ずっとこのまま
サッカーのコートのそばで、鼻血を垂らした少年が一人、正座させられている。
「あのね、バカ風太くん」
「はい……」
「本当に、何をやってたの?」
「違うのっ! 誤解なんだよっ!」
「どういう誤解?」
「それは、その……身体を確認していただけ、というか……!」
「へぇー、確認。それで……確認して、何が分かったの?」
「おれは二瀬風太だった」
雪乃は『風太』の頭頂部に、ゲンコツを喰らわせた。
「痛いっ……!」
「そんな確認いらないでしょ!! 風太くんは、今も昔も風太くんだし、これからもずっと風太くんだよっ!!!」
「ゆ、雪乃ちゃん……!」
怒られている。
『風太』は怒られているハズなのに、雪乃のその言葉が、なんだかとても心に響いた。
「そうなのっ! わたし、ずっと風太くん……!」
「な、なんで喜んでるのっ!? バカっ!!!」
ゲンコツがもう一発、『風太』を襲った。
「痛たた……。ご、ごめんなさい」
「もう、謝ってばっかり……! でも、今回だけは、その『ごめんなさい』の一言で許してあげる」
「ほ、本当?」
「さっきのは忘れてあげる! その代わり、もうわたしの前で、その……ヘンタイみたいなことしないでっ!」
「分かった! や、約束するっ!」
その「約束」という言葉に反応して、雪乃の表情はまた険しくなった。
「約束? 風太くんとの約束は、あんまり信用できないよ」
「なっ!? ど、どうして?」
「だって、さっきの約束も守ってくれなかったじゃん。ちゃんと、カッコよくシュート決めてきてくれるって、言ったのに」
「シュート? ……あ、そうだ、試合!! サッカーの試合はどうなったの!?」
『風太』の記憶は、精神が風太化した時……つまり、フィールドで勘太を抜き去った時から、途絶えている。
「とぼけてもダメ。結局、この試合でシュート1本も決めてないのは知ってるんだからね」
「そうなんだ……。おれ、雪乃にまたカッコわるいところを見せちゃったのかな……」
「い、いやっ! べ、別に、かっこわるくはなかったけどっ!!」
「えっ?」
思わぬ反応に、『風太』は首をかしげた。てっきり、記憶にない部分は不様な姿を晒していたのだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。
『風太』は興味本位で、雪乃に尋ねてみることにした。
「あんまり覚えてないんだけど……。おれ、試合中はどんな感じだった?」
「そ、それは……その……」
「やっぱりカッコわるかった?」
「ううん、そんなことないっ!! 風太くんはすっごくかっこよかった!! ……あっ!!」
言ってしまった……というような感じで、雪乃は目を丸くしながら、手で自分の口を塞いだ。
言わせてしまった『風太』も驚いて、何故か少し緊張した。
「そ、そっか。カッコよかったのなら、良かった」
「うぅ……こんなこと言いに来たわけじゃないのにっ!! ああぁもうっ、失敗したーーーっ!!!」
「あ、ありがとう。雪乃」
「違うのっ!! かっこわるくはないんだけど、すっごくかっこよかったんだけど、違うのっ!!」
「あはは、はは……」
「笑わないでっ! 笑い事じゃないよっ! と、とにかく、風太くんは約束を破ったんだから、これを飲みなさいっ!」
雪乃は手に持っていた水筒を、無理やり『風太』に押し付けた。もちろんそれは、あのスムージーが入っている水筒だ。
「あ……。スムージー……」
「ちゃんと全部飲んでよねっ! カッコよくシュートを決められなかったんだから」
「で、でもっ、カッコよくボールを奪う約束は、守ったはずだよっ!」
「それはまぁ……そうなんだけど……。それもすっごくかっこよかったんだけど……えっと……その……」
「……?」
『風太』がせめてもの抵抗をすると、雪乃は口籠もり、顔を真っ赤にしながらうつむいた。
両手に握り拳を作り、ワナワナと震えている。
そして……。
「う……うわぁああーーーーんっ!!! 実穂ちゃぁああーーーーんっ!!」
「ええっ!?」
「風太くんがっ!! 風太くんがぁぁあーーーーーっ!!!」
「ちょ、ちょっと待って!」
雪乃の中で、恥ずかしさの感情が爆発した。
パニックになり駆け出そうとする雪乃を、『風太』は手を伸ばして制止しようとしたが、間に合わない。
雪乃はそのまま大声で喚きながら、親友の実穂がいるベンチの方へと走って行ってしまった。
「実穂ちゃあぁぁーーんっ!!! 実穂、ちゃ、うわぁあーーーーんっ!!!」
「ちょっと雪乃、どうしたの? 風太くんと、何かあったの?」
「あ、あのね、風太くんがっ……! ふう、たくん、に……うぅわぁぁーーーんっ!!」
「ほら、みんなびっくりしてるから落ち着いて。よしよし」
実穂は、胸に顔を埋めにきた雪乃を受け止め、優しく頭を撫でた。
その後、詳しい事情を一切話さずにわんわんと泣き喚き続ける雪乃を慰めながら、実穂を筆頭にした6年1組女子軍団は、極悪非道な「風太くん」に詰め寄った。
*
時刻は、昼の12時を回った。
そろそろお腹が空いてくる時間だ。
「「「いただきまーすっ!」」」
河川敷のベンチに集まった小学生たちは、実穂が持ってきた「手作りプチケーキ」を取り合うように食べ、緩美が持ってきた「カットフルーツ」を楽しく談笑しながら食べ、最後に雪乃が持ってきたイビツな形の「おはぎ」を食べた。
何故、雪乃が「おはぎ」に挑戦したのかは分からないが、これ以上彼女を悲しませないように、みんな精一杯の笑顔で口に運んだ。そして『風太』は、色々と責任をとるという意味もあり、まずいスムージーを飲みながら、イビツな「おはぎ」を誰よりも多く頬張った。
「お、おいしいなぁ! 独特な味で、とってもおいしいよ! このおはぎ!」
「ほんと……?」
「うん、ほんとほんと! 何個でも食べられちゃう! あはははは……オエッ」
『風太』がそう言うと、雪乃に少しだけ笑顔が戻った。
*
午後からは、男女混合で鬼ごっこをすることになった。
ベンチで応援しているだけでは、女子も退屈しているだろうと考えた健也の提案だ。もちろん誰も異論はなく、全員それに参加した。
遊び方は、走って逃げるか追いかけるだけ。サッカーのように難しい技術は必要ない。『風太』は男子の肉体の利をフルに活かし、元気よく全力で駆け回った。
(知らなかった……! 鬼ごっこって、こんなに楽しいんだ……!)
以前は遠くで見ているだけだった遊びも、今は自分がプレーヤーとなり、参加者の中で一番快活に楽しんでいる。身体が入れ替わらなければ、おそらく一生できなかったであろう体験だ。『風太』は時間を忘れて存分に遊び、溜め込んでいた陰気を解放するかのようにたくさん笑った。
*
時間は流れ、ベーコン川は夕陽によって鮮やかなオレンジに色を変えた。
遊び疲れた小学生たちは、ぞろぞろと河川敷のグラウンドを後にした。
「よいしょ……っと。風太くんっ、一緒に帰ろ!」
「うんっ! 行こう雪乃!」
すっかり機嫌を直した雪乃は、自分の自転車のハンドルを握り、乗らずに押し運んでいる。
『風太』と雪乃。二人で、一緒に遊んだ友達に別れのあいさつをしながら、自宅を目指して進んでいく。
「フンフーン♪ フッフフーンフーン♪」
カラカラと自転車を押しながら、雪乃は鼻歌を歌っている。『風太』はそんな雪乃を見て、「喜怒哀楽」という言葉を思い出し、クスリと小さく笑った。
「……ん? 何笑ってるの?」
「いや、別になんでもないよ。……ふふっ」
「また笑ったでしょ!? 何か、面白いことでもあったの? わたしにも教えてよー!」
「そんなたいしたことじゃないよ。今日はいろいろあったなぁって、思っただけ」
『風太』のその言葉を聞いて、雪乃は急に真面目な顔になり、少し黙り込んだ。
「……」
「雪乃?」
「風太くん……」
「?」
「わたし、最近思うんだ」
「うん?」
「ずーーーっと、この楽しい時間が続けばいいのになぁ、って」
「……!」
刺さった。
『風太』の心の、一番深いところに。
「風太くんの言うとおり、今日はいろいろあったけど、すっごく楽しかった。小学6年生の、この時間が楽しすぎて……もちろん来年中学生になっても、きっと楽しいことはたくさんあるんだろうけど、みんな今よりも大人になってるから……。少しだけ、寂しいの」
「……」
「ねぇ、風太くんもそう思うことって、ある?」
「あるよ!! お、おれだってずっと、このままがいいっ!!」
雪乃が言った「この時間」と、『風太』が言った「このまま」は、少し意味が違うが、気持ちは同じだった。
「風太くんは、ずっと変わらないでいてくれる?」
「おれは風太だ。それは、これからもずっと変わったりなんか……替わったりなんかしない」
「じゃあ、これも約束してくれる?」
「うん……!」
ベーコン川沿いの、あまり広くない道の上で、少年と少女はお互いの右手の小指を絡ませ、かわらないことを誓い合った。
日が暮れた夜の空には、小さな星が輝き始めていた。
*
時刻は、ちょうど同じ頃。
場所は、風太や美晴が住む街にある、気品と高級感が溢れた、白い邸宅。
その邸宅のバルコニーでは、一人の少女が夜空の星を見ながら、甘いミルクココアを飲んでいた。
彼女にとってこの時間は、一日の疲れを癒やしつつ明日からの予定をじっくり考えるための、とても有意義な時間だ。
「~♪」
テーブルの上のスマートフォンが鳴った。
少女はマグカップをそのテーブルに置き、同じ手でスマートフォンを手に取り、画面に表示されている通知を確認した。
(蘇夜花……!)
クラスメートの名前。最近は、その子と一緒にいることが多い。
少女は、「ふぅ……」と息を吐いてから、静かに電話に出た。
「もしもし?」
「こんばんは、五十鈴ちゃん」
「あら、こんばんは。蘇夜花」
「昨日はお疲れ様ー。湖岸清掃のボランティアに付き合ってくれて、ありがと」
「いいわよ別に。わたしも、学級委員としての顔があるもの」
「いやあ、月野内小学校に転校してきて良かったよ、本当。卒業式は、この学校で迎えようかな」
「それで? 休みの日に連絡してきたってことは、ただの世間話をしたいわけじゃないわよね?」
「もちろん。美晴ちゃんのことで、話があってね」
「美晴……ねぇ。あなた、美晴のこと好き過ぎない? ずいぶんと気に入ってるのね」
「うん! やっぱり、声を出せないっていうのが魅力的だね。何をされてもずっと黙っててくれるから」
「最近の美晴は、ちょっとしゃべるようになったけど」
「あはは。今だけだよ」
スマートフォンを左手に持ち替え、空いた右手でノートを開く。
「……で、今度は何をしたいの? どうせまた何か悪いこと思いついたんでしょ?」
「さすが五十鈴ちゃん。実は昨日、素敵な出会いがあってさ」
「出会い?」
「美晴ちゃんって子にね。ちょっと挑発したら、いきなりお腹にパンチされちゃった」
「あら、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ、全く。散々な目に合わせてあげたのに、まだ懲りてないなんて。わたしは、かなりナメられてるらしいね」
「……で、『刑』やるの?」
「やるよ。負けっぱなしじゃ悔しいもん」
ノートのページを開き、『刑』についてまとめてある項目を読む。
「リクエストが来てるわ。もう一度、『彷徨い人魚』をやってほしいって。動画で見た子が、生で見たがってるみたいよ」
「うーん、それはまた今度ね。もうちょっと改良しないと」
「でも、美晴の身体で傷を作れる場所は、もう少ないわよ。『ハリ裂けミミズ』も、まだ残ったままだし」
「美晴ちゃん、早く傷を治してくれないかなぁ。つまんないよ」
「もう後は『デメ』くらいしかないわね。また『デメ』、やる?」
「そうだねぇ。うーん……」
「どうするの?」
「よーし、決めた! 新しい『刑』をやるよ!」
「えっ!? そんなのあるの?」
「ふふふ。一つ、考えてる『刑』があるんだよ。決行日は……しあさっての金曜日がいいかな。詳しくは、また今度話すね」
「分かったわ。さようなら、蘇夜花」
「バイバイ。五十鈴ちゃん」
少女は電話を切り、テーブルの上にそっと置くと、再び夜空の星を見上げた。




