美晴デビル登場!
真夜中。
身体が入れ替わり、『風太』となった女の子、戸木田美晴は、真っ白で何もない空間にいた。上を見ても真っ白、後ろを振り向いても真っ白。
『風太』は、その空間が夢の中であると、すぐに理解した。
「あ……。わたし、夢の中でも風太くんだ」
それに気付いた理由は、今の自分の右腕に、頑丈なギプスが付けられていたからだった。
数日前、『風太』はサッカーの試合で派手に転び、右腕を痛めた。そして昨日、接骨院に行ったのだが、骨が折れていると診断され、完治には少し時間がかかると言われてしまった。
今後しばらくは、右腕を首から吊り下げておかなければならない不自由な生活が続くだろう。
「腕、折っちゃった……。早く風太くんと仲直りしなくちゃいけないのに、これじゃあ……」
あの「人生を賭けたケンカ」の日から、『美晴』と『風太』は絶交し、直接会って話をしていない。接触は、安樹を介した『美晴』の一方的な伝言のみ。
「……」
『美晴』は完全に縁を切ったつもりでいるが、『風太』はどうにか復縁したいと考えていた。
その望みが、あまりに欲張りなものだと、分かっていても……。
「難しいなぁ。全然、上手くいかないよ……」
『風太』はうつむき、肩を震わせ、涙を一粒こぼした。
「うぅっ……」
「あーあ、泣いちゃって。それ、風太くんの身体なのにー」
「えっ!? だ、誰っ!?」
夢の世界。
他に誰もいないハズの真っ白な世界で、『風太』は突然、誰かに声をかけられた。
「あなたは……!?」
「やっほー、美晴ちゃん。いや、今は風太くんと呼ぶべきかな?」
『風太』が顔を上げると、そこには怪しく微笑む戸木田美晴がいた。
見た目は、幽霊みたいな女の子である美晴にそっくりだが、頭から悪魔のようなツノが2本生えている。そして、お尻からは、矢印みたいな形のしっぽも生えている。
「ま、まさか……風太くん……?」
「ブブー、残念。わたしは、100ノートに願いを書いた者と契約する赤目の悪魔。今はあなたの姿を借りて、この世界に定着してるから、名前は……『美晴デビル』にしようかな」
「美晴デビル……?」
「そうそう。100ノートを使った人は、わたしと100日間の契約を結んだことになるの。すでに何日か経ってるけど、これからよろしくね。ご主人サマ♪」
「え……」
『風太』は、若干引いていた。
かつての自分そっくりな、とても恥ずかしい存在が、目の前に現れてしまったのである。
「こらこら、引かないでよ。あなたの本来の姿でしょ?」
「絶対違う! わたし、こんなのじゃないっ!」
「こ、こんなのって……。そりゃあ、ちょっと小悪魔風にアレンジは加えてるけど」
「ほらやっぱり! あなたは、あのノートが作りだした幻覚……!」
「まぁ、それも間違ってないけどね。……とにかく、わたしはあなたに会いたかったんだよ。ご主人サマ」
美晴デビルは握手を求めた。
しかし『風太』は、それに応じなかった。
「ご主人様? わたしが?」
「うん。あなたが100ノートを使ってくれたんでしょ?」
「使ったよ。でも、『風太くんと身体を入れ替えて』なんて、願ってないっ! これはどういうことなのっ!?」
「あはは。もちろん、100日後に願いは叶えてあげるよ。その代わり、あなたが持っているもの全てを、100日間わたしは自由に使わせてもらう。そういう契約でしょ?」
「し、知らない……。そんなの、聞いてないっ」
「あー、知らずに使ったんだね。でも契約は成立してるから、今さら文句は言わないでね。ちゃんと、願いは叶えてあげるんだから」
「わたしの……願いは……」
「『戸木田美晴をこの世界から消す』だっけ? 消してあげるよ、ちゃんと。戸木田美晴をね」
「まさか、それって……!」
嫌な予感は、的中した。
「そう! 『今の』戸木田美晴をね。身体を奪われたうえに、100日後に消えちゃうなんて、かわいそー」
消えるのは、『美晴』。
「やめてっ!!! 風太くんは関係ないっ!!」
「やめなーい。キレイさっぱり消えるから、安心していいよ」
「わたしを消してよっ!! そういう約束でしょ!? なんで、普通に生きてただけの風太くんを、この世界から消してしまうのっ!?」
「消えたい人を消してもつまんないじゃん? だから、身体を入れ替えたの。ねぇねぇ、風太くんがあなたの代わりに消えてくれるけど、気分はどう?」
「身体を、すぐに元に戻してっ……! これ以上、風太くんを辛い目に会わせるわけにはいかないのっ!! お願いっ……! わたしの憧れの人を、苦しめないでっ……」
「ふふっ。『風太と美晴が入れ替わる』と『100日後に美晴が消える』はセットだよ。どちらか一方だけ、なんて美味しい話はない」
「だったら、わたしは……!」
「『辛くて、苦しくて、絶望しかなかった地獄のような日々に戻ります!』って?」
「え……!?」
「ふふ、ふふふっ……!」
美晴デビルは不気味に笑った後、顔を一気に『風太』に近づけた。
「ねぇ、ねぇねぇ!! もしもあの時、ノートを使ってなかったら、あなた一体どうなってたと思うっ!? もしも『美晴』のまま生きてたら、どういう末路を迎えていたのか、教えてあげよっか!? ねぇねぇねぇっ!」
「なっ……!?」
「入れ替わったおかげで、イジメから逃げられた。入れ替わったおかげで、上手く声を出せるようになった。入れ替わったおかげで、憧れの風太くんとも話せたんでしょ!?」
「そ、それは……」
「あなたは、自分にウソをついてる。正直になってよ。今の幸せがあるのは、全部100ノートのおかげでしょ?」
「で、でもっ! わたしのせいで風太くんが、消えてしまうなんてっ……!」
「絶交したんだから、もういいんじゃない? あなたが『風太くん』のまま100日後を迎えれば、向こうは勝手に消える。復讐されるかも、なんて不安もなくなるの」
「風太くんが、わたしに……復讐を……?」
「当たり前でしょ。向こうはあなたを恨んでるんだから。元の身体に戻るまで、風太くんは何度でもあなたに立ち向かってくるよ」
「……!」
その通りだと、思ってしまった。悪魔の囁きを、まともに聞いてしまった。
風太の強さを知っているからこそ、彼に敵だと思われているという現状に、美晴は悲観した。
「うぅっ……。わたし、どうしたらいいの……?」
「今さら、あなたがどういう選択をしようが、風太くんはあなたを許さない。だったら、もう風太くんに気を遣う必要はないんじゃない? 自分のやりたいようにやれば」
「わたしの、やりたいように……?」
「そう。返したくないものは、返さない。無理をしないで。良い子にならなくていいの。あなたはどうせクズなんだから、倫理とか人道とか、気にしなくていいんだよ」
「ち、違っ……」
美晴デビルは、蛇のようにするすると『風太』にまとわりつき、幻惑の言葉を紡いだ。
そして『風太』は、その言葉に一瞬だけ意識を囚われてしまった。すぐにハッと自我を取り戻したが、もう遅い。
「あはっ。小悪魔に、惑わされちゃったね」
「な、何……!? 景色が変わっていく……!」
「ここは、あなたの夢の世界。あなたの想像や欲望によって、自由に姿を変えるの」
真っ白で何もなかった世界に、色がついていく。そして形を作る線が生まれ、一つ一つが物体になっていく。
モチーフは、物語の中の世界。西洋風のお城があって、立派な騎士がいて、美しい姫がいる、ファンタジーでメルヘンな世界。
「この……世界は……!」
「戸木田美晴の理想の世界だよ。あなたがいつも寝る前に描いている、妄想ってやつ」
それぞれの衣装も、思い描いた通りに変わった。
『風太』は、剣を携え軽鎧を装備した少年騎士に。
美晴デビルは、きらびやかなドレスに身を包んだお姫様に。
「ふふ……。わたし、お姫様になっちゃった。あなたは、わたしを守る騎士みたいだね」
「これが、わたしの理想……?」
「とぼけてもダメ。全て、あなたが考えた設定なんだから。それにしても、これほど現実とかけ離れた世界を夢見るなんて……よっぽど現実世界が辛かったのかな?」
「ば、バカにしないでっ!!」
事実を指摘され、『風太』は顔を真っ赤にした。
今の『風太』は騎士だ。当然、戦えるだけの武器を持っている。『風太』は動かせる左手でスラッと剣を抜き、自分を小馬鹿にしてくる美晴デビルに刃を向けた。
「……あまり調子に乗ると、痛い目に合わせるよ。ここが本当にわたしの理想の世界なら、風太くんはとっても強い騎士であるはずっ」
「その通り。あなたの設定は、『優しくて勇敢でかっこいい、王国最強の少年騎士フウタ』。剣を使って戦おうとするのは、賢明な判断。だけど……」
美晴デビルが人差し指を立てると、指先から電撃が発生し、『風太』をバチバチッと襲った。
「きゃああぁっ!? 魔法っ!?」
「忘れたの? わたしの設定は、『本気を出せば実はフウタより強いけど、魔法が使えることは隠しているミハル姫』なんだよ?」
「ううっ……。そういえば、そうだった……」
ここは戸木田美晴の世界なので、一番強いのは主人公であるミハル姫だ。実は王国最強の騎士フウタよりも強い魔法使いだが、その力を周囲には隠しているお姫様……という設定。
「そして、重要な設定は……もう一つあるよね?」
「ま、まさか……!」
『風太』がダメージを負って倒れている間に、美晴デビルは『風太』にずんずんと近づき、彼のそばでしゃがんだ。
「『騎士フウタは、ミハル姫のことを愛している』」
その言葉が、耳に入ると──。
「……!」
『風太』の心の中に、ポッと恋心が芽生えた。
「かっこいい男の子に愛される妄想。かわいい女の子に惚れられる妄想。別に誰だってするから、おかしくはないよ」
「はぁ、はぁ……。きゅ、急に……心臓がっ……」
「ドキドキするでしょ? ミハル姫は、みんなから愛される姫。特に少年騎士フウタは、ミハル姫のことが大好きっ」
「違うっ……! こんなの、わたしが望んだ世界じゃないっ!」
地面に突き刺した剣で自分を支えながら、『風太』はなんとか立ち上がった。
しかし美晴デビルは狡猾に、その隙を狙っていた。
「……!」
ふわっと、花のように。
「なっ……!?」
『風太』の胸に、お姫様が飛び込んできた。
「えへへっ」
「何を……してるの……?」
「抱きしめてもらおうと思って。わたしのこと」
「ふ、ふざけないでっ!! 早く離れてっ……!!」
「じゃあ、そうしたら? ほら、自分に抱きついてきたお姫様を、振り払ってみて? ねっ?」
「うっ……」
上目遣いで甘えてくる、美しい姫。
彼女を愛している騎士の目からは、どうしても魅力的に見えてしまう。
「はぁっ、はぁっ……」
バクバクと鳴る心臓に、『風太』は息を切らした。
剣を握る手には、もう力が入らない。カランと剣を落とした手は自由になり、すぐに新たな仕事を与えられた。
それは、麗しきミハル姫を、少年騎士として抱き止めること。
「ぐ……! うぅ……」
「そんなに辛そうな顔しないでよ。これこそ、あなたが夢見たハッピーエンドでしょ?」
「ふ、風太くんは……美晴なんか、好きにならないっ……」
「あははっ、悲しいこと言うね。そう、風太くんは雪乃ちゃんが好きで、美晴なんか大っ嫌い。でも、それをねじ曲げることもできるでしょ? 今はあなたが風太くんなんだから」
「しない……! 風太くんの身体を、悪用するなんて、絶対に……!」
「ふふ、カッコいいセリフ。だけど……残念ながら、風太くんの身体は悪用されたがってるみたいだよ?」
「ど、どういう意味……?」
「ほら、ここ……」
さわさわと、ごそごそと。美晴デビルは、自分を抱いている『風太』の太もものあたりに、そっと手を這わせた。
「……!」
何かを探すような、怪しい手つき。『風太』は一瞬でその動きを察知して、美晴デビルの手首をガッと掴んだ。
「あら、捕まっちゃった」
「今……! はぁ、はぁ……何をしようとしたの……?」
「分かってるくせに。あなたの興奮を、確かめようとしたんだよ」
「わ、わたしっ、興奮なんて、してないっ!」
「ウソ。さっきから、わたしの胸しか見てないもん。興奮してないわけないでしょ」
「なっ……!?」
言われて図星。美晴デビルが着ているドレスは、胸元がセクシーに開いているのだ。
『風太』はすぐに目を閉じて顔を逸らしたが、鼻息がまだ荒いので、興奮を隠すことができていない。
「ふーっ……、ふーっ……。何なの、もうっ……」
「男の子になるっていうのは、そういうことだよ。雄の本能で、視線がそこに行ってしまう」
「あ、あなたが余計なことをするからっ……! もう消えてっ! 早くどこかにいってっ!」
「言われなくても、そうするよ。もうすぐ朝が来るからね。明日もまた、夢の中で会おうね」
「二度と来ないでっ……!!」
どうにか興奮を抑え込んだ『風太』は、美晴デビルを左手で振り払おうとした。
しかし、美晴デビルはそれをひょいと避け、背中に悪魔のような翼を広げて、高く飛び上がった。
「雪乃を忘れて、美晴のことを完全に好きになったら、連れていってあげる。興奮のその先へ」
「興奮の……その先……?」
「女の子には決して分からない、思春期の男の子みんなが経験する、『初めての幸せ』」
「何を、言ってるの……!?」
「風太くんがその身体で経験するはずだった『初めての幸せ』を、あなたに全て奪わせてあげるっ!! そうすればもう、あなたは迷いなく風太くんを切り捨てられるっ!! 闇に堕ちて悪魔になろうよ、美晴ちゃん……! あはは、あはははっ……!!」
不気味な高笑いを夢空間に響かせながら、美晴デビルは霧のように姿を消してしまった。
残された『風太』は、何もなくなった空間を見上げながら、ゆっくり、ゆっくりと、眠るように瞳を閉じた。
*
朝。
子どもたちが、夢から覚める時間。
ピピッ、ピピッ。
『風太』の部屋のデジタル時計が、午前7時を告げている。
今日は平日。学校がある日なので、そろそろ起きて登校の準備をしなければならない。遅刻は厳禁である。
「はっ……!」
今まで気を失っていたかのように、『風太』はパチンと目を覚ました。
「はぁっ、はぁっ……はぁっ……!」
途端に呼吸は荒くなり、全身からじんわりと汗をかきだした。
『風太』は右腕を動かそうとしたが、痛みを感じたのですぐにやめ、代わりに左手を動かして、自分の身体をまさぐった。
「あぁっ! や、やっぱり……!」
興奮は、未だ覚めていない。
戸惑い、悶え苦しみながらも、『風太』の頭の中は美晴デビルのことでいっぱいだった。さっき夢の中で見た、可憐なお姫様の記憶で溢れているのだ。
「美晴のことを、好きになろうとしてるっ……! 勝手に気持ちをねじ曲げるなんて、最低なことなのに、風太くんの身体が逆らおうとしてくれないっ……! どうしようっ、わたしなんかを好きになるなんて……。好きになって……もらいたい……けどっ……」
はぁはぁと、激しく息を切らして葛藤しながら、『風太』は鏡が置いてある方に顔を向けた。そして、鏡の中の男の子を見つめ、答えが返ってくるハズもないのに、問いかけた。
「どうしたらいいの……? あなたは、どうしてほしい……? 風太くんっ……」




