バカアホ目ん玉クリクリゴミクズクソ女
そこには、6年2組学級委員の五十鈴がいた。
美晴より長く明るめのロングヘアを、今日は上品に花の髪飾りで彩っている。ほんわりと良い香りがするのは、おそらく香水か何かをつけているからだろう。
「何しに来たって? もちろん学級委員の仕事をしに来たのよ。ふふっ、今はあなたの味方ってところかしら」
「黙れっ……! そもそも……お前たちの……せいで……!」
「口の悪さも健在ね。声が震えてるから、全然怖くないけど」
「くっ……! もう……いいから……、その給食……持って……教室に……帰ってくれよ……。今は……お前たちの……相手を……している場合じゃ……ないんだ……」
「あら、残念。でも、あなたがそういう考えなら、しばらくは平和な日々が続きそうね」
「あ……? どういう……意味だ……」
「朗報よ。蘇夜花は、この前の『バニーガール』で、かなり満足したみたい。だから、しばらくは様子見だって」
「様子見……?」
「つまり、あなたが蘇夜花の興味を惹いたりしなければ、今は何もしてこないわ。せいぜい静かに暮らすことね」
「けっ……! 別に……蘇夜花が……何もしなくても……、真実香や……界なんかが……また……嫌がらせを……してくるんだろ……! おれの……敵は……お前ら……6年2組の……全員だからな……!」
「へぇ、あなたにはそう見えるのね。別に、そう思うのは勝手だけど、虚勢を張るのもほどほどにしておきなさい」
「お前だって……そうだ……! たかが……蘇夜花の……子分のくせに……調子に……乗るなよ……!」
「子分? わたしが、蘇夜花の……?」
ピクリと、五十鈴が今の言葉に反応した。
「いい加減に……」
「うわっ……!? なんだっ……!?」
「しなさいっ!!」
パチン。
五十鈴は『美晴』の前髪をサッとめくり、おデコにデコピンを喰らわした。素早い動きで、その間わずか1秒とちょっと。
「ーーーーーっ!!!!」
絆創膏で傷口をふさいであるとは言え、痛みはとても激しい。『美晴』は声にならない悲鳴を上げて、悶え苦しんだ。精神力は男子でも、ダメージに対する耐性は女子なので、おまけに女々しく涙目にもなった。
「ほら、弱いクセに調子に乗らない」
「いきっ……はぁ、はぁっ……! いきなりっ……何を……するんだっ……! ぐすんっ……」
「前にも言ったはずよ。蘇夜花はあなたが苦しむ姿を見て楽しんでるけど、わたしはそんなことに興味はない。わたしは、蘇夜花とは違うのよ」
「は、はぁ……? 五十鈴と……蘇夜花を……一緒にするなって……? だったら、お前は……何が……したいんだよ……!」
「……!」
無言。
「……」
「……?」
そして五十鈴は、『美晴』の質問を無視した。
「何よ、今さら……。もう後戻りはできないんだから」
「……??」
「とにかく、もう学校には来ないで。それで、面倒なことは全部終わるから」
「そうしたいけど……それは……無理だ……。こっちにも……いろいろと……事情が……あるんだよ……」
「はぁ……。あなたと話してると、本当に頭が痛くなるわ」
「痛いのは……こっちだ……! デコピンなんか……しやがって……! とにかく……もう……どっか行けよ……!」
「黙って。すぐに消えてあげるから、少しだけわたしの言うことを聞いて」
「言うこと……? どうせ……また……ろくでもない……ことを……」
「胸、見せて」
「えっ……?」
「服を捲って、わたしに胸を見せて」
「えええっ……!? な……何言ってるんだっ……!!?」
「静かにしなさい。わたしの言う通りにして」
「いっ、嫌だ……! どうせ……また……変なこと……企んでるんだろ……!」
「企み? そんなものないわ。今この時間だけは、あなたの味方だと言ってるでしょう? どうしたら信用してもらえる?」
「じゃ、じゃあ……先に……給食の……クレープを……寄越せ……」
『美晴』がその言葉を言い終わるのとほぼ同時くらいに、五十鈴は『美晴』の手元にクレープをポイッと放り投げた。
「はい。他には?」
「そ、『蘇夜花の……バカ……アホ……目ん玉クリクリゴミクズクソ女』……って……言ってみろ……」
「蘇夜花のバカアホマヌケ目玉クリクリ性悪ゴミクズクソうんこキモ女」
「えっと……その……。おれ……そこまでは……言ってない……」
「時間がないの。わたしの気が変わらないうちに早くして」
「……」
『美晴』は無言で、少し考えた。
そして、ものすごく不本意でかなり嫌そうな顔をしながら、『美晴』は自分が着ているシャツを裾からゆっくりと捲り上げ、11歳にしては発育の良い胸を露出させた。
「ほ、ほら……。これで……いいのか……?」
「ええ。相変わらず、グロテスクなお腹ね」
「もう……いいか……?」
「ううん。そのまま、しばらく捲っておいてね」
「いっ、い、いや……少しだけ……だって……!」
胸を見せている『美晴』を放置して、五十鈴は懐をゴソゴソと漁り、歯みがき粉のような謎のチューブを取り出した。そして、それのキャップを外し、にゅ~っと出てきた中身を自分の指に乗せ、『美晴』に近付くと……。
ぴとっ。
「ひゃあぁうっ! つ、冷たいっ……!!」
『美晴』の鎖骨と胸の間のあたりに、五十鈴はそっと触れた。
「ちょっと、変な声出さないでよ。じっとしてなさい」
「きゅ、急に……触るなっ……! 何だよ……それ……! おれの……身体に……何をつけたっ……!?」
「ただの塗り薬よ。市販の物より高価だけど、火傷や腫れにはよく効くらしいわ」
「ワケが……分からないぞ……! どうして……お前が……そんなもの……持ってるんだ……!?」
「わたしの親の職業は、美晴も知ってるでしょ? こっそり持ち出してきたのよ。はい、もっと身体をこっちに向けて」
「ひゃうっ!?」
「こら、いちいち騒がない」
「あ、あの……。どうして……お前が……こんなことを……?」
「今だけは、あなたの味方だからよ。それに学級委員としても、中途半端な子の扱いが、一番面倒くさいからね」
「え……? ちゅ、中途……半端な子……? おれが……?」
「そうよ。わたしとしては、さっさと美晴に不登校になってほしいんだけど、不登校になる気がないなら、ちゃんと出席しなさい」
「お……おれだって……学校なんて……来たくは……ないけど……。この……苦しみと……痛みが……お前に……分かるのかよ……!」
「分からないわ。でも、だからこうやって治療してあげてるんじゃない」
「お前が……火傷させて……、お前が……治すのか……。行動が……意味不明……だな……」
「ええ。でも、わたしがこんなにややこしいことになったのは、あなたのせいでもあるのよ。美晴」
「お前の……事情なんか……知るかよ……。バーカ……!」
「生意気」
五十鈴は、『美晴』の腹の塗り作業をしつつ、少し上にある膨らみを下からグッと掴んだ。
「うひゃあっ……!?」
*
五十鈴は、その後も丁寧に塗り込み続けた。そして『美晴』は、捲り上げたシャツを恥ずかしそうに持ったまま、その様子を黙って上から見ていた。
途中で一度、『美晴』は「おれが……自分で……塗るから、その薬を……貸してくれよ……」と申し出たりもしたが、五十鈴は「素人には無理よ」と適当なウソをついて、取り合おうとしなかった。
「も、もう……いいんじゃないか……?」
「ええ。後はガーゼを被せておしまいよ。とりあえず、『バニーガール』の時にできた血豆や火傷は、なんとかなりそうね」
「なぁ、五十鈴……。この……腹の……でっかい火傷痕は……ずっと……消えないのかな……?」
「さぁ、それは分からないわ。大きな病院で、皮膚の手術をすれば治るかも」
「やっぱり……病院……か……。病院は……ダメ……だな……。身体もだけど……脳とか……精神なんかも……今……検査されると……困るし……」
「……」
『美晴』の言葉は、もう五十鈴の耳には届いていなかった。粗方、治療は施し終えたようだが、手を止めて『美晴』の胸をじーっと見ている。
「な……なんだよっ……! もう……終わったのか……!?」
「ええ。これで終わりだけど。……ねぇ、美晴?」
「あ……?」
「あのね、これはわたしの推測なんだけど……」
「推測……?」
「あなた、今……好きな人がいるでしょ」
「は、はぁっ……!!?」
「恋人がいる、とか?」
「こびゅ、こい、恋人っ……!!!?」
五十鈴にそう言われて、『美晴』はなんとなく、本当になんとなく、全く関係はないのだが、雪乃のことが頭に浮かんだ。
(いや違うっ! 違う違う違うっ!! 雪乃は違うっ! 雪乃は、そういうのじゃないんだって! 友達……! そうだ、友達なんだよっ! 雪乃は関係ないだろっ!)
『美晴』は首を左右にぶんぶんと激しく振って、変なイメージをすぐに頭からかき消した。
(……というか、そもそも五十鈴は、おれじゃなくて美晴のことを言ってるんだ。風太のことじゃない。落ち着け、落ち着け……!)
「な……なんでそうなるんだよっ……!! 適当なこと……言うな……! 五十鈴っ……!」
「あら、違う? 美晴には好きな人はいないの?」
いる。
(いる、けど……。美晴は、『図書室で会える男の子』とかいうやつのことが、好きらしいけど……)
しかし、言うわけにはいかない。
「知らないよっ……! いないだろ、多分……! どうして……そう思うんだ……!」
「そうね……。あなた、普段の服装は地味だけど、下着はさりげなく可愛いのを選んでるし」
「こ、これかっ……!? これは……別に、家に……あったのを……適当に着けてる……だけだ……!」
「好きな男の子を誘惑するため、とか?」
「しないっ……!!」
「あと、最近しゃべり方が粗暴になったわね。敬語も、ほとんど使わないし」
「そ、そんなことね……ない……ですよっ……!」
「ふふっ。身近に、やんちゃな男の子でもいるのかしら? あなたの家族に男はいないみたいだけど、一体誰の影響?」
「かっ、勝手に……決めつけるな……ですよ……!」
キンコーン。
わりと静かな保健室に、昼休み終了のチャイムが響く。今回もまた、絶妙なタイミングだった。
「ほら、もう……そこを……どき……なさい……! おれ……じゃなくて、わたし……教室に行く……のです……!」
「あら、ごめんなさい。五時間目の授業が始まるわね」
「薬の……お礼は……言わなくても……いいんです……だよな……?」
「ええ。もう味方だと思ってもらわなくても結構よ。不登校になるまで、せいぜい頑張りなさい」
ベッドのカーテンを開け、五十鈴は去っていった。
『美晴』は口にクレープを咥え、もひもひと手を使わずに頬張りながら、まずは乱れていた服装を直した。
*
(さっき五十鈴が言っていたことは、本当みたいだな)
その日の午後。
休憩時間の蘇夜花は、五十鈴や他の女子たちと楽しくおしゃべりをするのに夢中で、『美晴』の方へ視線を送ることはなかった。
先週の『バニーガール』の件で、蘇夜花以外の連中から多少の陰口なんかはあったものの、嫌がらせなどのアクションは特になく、意識しなければ無視できる程度のものばかりだった。
(蘇夜花が何もしてこないなら、元に戻る方法を探すことに集中できるな。今はおれも、自分のことだけを考えよう)
蘇夜花たちは、絡んで来ない。
美晴とは、もう会って話す気はない。
雪乃には、今の自分では何も出来ない。
相変わらず孤独だが、状況はとてもシンプルになった。
(『ノート』について調べて、おれの身体を取り戻す方法を見つける。この一点に集中だ)
しかし、ふと「図書室で会える男の子」についての謎が、『美晴』の頭によぎった。
先ほど五十鈴が、「美晴には好きな男の子がいる」とか、変なことを言ったせいだ。やはり、言われると気になってしまう。
(いや、それはどうでもいいだろっ! 「図書室で会える男の子」のことは……余裕があったら、ついでに調べておく程度だ。美晴の好きな男がどんな奴なのか暴いて、えーっと、暴いて……どうしよう?)
結局、これから解き明かしていく謎として、「入れ替わりに関係してるかもしれないノート」と「図書室で会える男の子」の二点に絞ることにした。
*
翌日。昼休みになると、『美晴』は図書室を目指して教室を出た。
美晴の好きな男について調べるにしても、美晴がひた隠しにしているノートについての手掛かりを探すにしても、とにかく美晴に関係する場所と言えば、小学校ではそこぐらいしかない。
「おそらく……ここに……何かあるんだ……!」
『美晴』はそう確信して、歩みを進めた。
そして、渡り廊下を抜け、最後の角を曲がろうとしたその時、自分より先に図書室に入ろうとしている一つの人影が、遠くに見えた。
「ん……? あいつは……確か……」




