったら……分かるよね? ボク、キミの友達だよねぇ?」

 「ゔっ……! ほ、ほら……ひざまくら……してやるから……早く……来いよ……」

 「わーいっ! 風太のてい反発はんぱつひざまくら大好きー♡」

 「こ、こらっ……! うつせで……寝るのは……やめろっ……!」


 いつものキリリとしたイケメン顔をふにゃふにゃにして、安樹は子猫のように『美晴』のスカートにほっぺたを擦り付けて甘えた。

 『美晴』は「このスカート、一時間ほど女子トイレに置いてあったんだけどなぁ……」と思ったが、あえてそれを伝えなかった。


 「ふぅ。さて、ここからは真面目な話なんだけどさ」

 「うん……?」

 「入れ替わりペンダント。その効果を発動する条件っていうのが、なかなか難しいみたいでね。風太は、本当にペンダントを使いたいの?」

 「ああ……。元の体に……戻るため……なら、なんだって……する……覚悟はある……!」

 「ふーん。じゃあ、一つ確認してもいい?」

 「なんだ……? 確認って……」

 「キミには……『風太』と愛し合う覚悟がある?」

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