牡丹さん、田舎に帰る
「風太くん。ほら、あーん」
「あ、あーん」
雪乃がスプーンを運び、『風太』があーんしている。
*
「げほっ、けほっ……! なな、なんで……あいつら……が……ここにっ……!?」
「急にどうしたんだ? あの二人、キミの知り合いなのかい?」
「知り合い……というか……、あれが……おれだ……!」
「ぶふっ! な、何だって!?」
女の子に「あーん」をされている方。右腕に骨折用のギプスをつけているあの男の子が、「おれだ」と、この『美晴』は言っている。噴き出さずにはいられない。
驚愕と戦慄の『美晴』&安樹に対して、『風太』&雪乃は実に和やかなムードで食事をしていた。
「もぐもぐ……。うん、おいしいよ。雪乃ちゃ……雪乃」
「えへへ。風太くん、お水も飲む?」
「それは自分でできるよ。ごめんね、いろいろ手伝ってもらっちゃって」
「ううん、仕方ないよ。右腕が使えないんだから。でも、これからは気をつけてね? サッカーの時のケガだよね、それ」
「うん。ちょっとボーッとしててさ。突然飛んできたボールを避けたと思ったら、そのままバランスを崩して、転んだ時に右腕を……って感じ」
「それで、お医者さんは何て言ってたの?」
「まだしばらくは安静に、って。治るまで、雪乃やみんなには迷惑かけちゃうかもしれないけど……」
「もうっ、世話が焼けるなぁ風太くんは。うふふっ」
話の内容から察すると、どうやらこのショッピングモールの二階にある接骨院に、二人で行ってきたらしい。右腕が使えない『風太』の身の回りの世話のため、雪乃が付き添うことになった、というところだろう。
スプーンこそ別々の物を使っているが、「あーん」をしている小学生の男女の雰囲気は、周りから見るとなかなかアツい。
「アツいね。というか、実在する人間だったんだね、風太って。あの男の子が、キミなの?」
「ああ……」
「見た目は、まぁ普通の少年だね。でも彼の中身は、本物の美晴……つまり、女の子だというわけかい?」
「そうだ……」
「いや、まさか本当にそんなことが……って、ちょ、ちょっとキミ!? どうしたんだ!?」
「ふーーっ……!! ふーーーっ……!!!」
まさに鬼の形相。
眉間にはシワが寄り、鼻息は荒くなり、全身から出る湯気と共に覇気も溢れ出した。さっきまで、そこでナヨナヨと恥ずかしがっていた女の子は、もういない。
「おれの……腕……だ……! 折りやがって……あいつ……! それに……雪乃に……あんなことまで……させて……!! ふーーっ!!」
「お、落ち着きなってば!」
「あ……? おれは……落ち着いてる……! 落ち着いてるさ……! 冷静に……あいつに……殴りかからないように……抑え込んでるんだ……! ふーーーっ!!」
「急に、どうしたんだ? あれが本来の自分なんだろ? 彼との……いや、彼女との間に、何かあったのかい?」
「あったさ……! ケンカをした……! 本気の本気……人生をかけた……ケンカ……! 勝敗は……決まらなかったけど……おれと……あいつは……決別した……!」
「よく分からないけど、ワケありなんだね。ボク、あの子と話してきてもいいかい?」
「好きに……しろ……! おれは……行かないぞ……! 美晴とは……もう……元の身体に戻るまで……話さない……!」
「分かった。……あ、ちょうど隣の子がいなくなったね。よし行ってくる」
「……待て」
「え? 何?」
「あいつに……伝言を……伝えろ……!」
「やだよ。言いたいことがあるなら、キミが直接言えば」
「デ•ン•ゴ•ン•ヲ•ツ•タ•エ•ロ……! ふぬーーっ!!」
「うわっ、分かったよ! 分かったから、その怖い顔と声やめてっ!」
『美晴』は安樹の耳元に近づき、耳たぶを噛みちぎりそうな勢いで伝言を預けた。
安樹は『美晴』から伝言を受け取ると、まずキャスケット帽を頭から取り、怒れる『美晴』にぽすっと被せた。
「ほら、代わりにボクの帽子を預かっててよ。キミは少し冷静になるべきだ」
「お、おう……」
「じゃあ、行くね」
今、『風太』のそばに雪乃はいない。食器でも片付けにいったのか、水でも取りに行ったのか、理由は分からないが、席を外している。何にせよ、『風太』と話をするなら、雪乃はいない方がいい。チャンスだ。
ルックスが女子っぽくなった帽子ナシ安樹が、『風太』の正面の席に座った。
「やっほ~。アタシのこと、覚えてる~?」
「えっ!? だ、誰!?」
話し方も変え、声色も大きく変えている。服装以外、安樹はほぼ女子になった。
互いに初対面だが、安樹は『風太』を試すことにした。
「やだな~、風太。アタシのこと忘れちゃったの~?」
「え、えーっと?」
「ほら、塾で一緒のクラスだった、『代浜サユコ』だよ~。覚えてない~?」
「あ、うんっ、覚えてる! おれ、覚えてるよ!」
「塾で一緒のクラスだった」なんて、真っ赤なウソだが、『風太』はまんまと乗っかってきた。
もう少し、探りを入れる。
「風太、最近本読んでる~?」
「えっ? 風太くんは、あんまり本を読まないハズ……」
「何言ってるの~? 塾では、いつも読書してたじゃ~ん。『おれ、学校では本が嫌いなフリをしてるんだ』って、いつも言ってたよね~」
「そうなんだ……。じゃなくて、そ、そうだったねっ!」
「アタシは最近、『メシアクエスト』シリーズを読んだよ~」
「……!」
「キミも読んだ~? あの小説~」
「め、『メシクエ』っ! 読んだ、読みましたっ! あなたも好きなんですか!?」
「うん~。序盤の仲間集めのところが面白くてさ~」
「そうっ! そうなんです! あの時のポピーのセリフが最後の伏線に……あっ、すみません、下巻も読みました?」
「一気読みしたよ~。ポピーが助けにくる場面のことでしょ~?」
「そうですっ! あぁっ、わたし以外にも『メシクエ』のファンがいたなんて……!」
「戸木田美晴は本が好き」という前情報から、読書好き小学生なら食いつきそうな話題を提供してやると、『風太』はあっさりボロを出した。
いきなり仕草や口調が女っぽくなった『風太』に内心驚きつつ、最後に安樹は預かった伝言を渡すことにした。
「それでね、『メシクエ』に中巻があるって知らなくて……」
「あ、ごめ~ん。アタシ、そろそろ行かなくちゃ~」
「そ、そうですか。またお話ししましょうねっ!」
「うん~。最後に、風太に伝言~」
「えっ?」
「本物の風太が、『その身体は必ず奪い返す』ってさ」
「……!!」
少しの間、『風太』の時間は止まっていた。
伝言を渡し終え、確かな収穫を感じながら安樹が立ち去ろうとすると、時間差で言葉の意味を理解した『風太』が、慌ててガタッと立ち上がった。
「ま、待って!」
「ん?」
「待って! あなたは何者なのっ!?」
「ごめん。ボク、もう行くから」
「お願い、待って! なんでそれを知ってるの!? どういうこと!? 戻ってきて!! まだ話は終わってないっ!!」
「じゃあね」
「風太くんからの伝言!? わ、わたし、あれから、あの人のこと、ずっと考えてたのっ! わたしからも伝えたい事があるから待って!! 待ってよっ!!」
安樹は人混みの中をすり抜けるように歩き、本物の風太が待っている場所へと帰還した。
右腕が使えない『風太』は、どうやら人混みを避けるのが難しいらしく、安樹を追いかけることができなかったようだ。
「驚いたなぁ。まさか、男の子と女の子が入れ替わるなんてことが、現実で起きてるなんて」
「これで……よく分かった……だろ……。あいつは……女で……おれが……男……」
「ああ。なんだかよく分かんないけど、ドキドキしてきたよ。未知の現象との遭遇みたいでさ」
「あのな……。そんな……面白いものじゃ……ないんだよ……。こっちは……この先の……人生が……かかってるんだ……」
「そういえば、彼女からも伝言があるみたいだね。戻って聞いてこようか?」
「いや……もう……行くな……。向こうは……雪乃が……帰ってきた……みたいだから……」
「本物の美晴も、悪い子じゃなさそうだけど」
「バカ……。あいつの……言葉に……惑わされるな……。そう思わせるのが……美晴ってやつの……手口だ……」
「ふーん。そうなんだ」
『美晴』は安樹に帽子を返却し、『風太』に見つからないように気を配りながら、二人でフードコートを後にした。
*
『風太』&雪乃と出会わないように、さっきの場所から離れ、『美晴』&安樹は三階の休憩スペースまでやってきた。休日ゆえに、ここにも人は多いが、下のフロアほどではない。
『美晴』はうつむき、安樹は斜め上をぼんやりと眺めながら、並んでベンチに座っている。
「ねぇ」
「うん……?」
「他の誰かと入れ替わるって、どんな感じ?」
「さぁ……な……。なりたい……人間に……なれるなら……、最高……なんじゃ……ないか……?」
「その、美晴って女の子は?」
「最悪……だよ……。この……姿に……なってから……、何一つ……良い事なんて……なかった……。今まで……普通に……できていたことが……急に……できなくなる……し……」
「何一つ、か。じゃあ、その身体で第二の人生を始めるって選択肢は」
「ないな……。おれは……必ず……元に……戻る……! こんな……情けない……美晴の……身体なんて……嫌だし……、おれが……おれじゃないと……雪乃は……」
「雪乃? さっき、美晴と一緒にいた子?」
「そうだ……。自分勝手……ヤローの……美晴のそばに……なんて……雪乃は……置いて……おけないんだ……」
「ふーん。なんだか、複雑そうだね」
安樹は、『美晴』の横顔をチラリと見て、この話題は続けない方が良さそうだと察した。
「それで? キミが元に戻るには、具体的にどうしたらいいの?」
「方法は……まだ……分からないけど……、手掛かりなら……ある……! 『ノート』……だ……!」
「ノート?」
「えーっと、たしか……『おね ふんどれど のて』……が……ローマ字読み……で……。図書館の人に……これを……英語に直してもらったから……。正しい名前は……『ワン ハンドレッド ノート』……!」
「んーと、つまり、日本語で言うと『100ノート』? それは何?」
「きっと……そういう……ノートが……どこかに……あるんだ……。これが……おそらく……入れ替わりを解く……カギ……!」
「『きっと』、『おそらく』……か。曖昧だね。詳しいことは、分からないのかい?」
「それは……まだ……何も……。なぁ、お前は……何か……知らないのか……?」
「いやあ、ボクは今初めて知ったところだし。そんな、『100ノート』のことなんて……」
その人物は……。
「あら、私は知ってるわよ。『100ノート』のこと」
突然現れた。
「「!!?」」
二人の背後に、ふいに現れた。
黒いマントに身を包み、フードを深めにかぶっているので、正体が全く分からない、謎の人物。唯一、背格好と高い声から、大人の女性だということは分かる。
「こんにちは。お嬢ちゃんたち」
「あ、あなたは誰ですかっ!?」
「私は、暗黒の魔女」
「暗黒の魔女!? ……ねぇ、キミの知り合いかい?」
安樹は『美晴』に尋ねたが、『美晴』は首を横に振った。知り合いに、「暗黒の魔女」はいない。
「んーふふふ。私は、あなたたち二人を知っているわ。美晴ちゃんと安樹ちゃん、でしょ?」
「「!?」」
「魔女には何でもお見通しよ。私の正体を知りたければ、私についてきなさい」
「「……」」
「ついてきなさいってば」
「ちょ、ちょっとタンマ」
安樹と『美晴』は後ろを向き、魔女には聞こえないようなヒソヒソ声で、会議を始めた。
「安樹……、どうする……? どう見ても……不審な……人……だけど……」
「たしかに、『不審な人にはついていかない』が、我々小学生の絶対的ルール。だけど……」
「だけど……?」
「この人の声、どこかで聞いたことあるんだよね。もう少ししゃべらせてみれば、思い出せるハズ」
「じゃあ……、ついていってみるか……? 本当に……『100ノート』に……ついて……知ってるなら……おれも……話を……聞いてみたい……」
「ああ、そうしよう。多分だけど、悪い人じゃないよ」
作戦会議を終了し、二人はくるりと魔女の方を向いた。
「さぁ、どうするの? お嬢ちゃんたち」
「「ついていく……! 暗黒の魔女に……!」」
*
謎の魔女につれられて、人混みをかき分け、エスカレーターで上階に昇り、四階フロアの最奥地へ。
そうして現れたのは、謎の店。外観はいかにも魔女の館という雰囲気の、怪しい怪しいお店。
「フフフ、ここは私のお店よ。『ウィッチズ・マジカルショップ』」
店の看板には、確かにその名前が英語で書かれている。
しかし中に入ると、木造の陳列棚には一つも商品がなく、代わりに怪しいグッズがたくさん入った段ボール箱が数個、床に適当に置かれていた。
「へぇ、これが魔女さんのお店ですか。なかなか繁盛してますね」
「うぐっ……!? 安樹ちゃんは皮肉屋ねぇ。遠慮せずに、はっきりと言いなさいな」
「もうすぐ……潰れる……みたいだな……。この……変な……店……」
「うぐぐ……! 美晴ちゃんは、もっと言葉を選びなさい。……そうよ。閉店準備中。明日、全ての荷物をまとめて、来週には田舎に帰る予定なの」
「田舎? 魔法の国ですか? ほうきに乗って帰るんですか?」
「違うわ、安樹ちゃん。しばらくは、ほうれん草を作っている農家の両親の手伝いをして過ごすつもり。電車でのんびり帰るわ」
「……」
暗黒の魔女は、店の奥から西洋風のイス(ロッキングチェア)を引っ張り出し、「よいしょっ……」と座った。
安樹は、500円の値札がついたクモの人形を弄っている『美晴』に近づき、魔女をチラリと見た後、そっと耳打ちした。
「やっぱりだ。ボク、あの人の正体が分かった」
「え……? それ……本当か……? 誰なんだ……あの人……」
「今から直接、彼女に確かめてみるよ。ちょっとここで聞いててね」
『美晴』はクモの人形を箱に戻し、魔女に向かっていく安樹を見守ることにした。
「そうですか。田舎に帰っちゃうんですね」
「ええ、そうよ。安樹ちゃん、もしかして……私との別れを惜しんでくれるの?」
「いえ、別に。あなたの事情に、そこまで興味ないですし」
「なっ!? ちょ、ちょっと、それは冷たいんじゃないの!? 恋愛小説について、いろいろ語り合った仲じゃない!」
「はぁ……。やっぱりあなたでしたか。牡丹さん」
「!?」
牡丹さん。
月野内小学校の図書室でボランティアをしている、あの陽気なお姉さんの名前だ。
安樹とは話題の本について語り合ったことがあり、『美晴』とも「貸し出しカード」について、数日前に話をしている。そしてもちろん、図書室の住人である美晴とも面識があるようだ。
「ししし知らないわ! ぼっ、ぼぼぼ牡丹さんなんて! 私は暗黒の魔女っ!!」
「人違いですか。じゃあいいです。一人寂しく、田舎におかえり」
「も、もうっ! なんでそんな意地悪言うのよ! 以前、図書室で私がオススメした本、面白かったでしょ!?」
「いえ、ボクの趣味には合いませんでした。ごめんなさい」
「なぁっ!? ひどい、ひどいわっ! 安樹ちゃんがひどいわ、美晴ちゃーーん!!」
「呼んでも無駄です。あの子は美晴じゃない」
「はぁ!? ど、どこからどう見ても、美晴ちゃんだけど……」
「違います。たしかに、見た目は美晴という女の子ですが、中身は二瀬風太という男の子です」
「ふ、二瀬風太? な、何? どういうこと!?」
「今、風太と美晴は、入れ替わってるんです! 『100ノート』の力によって!」
「な、なな、なんですってぇーーーっ!?」
安樹が言葉の勢いでそばにあった机をバンと叩くと、暗黒の魔女……もとい牡丹さんは、その勢いに驚いて、イスごとひっくり返った。
「いたた……。そ、それはホントなの!? 本当に、あの『ノート』の力で……!?」
「ええ。だから、話してもらいますよ。この奇怪な入れ替わり現象についての全てを」
「な、なるほど……。だいたいの事情は分かったわ。私の知る限りのことを、話してあげる。私にも、その……少し責任があるみたいだし、ね……!」
「責任? 牡丹さんが?」
「ええ。6年2組の戸木田美晴ちゃんに、『100ノート』の存在を教えたのは、この私だから……!!」




