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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第一章:風太と美晴の入れ替わり
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汚れたブラウス



 しゃがんで、元々は純白だったであろうブラウスを拾い上げる。

 赤、黄色、緑などのカラフルな粉によって、乱雑に着色されている。よく見ると、上履うわばきの足跡やホコリも付いていて、明らかに人為的な被害だと分かる。

 

 「なんで……こんな……こと……」

 

 わざわざどこかの教室からチョークの粉を持ち出して、ここまでのことをした人間がいる。

 イタズラにしては、が過ぎている。風太も男子同士でイタズラをしたりされたりはするが、さすがにここまではしない。


 (うらみ、か……? おれ以外にも、誰かに迷惑をかけたのかな。あいつ)


 美晴は自分勝手で、ウソつきで、すごく嫌なやつだ。だから、風太以外にも、美晴のことを恨んでいるやつがいてもおかしくはない。

 犯行現場が女子更衣室なので、おそらく犯人は6年生の女子だ。女子同士で、何かイザコザがあったのだろう。

 

 (女子のケンカって、これが普通なのかな? 女の世界のことは、よく分からないけど)

 

 男子のように直接ちょくせつなぐり合ったりはしない代わりに、精神的にダメージを与える。陰湿だが、それが女子のケンカの流儀りゅうぎなのだろうと、風太は納得しかけていた。

 しかし風太は、ふと、胸ぐらを掴まれた美晴の哀しい目を思い出した。

 

 「もしかして……、ケンカ……とは……違うのか……?」

 

 風太が思う「ケンカ」とは、1vs1でぶつかり合うこと。あの時の美晴は、1vs1のぶつかり合いを望んでいる人間の目をしていなかった。


 (ケンカじゃないなら、なんなんだ……?)


 殴ったら殴り返されるという世界で生きてきた若い少年は、まだ知らなかった。集団から一方的にしいたげられるだけの存在がいることを。

 

 考えても分からないので、風太は考えを打ち切った。

 

 (まあ、いいや。あいつの事情なんて、どうでもいい。身体さえ元に戻ったら、美晴なんかとは二度と関わらないだろうしな)

 

 『美晴フウタ』は、「戸木田」と書かれたピンク色の体操服袋を見つけ出すと、美晴のブラウスやスカートをその中へ押し込み、女子更衣室を後にした。


 *

 

 月野内小学校に、間もなく夜が訪れる。

 『美晴フウタ』は、美晴のランドセルを持って帰るために、6年2組の教室へとやってきた。

 

 (そういえば、2組の教室には、ほとんど入ったことないな。どんなクラスなんだろう)

 

 月野内小学校のクラス替えは、二年に一度。これは昔の名残で、一つの学年にたくさんクラスがある小学校は、このパターンになることが多かったらしい。月野内小学校も、昔は一学年に6クラスもあったそうだが、今は少子化の影響で3クラスになってしまい、この二年に一度のクラス替え制度だけが現在も残っている。

 

 だから風太は、この6年2組のことをあまり知らない。

 

 窓際の、後ろから二番目の机の上に、赤いランドセルが置いてあった。大抵、女子のランドセルには、キャラ物のキーホルダーや可愛いストラップなんかがついていたりするが、その赤いランドセルには何もついていなかった。


 (なんだか地味じみだな……。雪乃のランドセルは、もっとゴテゴテしてるのに)

 

 まずは、ランドセルの中を確認する。

 グレーのポーチ型ペンケースと、リンゴが描かれた下敷き、教科ごとに分けられたノート、そして先日配布されたばかりの、6年生の新しい教科書が何冊か入っていた。

 どれもこれも、地味な色合いではあるものの、男子が使うようなものではなく、しっかりと可愛いポイントがある「女子の私物」だった。


 (同じ女子でも、雪乃とは全然違うタイプなんだな)

 

 中身の確認を終え、美晴の赤いランドセルを、『美晴』が背負う。

 

 (うっ、重い……! すごく重く感じるぞ。荷物はそんなに入ってないはずなのに……!)

 

 重さでふらつきながら、『美晴』は原因を考えた。

 これはおそらく、筋力の問題だ。風太の身体と比べると、美晴の身体は小さいうえにパワーもない。ランドセルを背負うというだけでも、これほどの負担になる。

 今なら、雪乃が言っていた「女子だから、重い物が持てないのっ」という言葉の意味が、分かるような気がした。

 

 (あの時、雪乃はワガママを言っていたわけじゃないんだ……!)

 

 『美晴』は、身体の不便さを実感しつつ、6年2組の教室を出た。


 *

 

 小さな身体で、ふらふら、ふらふらと歩き、やっと校門の外まで来た。日は完全に沈み、部活動帰りの中学生が数人、道を歩いているのを見かける。

 

 (おれも、早く家に帰らないとな)

 

  ……。

 

 (早く家に帰らないとな……!)

 

 (早く家に……!)

 

 (家に……?)

 

 立ち止まって、考える。

 当然、この姿では自分の家(二瀬さん宅)には帰れない。

 美晴の身体で、美晴の体操服を着て、美晴のランドセルまで背負っているのだから、やはり今日は美晴の家に泊まることになるのだろう。

 

 (あいつの家、だよな……。美晴の家は……)

 

 そこでやっと気がついた。

 

 (美晴の家は、どこだ……!?)


 *


 「どうしよう、どうしようっ!」

 

 一方、『風太ミハル』も同じことに気づいていた。


 「風太くんは、わたしの家の場所を知らないっ……!」


 風太の家に到着し、一度ランドセルなどの荷物を置いた『風太ミハル』は、再び月野内小学校へと向かっていた。

 外は冷たい風が吹いているものの、風太の家にあったジャケットを羽織はおって来たおかげで、寒さは全く感じない。

 

 「きっと怒られるし、殴られると思うけど、行かなきゃ……!」

 

 さっきのこともあり、また『美晴』に会うのは、少しだけ怖かった。しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。

 

 「このままじゃ、風太くんはどこにも帰れないっ!」

 

 そして、交差点の信号待ち。

 

 「はぁ、はぁ……! 急がないとっ……!」

 「お前、そんなに急いでどこに行くんだ?」

 「だって、早く行かないと、風太くんがっ!」

 「は? 風太はお前だろ」

 「えっ!?」

 

 いきなり、自転車に乗った少年が隣に現れ、なれなれしく声をかけてきた。確か、この人物の名前は……。

 

 「えっと……もしかして、健也ケンヤくん?」

 「おう。健也くんだ」

 

 『風太』は、自分の脳内にある人物図鑑の、「健也くん」の項目を開いた。

 

 「健也くん。風太くんの友達であり、ライバルみたいな男の子。この人も運動神経バツグンで、6年1組のリーダーというか、まとめ役みたいな存在……」

 「おお……。めてくれるのは嬉しいけどさ。お前、自分のことを『風太くん』なんて呼ぶのは、やめた方がいいぞ」

 「えっ……!?」

 「さっきから、ひとごとがすごいな。気味が悪いぞ」

 「きゃあっ!? ま、待って!!」

 「今さら口をふさぐなよ」

 「むごぐ……! わたしの思ったことが、全部口から出ちゃってる!?」

 「それすらも出てるぞ」

 「わた、お、おれ、おかしなこと、言ってないですよね?」

 「『ですよね?』」

 「言ってま……な……ないよね?」

 「ははっ、こりゃダメだな。さっき気を失った時、頭でも打ったんじゃないか?」

 

 健也は冗談だと思って軽く笑ったが、『風太』にとってはまるで冗談などではなかった。

 目の前にいるのは、風太の親友。しかし、しゃべればしゃべるほど、どんどんボロが出てしまう。『風太』は「男の子らしく、風太くんらしく」をもう一度自分に言い聞かせ、これまでの失敗を取り返そうと必死になった。

 

 「こ、こほんっ!」

 「風太、どこに行くつもりなんだ? こんな時間から」

 「て、テメェには、関係ないでしょっ!?」

 「急に口が悪くなったな」

 「と、とにかく、おれは頭を打ってないっ! いつも通り、普通の風太だよっ!」

 「そうか? それならよかった。今からお前ん家に、様子を見に行こうと思ってたんだよ。体調はどうなのかなって」

 「えっ、そうなんだ……。ごめんなさい、心配をかけて」

 「いいよ、気にすんな。それより急いでるんだろ? お前」

 「うん。学校に行かなきゃいけないの」

 「へぇ、忘れ物か? おれの自転車使うか?」

 「じ、自転車っ!? 自転車なんて、わたしっ、無理ですっ!!」

 「無理です???」

 

 信号が青に変わった。

 一言で言うと、『風太ミハル』にとって健也は「強敵」だった。あまり長く話していると「お前、本物の風太じゃないな?」とか、突然言われそうな気がする。

 もう逃げるしかない。今は落ち着いて話せる状態じゃない。

 

 「それじゃあ、おれ、もう行くよっ!」

 「走れよ風太。信号、赤になるぞ」

 「うんっ! また明日、学校でっ!」

 「お、おう……」

 

 『風太』は健也に手を振り、横断歩道を全力で駆け抜けた。

 『風太』が去った後、健也は遠くに見える背中をぼんやりと眺めながら、ポツリとつぶやいた。

 

 「なんだ? あの女子みたいな走り方は。風太のやつ、なんで脇をしめて走ってるんだ……?」

 

 *


 「うぅ、寒い……」

 

 夜の7時を過ぎたころ。

 体操服から着替えられなかった『美晴』は、4月の寒さに震えていた。校門の外側にある花壇かだんのふちに腰を降ろし、ただ夜空を眺めている。

 

 (自分の帰る家が分からないなんて、誰にも言えないな。もうどこでもいいから、テキトーに歩いて、暖かい場所に行こうかな……)

 

 寒さもあるが、疲労もかなりある。そのため、考える力を奪われ、投げやりになっているのだ。

 そこへ、人影が一つ、『美晴』へと近づいてきた。

 

 「風太くんっ!」

 

 少年に名前を呼ばれた。

 現在の『美晴』を、本当の名前で呼ぶことができる少年は、この世に一人しかいない。

 

 「美晴……」

 

 『風太』を目の前にしても、『美晴』の心には全く憎しみが湧いてこなかった。心まで湿気しけっているせいで、熱い気持ちにならないのだ。

 自分だけジャケットを羽織はおっている『風太』の姿を見ても、怒りの感情は表れず、それどころかほんの少し、会えて嬉しいとさえ感じていた。

 

 「体操服、脱がなかったんですかっ!? わたしの私服に着替えなかったんですか!?」

 「え……? うん……」

 「あっ……! いえっ、そのっ、ありがとうございますっ!」

 

 『風太』はペコリと頭を下げ、『美晴』にお礼を言った。「多分こいつは、何か勘違いをしているな」と、『美晴』は思った。

 チョークの粉で汚れていたから着替えなかっただけで、乙女心に配慮して着替えなかったわけではない。しかし、わざわざそれを説明するのも面倒なので、『美晴』は何も言わなかった。

 

 「そ、その格好じゃ、寒いですよねっ!? これを着てくださいっ!」

 

 『風太』はワタワタと上着を脱ぎ、それを『美晴』に着せようとした。

 

 (寒いなぁ……。早く、暖めてほしい……。そういえば、男が「ほらよ」なんて言いながら、寒さで震える女に上着を一枚差し出す……なんてシーン、ドラマで見たことあるな。それがきっかけで、女が男にれたりなんかして……)

 

 ふと、『美晴』が顔を上げると、『風太』と目が合った。

 

 「「あっ……」」

 

 ドラマのような。


 (うわぁああっ、違う違う違うっ!!! なんでおれがそっち側なんだよ! というか、なんで相手が美晴なんだよ! しかも、見た目はおれなのにっ!! ……くそっ、自分で言っててワケが分からないっ!! とにかく、おれは風太で、男だし、こいつは美晴で、女だ! おれに上着を着せるなよ、このバカっ!!)

 

 『美晴』は心の中でパニックになり、顔が真っ赤になった。

 

 「いらない……よっ……!」

 「す、すみませんっ」

 

 寒くて仕方がなかったが、『美晴』はその上着を『風太』に突き返した。もし、その上着を着せられてしまったら、本当にもう、感情が制御せいぎょできなくなってしまう気がするのだ。

 『風太』は、自分だけ暖かい上着を着るのは申し訳ないと思ったのか、それを着直さずに腕に抱えて、歩き出した。

 

 「わたしの家に案内します。ついてきてくださいっ」


 *

 

 信号を二つ渡って、コンビニの前を通り、その次の交差点を右に曲がる。その間、お互いに無言だったが、住宅街に入ったあたりで、『風太』が口を開いた。

 

 「あ、あのっ! さっきの保健室では、本当にごめんなさいっ」

 

 それに対し、「謝ったからって、許されると思うなよ。このバカ。アホ」と、ボロクソに罵ってやるつもりの『美晴』だったが、さっき上着を差し出された時から、テンションがどこかおかしくて、『風太』への悪口がうまく言えなくなっていた。

 

 「ぉ……! おれも……さっきは……ごめん……」

 

 思ってもないことを言った。

 しかし、『美晴』のその言葉を聞いた『風太』の表情はパッと明るくなり、足取りまで軽くなった。

 

 「あともうすぐ、ですっ! わたしの家までっ!」

 「うん……」

 

 *

 

 それは、急に始まった。

 『美晴』の身体に、突如とつじょ起こった異変。


 「あっ……!」

 「風太くん? どうしました?」


 一瞬、背筋がゾクッとした。

 これはきっと、「あの感覚」だ。男でも女でも、「あの感覚」はほぼ同じ。本当に前触れもなく、それは突然やって来た。

 

 (マズい、マズいぞ。こんな、どこだか分からない道の真ん中で、来るなんて……!)

 

 『美晴』になってから一度も「あの感覚」は来ていないので、そろそろ来てもおかしくはない。しかし、果たしてこの女子の身体で、それができるだろうか。

 

 「うっ……」

 

 女体の骨盤こつばんのせいで内股気味になっている脚を、さらに閉じる。下手に動いたら、その勢いで「排出されてしまう」かもしれないので、慎重に、冷静に。

 

 「風太くん……!?」

 

 『風太』も驚いて、立ち止まった。もと自分じぶん苦悶くもんの表情を見て、この異変にはもう勘付いているかもしれない。

 少しでも気を緩めたら、そこで全てが終わってしまう。「あの感覚」をガマンしながら、『美晴』は恥を捨てて『風太』に伝えた。


 「トイレに……行きたいっ……!」

 

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