動かない二人の足
「わたしは、蘇夜花とは違うわ。『ハリ裂けミミズ』も、『デメ』も、『彷徨い人魚』も……そして、この『バニーガール』も、何一つ面白いとは思わない」
「くっ……」
「大事なのは調和よ。分かる? 『みんな笑顔の仲良しクラス』を創ることが、わたしの理想」
「……」
「だから、蘇夜花とは目的が違う。わたしの目的は、うちのクラスから戸木田美晴を消すことよ」
五十鈴が話しかけている檻の中の少女は、力無くぐったりとしていた。
泥や絵の具で汚れた洋服を着て。
*
同じ頃。小三元から少し離れた、校舎裏の空き地。
界と冬哉が運んできた一丁のエアガンを、蘇夜花と奈好菜が受け取りに来ている。
「ここをガチャっとやって、トリガーを引く。これでBB弾が発射される」
「わぁ、これいいね! 楽しい『刑』になりそう! ありがとう。界くん、冬哉くん」
はしゃぐ蘇夜花とは対照的に、奈好菜は浮かない顔をしている。
「ん……? 奈好菜、どうした? 様子が変だぞ?」
「えっ!? い、いや、なんでもないよっ」
そんな四人の会話を、物陰でこっそり聞いている、一人の少年がいた。
ガタイも良く活発そうな彼が、本物の戸木田美晴だと知っている人間は、ほぼいない。
(やっぱり、わたしへの『刑』に使う物なんだ……! 風太くんが危ないっ!)
蘇夜花はエアガンを受け取ると、界に教わった手順を踏み、誰もいない方向へ向けて、楽しそうにトリガーを引いた。
しかし、そこは誰もいない方向ではなく、『美晴』が隠れている場所だった。
バンッ!!
(きゃあああっ!?)
思わず悲鳴を上げたが、なんとか心の声として留めた。蘇夜花たちにバレてはいない。
弾丸は『風太』のそばを通過して、壁にぶつかった後、跳ね返って、どこかへ飛んでいった。
(びっくりした……!)
初めて見るその玩具の威力に、『風太』は驚愕した。
(こんなの、人に向けて撃つようなものじゃないっ! や、やめさせなきゃっ!)
エアガンの標的になるのは『美晴』。つまり、風太だ。あそこにいる四人の標的は、風太くんなのだ。そのことを知ったからには、見過ごすわけにはいかない。
意を決して、『風太』は蘇夜花たちの前に飛び出そうとした。が、しかし……。
「あ、あれ? 脚が、動かないっ!? なんでっ!?」
見降ろすと、恐怖に震える右脚と、逃げ出したくてたまらない左脚が、そこにあった。
鞭を入れるかのように、太もものあたりをベチンと叩いても、全く動こうとしない。
「風太くんが大変なのにっ! ふ、風太くんを助けなきゃ、ダメなのにっ……!」
『風太』は、今自分が口にしている言葉が、上辺だけの建前だと気付いていた。
葛藤で息は荒くなるものの、勢いはどんどん弱くなり、ついには情けなくその場にしゃがみ込んでしまった。そして顔を伏せ、震える声で、心の奥にある弱々しい本音を、全て漏らした。
「はぁ、はぁ……。わたしが行かなきゃ、ダメなのにっ! 止められるのは、わたしだけなのにっ! それは、分かってるけどっ……!」
「怖いよぉ……」
「無理だよ……! わたし一人じゃ、どうにもできない……」
「助けられないよ……。行ったところで、界くんや蘇夜花ちゃんに、また酷い目に合わされるだけ……」
「嫌……。あの人たちとは、もう関わりたくないっ……! だからこうして、風太くんに替わってもらったのに……」
「うぅ……ごめんなさいっ、風太くんっ……! 弱いわたしを、許してっ……!」
一歩踏み出す勇気は、どうしても出なかった。
少年はうずくまったまま、少しだけ泣いた。
*
(熱い……。肌がヒリヒリして、痛い……)
『美晴』は、地べたにペタンと座り込んでいた。ウサギ小屋の地べたはあまり清潔ではないが、すでに泥や絵の具で滅茶苦茶に汚れているので、あまり気にすることではないのかもしれない。
とにかく今は、熱湯に浸った衣服をどうにかしたかった。
(でも、服を脱ぐわけにもいかないしな……。熱いけど、どうしようもないか……)
最初のうちは攻撃を避けることができたが、現在は疲労と無気力で、立ち上がることすらできない。
動けないターゲットは、格好の的となり、全てのウォーターガンから総攻撃を受けた。そんななか、『美晴』を最も苦しめたのは、やはり五十鈴が持つ熱湯ガンだった。
「ふふっ、火傷くらいはしてくれたかしら?」
「……」
「さっきまでの元気がなくなって、しゃべらなくなっちゃったわね。じゃあ、少し希望をあげましょうか」
「希……望……?」
「ええ。ウォーターガンは全弾、弾切れよ。よく耐えたわね」
「……!」
それは確かに、希望だった。
五十鈴以外の連中は、空っぽになったウォーターガンを放り捨て、ただの観衆へと戻っていった。
虚ろな目をしていた『美晴』に、生気が少し戻ってきた。
「もう……『刑』は……終わったんだろ……!? ここから……出せよっ……!!」
「そうしてあげたいけど、小三元のカギは蘇夜花が持ってるのよ。残念ね」
「あいつは……どこに……行ったんだ……!」
「今ちょうど、帰ってきたみたいね。ほら、あっちを見てみなさい」
「なっ……!?」
五十鈴が指さした方から、6年2組の生徒が四人やってきた。界、冬哉、蘇夜花、そして奈好菜だ。
蘇夜花は嬉しそうにこちらに手を振り、奈好菜は顔を上げずにうつむいたまま歩いている。
「みんな、お待たせっ! そっちの方は終わったみたいだね」
「遅いわよ、蘇夜花。美晴の脚はもう動かなくなっちゃったわ」
「うーん、そっかぁ。逃げ回るところとか、見たかったなぁ」
「で、目的の物は手に入ったの?」
「それはもうバッチリ! 奈好菜ちゃん、みんなに見せてあげなよ」
蘇夜花にそう言われて、奈好菜は無言で右手に持っている物を観衆に晒した。すると、観衆からは期待を込めた「おおっ?」という驚きの声があがった。
『美晴』の視線も、奈好菜の手にあるそれを、捉えて放さなかった。
「まさか……! それ……エアガン……か……!?」
「その通りだよ、美晴ちゃん! 本日のメインイベント!」
『美晴』の問いには、奈好菜は黙ったまま答えず、代わりに元気よく蘇夜花が答えた。
自分が今から、それの餌食になると理解した『美晴』は、一瞬で血の気がサッと引いていくのを感じていた。
「さぁ、こっちに来て。みんなが見られるところにね」
蘇夜花は、奈好菜の肩を抱きながら引っ張って歩き、『美晴』の正面に無理やり立たせた。
まばらな観衆は、エアガンを持った奈好菜と、檻の中で座り込む『美晴』を、囲んでいる。
「美晴……」
「奈好菜……」
中心の二人は、金網を一枚隔てて向かい合い、お互いの名前を呼んだ。
そして次に、『美晴』は奈好菜に尋ねた。
「それを……おれに……撃つの……か……?」
「……!」
その言葉にビクリと反応して、奈好菜の右手が震えだした。どうやら、『美晴』を撃つという覚悟が、まだ決まっていない様子だ。
周囲のバカな連中は、奈好菜の異変に気付いていなかったが、蘇夜花と『美晴』だけは、それに気付いていた。
「エアガンを……捨てろよ……! お前は……まだ……引き返せるっ……!」
「で、でもっ、あたし、どうすれば」
「先生を……呼びに……行ってくれ……! おれを……助けてくれっ……! 奈好菜っ……!」
「分からないっ。どうすればいいか、分からないんだよ……」
「お前のことは……誰にも……いじめさせないっ……! 絶対、おれが……守るからっ……! 頼むっ……! ここから……変わってくれっ……!!」
が、しかし。
「聞いちゃダメだよ。奈好菜ちゃん」
蘇夜花は、奈好菜のほっぺたに手を添え、クイッと自分の方へ首を向けさせた。
そして、奈好菜の耳元でささやいた。
「『おれが守る』だってさ。自分の身すら守れないのに、美晴ちゃんは何を言ってるんだろうね」
「蘇夜花……」
「安心して。わたしとあなたは、友達だよ。そして、クラスのみんなも、あなたを大切な仲間として受け入れてる」
「あ、あ……ぁ……」
「これは学級裁決で、悪いのは全て美晴ちゃん。悪人をこらしめるのに、罪の意識を感じる必要はないよ。ほら、少しだけ勇気を出して。すぐ楽になれるから」
「うん……」
震えが、止まった。
奈好菜は前を向き、今度は確実な手つきで、『美晴』に向けて銃を構えた。
「おい……やめろよっ……! それを……降ろせっ……!! 蘇夜花の……言うこと……なんて……」
「美晴……」
「ダメだっ……! やめろっ……!!」
「あたしは、キモ陰キャのあんたとは……違うんだ」
バンッ!!
弾丸は命中した。
『美晴』のおデコの、その真ん中に。
「うっ……!」
衝撃で、『美晴』は座った体勢から、そのまま後ろへと倒れた。長い髪はフワリと大きく広がり、背中はしっかりと汚い地面に着いた。
奈好菜の一発で、観衆からは歓声があがった。五十鈴は気持ち良さそうに微笑み、界は手を叩いて笑った。特に蘇夜花はおおいに喜び、奈好菜にギュッと抱きついた。
「やった-! ありがとう奈好菜ちゃんっ!」
「う、うんっ……」
「ほら、これはお礼だよ。わたしはもう要らないから、あなたにあげるねっ!」
「こ、これって、小三元のカギっ……!?」
「好きに使っていいよ。ここから美晴ちゃんが出られるかどうかは、奈好菜ちゃん次第!」
「……」
「代わりに、エアガンを貸してね。まだ弾が残ってるでしょ?」
蘇夜花は、奈好菜の手に南京錠のカギを握らせ、引き換えにエアガンを半ば強引に奪い取った。
そして檻に近づき、倒れている『美晴』に向かって、1秒の迷いもなく連射した。
「あはははっ! すっごい威力だね、これっ! 最っ高だよっ!」
『美晴』は、小三元の天井を見上げて、おデコを手で押さえながら目元を隠し、静かに悔し涙を流した。
(もう少し……だったのに……)
『美晴』のほっぺたを伝う涙を、蘇夜花の弾丸が掠めた。
*
今まで意識を失っていたキモムタの、突然の叫び。
「うぉぎょおぉむぅおぉぉぐぉぉ!!!!」
声を荒げてのたうち回るそいつに、檻の中の瀕死の少女を含む、全員が注目した。
奈好菜たちが突然の発狂に驚くなかで、弾の尽きたエアガンを界に返却していた蘇夜花は、それを待っていたかのように、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「さあ、公開処刑のフィナーレだよ。最後まで楽しんでね」
月野内小学校にポツリと、雨が降り始めた。




