スワンプからの脱出
ハーフタイム。
このサッカーにおいては、「疲れてきたから、みんなでちょっと休憩する時間」だ。審判すらいないので、ハーフタイムの時間は決まっていない。
男子たちはコートから出て、自分の荷物が置いてあるベンチ(現在、女子たちが陣取っているベンチ)の方へと、ぞろぞろと歩いて向かった。
「健也くん! お、おお、お疲れさまっ!」
「お、荷物とってくれてありがとうな。緩美」
健也は、緩美(先ほど「ゆっち」と呼ばれていた少女)から、自分のバッグと水筒を受け取った。
「翔真くん、これでしょ?」
「うわっ! 投げるなよ、実穂っ!」
翔真は、実穂から自分のリュックサックを受け取った。
「ふーうーたーくん?」
「あの、バッグ……」
「だめだめ。ほら、さっさと戻りなさいっ!」
「えぇっ……?」
「『えぇっ……?』じゃないっ! 全然動けてなかったよっ! わたしがしっかり見てあげるから、まずはあそこのゴールまでダッシュ!」
「は、はいっ!」
雪乃は『風太』にバッグを渡さず、コートの中へと追い返した。
*
たくさん汗をかいた男子たちは、ベンチでドリンクを飲んだり、女子たちと談笑したりして、疲れを癒やしている。
そんななか、この試合で一番汗をかいていない『風太』は、誰もいないサッカーゴールの前に立っていた。そして少し遅れて、『風太』の臨時コーチ役が、ボールを転がしながらやってきた。
「ホントに今日はどうしちゃったの? なんだか調子が悪いみたいだけ……どっ!」
「ひゃ、ひゃあっ!」
雪乃の蹴ったボールは、コロコロと地面を転がり、『風太』の足に軽くぶつかった。
『風太』は驚いて悲鳴をあげ、足をさっと引いてボールを避けようとしたが、反応が遅く、すでに身体に当たった後だった。
それを見た雪乃は、顔をしかめた。
「こらっ! なんで逃げるのっ!」
「だって、そんな……突然だったからっ」
「むむむ。これはもしかして、スワンプってやつかな……? じゃあ、そのボールをこっちに蹴ってみてよ」
「えっ……」
『風太』は恐れていた。
先ほどのように、また失敗してしまったらどうなるか。しかも、今度は目の前に雪乃がいる。1度なら、たまたま失敗したと言ってごまかすこともできるが、2度目は……。
(どうしよう。やっぱり、わたしには無理なのかな……。わたしはあの人じゃない……。風太くんにはなれない……)
「……」
『風太』がうつむいて黙りこくっていると、雪乃がすたすたと近づいて来て、転がるボールを足で捕まえた。
「もうっ、しょうがないなぁ」
「……」
「よっ……と。見てよ、わたしもけっこう上手くなったでしょ? サッカーボールの扱い方」
「……」
「ねぇ、風太くんっ!!!」
「えっ……。何……?」
「今の風太くんなんかよりも、わたしの方が上手いかもね。ほーらほーら、女の子に負ける気分はどう?」
「……!」
雪乃の挑発。
いつもの風太なら、こんな安っぽい煽りには乗らない。しかしその言葉は、なんとなく『風太』の心に引っかかっていた。
「~♪」
雪乃はサッカーボールを脚で操りながら、『風太』の周りをうろちょろしている。確かにボールに慣れてはいるが、健也や翔真などの男子ほど上手ではない。
少し脚を出して邪魔をしてやれば、ボールを奪うことぐらいはできそうだ。
「上手いか下手かの問題じゃないね。わたしや実穂ちゃんが試合に出た方が、まだ活躍するかも」
「……っ!!」
すかっ。
我慢できずに、『風太』は脚を出した。うまくかわされ、ボールに触れられはしなかったが、雪乃は少し体勢を崩した。
「わっ……と。危ない危ない」
「……!」
「その気なら、試してみる? わたしと勝負」
「……」
決して届かない壁じゃない。体格では『風太』の勝ちだし、ちゃんと目を開ければ、雪乃の隙が見えるようにもなっていく。
後は、自分のやりたい動きを、もう少しはっきりとイメージすれば……。
(いけるっ……!! 雪乃ちゃんから、ボールを奪えるっ!)
雪乃は真剣な顔になり、行動範囲を拡げて逃げ続けた。そして『風太』も、全力で雪乃を追った。
必死の攻防が続くなか、そこへハーフタイム休憩を終えたクソガキの勘太が通りかかった。
「へへっ、風太より雪乃の方が上手いんじゃねぇか? 雪乃が代わりに試合に出てさ、風太は女子と一緒に応援でもしてた方が……」
「「うるさいっ!!!」」
「ひぃっ!? じょ、冗談だよ……」
真剣な二人は、勘太の言葉を雑音として処理し、脚を止めなかった。
激しい攻防はしばらく続き、勘太が二人から完全に遠ざかった頃、決着がついた。
ガッ!
二人の脚が絡み合い、その勢いでボールが弾き出された。
『風太』はそれを走って追いかけ、右足でしっかりと捕まえた。警戒はしたものの、雪乃が奪い返しにくる気配はない。
「はぁ……はぁ……。やった……!」
「ふぅ。疲れたぁー」
「と、とったよ……。雪乃からっ……!」
「もうっ! それくらいで喜んでないで、ボールを奪ったらゴールにシュートでしょっ!」
「うんっ!」
『風太』はドリブル……というより足でボールを押しながら、ゴールの真ん前まで移動し、一度深呼吸をして気持ちを整えてから、思い切りボールを蹴った。……蹴ろうとはした。
ズガッ。
意気込んではみたものの、結果は失敗した時とほぼ同じ。土を巻き上げながら、辛うじて掠ったボールがコロコロと前方に転がっていく。
唯一違うのは、今回は目の前に無人のゴールがあるということだ。
「あぁっ、また失敗……」
「今回は失敗じゃないよ。ナイスシュート」
「えっ?」
「ナイスシュートだよ。だから、もっと喜んでいいの」
「そう……なのかな……?」
「ほら、さっきよりもちょっとだけ良くなったでしょ? そろそろ、わたしたちも休憩しよっか」
「うん……!」
*
サッカーボールはゴールポストの内側に軽く当たり、ネットに収まっている。
『風太』と雪乃はフィールドを後にし、他のみんなと同じベンチへ……ではなく、川のそばにある大きな石の上に座って、休憩をとることにした。
「はい、風太くんのバッグ」
「ありがとう、雪乃」
雪乃は『風太』にバッグを手渡し、自分はリュックの中から水色と白のしましまホルダーに身を包んだペットボトルを取り出した。
「はぁー、暑い暑い。お茶、持ってきといて良かったぁ」
「……」
「ごくごく……ぷはぁー! うぅーんっ、生き返るぅー!」
「……」
「ん? そんなにじっと見てても、あげないよ。自分のお茶があるでしょ?」
「う、うんっ! あ、ああ、あるよっ」
『風太』は無意識のうちに、雪乃をじっと見ていた。まるで、何かとても魅力的なものを観察するかのように、見つめていた。
それが少年の身体の本能だということに、『風太』はまだ気付いていない。
(お、お茶を飲まなきゃ……!)
『風太』は慌てて雪乃から視線をそらし、バッグの中にある赤い水筒を取り出した。すると、それと同時に、一枚の紙がひらりと飛び出してきた。
「ん? なんだろう、これ。『フウくん、スポーツドリンクばっかり飲んでると、虫歯になりやすいのよ。だから代わりに、私のとっておきのをあげるわ』」
「これって、風太くんママの字だよね。とっておきって、何のこと?」
『風太』は水筒のフタを開け、恐る恐る中の液体をコップに注いでみた。
「わっ!?」
「わあぁ……! 緑色でドロッとしてるね。シェイクかな?」
「多分、違うと思う。これは……『二瀬守利特製スムージー・マモリブレンド』」
「スムージー?」
風太のお母さんこと守利は最近、オリジナルスムージー作りに凝っている。研究に研究を重ね、そんな中で導き出した彼女の一つの結論が、この「マモリブレンド」だ。料理が下手なわけではないので、一応飲めるように作られているハズだが、何が入っているかは分からない。
「風太くんは、これいつも飲んでるの?」
「ううん、一度も飲んだことない」
「飲んでみてよ」
「うん……」
軽い気持ちだった。なんとなく、「汗をかいたので水分が欲しいな」ぐらいの気持ちだ。それに、飲んでみれば案外美味しいかもしれない。
『風太』はコップに唇をつけ、緑色の液体を口の中へ流し込んだ。
「おぶぇっ!! ぺっ、ぺぺっ!!」
非常にマズい。
子どもなら誰でも嫌うような食材がたくさん入っている上に、市販のスムージーではないので子どもへの配慮は全くない。
『風太』は草むらの方を向いて、口の中の異物を思い切り吐き出した。
「うぇっ……!」
「あわわっ、大丈夫っ!?」
「だめっ、口の中に、まだ残ってる……! み、水っ!」
『風太』は、口を押さえながらきょろきょろと周囲を見回して、浄化するための水を探した。しかし、水道や自販機などはなく、今すぐ手に入りそうな水は、自分の背後に流れているそれしかなかった。
「か、川の水っ……!」
「ダメだよ待って! 飲んじゃダメっ! 汚いよっ!」
「口をっ……口をゆすがせてっ! けほっ、けほっ」
「ほら、これ飲んでっ!」
雪乃は、手に持っているペットボトルを『風太』に渡した。
行動を無理やり変更され、パニック状態に陥っていた『風太』は、急いでキャップを外し、中に入っているお茶を求めた。
「あ、ありがとっ」
「えっ、ちょ、そ、そのままっ!?」
雪乃が何か言っている。
しかしその言葉は、とにかく水が最優先の『風太』の耳には入らない。『風太』はペットボトルに唇をつけて、美味しいお茶を口に含むと、軽くゆすいで草むらの方へと吐き出した。
「はぁ、はぁ……。助かった……」
「ふ、ふふ、風太くんっ!」
「本当にありがとう、雪乃ちゃ……雪乃。口の中、すっかりキレイになったよ」
「う、うわぁーーーっ!!! 風太くんのバカぁーーーー!!!」
「ええっ!?」
雪乃はしっかりと握った拳を振り上げ、『風太』の顔に正面からぶつけた。
訳も分からないまま、その勢いで『風太』は座っていた石から落とされ、地面を転がった。
「いたた……。な、何するのっ!?」
「『これ飲んで』とは言ったけど、『関節キスして』なんて一言も言ってないっ!!!!」
「か、関節……キス……? わたしと、雪乃ちゃんが……!?」
「ペットボトルに口つけたでしょっ!!? 水筒のコップを使うと思って渡したのにっ!!!」
「あ……! あぁ、あああっ……!!」
『風太』も、やっと状況を理解した。
驚きの表情を浮かべて倒れている『風太』に対して、雪乃は顔を真っ赤にしながら、本気の連続キックで追い打ちをかけた。
「ばかっ! あほっ! ぼけっ!!」
「ご、ごめんなさ……きゃあっ!」
「変態っ! 猥褻っ! 痴漢っ!!!」
「痛いっ……! やめて、雪乃ちゃんっ」
「うるさーいっ!! そんなスムージー付きのペットボトルなんていらないっ!! 持って帰れーー!!」
「わ、分かったからっ! 分かったからやめてっ!」
「も、もう……知らないっ!」
靴跡まみれになった『風太』をほったらかしにして、雪乃は自分のリュックを持って、女子が集まっているベンチの方へと走って行ってしまった。
『風太』は身体中を蹴られ、呆然としながらその場に倒れていた。
(わたしが雪乃ちゃんと関節キスしちゃったけど、でも身体は風太くんだから、実際は風太くんと雪乃ちゃんの関節キスで……でも、風太くんは今のわたしだから……。えっと、つまり……???)
考えれば考えるほど感情は複雑に絡み合い、最終的に頭の中は真っ白になっていった。
*
「おい、風太。大丈夫か?」
「え?」
石の上に座ってぼーっとしている『風太』を、健也と翔真、そして勘太の三人が発見した。
「はははっ、ひどくやられたな。めちゃくちゃ怒ってたぜアイツ。何があったかは、話してくれなかったけどさ」
「あっ! そうだ、とにかく雪乃ちゃ……雪乃に謝らないとっ!」
「いや、今はそっとしておいた方がいいと思うぞ。あの荒れ方は、ただのブチ切れじゃない。話を聞いてくれる状態でもなさそうだし」
「そ、そうなの? じゃあ、後でちゃんと謝らなきゃ」
「それがいいよ。もうすぐ試合も再開するから、終わってから謝りに行け」
「うん……。雪乃、許してくれるかな?」
「さぁな。さっきみたいな不甲斐ないプレー見せたりしたら、今度こそ本当に蹴り殺されるかもな。まぁ、とにかく立てよ」
『風太』は立ち上がり、衣服に付着した土や泥を払い落とした。
さすがは頑丈な風太の身体。雪乃に蹴られた痛みは、もうほとんど残っていない。
「とりあえず無事か。じゃあ、風太も一緒に来いよ」
「う、うん……」
*
新たなメンバーを加えた男子小隊は、ずんずんと草むらの奥へと進み、ベーコン川の河原に到着した。
川の水面はキラキラと輝き、緩やかな流れが心地良いせせらぎを奏でている。自然が作り出した美しい世界に、『風太』は感動した。
「わぁ、素敵っ……! 昔絵本で見た、妖精の国の清流みたい……! ベーコン川に、こんな一面があったなんて」
「何ウットリしてるんだよ風太。お前もここでやるんだろ?」
「え? やるって……何を?」
「決まってるだろ。立ちションだよ、立ちション」




