カーテン一枚の距離
*
「ほら、早く着替えて、一緒に帰ろっ! 風太くんっ!」
「えっ!? きき、着替えっ!?」
雪乃は『風太』に、風太の私服を手渡した。
「はい、これ。風太くんの服でしょ? ちゃーんと、持ってきてあげたよ~?」
「あ、ありがとう……」
「あとね、健也くんたちが、ランドセルをここまで運んでくれたみたいだよ。ほら、そこにあるっ」
雪乃が指差した方にはイスがあり、その上には黒いランドセルとピンク色のランドセルが仲良く並べて置いてあった。風太のものと雪乃のものだ。
今まで体験したことのない厚意を受け、『風太』は思わず、雪乃に尋ねてしまった。
「これ……みんな、わたしのために……?」
「へっ? 『わたし』?」
(しまった! 風太くんは自分のことを、『わたし』なんて呼ばない……! もっと男子らしく、風太くんらしく……!)
「おっ、おれ! おれのために?」
「何言ってるの風太くん。とーぜんだよっ! 友達だもんっ」
「友達……」
「えへへ。今日の借りは、わたしが風邪をひいた時にでも、返してもらおうかなっ」
雪乃は『風太』に向けて、優しくほほえんだ。
友達。同じ学校で、同じクラスの、友達。その言葉は『風太』にとって、なんだかすごく安心するような響きだった。
「では、試着室へどうぞ。お客様っ♪」
雪乃はアパレルショップ店員のような小芝居をしながら、『風太』のベッドのカーテンを閉めた。
「……」
薄暗いベッドの上で、『風太』は風太の私服を広げた。
オシャレなんてしない男子小学生の服は、たった二着。シンプルなTシャツと安っぽいズボンだけ。軽い素材でできているので、遊びや運動がしやすい。
(これに、着替えるんだよね……?)
体操服のまま帰る理由はない。雪乃が待っているので、早く着替えてしまわないといけない。しかし……。
「どうしようっ! 脱がないと、服を着られない……!」
当たり前のことを言いながら、『風太』は体操服の短パンを脱ぐ直前に、動きを止めた。
これを降ろすと、風太のパンツがある。もちろん、下を脱いだら上も脱ぎ、パンツ一丁になる。
(いいのかな? 風太くんの身体を、勝手に見たりしても……)
もしも「わたし」に下着や裸体を見られたら、「風太くん」はどういう気持ちになるのか。男子と接する機会がないので、その想像がつかなかった。
(わたしに見られるの、嫌だったりしないかな)
分からないので、逆の立場で考えてみることにした。もしも「風太くん」が、「わたし」の身体で着替えをすることになったら。
(うぅ、できれば見てほしくない……。卑怯かもしれないけど、わたしにはまだ、アレを見せる勇気がない……)
しかし、身体が入れ替わったままだと、それは必ず起こる。
(風太くんが着替える時やお風呂に入る時は、必ず目隠しをするように、お願いして……)
そう思いかけて、美晴はハッとした。
「だめっ! そんな考えじゃ、今までと何も変わらないっ!」
首を左右に、ブンブンと振る。以前より髪が短くなったので、顔にかかったりはしない。
(あの身体に、もう未練なんてないはず。何をまだ大切にしてるの? そんな価値なんてあると思ってるの?)
『風太』の目の色が変わった。そしてしっかりと、自分の身体を見ている。
「わたし……いや、男の、おれが、着替えをするだけだよ。何も、おかしいことなんてないっ!」
決意を新たにして、体操服を全てバサッと脱ぐ。無駄に男らしく。
「……!」
男子なので、もちろんブラジャーは着けていない。『風太』は、いとも簡単にパンツ一丁になった。
あと身に着けているのは、ゴムが緩いゆったりしたパンツのみ。確か、そのパンツの名前は……。
「これ、トランス……? トランク……?」
「もうっ、風太くん早くしてよー!! 一人で何してるのー?」
「きゃあっ!?」
突然、カーテンの向こうから雪乃に声をかけられ、『風太』は思わず女の悲鳴をあげてしまった。男子初心者なので、びっくりした時に男らしい反応をするのは、まだ難しかった。
*
一方『美晴』は、『風太』がいるベッドのそばまでやって来た。
カーテンで仕切られているので、ベッドの中の様子は見えないが、外には雪乃が立っている。
「あっ、美晴ちゃん! 体調はどう? 熱はなかった?」
しっかりと立てるようになった『美晴』を見て、雪乃は嬉しそうに声をかけた。
(熱はないし、今はそれどころじゃない。お前と話している場合じゃないんだ)
今は雪乃ではなく、『風太』に用があるのだ。
『美晴』は「雪乃、悪いけどそこをどいてくれ」と、言ったつもりだった。
「ゆ……ゅきの……」
口が小さく動いて、そこから空気が漏れるだけ。まともな声にはならなかった。
(くそっ! 思ったことを口に出せない……!)
恥ずかしさともどかしさから、どんどん顔は赤くなり、息が上がっていく。
落ち着きを取り戻そうとして、うつむき気味だった顔を少し上げると、心配そうにこちらを見つめる雪乃の顔が見えた。
「美晴ちゃん、やっぱりまだ具合が悪いんじゃない?」
(違う! おれは『美晴ちゃん』じゃないっ! それだけを言いたいのに、なんで上手く伝えることができないんだよ……!)
「大丈夫? ベッドで休んでた方がいいよ。無理して動いちゃダメっ」
(だから、そうじゃないって……!)
「柴村先生、呼んできた方がいい? 息もハァハァしてて、すごく辛そうだけど……」
「違うっ!!!」
やっと声が出た。今までで一番大きい声が。
発信元の『美晴』以上に雪乃は驚き、目を丸くして固まっている。
「雪乃っ……!」
話せる。言いたいことが、言える。
今の叫び声で、喉の通りが少し良くなったのかもしれない。
(こうなったら、やり方を変えよう……!)
『風太』のことは後回し。まず雪乃に、何が起こっているのかを聞いてもらうのだ。意識を、さらに口へと集中する。
「ゆきのっ! 雪乃っ!」
「ど、どうしたの……?」
「ぉ、ぉれ、はっ! みっ、美晴じゃないっ! 美晴じゃないんだっ!」
「えっ?」
「ち、ちがっ、違うんだっ! 本当の、おれはっ……!」
しかし、だんだん「絞まり」が復活してきてしまった。喉が開かなくなって、呼吸をするのも辛くなっていく。
「かっ……ケホッ! ゲホッ!! ゲホゲホッ!!」
「美晴ちゃんっ!? 落ち着いてっ!!」
もしここで、雪乃にちゃんと伝えられなかったら、一生この姿のままかもしれない。そんな気がして、身体に余計な力が入り、空回りしてしまっている。
「ゆ、雪乃っ……! 信じてくれっ……! お、ぉれ、は……!」
「風太」という単語が、本来の自分の名前が、口から出てこない。あともう少し、ほんの少しのところで。
必死な『美晴』の姿を見て、雪乃も動揺しているようだった。
「お、お水持ってくるからっ! ちょっと待ってて!」
(ダメだっ! どこにも行くな、雪乃……! ここにいろっ! おれの話を聞いてくれっ! 二瀬風太は、お前と今まで一緒にいたのは、おれなんだよっ!)
強い想いに反して、『美晴』の首はキュッと絞まっていった。
(おれの口から、言葉が出せないのなら……)
『美晴』は咄嗟に、ベッドのカーテンを掴んだ。今から『美晴』が何をするつもりなのかは、雪乃にも伝わった。
「あぁっ、ダメっ! その中には風太くんがっ!」
雪乃は止めたが、『美晴』の耳には入らない。なりふり構わず、勢いよくカーテンを開けた。
「……!?」
『風太』がそこにいた。
体操服はすでに脱ぎ、ズボンをはいている。どうやら、今からTシャツを着ようとしていたところらしい。
つまり、上半身が裸の『風太』が、そこにいた。
「「きゃーーっ!!」」
雪乃は悲鳴を上げ、すぐに後ろを向いた。
『風太』も(今は男子のくせに)悲鳴を上げ、今から着ようとしていた服を抱きしめ、自分の胸を隠した。
「ふ、ふふ、風太くんっ! シャツを着てっ! 早くっ!」
「う、うん……!」
『風太』はあわてて、持っていたTシャツを着た。
その服は、さっき『美晴』が着ようとして、できなかった服だ。それを『風太』は、目の前で簡単に着てみせた。二瀬風太が、毎朝そうしていたみたいに。
「着たよっ! 雪乃っ!」
「も、もう見ていい!?」
「うんっ、着替え終わったよ! もう大丈夫っ!」
『風太』が雪乃のことを、呼び捨てで呼んだ。雪乃は何も気に留めることなく、返事をした。
二人の会話をじっと聞きながら、『美晴』は荒くなった呼吸を整えていた。
(美晴のやつ、なれなれしく雪乃を呼びやがって。友達でもないくせに。おれに成り済まして……!)
自分に成り済まされるのは、やはり良い気がしない。
『美晴』が複雑な気持ちを抱えて立っていると、今度は雪乃がこちらを向き、言い放った。
「美晴ちゃん、どうしてっ!? どうしてこんなことしたのっ!?」
雪乃が『美晴』を見る目は、さっきまでとは違っていた。単純な怒りとも悲しみとも違う、いくつかの感情が入り混じった目だ。
何か言い返したかったが、まだ上手く声が出せない。下手な言い訳をせずに、まずは真実を伝えようと、『美晴』はベッドに腰掛けている『風太』に近づき、そばで囁いた。
「ゅ……きの……に……伝えて……くれ……」
「えっ? 伝える?」
「おれと……お前の……身体が……入れ替わってる……って……こと……」
消えそうな声で、『美晴』は精一杯の言葉を絞り出した。
ここで雪乃に理解してもらえれば、きっと元に戻るために協力してくれるはずだ。
「風太くんは、美晴ちゃんのこと知ってるの……?」
雪乃が尋ねる。
しかし『風太』は、それに返答せずに、『美晴』をじっと見ていた。そして『美晴』も、『風太』をじっと見つめている。
(お前の口から言うんだ。お前が美晴で、おれが風太だってことを。ちゃんと説明すれば、雪乃も分かってくれる)
『風太』はこの状況を見て、しばらく考えていた。運命を変えるかもしれない、次の言葉を。
「わたし、は……」
そして、何かを決意したように生唾をゴクリと飲み込み、ゆっくりと口を開いた。
「わたしは……じゃなくて、おれは、知らない。美晴って子のことなんて、何も知らないよ」




