おれの安樹
*
────
2年前。
「それでは、二人組を作って、お互いの似顔絵を描いてみましょう」
「「「「はーい!」」」」
ここは、月野内小学校から少し離れた場所にある、空野豆小学校。
仲良しクラス4年1組の今日の授業は、図画工作だ。生徒たちは画用紙を手に教室内を歩き回り、まずはペアとなる相手を探している。
「安ちゃん、一緒にやろうねっ!」
「うん、一緒にやろうね。園ちゃん」
菊水安樹、小学4年生。
当時はまだキャスケット帽も被っていない、普通の格好の女の子。趣味は読書で、好きなジャンルはゲロ甘な恋愛小説。暗くはないが、やけに落ち着いていて、大人しい子だった。
「うーん、うーん。人の顔を描くのって、難しいね。安ちゃん」
「よし、こんな感じかな。ボクはそろそろ完成するよ。園ちゃん」
「あっ、そうだ! 安ちゃん、ちょっといい?」
「ん? なぁに?」
「座っててね。そのまま、そのまま、座ってて」
「……?」
井原園、小学4年生。
当時はまだパンキッシュな趣味もない、普通の格好の女の子。少し背伸びをしたい年頃で、趣味はファッション雑誌を読むこと。友達は多く、男子たち(ただし、イケてるグループ限定)と遊ぶことも多い子だった。
「え、えーっと……! 何をしてるの? 園ちゃんっ」
「うん! あたし、ここで絵を描くよ! 安ちゃんの顔が近くて、よく見えるし!」
「だ、だからって、ボクの膝の上に座るなんて……」
「あれ? ダメだった? あたし、重い?」
「ううんっ! 決してそんなことはないけどっ! 園ちゃんが良いなら、ボクは構わないけどっ」
「うふふ。じゃあ、ここで描くね。安ちゃんはイケメンだから、しっかりカッコよく描きたいの」
「そ、そうかな……?」
「そうだよ。男子よりもカッコいいよ、安ちゃんは」
「……」
園は、「安ちゃんはカッコいい」「安ちゃんはイケメンだから」と、口癖のように言っていた。そう言われても、あまり自覚はしなかった安樹だったが、自分を褒めてくれる言葉に対しては、純粋に嬉しく思っていた。
(園ちゃん……)
初めて出会った時から、園は顔立ちの良い安樹に積極的に近づき、すぐに二人はいつも一緒にいるような仲になった。他人とコミュニケーションをとることに消極的な安樹にとって、強引とも呼べる大胆さで距離を詰める園の存在は大きく、彼女を通してならば、安樹は他の友達とも話すことができた。
園への感謝の気持ち。園から向けられる好意。そして日常的に続く、園の危うささえ感じる過剰なスキンシップは、いつしか安樹に恋心を芽生えさせるまでに至っていた。
(でも、ボク……女の子を好きになってもいいのかな……?)
*
ある日の道徳の授業。
教壇に立った先生は、クラスみんなの前で言った。
「いいですか、みなさん。人の愛には、様々な形があります。男の子と女の子の間だけでなく、男の子と男の子、女の子と女の子の間にも、愛が芽生えることはあるのです。この授業では、それについてしっかりと考えてみましょう」
それはまるで、安樹の悩みを取り扱ったかのような内容だった。
「……!」
安樹は、少し複雑な気持ちで、その授業を聞いていた。他のみんながどういう反応をするのか、やはり気になってしまう。
しかし、4年1組の良い子たちは、その内容について真剣に考え、道徳的に素晴らしい考えを次々と発表してくれた。最終的には、「思いやり」「配慮」という美しい言葉が並ぶような、まさに理想的な学習となり、先生はとても満足げな顔をしていた。
「ふふっ。それでは、これで道徳の授業を終わります」
そして、素晴らしい道徳の授業は、自分の恋愛に悩む安樹の心も軽くした。
(そっか……。女の子でも、女の子を好きになっていいんだ……。ボクもいつか、自分の気持ちを園ちゃんに伝えたいな)
*
数日後。
事態は急転した。
「えっ!? 園ちゃんが、告白した……!?」
園は、自分の気持ちを伝えた。
同じクラスの「男子生徒」に。
(な、なんでっ!? どういうこと!?)
人伝に聞いた、突然の速報。
しかし、井原園から「男子よりもカッコいい」と言われ続けた菊水安樹は、その報せを信じられなかった。
(ウソだ……! そんなわけないっ!)
詳しい情報が入るまで待っていられず、安樹はすぐに教室を飛び出した。園が男子に告白する場所として選んだ、空野豆小学校の屋上を目指して。
*
夕暮れの屋上には、静かな風が吹いていた。
「はぁっ……はぁっ……! 園……ちゃん……!」
「安ちゃん……?」
佇んでいたのは、たった一人。
間違いなく、その人こそが安樹の想い人だ。
「どうしたの? 安ちゃん。そんなに息を切らして」
「へ、変なウワサを……聞いたんだ……! 園ちゃんが、ここで、男子に告白したって……!」
「したよ。それがどうかした?」
「えっ……」
あまりにもあっさりとした答えに、安樹は呆然とした。
園は「ふぅ……」とため息をつき、さらに言葉を続けた。
「知りたいの? あたしの告白がどうなったか」
「い……いや、知りたいっていうか……。だって、園ちゃんは……。園ちゃんの、好きな人、は……」
「菊水安樹だと、思ってた?」
「え……」
「そう言われたよ。本当に好きな男の子から」
「どういう……こと……?」
物分かりの悪い安樹に向けて、園は声を張り上げた。
「女が好きな女だって、思われてたのっ!! あたしのことっ!! だから、男子に来るとは思わなかったって言われたのっ!!」
「えっ……!?」
「男子のことは興味ないやつだって、思われてたってこと……! だから、びっくりしたんだって!! あたしのことを恋愛対象だと思ってないからっ!!」
「じゃ、じゃあ……告白は……!?」
「一度、ナシになったよ……。あたしへの見方を変える時間がほしいって……」
結果は保留。失敗する可能性はあるが、成功してしまう可能性もある。
ならば今しかないと、安樹は自分の「引鉄」を引いた。
「で、でも……ボクは……! キミのことが好きなんだ……! 女の子同士だけど、それでもボクはキミを……」
「じゃあ……あんたのせいってこと?」
「え……?」
「あたし、自分が悪いんだと思ってた。もう安樹ちゃんにベタベタするのはやめようって、心に決めたの。……でも、あんたがそういう目で見るなら、あたしがやめても意味ないじゃん。あたしはもう、女の子同士とか、嫌なのに……!」
「そ、そんな言い方……」
「やめてよっ……!! あたしの恋愛を邪魔するのっ!!」
「……っ!」
何かが、バラバラと、崩れる音がする。
「……教えてあげよっか? 普通の人から、どう見られてるか」
「普通の……人……?」
「あんたみたいなやつはね、『配慮が必要な人』なの。病人、老人、妊婦とかと同じ。あたしもさっきまで、そう見られてた」
「や……やめてよ……」
「みんな、優しくしないといけないから優しくしてるんだよ。関わる時は、『思いやり』が必要。そんな気を遣う相手と、まともに恋愛できると思う?」
「やめて……」
「道徳教材だよ。あんたとの会話は、常に道徳の授業。みんな真面目にしゃべって、誰もふざけない。本心を話すことができないから、恋愛どころか、友達もできない」
「やめてってば……!!」
耳を塞ぐ安樹を無視して、園はスタスタと出口へ向かった。
「よく分かったよ。恋愛対象じゃない人から向けられる好意は気持ち悪い。だから、あたしの告白は上手くいかなかったんだね」
「ま、待って……」
「あんたの告白も気持ち悪かったよ。ごめんね、あたしは男の子が好きだから。さようなら、道徳教材」
「……!」
トドメを刺された安樹は、園を追うことすらできずに、呆然とその場に立ち尽くしていた。
*
その一件から、安樹が学校に行かなくなるまで、あまり時間はかからなかった。
(みんな、ウワサしてる……)
園と安樹の告白は、すぐに4年1組の全員に知れ渡った。
コミュニケーション能力の差で、園は友達を減らすことはなかったが、代わりに安樹の周りからは友達がいなくなった。
ただ、そんななかでも、安樹に声をかける子は少しだけいた。4年1組は良い子のクラスなので、ひとりぼっちでいる子にはなるべく声をかけるようにと、先生から教えられているのだ。
(みんな、ボクに『思いやり』を向けてる……! やっぱり、みんなにとって、ボクはただの道徳教材なんだ……)
小学4年生の女の子には耐えられない、疎外感。安樹は深く傷付き、もう自分の居場所はここにはないのだと悟った。
「……」
学校には行かず。自分の部屋のベッドの上で布団を被り、ただ本を読むだけの毎日。読書に飽きても、他にやることがないので、ひたすら本のページをめくる。
時々、テレビやネットを見たりもしたが、鬱屈とした日々を紛らすには、物足りないものばかりだった。
そして、一番厄介なことは、発作のように突然起こるフラッシュバックだった。
「はぁ、はぁ……。ぐっ、うぅ……うぅっ……、うぐぅぅぅ……」
心臓を、ギュウギュウと締め付けられるような感覚。
無理やりにでも空気を吸おうとする唇と、全身をじっとりと湿らせる汗。
鮮明になっていく、あの日の記憶。
「はぁっ、はぁっ、告白なんか、しなきゃよかった……!」
「あんなこと、言わなきゃ、こうはならなかった……!! うぅっ、苦しい……。胸が……痛いよぅ……」
「誰か助けて……! 苦しみから救って……! どうしてボクは、こんな、気持ち悪くなっちゃったの……? パパ、ママ、どうしてボクは、普通に、まともに、産まれてこなかったの……?」
「うぅ、うわぁああああんっ……! ごめんなさい、ごめんなさい、好きになって、ごめんなさい……! 普通になれなくて、ごめんなさいぃ……!」
薄暗い部屋に、一人。
その声は誰にも届くことはなく、安樹の藻掻き苦しむ物音だけが、虚しく部屋に響いていた。
────
*
「……あれから2年。ボクは、何も変わらないな」
「その後……は……?」
「しばらくして、月野内小学校の6年3組に転校したよ。でも、あんまりこっちの学校にも行ってないんだ……」
「どうして……?」
「まだ少し、人を信じられなくなる時があるから……。でも、6年3組のみんなは良い人だと思うし、ボクも最低限の授業には出るようにしてるよ。保健室で休むことも多いけど」
「ん……? 保健室……?」
『美晴』は、安樹と最初に出会った時のことを思い出した。
「うん。ボクとキミの出会いもそこだね。……覚えてる? 『キミはボクと同じ匂いがする』って言ったこと」
「ああ……。ずっと……気になってた……」
「あれはね、『キミもボクと同じで、不登校予備軍なんじゃないか』って意味。あの時のキミは、何か深い悩みを、一人で抱え込んでそうな女の子だったから」
「あはは……。ま、まぁ……少しは……当たってる……な……」
「フフッ、そうだね」
その笑い声には、感情がなかった。
安樹は薄い瞳で遠くを見つめながら、呟くように『美晴』に問いかけた。
「それで、どう思った? ボクのこと……」
「……!」
全てを聞いて感じた想いを、求めている。
「変、だよね……?」
「……」
「おかしい、よね……?」
「……」
「ふ、普通じゃない、よね……?」
「うん……」
『美晴』が初めて頷いた。
安樹は苦しくて泣きそうになりながらも、頑張って笑顔を作ろうとした。
「あははっ……『思いやり』のない返答だね。それが、『配慮』なしの本音ってこと? ここからは、風太の本当の気持ち?」
「おれは……道徳の授業の時……いつも……寝てる……。ちゃんと……勉強してない……から……お前には……本心しか……言えない……」
「そっ、そうなんだ……! じゃあ、普通の子じゃなくて、ごめんね? ボクのことは、もう、今日で忘れてくれていいからっ……! 先に、帰ってて……」
「嫌だ……」
「えっ?」
「道徳は……よく分からないけど……、自分が何を信じればいいかは……分かるぞ……。お前は……おれの……大切な……友達だ……! おれは……友達を……絶対に……見捨てない……!」
そいつが、やたら「友達」という言葉にこだわるやつだということは、安樹も知っていた。
「そんな、でもっ! ボク、変なしゃべり方だし、帽子だし、自分のこと『ボク』なんて呼んでる、痛い奴だしっ! それに……性別とか関係なく、人を好きになるし……」
「それはもう……知ってる……」
「ぼ、ボクのこと、おかしいやつだって、思ってるでしょ!? 気持ち悪いやつだって、思ってるんでしょ!?
「普通とは違う……おかしなやつだとは……思ってたよ……。出会った時から……ずっとな……」
「そう言われたら、傷つくよ……」
「やられたら……やり返せばいい……。傷ついたなら……おれのことも……傷つけるんだよ……。上等だ……」
「え……?」
「怖がるなよ……! 傷つけられた分だけ……傷つけてみろ……! お互い……キズだらけになっても……一緒にいたいから……友達なんだろうが……!!」
「……!」
安樹の瞳から、さっきとは別の涙がこぼれそうになる。
しかし、目の前に『美晴』がいるので、安樹もここでは泣かないことに決めた。差し伸べられた手はとても小さかったが、安樹はその手を握りしめ、ベンチから立ち上がった。
「あ、ありがとう、風太。ボクのことを受け止めてくれて」
「まだ……だぞ……」
「えっ?」
「まだ……おれは……、お前の……ために……何も……やってない……」
「そんなことないっ! もう充分っ」
「だから……ちょっと……行ってくる……!」
「い、行くって、どこへ!?」
『美晴』は握っていた手を放し、今度はその手で、ラジコンヘリが入っている箱を拾い上げた。
「園ちゃん……って……、さっきの奴だろ……? 多分……まだ……ゲームセンターに……いるよな……」
「なっ!? だ、ダメだよ、風太っ! ケンカなんてっ!」
「お前が……止めるなら……ケンカは……しない……。でも……ケリは……つけさせて……もらう……」
「とにかくダメだって! ボクは園ちゃんを恨んだりはしてないし……! あれはただ、ボクが、告白を失敗した……だけで……」
「はぁ……。おれは……そういう……弱気になってる……お前を……見たくないんだよ……!」
「そんなこと言われても……。過去の傷は、簡単には消えないよ……」
「前にも……言っただろ……? 友達を傷つけられたら……おれは……もう……冷静じゃないって……!! 今から……お前の……過去に……会ってくる……!!」
「ええっ!? ま、待ってよ! 風太っ!!」
健也がバカにされた時と同じ表情を、『美晴』は安樹に見せた。
『美晴』の背中を追いながら、口では「待ってよ!」と必死そうに言った安樹だったが、心の中では正反対の言葉を叫んでいた。
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ピコピコ、ドンドコ、チュチューンな音が騒がしい、ゲームセンター再び。
『美晴』は一人で先行して、園の前に到着した。
「でさー、あいつも屋上にやってきて、なんかいきなりマジ告白されたわけ! フツーにキモくない? ありえなくない?」
「キモーい」「ありえなーい」
「でしょー? そいつのせいで、あーしまでおかしいみたいな……ん?」
三人のパンキッシュガールの前に、再び立ちはだかっている。
「うわ、さっきのウザキモブサイクじゃん!」
「なに? なに?」「なんかよう?」
ウザキモ……『美晴』は殺気を放ち、指をパキポキと鳴らそうとしているが、残念ながら音は鳴ってない。
「誰だ……! おれの……安樹を……泣かせたのは……!」




