お前は本当に風太か?
「たっ、立ちション!?」
『風太』は思わず、健也に聞き返した。
「ああ。おれたち三人は、そのつもりでここに来たんだけど……。風太には言ってなかったっけ?」
「立ちションって、あの立ちションですか!?」
「ん? 立ってションベンすること以外に、何かあるのか?」
「しょ、しょんべんって……。つまり、あの、お、おしっこ……」
「何をうろたえてるんだよ。みんな普通にやってることだろ」
「いや、でも、どうしてこんなところでっ!?」
「どうしてって……。川にむかってやれば、勝手に流されていくからな。ここは特に流れが速いし」
「あ、あのっ! トイレ、とかは……?」
「この辺にトイレないだろ。本当に変なこと言うなぁ、お前」
「……」
言われてみれば、確かにこの周辺に公衆便所はない。自転車で町の方まで行くと、まともに用を足せるところはあるのだろうが、おそらく男子勢にそんな面倒くさいことをするやつはいない。
そうこうしているうちにも、事態は進行していた。
「ん? どうした? 風太はしないのか?」
立ちションもせずに話し込んでいる健也と『風太』に、翔真が声をかけてきた。
「うん……! お、おれ、出ないからっ!」
「ふぅーん。そっか」
返事をした翔真の姿を見て、『風太』は絶句した。
「……っ!!?」
翔真はズボンのチャックを降ろし、パンツも少し降ろしている。つまり、発射準備OKの状態だ。
(きゃあっ!? しょ、翔真くんの……が、まる出しにっ!!?)
『風太』とて、一度もそれを見たことがないわけではない。
風太と入れ替わってから、むしろ見る機会は何度もあった。現在の自分の身体にも、ソレがくっついている感覚は、確かにある。
しかし、抵抗はあった。着替える時、トイレに行く時、風呂に入る時も、なるべく直視はしないように努力をしてきた。
戸木田美晴は、男の身体としっかり向き合うということを、これまで一切してこなかったのだ。
(きゃーーーっ!!)
『風太』は心の中で、悲鳴をあげた。
決して声には出さず、身体を後ろに向け、見てしまった翔真のアレの映像を、頭からかき消そうとしている。しかし、『風太』が振り向いた先には、もう一人の少年、勘太がいた。
「うわっ、急にこっち見るなよ! 風太っ!」
ジョボボボボ……。
「あっ、なあっ!? はわあっ、わわ、ひゃあぁぁぁーっ!!」
思わぬ連続攻撃に、『風太』はついに声に出して悲鳴をあげた。そして、咄嗟に両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込み、完全な防御の体勢をとった。
普段の風太なら絶対にするはずのない不思議な行動に、健也たちは互いに顔を見合わせて驚き、一連の行動を反芻した。
「なんだよ、今の女子みたいな反応は。説明しろよ。勘太」
「知らねーよ。風太は勝手におれのアソコを見て、勝手にダメージ受けやがったんだ」
「もしかして、勘太のアソコがあまりにもショボかったから、ショックを受けたんじゃ……」
「あぁ!? 翔真、お前のよりマシだからな? ちゃんと毎日使い込んであるんだぞ。ほら見ろ」
勘太は排尿を終え、腰に手を当てながら、健也と翔真に自分のアレをしっかりと見せつけた。
「あーあ。これは風太がショックを受けるのも分かるな」
「なんだとぉっ!? おい、風太見ろ!」
勘太はアレを露出したまま歩き、『風太』の肩にポンと手を置いた。しかし、勘太のその手をバチンと振り払うと、『風太』は大声で叫んだ。
「いやぁっ!! 汚い手で触らないでっ!!」
「分かったよ。触らない。触らないから見ろよ」
「み、見たくないっ! しまって……!!」
「いや、見ろ! そして立派だと言え! お前のせいでこうなっちゃったんだからな!」
健也と翔真は、そんな二人のやり取りを見て、クスクスと笑っている。
「もうっ! やめてっ!」
「『こーら、風太くぅん! わたしのアレを、ちゃんと見てよぉ!』」
「ゆ、雪乃ちゃんの声真似するのもやめてっ! あの子はそんなこと言わないっ!」
「おおっ、よく分かったな。似てた? 似てただろ?」
健也と翔真は、改めて勘太のことを最低な人間だと思いつつ、二人の動向を見守っている。
「よし、分かった。しまうよ。ちゃんとしまう」
「うん……」
「がさごそごそ……。ほーら、しまった。もう大丈夫だー。こっちを見ろー」
「絶対ウソ! ウソついてるっ!」
「ちっ、バレたか」
そろそろ頃合いだと感じた健也は、ポケットからウェットティッシュを取り出して何枚か翔真に渡し、彼に勘太を連れて先にグラウンドに戻るように頼んだ。
「ほら、勘太いくぞ」
「うわあっ、掴むなよ翔真っ! まだ、傷付いたおれの名誉が……!」
「そんなもんどうでもいいよ。健也と風太は、まだ立ちションしてないんだ。邪魔してやるな」
「『こら、翔真っ! 勘太くんを放してあげなさいよっ!』」
「実穂の声真似してもダメだ。そんなことばっかりやってるから、女子から嫌われるんだぞ。お前」
「ちぇっ。覚えてろよ、風太!」
「じゃあな、健也と風太。先に行ってるぞ」
翔真と勘太の二人は、手を拭きながら、一足先にグラウンドへと戻っていった。
*
翔真と勘太が去った後の、ベーコン川。
絵本の中の妖精たちが住んでいるような清流は、黄色い液体が混入し、ほんのりとしたアンモニア臭を醸し出した。
今になって思えば、スムージーを飲んだ時、川の水で口直しをしなくて正解だったかもしれない。
「……」
「……」
河原に残された健也と『風太』は、立ちションをしやすいように股を少し広げ、二人とも川の方を向いて立っている。
「さて、おれたちもさっさと済ませて、試合再開するか」
「……」
「風太?」
「えっ? う、うん……」
「お前さ、やっぱりいつもと違うよな。何か隠してるだろ」
「うぇっ!? い、いや、なんでもないよっ」
「それは無理があるぜ。おれとお前が、何年の付き合いだと思ってるんだ。そりゃあ、雪乃よりかは短いけどさ」
「健也くん……」
「全部話せとは言わないよ。誰だって、他人に話せないヒミツくらいある。でも、二つだけ正直に質問に答えてくれ」
「二つの質問?」
「さっきのサッカーの前半戦、なんであんな感じだった?」
「それは……ぼ、ボールに触るのが、怖くなったから。絶対に失敗できないと思ったから、だよ」
「緊張してたのか? 風太でもそういうことあるんだな」
「う、うん。成功させなきゃって思って。でも、今はもう怖くないよ。雪乃ちゃ……雪乃のおかげで」
「そっか、もう解決したのか。やっぱりおれは、雪乃には敵わないな」
「ううん。心配してくれて、ありがとう」
川のせせらぎを聞きながら、健也は二つ目の質問に移った。
「もう一つ。これは確認なんだけどさ」
「うん、何?」
「お前、本当に風太なのか?」
「えっ……」
美晴は言葉に詰まった。
(まさか、見抜いているの!? わたしが、本当の風太くんじゃないってこと……!)
『風太』が次の言葉を探している間に、健也はカチャカチャとベルトを外し、自分のズボンを降ろそうとした。
「ま、待って!」
「どうした? 止めるなよ。ションベンするだけだ。お前と一緒にな」
「うん、うん。分かってる」
「正直に言うと、最近のお前は変だ。なんていうか、二重人格にでもなったみたいな。おれに霊感はないけど、まるで幽霊に取り憑かれてるみたいに見える」
「幽霊……」
「考えすぎかもな。おかしいのは、おれの方かもしれない。でも、風太が自分の意志で動いてるのかどうかが、分からないんだ」
「……」
「答えてくれ。お前は本当に、おれがよく知る二瀬風太か?」
核心を突いてきた。
健也は、『風太』の正直な答えを待っている。
(どうしよう……。この人は、本当のことを知りたがってる……! でも、わたしは絶対に、この幸運を手放したくないっ……)
『風太』はゴクリと生唾を飲み込み、こちらを見つめている健也に視線を合わせて、はっきりとした口調でいった。
「何を言ってるんだよ。おれは……風太だ」
「そうか……!」
『風太』がついたウソを聞き、健也はにっこりと笑った。そして、安堵の表情を浮かべ、再びカチャカチャとズボンを降ろし始めた。
「ははっ、そうだよな。お前は風太だよな。いやあ、昨日見た心霊の番組でさ、幽霊について特集してたから、影響されちゃったんだよ」
「あ……はは……。変なのは健也の方だったね」
「なんか恥ずかしいから、忘れてくれよ。早くションベン済ませて、グラウンドに行こうぜ」
「う、うんっ」
健也はズボンを開け、トランクスを少し降ろして、アレを露出させた。
(やる……! 立っておしっこぐらいできるようにならないと、わたしはいつまでも美晴のままだから……!)
『風太』は一呼吸置いてから、今の自分の性別と向き合う覚悟を決めた。




