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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第六章:図書館で過ごす長い一日
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一日の終わり


 「ウソ……だろ……?」


 それは、腹を押さえてうずくまっている蘇夜花のセリフではなく、パンチを喰らわせた『美晴の』のセリフだった。

 溜まっていた鬱憤うっぷんを晴らすような一撃だったにも関わらず、『美晴』の表情は、絶望ぜつぼう一色いっしょくだった。


 「なんだ……!? なんだよ、それっ……!!」

 「……」

 

 『美晴』は痙攣けいれんする右手を押さえながら、ふらふらと歩き、先ほどのベンチに横たわった。そして、髪が乱れるのも気にせず身体をよじって、とてつもない痛みに耐えていた。呼吸は荒くなり、体温はどんどんあがっていく。


 「はぁ……はぁ……くそっ……! どうなってるんだ……!? 今……何が起こった……!?」


 確かに、蘇夜花の腹を殴った。

 女の子を殴ることにまだ抵抗はあったが、風太の心と、美晴の身体が、もうそいつを許そうとしなかった。だから、二人分ふたりぶんいかりを込めて、今までのケンカの経験からもっとちやすい腹パンチをはなった。ハズなのに……。


 (なんだよ、今の感触はっ……!)


 『美晴』が動揺している間に、蘇夜花はゆっくりと身体を起こし、ひざに付いた砂を払い落としてから、『美晴』の方を向いた。

 

 「なんだっけ? 美晴ちゃん」

 「あぁ……!? 何が……!?」

 「あなたがさっき言ってたこと」

 「しっ、知るかよ……! いってぇな……! クソっ……!」

 「そうだ。思い出した」

 

 ベンチで倒れている『美晴』のそばに、蘇夜花が立っている。『美晴』は隣に立つ女の子を見上みあげ、蘇夜花はベンチに横たわる女の子を見下みおろしている。

 にらみ合いが続いた後、先に口を開いたのは蘇夜花だった。


 「『本、借りておいて良かったぜ』」

 「え……?」

 「美晴ちゃんが、さっき言ったセリフだね。そのまま使わせてもらったよ」

 「なっ……!?」


 蘇夜花は自分が着ている服の中に手を入れ、お腹からゴソゴソと一冊の本を取り出した。

 本のタイトルは、「サムライわんことハチミツおばけ」。


 (それは確か、おれが藤丸に読み聞かせた……)


 そう、あの時の本だ。

 ページ数はそれほど多くないが、絵本の中では大きい部類ぶるいに入る。ちょうど、蘇夜花の腹部を隠せるほどの大きさだ。そしてその表紙には、木の板のように固い素材が使われている。


 「サムライわんこシリーズ、好きなの。わたし」

 「それを……腹に……入れてた……のか……!?」

 「イェース。われながらナイスアイデア」

 「ふ、ふざけんなっ……! つまり……最初からっ……!」

 「その通り! お腹のところに、ずっとこの本を入れてたの。すっごく不格好ぶかっこうだったけど、気付かなかった?」

 「そんな……バカなこと……」

 「バカなわなにまんまと引っかかったのは、あなただよ。ミ・ハ・ル・ちゃん」

 「うぅっ……!」


 蘇夜花は、何のためらいもなくベンチに腰を降ろした。当然、ベンチではすでに『美晴』が横たわっているので、その上から座った。

 抵抗などできる体力はなく、『美晴』は仰向あおむけになって、お腹で蘇夜花の体重を支えた。

 

 「ぐっ……! ど……どけっ……! 重いんだよ……!」

 「まだそんなくちけるんだね。可愛くない……ぞっ!」

 

 『美晴』の悪態あくたいに対し、蘇夜花は反撃をした。

 反撃と言っても、暴力をふるったわけではなく、身体の一部を軽くつかんだだけ。


 「あっ……!?」


 『美晴』の口から、少し高い声が出た。

 腹の上に座っている女の手は、そばにある二つのふくらみに興味を持った。彼女の手は、まだそこに置かれている。

 

 「美晴ちゃんのはおっきいね。クラスだと何番目くらいかな」

 「なっ……! な……何してるんだっ……! お前っ……!!」

 「口が悪い美晴ちゃんは好きじゃないって、さっき言ったよね? 直す気がないなら、もう一度やるけど」

 「くっ……!」

 「あなたらしい言葉、使える?」

 「……」

 「どうなの?」

 「は……い……」

 「それでいいの。じゃあ、色々と教えてあげる」


 蘇夜花の手は、『美晴』の胸から『美晴』の前髪へと移った。

 特に目的もなく指でその髪をいじりながら、蘇夜花は一方的に話を始めた。

 

 「この前、あなたをボコボコにしたカイくんがね、言ってたんだ。『美晴に腹を一発殴られた』って」

 

 「そしてさっき、美晴ちゃんがやっつけた男の子たちの中に、お腹を苦しそうに押さえてる子がいたの。ってことで、『美晴ちゃんが殴り合いのケンカをする時は、まずお腹を狙った攻撃をする可能性が高い』という推測すいそくをしたわけ」

 

 「だからちょっと挑発して、美晴ちゃんをケンカモードにしたかったんだ。わたしのお腹にも、一発入れてくるかなって。結果は……まぁ、こうなったね」

 

 「ただ、想定外そうていがいだったのは、美晴ちゃんのパンチ力。絵本で防御してても、なかなか衝撃はあるんだね。怒りのパワーをナメてたよ、正直」

 

 「でも、やっぱり暴力はダメだね。『先に手を出した方が負け』なんて、よく言ったものだよ。ほーら、痛いでしょ?」

 

 蘇夜花は指をからませ、嫌がる『美晴』の右手を無理やり握った。

 ビリビリというしびれにも似た激痛が、その手に走った。

 

 「うっ……うあぁっ……!!」

 「ふふっ。さっきのケンカで、すでにボロボロだったのにね」

 「はぁ……はぁ……。なんで……さっきの……ケンカ……を……お前が……、あなたが……知ってる、ん……ですか……!?」

 「おねえさん想いの女の子に、『心配だから様子を見てきて!』って、頼まれたんだよ。藤丸って名前の子」

 「藤丸が……!?」

 「うん。出会ったのは偶然だったけどね。あの子も、美晴ちゃんのように……あそ甲斐がいがありそうな子だったなぁ」

 「あ、あの子は……関係ないだろっ……! 手を……出すなっ……!!」

 「おー、とってもカッコいいセリフ。でも、立場を理解してる?」

 「て……、手を出さないで……くださいっ……! お願い……しますっ……」

 「あはは、冗談だよ。わたしの興味は、まだ美晴ちゃんにあるから、安心してね」

 「……!」

 

 『美晴』がにらんでも、腹の上の女は表情一つ変えなかった。

 すました顔の蘇夜花は、先ほどまで防御に利用していた本を、自分のバッグに片づけようとしている。

 

 「その……本……」

 「これ? さっき図書館で借りたんだよ」

 「今日……図書館に……いたんですか……?」

 「いや、ずっといたわけじゃないけどね。帰りにちょっと寄っただけ」

 「帰り……?」

 「うん。ハトムネ湖からのね」


 昨日、守利マモリに連れられて『美晴』がおとずれた、あのみずうみの名前だ。


 「今日は、学級委員の五十鈴ちゃんたちと一緒に、湖岸こがん清掃せいそうのボランティアに行ってたの」

 「こ、湖岸清掃っ……!?」

 「先生や自治体の方々と一緒に、湖に落ちてるゴミを集めたんだよ。偉いでしょ?」

 「それも……大人から……信用されるため……か……?」

 「わたしは常に、とっても良い子だからね。もしも、わたしのお腹を殴るような人がいるなら、それはとっても悪い人だから、いっぱいばつを与えなきゃだね」

 

 そう言うと、蘇夜花は二度三度小さく跳ね、そのはずみで勢いよく立ち上がった。

 『美晴』の腹は何度も圧迫あっぱくされ、蘇夜花が立った後もずっしりとした痛みが響いていた。

 

 「お……おぇっ……!」

 「わたし、そろそろ帰るよ。じゃあね」

 「くっ……!」

 「また学校で会おうね」

 「……」

 「わたしのお腹を殴った分、ちゃんとつぐなわせてあげる」

 「……!!」

 

 背筋せすじこおった。声は出ない。

 蘇夜花は、瞳孔どうこうが開いたままの『美晴』を見てにっこりと笑うと、ポニーテールを跳ねさせながら暗い夜道へと消えていった。


 *


 図書館のそばの広場。

 『美晴』はそこに、一人取り残されていた。


 羽虫はむしが群がる街灯の光が、ベンチで倒れている『美晴』を照らしている。

 『美晴』は小さく呼吸をしながら、閉じかかった瞳で満天の星空をながめていた。身体はび付いたように動かず、長い髪だけが風に揺れて動いている。


 「美晴っ……!!」


 誰かが、名前を呼んだ。


 「美晴、どうしたの!? 大丈夫っ!?」


 身体を揺すられている。

 『美晴』はぼんやりとした表情で、その声の主を辿たどった。

 

 「美晴の……おかあ……さん……?」

 

 風太のお母さんではなく、美晴のお母さんだ。

 仕事から帰ってそのまま飛び出して来たのだろうか、彼女のレディーススーツは少し乱れていた。

 

 「美晴っ……!」

 「お母さん……」


 美晴のお母さんは娘の身体を支え、慎重しんちょうにベンチに座らせた。そして、全身の力が抜けきった娘の服装を整え、後髪を優しく撫でた。

 

 (おれを……むかえにてくれたんだ……。やっぱり、美晴のお母さんは優しいな……)

 

 『美晴』はおデコの傷を見られないように前髪を下ろしながら、お母さんの顔を見上げた。

 

 「大丈夫……。ちょっと……疲れて……眠ってただけ……だから……」

 「かった……! 何か事件に巻き込まれたわけじゃなくてっ」

 「心配……かけて……ごめんなさい……」

 「まずはお家でゆっくり休みましょう。立てる? なんともない?」

 「う……うん……!」


 立てない。

 本当は全身ズタボロで立てないが、これ以上心配をかけたくないという気持ちと、男として甘えるわけにはいかないという意地いじで、根性を出した。


 「本は私が持っていくわ。ほら、美晴」

 「え……?」

 

 お母さんは、立ち上がった『美晴』の正面でしゃがんだ。そして、手提げ袋を持っていない方の手を、スッと差し伸べてきた。

 

 「こちらこそごめんなさい。美晴のこと、いつも見てあげられなくて」

 「……!」


 『美晴』は震える右手を、お母さんの手のひらの上に乗せた。

 すると、不思議と痛みは消え、それとともに不安や恐怖、そして今日一日で抱えこんだ悩みや考え事が、ふわりと消えてなくなった。この時のやすらぎは、昨日きのう守利マモリからもらった安心感にとてもよく似ていた。


 「私の手、冷たい?」

 「ううん……。あったかい……」

 「いつか必ず、あなたと二人きりでごせる時間を作るから。もう少しだけ待っていてくれる……?」

 「うん……。分かった……」


 母と娘。

 二人で手をつないで、つきかりにらされた帰り道を歩いた。

 

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