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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第八章:おだんご頭と新しい刑
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 数十分後。

 静かに降っていた雨は、やがて本降りになり、そして轟音ごうおんを響かせるどしゃ降りへと変わった。風も強く、月野内小学校に植わっている木々を激しく揺らし、遠方えんぽうではゴロゴロと雷まで鳴っている。

 天候はあらし徒歩とほでの帰宅は困難だ。しかし、職員室にいる先生たちには、自動車がある。そうなると心配なのは生徒たちだが、さいわい、雨がひどくなる前に速やかに帰宅したので、もう月野内小学校に生徒は誰も残っていない。


 ウサギ小屋に閉じ込められた、一人の少女をのぞいて。


 その子は、うつ伏せで倒れていた。女子としてははしたなく少しまたを開き、まるでベッドの上で眠る赤ん坊のような体勢で、そこにいた。

 絶望を背負った彼女の……彼の長い髪が、目元を覆い隠し、風で揺れている。


 時間は、約1時間前にさかのぼる。

 

 *


 そして、キモムタは脱糞だっぷんした。


 「くっせぇ!! こいつ、ウンコ漏らしてるっ!」

 

 界と冬哉は、再び意識を失ったキモムタの身体を、足で器用きように転がし、その悪臭あくしゅうが届かないくらい遠くへと運んだ。

 何か事情を知っている風な蘇夜花に、何も知らない五十鈴が尋ねた。

 

 「蘇夜花、これはどういうこと?」

 「わたしが用意した、サプライズだよ」

 「説明」

 「ごめんごめん、怖い顔しないで。みんな、お漏らしが見たかったんでしょ? だから用意したの」

 「牟田くんのお漏らしは見たくないわ」

 「もちろん、美晴ちゃんにもやってもらうから。まぁ見ててよ」

 

 そのキモムタの一連いちれんの様子は、『美晴』もしっかりと見ていた。ただ、表情はなんともうつろな様子で、まぶたは半分ほどしか開くことができない。

 「美晴ちゃんにもやってもらうから」という言葉も、耳には入ったが、頭で意味が理解できなかった。小さな呼吸だけを続けて、ぼんやりとおりの外を眺めていると、蘇夜花が檻のそばまでやってきて、こう言った。

 

 「みーはーるーちゃんっ。まだ、元気は残ってるよね?」

 「……」

 「言葉も出ない、か。でも、今のキモムタくんは見てたでしょ?」

 「……」

 「ねぇねぇ、キモムタくんは、なんであんなことになったと思う? どうして、お漏らしちゃったと思う?」

 「……」

 「実はねぇ、奈好菜ちゃんのクッキーを食べちゃったからなんだよっ!」

 「……!」

 

 風太は、自分の顔の横に落ちている例のクッキーを、チラリと見た。

 

 「クッキーにさ、白いパウダーがかかってるでしょ? それね、下剤げざいなの。こまかくくだいて、パラパラとまぶせば、ほら、パウダーみたい」

 「……!?」

 「でもさ、美晴ちゃんは全然クッキーを食べてくれないから、ちょっとあせったよ。マジメだねぇ、本当に。だからさっき、ちょっと強引だけど、クッキーを食べてもらったってわけ」

 「う……」

 「うん、そろそろ『来る』頃だと思うよ。キモムタくんにはバッチリ効いたし。最後は盛大に、醜態しゅうたいを晒してね?」

 

 そして、蘇夜花がくるりとこちらに背中を向けると、スイッチが入ったかのように、『美晴』の腹の中はざわめきだした。

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 まず一滴いってき

 腸の中に一雫ひとしずくの水が落ち、身体がヒヤリとした。それにぴくりと反応すると、体温はサッと引き、みるみるうちにあせが出てくるようになった。次第しだいに、しおが満ちていく。

 

 (痛いっ、痛いっ……! 腹痛が、おさまらないっ!)

 

 『美晴』は、仰向あおむけだった身体をうつせにして、にぎつぶされているような痛みがある腹をさすろうとした。

 しかし、自分の腹部ふくぶに手で触れて、すぐに引っ込めてしまった。

 

 (あっ!? う、ウソだろ……!?)


 もう一度右手で触れ、確信した。


 (皮膚ひふただれて、服にくっつきかけてる……!)

 

 さっきからずっと、皮膚に痛みはあった。熱湯のせいで、少なからず火傷やけどもしているだろうとは思っていた。でも、それは耐えていた。見ないようにして、今まで耐えていた。

 しかし現実は、『美晴』の想像よりも遥かに残酷ざんこくだった。

 

 「はぁ、はぁ……はぁっ……」 

 

 胸、あばら骨の下の辺り。

 当然、もろい皮膚をさすったりなんかすれば、がれてしまう。そこに残るのは、グロテスクな火傷痕だろう。すぐに病院に行くべきだが、この状況では不可能だ。

 『美晴』は腹部に触れるのをやめ、身体をよじらせながら腹部ふくぶ内外ないがいの激痛に必死に耐えた。歯を食いしばり、瞳には涙を浮かべて。

 

 「ふーっ、ふーっ……ふーっ……!」


 蘇夜花は、ウサギ小屋の前に立ち、全員に向けて叫んだ。

 

 「美晴ちゃん、お腹痛いってさ! もっと近くで見ようよ、みんな!」


 最初は少し離れて見ていた観衆も、五十鈴イスズカイ躊躇ちゅうちょなく檻のそばへ近づくと、ぞろぞろと檻の周辺へと集まりだした。

 そして、ある者は見開いた目でさらなる興奮を求め、またある者は檻の中の不憫ふびんな生き物を指差して、クスクスと笑いあったりした。


 「あ、雨……」

 

 唯一ゆいいつ、檻には近づかなかった奈好菜は、6年2組の観衆たちの外で、立ち尽くしていた。

 

 「雨降ってきたね。奈好菜ちゃん」

 「蘇夜花……」

 

 ポニーテールの少女とおだんご頭の少女は、二人並んで、小三元にむらがる6年2組の生徒たちを、遠巻とおまきに見ている。

 

 「あたしのクッキーに、下剤を仕込んだっていうのは、本当なの?」

 「うん。苦しむ美晴ちゃんの顔、近くで見てきたら? お漏らしも見られるかもよ」

 「いいよ、別に。あたしはもう、充分じゅうぶん楽しんだから」

 「ふーん……。あの美晴ちゃんを、助けてあげようとは思わないの?」

 「……」

 「カギ、さっき渡したでしょ? 美晴ちゃんを助けてあげたら? あの子、死ぬほどトイレに行きたがってると思うし」

 「……ためさないでよ」

 「えっ?」

 「あたしがどうするか、試してるんでしょ? もしかしたら、みんなの前で檻のカギを開けて、『もうやめなよ!』なんて、言うとでも思って」

 「あらら、バレてた? 試してごめんね。奈好菜ちゃんのことは大好きだから、信用できる友達でいてほしいの」

 「……」

 

 奈好菜はカギを取り出し、そっと蘇夜花の手のひらに置いた。

 

 「わっ、返しちゃうの!?」

 「これで、あたしのことを信用してほしい」

 「うんっ! 嬉しいなっ!」

 

 奈好菜が想いを伝えると、蘇夜花はにっこりと笑った。

 

 「じゃあ、あたしは先に帰るよ。雨、強くなりそうだけど、蘇夜花はどうするの?」

 「うーん。もっと雨が強くなってきたら、公開処刑も終わりだね。流石さすがにずっと閉じ込めておいたら、美晴ちゃん死んじゃうから、カギを開けてあげて解散にするよ」

 「へぇ、そうなんだ」

 「あ、そうだ! 界くんに美晴ちゃんのお腹を一発いっぱつってもらおう! やっぱり漏らすところ見たいしね」

 「……」

 

 奈好菜は何も言わず、一度も振り返らずに、小三元を去った。

 そして彼女は、校庭を出た後、手に持っていたかさを開き、黒くて重い空をぼんやりと見上げた。


 *


 現在。


 古びたウサギ小屋の中で、『美晴』は死んだように横たわっていた。

 『刑』は終わり、周りには誰もいない。カギも開いているので、『美晴』は完全に自由の身となった。しかし、家に帰るどころか、小屋から出るだけの気力と体力さえ、『美晴』には残っていなかった。


 「……」

 

 大雨による轟音を聞いて、稲妻いなづまによる閃光せんこうを眺め、ただ呼吸をする。そんな時間が、しばらく続いた。

 別に何かを待っているわけでもなく、事態の好転を願っているわけでもない。爬虫類はちゅうるい両生類りょうせいるいの生き物のように、じっと動かず、肺を動かしているだけ。『美晴』はそれを続けた。


 「……」

 

 痛みと苦しみは、とうに越えた。「どうしておれが」は、心の中で何度もとなえた。感情はぐちゃぐちゃになり、コントロールできなくなって、身体の水分がれるくらいにボロボロと泣いたりもした。

 蘇夜花をうらみ、奈好菜をうらみ、そして美晴という存在を強くうらんだ。


 「はぁ、はぁ……」


 ギィ……と小屋の扉を開け、誰かが入ってきた。

 次に傘を畳む音がして、足音が近づいてきた。


 「ふぅ……」

 

 そばまで来て、そこで止まった。そして、肩にかけていたバッグを、ドサッと地面に置いた。

 『美晴』は重いまぶたを持ち上げ、首すら動かさず、声を聞いていた。


 「美晴……? い、生きてるよね……?」

 

 今度は身体をさぶられた。

 そして、うつ伏せで倒れているところをゴロンとひっくり返され、無理やり仰向けにされた。

 パンツの中で溢れている汚物おぶつが、臀部でんぶを気持ち悪くびちょりとでている。

 

 「うぅっ……」

 「まずは、身体をくよ。あんたは、動かなくていいから」

 「奈好……菜……」

 「何もしゃべるなっ! 何も言わずに、あたしのやりたいようにさせてっ」

 「……」

 

 奈好菜は持ってきたバッグを開け、救急箱と体操服と紙おむつを取り出した。

 

 「自分でも、何がしたいのか分からなくてっ……! とにかく今は、身体が勝手に動いてるっていうか……」

 

 奈好菜は手を動かしながらしゃべり、『美晴』のスカートを脱がせた後は、その奥にある悪臭あくしゅうただようパンツも脱がせようとした。

 抵抗しようにも身体が動かず、『美晴』は羞恥しゅうちに耐えるために、強く両目をつぶった。

 

 「こうしなきゃダメな気がしてっ! ケジメとか決着とか、そういう……なんかもうよく分かんないけど、昨日のお礼は、まだちゃんとできてないからっ」

 「……」

 「クッキーは、本当に感謝のつもりだったんだ。こんなことになるなんて、あたしも思ってなかった……」

 

 奈好菜は慣れているのか、手際てぎわよく『美晴』に紙おむつをはかせた。

 『美晴』は、「こんなものを、はかされるなんて……」とは思ったものの、次に便意べんいもよおした時に、トイレまでガマンできる自信はなかったので、抵抗はしなかった。

 

 *


 「でも、ごめん……。あたしはやっぱり、変われないよ。蘇夜花の言う『学級がっきゅう裁決さいけつ』が、ただのイジメだと分かっていてもね」

 「……」

 

 『美晴』の腹部に保冷剤ほれいざいを当てながら、奈好菜は思いのたけを語った。

 『美晴』は、言われた通り一言もしゃべらずに、奈好菜の言葉に耳をかたむけた。

 

 「あんたのそんな姿を見てたら、同じ目に会いたいとは思えないよ。それに……姉としても、ね。あたしには妹がいる」

 

 「いじめられている姉を見た妹は、どう思う? あたしがあんたのがわに立つって、そういうことなんだよ。あたしがいじめられると、妹まで同級生にいじめられるかもしれない」

 

 「だから、あんたの味方はできない。普通の学校生活を送るには、こうするしかないんだ。あと一年だけ平和に、楽しい思い出だけを持って、あたしはこの学校を卒業したいんだっ……!」

 

 「……」

 

 そして奈好菜は、手に持っていた青いタオルを、『美晴』にかぶせた。

 そのタオルが濡れているのはきっと雨のせいだと、『美晴』は思った。

 

 「これで、あたしとあんたの間にあったことは、お互いに全部ぜんぶわすれよう。本当に、一つ残らず……」

 

 最後に奈好菜のその言葉を耳に入れ、『美晴』は静かに眠りについた。

 目が覚めたら、身体が入れ替わる前まで時間が巻き戻っていればいいな、と現実から逃避とうひした希望を、うっすらと頭に浮かべながら。


 「……」


 奈好菜はそばにあったクッキーを拾い、誰の目にも付かないような場所をめがけて、放り投げた。

 女子二人きりの小三元から追い出されたクッキーは、どこかの水たまりに落ち、無惨むざん雨粒あまつぶつらぬかれた。


 雨はまだ強くするどく、月野内小学校に降り注いでいた。

 

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