ボクの彼女
また泣いてしまった。
肩は震え、大粒の涙が地面にポタポタと零れる。
「ぐっ……! うう゛ん゛っ……! だ……ダメ゛だ……!」
風太は、めそめそと泣くのは男らしくないと思い、冷静になるために自分のほっぺたをバチンバチンと叩いた。しかしそれを、美晴の身体はただの痛みだと判断し、より一層の涙を溢れさせた。
「ぐすっ……。こ、こんな゛ことぐらいで……泣くなよ゛っ……! いつもの゛ことっ……! 泣ぐの゛は……女だぞ……! 美゛晴だぞっ……!! ひぐっ……!」
必死にブレーキをかけようとしても、止まらない。
失敗して笑われたことよりも、この『美晴』の姿で男子のみんなとのサッカーに混じろうとしていた自分が、あまりに滑稽で恥ずかしかった。愚かにも抱いてしまった小さな願いを、脳は忘れたい記憶かのように無理やりかき消し、過去の自分と今の自分を重ねることさえさせなくなった。
風太は、6年1組の男子たちと今の自分には絶望的な大きさの壁があると、思い知った。健也たちと遊んだあの輪の中には、もう帰れない。
「う゛ぅっ、んっ……!」
(おれが、おれじゃなくなっていく……。風太じゃなくなって、美晴になっていく……。このまま行くと、最後に……おれはどうなってしまうんだろう……)
「全然……何も……止められない……。おれは……もう……」
「ふぅ、やっぱりここか。いいよな、この場所」
「!?」
『美晴』が振り返ると、そこには健也がいた。
ここまで走って来たようだが、全く息切れしていない。汗一つかかず、いつものように気さくに話しかけてきた。
「大丈夫か? さっき転んだ時、ケガとかしてないか?」
「わっ……あ、く……来るなっ……!」
風太なら恥ずかしくて女子に言えないようなセリフも、健也はごく自然にあっさりと言った。この辺りは、女子と接する経験値の差かもしれない。
心配そうに歩み寄ってくる健也に対して、『美晴』はまたさらに逃げだそうとした。しかし、三歩も進まないうちに、腕をガシッと掴まれてしまった。
「は、放せっ……! 健也っ……!」
「嫌だ。まだお前との話が終わってねぇ」
「お前と……話すこと……なんて……ないよ……! どっか……いけ……!」
「お前がなくても、おれはあるんだよ。後味の悪いまま消えていくんじゃねえ。気になって夜も眠れなくなる」
「じゃあ……寝るな……! 朝まで……ずっと起きてろ……! このバカ……!」
「バカは言い過ぎだろ。初対面の相手なのに、よくそこまで言えるなあ」
「お、お前だって……! 初対面の女に……気安く……触ってる……だろうが……! 腕を……掴むなっ……!」
「ははっ、確かにそうだな。でも、なんだかお前は、普通の女子とは違う感じがするんだ。本当に不思議な感覚だけど、初めて会った気がしないみたいな……」
「う、うるさいっ……! この……手を放せっ……!」
「なっ!? うわっ!?」
ベチンッ。
拘束から逃れるため勢いよく腕を振るうと、『美晴』の右手は健也の目に当たってしまった。男子同士がふざけているとよく起こる、事故だ。
「あぁっ……! け、健也っ……!?」
「痛え……」
『美晴』の望み通り、健也は手を放した。しかしそれは、痛みに耐えながら右目を押さえているからだ。
「お、お前が……悪いんだぞ……! おれの……腕を……掴んだりするから……!」
「……」
「なにか……言えよ……! 別に……大丈夫……だろ……? こんなぐらい……」
「……」
「いや、あのっ……その……ごめん……。大丈夫か……? 前……見えるか……? まだ……痛むのか……? ちょっと……様子を……みせてくれ……」
事態は深刻かもしれない。そう思った『美晴』が、心配そうに近づくと、健也はニヤリと笑い、今度は『美晴』の両肩をガシッと掴んで、さらにしっかりと捕縛した。
「なっ……!?」
「へへへ、捕まえたぜ。おれの友達のあいつぐらい単純だな、お前は」
「この野郎……放せっ……! 卑怯だぞっ……健也……! おれは……本気で……心配……したんだからな……!?」
「うん、ありがとな。おれは卑怯者だけど、お前は優しいな」
「だっ、黙れっ……! さっきから……なにが……したいんだよ……お前……!」
「決まってるだろ。お前とサッカーやりたいんだよ、おれは」
「……!」
現在の、この二人の様子を、遠目から見る。
他には誰もいない、体育館裏。
真正面で少女の肩をしっかりと掴み、真剣な瞳で気持ちを伝えている少年。少年のその言葉を聞いて、トクンと心打たれたような顔をしている少女。
男女が見つめ合い、何かドラマチックなことが起こりそうな雰囲気になった……が、中身は男女関係ではないので、実際にそういうことは起こらなかった。
じっと見てくる健也に対して、『美晴』は目を伏せ、言い放った。
「無理……だよ……。今はもう……それは……できないんだ……」
断られはしたが、健也は食い下がった。
「何言ってんだよ。やりたいんだろ? ほら、早くグラウンドに行こうぜ」
「気が……変わったんだよ……。誘ってくれるのは……嬉しいけど……、もう……いいんだ……。お前は……一人で……グラウンドに……戻れ……」
「ああ、さっきのことか? あんなミスぐらい、誰にだってあるから、気にすんなよ。派手に転んで笑われることなんて、おれだってよくあるぜ」
「違う……。もう……いいんだって……」
「勘太も、謝りたいって言ってたしさ。あいつも悪い奴じゃないんだ。許してやってくれよ」
「知ってる……。もう……いいから……行けよ……」
「おれ、ちょっと嬉しいんだよ。うちのクラスの女子は、男子に混じってサッカーやりたいなんて、自分からは言ってくれないから。あんまり興味ないみたいでさ」
「知るかよ……。うるさい……語るな……」
「でも、お前がチームに入って、女子でも楽しめるってことが分かれば、他の女子たちもやってくれそうだろ? 確かに、ケガの心配とかはあるけど、おれは男子も女子も関係なく、みんなで一緒に遊びたいんだ……!」
「違う……違う、黙れ……!」
「だからさ、お前みたいな女子は、なんていうか……おれにとっては『希望」
「いい加減にしろっ……!! お前の話……聞いてると……頭おかしくなりそうなんだよっ……!!」
ボコッ。
「ぶっ……!」
『美晴』は肩に置かれた手を振り払い、強く握った右拳を、身体の捻りと共に繰り出した。
拳は健也の左頬を見事に捉え、健也はその衝撃により、2歩ほど後ずさりした。そして、地面に赤色混じりのツバを吐いた。
「ぶふっ……!」
「はぁっ……はぁ、はぁ……! やっと……黙ったか……!」
「……」
「痛い……だろ……! 口の中でも……切ったか……? これ以上……痛い目……見る前に……早く消えろ……!」
「別に。痛くねえ」
「な、何っ……!?」
「今、手加減しただろ。お前は本当に優しいんだな」
「うわぁあああっ、黙れっ……! うるさいんだよっ……! お前を……本気で……殴れるわけないだろっ……! 健也にも……他のみんなにも……こんな、弱くて……情けなくて……カッコわるい……姿を……見せたくないんだって……! 分かれよっ……! 頼むから……分かってくれよ……! くそ、くそ、消えろっ……! なんで……こんな……女なんだよ……おれはっ……!」
長い髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、『美晴』は思いの全てをヒステリックに叫んだ。苛立ちと葛藤による頭痛で、顔面は涙と鼻水の大洪水となり、何度ぬぐってもそれは止まらなかった。
「ううぅ……、ぐすんっ……! うん゛んっ……!」
「お前は、一体……」
コツ、コツ、コツ……。ブーツの足音。
真っ赤な顔で泣いてうつむく『美晴』と、彼女の傍に立ってただ見ている健也に、近づいている。
「いや、まさかそんな……。でも、もしかして……お前……」
健也が何かに勘づいてそう言いかけた時、彼の背後で、謎のブーツの足音が止まった。
「誰だい? ボクの彼女を泣かせているのは」
「「……!!?」」
キャスケット帽を被ったそいつは、怪しい笑みを浮かべながら、二人の前に現れた。




