あーんして
「ん?」
「美晴と……身体が……入れ替わってるんだ……!」
「んん??」
「おれは……元々……男で……! 1組の……二瀬……風太……なんだけど……、今は……身体を入れ替えられた……せいで……2組の……戸木田……美晴の……姿に……なってるんだ……!」
「んんん???」
安樹が想像していた「思春期の悩み」とは、かなり毛色が違った。安樹はてっきり、人間関係とかそういう……リアルな感じの悩みかと思っていたのだ。
「え、えーっと?」
「だから……おれは……! 元の……身体に……戻りたくてっ……!」
「あーっ、ま、待って! まだ飲み込めてないよっ!」
「おれ自身も……こんなの……信じられなかったけど……! 本当なんだっ……!」
「落ち着いてってば! 一つ一つ、順番に話そうよ!」
「うん……!」
「そうだなぁ……。まず、キミは誰? 何者なの?」
「おれは……6年1組の……二瀬風太……! 男子だ……!」
「ふむ」
安樹は口元に手を添え、美術館の彫刻を鑑賞するかのように、『美晴』をじっくり見た。
そして、『美晴』の長い黒髪を撫で、ほっぺたをぷにぷにし、スカートをひらひらした後、最後にふよんと『美晴』の胸に手を置き、こう言った。
「わかった」
「なんだよ……。ベタベタ……触りやがって……」
「キミは女だ」
「は、はぁ……!? 男……だって……言ってるだろうがっ……!」
「だって、おっぱいがあるし」
「身体は、なっ……! この……美晴の身体と……入れ替えられたんだよっ……! 中身は……男で……! 名前は……風太なんだって……!」
「そのフータとやらは、実在する人?」
「当たり前だろっ……! 真面目に……聞けっ……!」
「うーん。キミは、美晴という女の子になっちゃったフータという男の子だ、って言いたいのかな?」
「そうだ……! おれは……美晴になって……美晴は……おれになった……!」
「なるほど。イメージというか、仕組みはだいたい分かったよ。美晴……じゃなくて、フータでいいのかな? キミは」
「そうだ……! 『風』に……『太い』で……『風太』っ……!」
「風太、ね。分かった分かった。うーん、そうか……男の子かぁ……」
安樹の心の中では、「信じる」と「信じない」が30:70だった。
もしかして、もしかすると、本当のことを言ってるかもしれない、が30。「わたしには男の子の人格があって、その子は風太って名前なの」と、架空の設定を作り込むような、思春期特有のこじらせ方をした、不思議系女子の美晴ちゃん、が70。
(たまにいるんだよね……。『わたしは実は猫なの』とか、『外国のお姫様の生まれ変わりなの』とか、ちょっとおかしなことを言い出す女の子は。そういう子への対応としては、その妄想を強く否定するのではなく……)
「優しく肯定してあげるのが、吉」
「あ……!? 一人で……何を……ブツブツ……言ってるんだ……?」
安樹は、諭すような暖かい目になった。
(分かる。分かるよ、美晴。キミは見た目からして、『活発』とは縁がない、陰キャタイプの女子だもんね。明るく元気な男の子みたいになりたいって思うよね……。そりゃあ、こじらせちゃうよね……)
「分かった。よーく分かったよ」
「本当か……? 本当に……分かってくれた……か……?」
「風太、だよね? キミは本来は男の子だけど、美晴の姿に変えられてしまった」
「うんっ……! そうだ……その通りだ……! やっと……分かって……くれたか……!」
「ああ。よく見ると、キミは節々に男らしさが溢れてるよ」
「そ、そうか……!? おれ……ちゃんと……男に……見えてるのか……!?」
「もちろん。いよっ、日本男児!」
「うわ、うわぁっ……! や、やったーーっ……!」
安樹は、心にもないセリフで適当に褒めたが、単純な『美晴』は素直に受け止め、大いに喜んだ。
『美晴』の笑顔を見て、安樹は「うーん、やっぱり女の子にしか見えないな……」と思った。
「ありがとう……安樹……! 今まで……誰にも……言えなかったんだ……! ずっと……独りで……悩んでた……!」
「大変だったみたいだね。キミの力になれて、ボクも嬉しいよ」
「お前……本当は……いいやつ……なんだなぁ……! さっきは……ごめん……な……。これからは……仲良く……しようぜ……!」
「フフッ、照れるな。こちらこそ改めてよろしくね、風太。ボク、この学校に来て良かったよ」
「えっ……? 今……何て……」
キーンコーン。
完全下校のチャイムが、二人の会話を遮るように鳴り響いた。
太陽は沈み、辺りはだんだん暗くなってきている。
「おや、もうこんな時間だね」
「あっ……。帰る……のか……? 安樹は……」
「うん。そろそろ夜になっちゃうしね。話の続きは、また今度にしよう」
「で、でもっ……! お前……とは……次に……いつ……会えるか……分からない……」
「うーん。来週の月曜日には、また学校で会えると思うけどね。多分」
「でも……その……えっと……」
来週の月曜日。土日を挟むので、少し日が空いてしまう。
やっと現れた唯一の理解者を、簡単に手放したくなかった。女々しいと知りつつも、もっと安樹と話していたい、これまでの苦労話なんかをずっと聞いていてもらいたい、と、『美晴』は強く願っていた。
あからさまに別れを惜しむ『美晴』を見かねた安樹は、悩んだ末に、ある提案をした。
「じゃあ、明日は?」
「えっ……?」
「明日、土曜日だよね? もしキミの都合が良かったら、どこかに遊びにいこうか。二人で」
「う……うんっ……! 行く……! 行こう……! どこがいいっ……!?」
「フフッ、笑顔が戻った。キミは良い顔をするね」
「う、うるさいなっ……! 場所は……『メガロパ』で……いいか……? あそこには……色々な店が……あるし……」
「ああ、あのショッピングモールね。OK。じゃあ、10時30分ごろに集合しようか。それでいいね?」
「おう……。遅れずに……来いよ……?」
「そっちもね。じゃあ、また明日」
二人で校門を出た後、互いに手を振り別れのあいさつをした。
真逆の方向の帰り道をそれぞれ歩きながら、互いの背中が見えなくなったところで、『美晴』は満足げな表情で一言、安樹は小さな笑みを浮かべて一言、呟いた。
「よし……! まだ……変われる……! おれは……まだ……風太で……いられるんだ……! 絶対に……手放すなよ……! 安樹は……おれにとっての……最後の……希望だ……!」
「入れ替わり、か。男でもあり、女でもある存在ってところかな? そんな理想的な存在が、もし本当にいるとしたら、ボクにとっての最後の希望になるんだろうか……」
*
そして、約束の土曜日。
大型ショッピングモール「メガロパ」の、エントランス付近に、『美晴』はいた。
休日ということもあり、混み具合はなかなかのもので、もし小さな子(雪乃など)を連れている親がいるなら、迷子になってしまわないように、気を付ける必要がある。
現在の時刻は、10時45分。
「遅い……! だから……遅れずに……来いって……言ったのに……!」
美晴の「お出かけスタイル」に身を包んだ『美晴』は、少しイライラしながら安樹を待っていた。そのイライラは、もちろん遅刻に対する苛立ちなのだが、若干寝不足のせいでもあった。なんだかドキドキしてしまって、昨日はあまり眠れなかったのだ。
「あ、あくびが……。ふわぁ……」
ドンッ!
「あ痛っ……!?」
「チッ、いってぇな! マジ邪魔!」
「す……すみません……」
ふわぁとあくびをした瞬間、通行人に肩がぶつかってしまった。
幸い、ケンカにはならずに相手は通り過ぎて行ったが、やはり、周りに注意する必要がある。
「なんだよ……あいつ……。いかにも……悪って感じの……女だな……」
『美晴』がぶつかったのは、パンキッシュな格好をしたギャル3人の集団だった。
ヤンキーとまではいかないが、素行は悪そうな感じの女の子3人。派手なメイクのせいで大人びて見えるが、年齢は風太や美晴と変わらないぐらいだろう。
「ああいう……タイプは……苦手だな……。女子には……もっと……落ち着きがあって……ほしいよ……」
「ほうほう。おしとやかに、ってこと?」
「そうだ……。まず……言葉遣い……から……優しく……しないと……。『~だよ』とか……、『~ですよ』……、みたいにさ……」
「驚いたなぁ。ボクの胸ぐらを掴んだキミが、そんなこと言うなんて」
「ん……? お前っ……! あ、安樹っ……!?」
しれっと、安樹がいた。
服装はいつも通り、落ち着いたボーイッシュ系。そして頭には、トレードマークのキャスケット帽。
「やあ。遅れてごめんね。待たせちゃった?」
「待ったぞ……! 30分もな……!」
「30分? 約束の15分も前から来てたの? 律儀だね」
「別に……そういうわけじゃ……ないけど……。なんていうか……もしかしたら……お前はもう……来てるかな……って」
「フフッ。ボクに会えるのを、楽しみにしてくれてたんだね。嬉しいな」
「な、なんだとっ……!? テメェ……遅れて来た……くせに……調子に……乗るなよ……!」
「わわっ、殴らないでっ! 乱暴な女の子はダメだって、キミ言ったばかりじゃないか!」
「うるさいっ……! おれは……男だ……!」
キャスケット帽を奪い取り、ポコッと頭にゲンコツを喰らわせ、帽子を返してやった。
「あはは、手厳しいな……。遅刻は厳禁だと、肝に銘じておくよ」
「お前さぁ……。前から思ってたけど……しゃべり方が……なんか……変だよな……。小難しいって……いうか……」
「うん? そうかな? まぁ、本を読むのが好きだからかもね」
「へぇ……。本が……好きなのか……。美晴と……同じだな……」
「えーっと、美晴っていうのは、その『身体の』ってこと?」
「そうだ……。こいつは……本を食べて……生きてるみたいな……女なんだ……」
「ふむ、話が合いそうだね。月に何冊ぐらい読むの?」
「それは……知らない……。おれに……聞かれても……困る……」
「ああ、そういう設定だったね。キミは、男の子の風太、だっけ」
「ん……? 設定……?」
「いや、気にしなくていい。なんでもないよ。それじゃあ、まずは本屋さんから行こうか」
「お、おう……」
*
書店コーナーで、二人は漫画や小説を見て回った。
安樹も美晴のように幅広いジャンルを読むらしく、難しそうな小説から風太が好むような少年マンガまで、満遍なく手に取っては、パラパラと流し読みしていた。読書にはあまり興味がない『美晴』も、マンガは読むので、最近読んだマンガについての話になると、二人の会話は明るく弾んだ。
そして、時間は正午を過ぎた。ほどよいランチタイムだ。
書店コーナーを後にして、現在二人は「メガロパ」の一階にあるフードコートにいた。こんな時間帯なので、さっきより一層混み合っている。
「結局……何の本を……買ったんだ……? 安樹……」
「ああ、『奪LOVE』の新刊だよ。キミ、知ってるかな?」
「知らない……。それ……マンガ……か……?」
「いや、恋愛小説だよ。こういうのは読まない?」
「読んだこと……ないな……。面白い……のか……? それ……」
テーブルを挟んで、二人は向かい合わせに座っている。
安樹の前には、バジルソースの本格イタリアンパスタ。
『美晴』の前には、トンカツカレー(極小)。
「キミさ、意外とそういうの似合うんだね」
「んぐっ? もぐもぐ……。なんだよ……いきなり……」
「服装だよ。それ、ワンピースだよね?」
「ん……。うん……そうだけど……」
「そのカーディガンと合ってると思うよ。学校には、そういう派手めな服を着てこないの?」
「いや……、これは……美晴が……どこかへ……出掛ける時の……服だから……」
「ふーん、けっこう可愛いのに。デート用かぁ」
「ぶふっ……!? で、デートぉ……!?」
「えっ? 違うの?」
『美晴』は思わず、米を噴き出してしまった。汚い。
安樹に言われて初めて気が付いたが、確かにそう見える気がする。『美晴』は自分の格好を改めて確認し、急にとても恥ずかしくなった。
「なぁ……安樹……?」
「ん? どうしたの、真っ赤になって」
「そう……見えるのかな……。周りから……見たら……」
「うーん、そうだね。ボクが男の子みたいな服着てるから、ますますデートみたいに見えるかもね」
「お、おれ……恥ずかしい……」
「大丈夫だよ。むしろ、そんなにナヨナヨしてる方が女の子っぽいよ」
「脱ぐ……」
「痴女か」
「もしくは……お前が……脱げ……」
「はいはい。午後は洋服でも見に行こうね」
「あ、あのさ……。あんまり……そういう……意識するようなこと……言わないで……くれるか……?」
「分かったよ。ほら、カレー食べさせてあげるから、『あーん』して」
「いや……だから……それは……カップルがやるやつだろ……! やめろってば……!」
「あはは、面白いなキミは」
『美晴』はこいつをぶん殴ってやろうと思ったが、途端に周囲の目が気になり、あまり目立った行動には出られなかった。
だから、テーブルの下で、安樹の脚をガツンと思い切り蹴った。
「痛っ!?」
「ふん……。罰だ……」
「いてて……。別に『あーん』ぐらい、恥ずかしがらなくてもいいのに」
「そんなこと……したら……注目が集まる……だろ……!? 写真とか……撮られる……かも……」
「大袈裟だよ。ほら、向こうにいるカップルも、何の恥じらいもなくやってるし」
「はぁ……?」
安樹が指さす方向に、『美晴』はくるりと振り返った。
こんな真っ昼間から、どこのバカップルがそんな軟派なことをやっているのかと、一目見てやろうと……。
「なっ……!?」
それを見た瞬間、驚きのあまり、『美晴』の口の中の米粒は気管支に飛び込み、『美晴』を盛大にむせさせた。
「うぇっほ……!!? えほっ、ゲホッ、ゴホッ……!?」
「わわっ、大丈夫かい!? ほら、お水飲んで」
「な、なんで……ゲホッ!? なに、けほっ、やってんだ……!? うぇっほ……!」
「ん? 何を言ってるの?」
「ゲホゲホッ……! あれは……ゴボッ、雪゛乃……と……美晴゛……だ……!」




