魔法少女の歌
『バニーガール』の一件から、24時間が経った。
現在は土曜日の夕方。
「ジャンジャカジャッスジャッジャーン♪」
二瀬さんの家から少し離れたここは、春日井さんの家。
二階の部屋では、女の子がベッドの上で、飛び跳ねたりぐるぐる回ったり。ハート型の派手なエレキギターを持って、口でジャカジャカ言いながら騒いでいた。
「あいーっていうのはー♪ ラブってこーとなんだよぉー♪」
今度は、「ふわもこ!ハートフルドリーム」という女児アニメのオープニング曲を歌い始めた。
「ハトドリ」の主人公は「富和蕗愛夢」という名前の女の子で、ヒツジみたいな妖精「モコメェちゃん」の魔法の力により、魔法少女「ハートフルドリーム」に変身して、悪と戦う。4~5歳の女の子が好んで見るアニメだが、小学6年生の春日井雪乃も、ハトドリを密かに毎週楽しく見ている。
「フンフーンフフーン♪ いぇーい!」
ぴょいんと飛び跳ね、最後は豪快にベッドにドスンと着地した。
ばたんっ!!
「雪乃っ! ドタバタしちゃダメって言ったでしょ!!」
「ま、ママっ!?」
鬼の形相をしたママが、勢いよく部屋に入ってきた。
しかし、すっかり浮かれている雪乃は、元気よくママに声をかけた。
「あのね、ママ、ママ、聞いてっ!」
「雪乃、まず私の話を聞きなさい」
「いひゃーい! ほっぺふぁ、ひっふぁらないふぇよー!」
「もうドタバタしない?」
「しふぁい、しふぁい、しふぁいよーっ!」
「もうっ! ベッド壊れちゃうでしょ? 分かった?」
「はーい……」
雪乃のママは、雪乃のほっぺたから手を放した。
そして、娘の反省している様子を見たママは、小さくため息をついた後、口元に笑みを浮かべた。
「……で、何かあったの? そんなに浮かれて」
すると、その言葉を待ってましたと言わんばかりに、雪乃の顔にパァッと笑顔が戻った。
「あのね、昨日ね、風太くんにギターのこと話したらね、『いいね』って言ってくれたんだよっ! バンド、一緒にやろうって!」
喜ぶ娘に対して、ママの反応は少し冷めていた。
「あなた、また風太くんにワガママ言ったんでしょ? あの子優しいから、あんまり困らせちゃダメよ」
「わ、ワガママなんて言ってないよーっ! 『一緒にガールズバンドやろうね』って、ちゃんと言ってくれたもんっ!」
「ガールズバンド? 風太くん、男の子でしょ??」
「最近の風太くんは、ちょっとだけ女の子なのっ! 本人は気付いてないみたいだけど、なんだか女の子っぽいの。時々、『わたし』とか言ってるし」
「えぇ……? 守利ちゃん、そのこと知ってるのかしら」
「守利ちゃんって?」
「風太くんのママの名前よ。でも、風太くんが女の子っぽくなったのは、何の影響かしらね」
「うーん。理由は分かんないけど、最近風太くんと仲が良いあの子の影響かも……」
「あの子って?」
「うふふっ! ひみつー!」
「ふーん。秘密でもいいけど、気にかけた方がいいわよ。風太くんの趣味が、変わったのかもしれないから」
「しゅ、趣味って……。別に、風太くんは変わらないよ。ずっとずっと、風太くんは風太くんだし」
「どうかしらね。今年はバレンタインのチョコ、受け取ってもらえないかも」
「もーっ!!! ママなんて嫌いっ! 出てって!」
「はいはい。後でお風呂入りなさいよ」
「分かってるーっ!」
ママを部屋から追い出し、ベッドの上にドスン……とするとまた怒られるかもしれないので、雪乃はポスッとベッドに倒れ込んだ。
(風太くんと、おしゃべりしたいな。明日は日曜日だから、会いに行こうかな。うーん、でも、用事とかあるかもしれないし……)
悩みに悩み、雪乃はベッドの上で、脚をバタバタと動かして悶えた。
「あぁーっ! ケータイ欲しいーっ! スマホ欲しいーっ!」
ばたんっ!!
*
同時刻。
「メゾン枝垂れ桜」というアパートの一室に、本物の風太はいた。今は、二瀬さん家の息子ではなく、戸木田さん家の娘として。
「うっ、うぅ……ん……」
パチリと目を開け、数回瞬きをする。部屋の中は、真っ暗だった。
暖かい布団がかけられていて、頭の下には枕があるのが分かる。そして感覚をたどっていくと、今の自分に長い髪があるということも把握できた。
「おれ……」
声は、相変わらず高い。
寝起きのせいか、記憶が混乱してるようで、「おれ……」に続く言葉は出てこなかった。確実なのは、未だに自分の身体が『美晴』だということだけ。
「今……何時だろう……」
布団の中でゴソゴソと身体を一転させ、仰向けからうつ伏せの状態になる。
そして、首を少し上げると、真っ暗な部屋でも時間が分かる卓上デジタル時計が、目に入った。
「6時、か……。6時……? 朝……? 夜……?」
寝ぼけ眼のまま、フクロウのように首をかしげる。
まだよく分からないので、右手を伸ばして時計を鷲掴みにし、顔につくぐらい近づけて、表示されている時間をまじまじと見た。
「PM……。午後……だっけ……」
午後6時。
口元に左手を添え、『美晴』は少し考えた。現在の時間と、昨日寝た時間を照らし合わせ、自分が何時間眠っていたかを、割り出そうとしているのだ。
「昨日……。昨日……。昨日は……確か……あれから……」
頭の中の霧が、晴れていく。
はっきりとしなかった「あれから」の「あれ」の部分が、1秒ごと、ワンフレームごとに、鮮明になっていく。そして、瞳孔が完全に開ききった時、『美晴』は全てを思い出した。
「そうだ……! おれは……昨日っ……!」
ゴトッ。
『美晴』の右手から、デジタル時計が落下した。時計は、やわらかい布団の上を一度跳ね、ベッドから飛び降りた。
「おれは……あいつにっ、奈好菜、にっ、あ、あぁ……!」
『美晴』は、自分の両手のひらを見ている。 時計がこぼれてからっぽになった、その小さな手のひらは、微かに震えている。
「うっ、あ、うわぁっ!」
思い出そうとするたびに、錯乱は激しくなり、ついにはガマンできなくなって、枕に顔を埋めた。
腹には、ガーゼや包帯の感覚がある。お尻がゴワゴワとしているのは、おそらく紙おむつのせいだろう。そして、自分が今着ている服は、「おれの」パジャマではなく、「美晴の」パジャマでもなく、女子の……「奈好菜の」体操服だ。
(思い……出した……)
『バニーガール』によってウサギ小屋に閉じこめられた時のことから、この部屋のベッドまで奈好菜に運んでもらった時のことまで、一連の全てを、『美晴』は思い出した。
「痛っ、イテテ、痛いっ! 傷が……痛い、痛むっ……!! はぁ、熱い、苦しいっ……!」
真っ先に、身体の痛みが蘇ってきた。応急処置がしてあるとはいえ、眠っただけで全快とはいかない。
「なんでっ……! なんでっ……!? どうして……こうなるんだよぉっ……!!」
枕に顔を埋めたまま、シーツをギュッと掴む。悔しさに任せ、破れそうなほどに、強く。
「はぁ、はぁ……こ、こんなのっ……どうしようもないだろっ……! ふざけんなよっ……!」
風太の心境の吐露は、『美晴』の高い声のせいで、女の子特有のヒステリックな叫び声に変わった。
「おれ……、できるだけのことは……やったんだ……! 美晴の……身体だって……傷つけないようにっ……! でも、でも……!」
やり場のない苛立ちとぶつけようのない怒りは、やがて『美晴』に無力な現実を実感させ、哀しみを生んだ。
「だって……こんな、身体じゃ……うぅっ……んっ……」
しかし突然、『美晴』はハッとして、枕から顔を上げた。
(ダメだ。これ以上、泣くのはダメだっ……! お、落ち着けっ!)
ふと、思い出した。
「ほらフウくん、泣かないの。男の子でしょ? 強くてカッコいいフウくんじゃないと、ユキちゃんのこと、守れないわよ」
昔、ミツバチに刺された時に、守利が風太に言った言葉だ。母の教えの通り、息子は強く生きようとした。
(そうだ、忘れてた。おれは男だから、泣かないんだ……! こういう時こそ、強くないと、ダメ……)
ここまでは、耐えた。
なんとか頑張って、風太は耐えた。
(母さん……)
しかし、守利という母親の存在は、まだ小学生の風太にとって、それ以上の孤独と絶望を与えた。
「違う……。い、今の……おれは……母さんの……子どもじゃない……」
もう二度と、守利は自分のことを「フウくん」とは呼ばない。息子どころか、男子とすら扱ってもらえない。これからは、実の母親から「ミハちゃん」という他人の娘の名前で呼ばれるのだ。
そんな忘れかけていた現実が目の前に現れ、風太の中にある最後のストッパーを、破壊した。
「ううっ、ひっ、う、うわあぁああああんっ!」
真っ暗な部屋の中に、少女の泣き声が響いた。
「はぁ、はぁ、ひぐっ……、身体が、痛い、痛いっ……! おれ、もう、あいつの身体なんて、嫌だよ……! 美晴として、生きるの、なんて、嫌だよっ……!! うぅ……わあぁあああああんっ!」
*
翌日。穏やかな日曜日。
清々しい朝が来た。先日の嵐による暗いムードを消し去るかのように、スズメたちは元気にチュンチュンと鳴いている。
戸木田家のテーブルには、牛乳と食パンという簡単な朝食の用意がされ、女性が一人で食事をしている。
するとそこへ、ピンク色のパジャマを着た女の子がやってきた。
「あら、おはよう美晴。起きたのね」
「うん……」
約二日ぶりに、戸木田家の母と娘が、顔を合わせた。
ここのところ、戸木田家の母……つまり美晴のお母さんは、特に忙しいらしく、娘が寝ている早い時間から家を出て、娘が寝ている遅い時間に帰宅するという生活が続いている。さらに、世間的には休日である今日も、美晴のお母さんにとっては出勤日だった。
「いただきます……」
「ええ。どうぞ」
寝顔じゃない娘の顔を見ることができたので、美晴のお母さんは少し嬉しそうな顔をしていた。
しかし、その娘の方はというと……。
「げほっ、げほっ……!」
「あら? もしかして、風邪をひいたの?」
「ううん……。牛乳で……むせた……だけ……」
「本当に大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」
「だ、大丈夫っ……! おれ……じゃなくて、わたしは……いつも通り……だよ……」
「もし体調が悪いなら、私に言ってくれれば、仕事をお休みして病院に連れて行くから……」
「本当に……大丈夫だよっ……! きょ、今日は……天気もいいし……図書館で……本でも……読んでこようかなっ……!」
「そう……。それなら、いいんだけど……」
美晴のお母さんが察した通り、『美晴』は風邪をひいていた。しかし、病院に行くわけにはいかない。
美晴のお母さんは、何か言いたげな顔をしていたが、それ以上何も言わなかった。そして、自身の支度を終え、カバンを右手に持つと、「いってきます」と一言だけ娘宛に添えて、玄関へと向かっていった。
「いってらっしゃい……」
呟きのような小さな声で、『美晴』は職場へと赴く美晴のお母さんを見送った。
*
「はぁ……はぁ、はぁ……」
幸い、インフルエンザなどではなく、普通の風邪のようだ。原因は、一昨日の雨に濡れたせいだろう。
「げほっ、げほげほっ、ごほっ……!」
しかし、たかが風邪、されど風邪だった。
「くそっ……! なんで……こんなこと……ばっかり……」
図書館に行くというのは当然ウソで、食事を終えた『美晴』は、ベッドへと戻った。
そして、ひんやり冷たい氷枕を頭に敷いて横になり、時々ティッシュで鼻をかんだ。
(ちょっとだけ、熱があるな……。しかも、なんだか……気持ち悪い……)
おデコに手を当て、適当な自己診断をしながら、『美晴』は「薬と、水と、ゲロ袋と……」と、これから必要になりそうな物を、ぼんやり考えていた。
悲観的になると、また涙が出そうになるので、なるべく考えないように、意識しないようにしながら……。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
「誰か……来た……?」
関節痛に耐えながら立ち上がり、真っ赤な顔でフラフラと歩いて、玄関まで歩いて行く。
「あ……、居留守……使えば……よかったな……」
扉を開ける直前でそう思ったが、もうすでに玄関まで来てしまったので、『美晴』はとりあえず来客対応をすることにした。
ガチャリ。
「げほっ、ごほっ。どちら様……?」
「お、おはようございますっ!」
今は一番会いたくない、かつて一番会いたかったアイツが、そこにいた。




