まるといっしょに
「どき、どき、どきって、おとがなってるね」
柔らかい膨らみがある『美晴』の胸に、小さな藤丸が耳をつけて心臓の音を聞いている。
「これって、しんぞうですよね? みはるねえさんっ」
「や、や、やめて……くれっ……! 藤丸……ちゃん……!」
美晴のお気に入りブラウスを擦らせながら、腕の中の藤丸はモゾモゾと動いた。彼女が動けば動くほど、『美晴』の心臓の音は大きく速くなっていく。
「わぁっ、よくきこえますっ! すごいですっ!」
「だ……ダメだっ……!」
『美晴』は「サムライわんことハチミツおばけ」の本を、自分が座っている場所の隣に置き、空いた手で藤丸を抱きかかえた。そして、足元のプレイマットが敷いてある床に、彼女をゆっくりと着地させた。
「ご……、ごめんっ……! ちょっと……休憩……させてっ……」
「みはるねえさん?」
「なっ……なに……?」
「もしかして、からだ、どこかわるい?」
「えっ……!?」
「びょうき? どこかいたいの?」
「……!」
藤丸の今の一言が、『美晴』の頭の中にちょうどいい感じのウソを閃かせた。
「うっ、いたたた……!」
「みはるねえさんっ!? だいじょうぶっ!?」
「いや……足首を……ちょっと……痛めていて……」
「えっ、どこ……?」
「ほら……見て……」
『美晴』は右足の靴下を脱いで、昨日テーピングをしてもらった箇所を藤丸に見せた。実際はもうほとんど痛みは消え去っていたが、『美晴』は顔を歪ませて実にそれっぽい演技をした。
「わあぁ、いたそうっ!」
「だからね……、お膝の上で……絵本を読むのは……今日は……ちょっと……無理……なんだ……」
「ご、ごめんなさいっ! まる、しらなかったんですっ!」
「いいよ……! 気にしないで……! おれ……じゃなくて、わたしの方こそ……乗せてあげられなくて……ごめん……ね?」
「ねえさんっ……!」
「あっ……、でも……、そんなに……ひどい……ケガじゃないから……、それほど……心配……しなくても……」
「ちょっとまっててっ!!!」
「えっ……?」
藤丸は「こどものひろば」を飛び出し、また本棚の方へと走って行ってしまった。『美晴』はとりあえず難を逃れられ、落ち着きを取り戻しながら、さっき脱いだ靴下を履き直した。
ちょうど靴下を履き終わる頃に、藤丸は一冊の分厚い本を抱えてこっちへ戻ってきた。
「ねえさんっ、これ!」
彼女が抱えていたのは、「からだのひみつ大百科」だった。
「ん……?」
「しんぞうのこととか、あしのなおしかたとか、のってるかもっ!」
「の……のってる……かな……?」
藤丸は持ってきたその本を床に置き、『美晴』にも見えるようにして最初のページをめくった。
「まる、かんじよめないから、いつもみたいに、いっしょによんでくださいっ!」
「お、おう……。分かった……」
漢字。教科でいうと国語だ。
『美晴』にとってはあまり自信のある教科ではないので、少々不安だったものの、幸い難しい漢字にはフリガナが振ってあり、藤丸の前で恥をかくようなことはなさそうだった。
「みみのなかって、こんなふうなんですねっ!」
「うん……そうだね……」
「いぶくろ? ここかなぁ?」
「もう少し……上……じゃない……?」
「わあっ! がいこつっ! がいこつですっ!」
「へぇ……。人の骨……って……こうなってるんだ……な……」
最初のうちは、適当に相づちを打っていた『美晴』だったが、思いのほか「からだのひみつ大百科」は面白く、いつの間にか二人で仲良く夢中になっていた。
小さな女の子が、本の挿絵を指さして感想を述べると、隣にいる少女が、それを聞いて微笑みながら頷く。そして時々、二人で楽しそうに笑いあっている。
二人は赤の他人であり、しかも少女は正確に言えば少年なのに、周りからはまるで仲の良い姉妹のように見えていた。
「つぎのぺーじ、めくっていい?」
「うん……。めくって……」
藤丸がページをめくると、次は「男の子のからだ・女の子のからだ」だった。裸の男の子のイラストと女の子のイラストが、でかでかと描かれている。もちろん、身体の器官ごとに詳しい解説付きで。
『美晴』は即座にドキッと反応した。
「あっ……! つ、次……のページに……いこう……か……!」
「まってっ! まだよんでないっ!」
「う……うん……」
今までのページも、すみずみまでじっくりと読んできたので、藤丸はこのページもじっくり読んでいる。
一方の『美晴』は、あまりそのページを直視しようとはしなかった。異性と入れ替わったせいで、その辺りは特別に意識してしまうのだ。
「みはるねえさんっ」
「な……なぁに……?」
「これ、どんなのかしってる? みたことある?」
「あっ……!」
藤丸が指さしていたのは、男の子のイラストにあるソレだった。
つい数日前まで、風太の身体にもしっかりついていたものだ。見たことがないハズはない。
「あっ、ある……よ……」
ないとでも言っておけばいいものを、思わず本当のことを言ってしまった。
「あるのっ!?」
「うん……」
「えーっ!? みはるねえさん、みたことあるんだっ!!」
「うん……」
「だれのをみせてもらったのっ!?」
「えっ……!? そ、それは……」
さすがにここで、「自分のを」とは言えない。
風太は今まで見た中で一番新しい記憶を思い出し、それをさりげなく語ることにした。
「と、隣のクラスの……男の子……の……」
「みてもいいよ、っていってくれたの?」
「いや……、この前……一緒に遊んだ時に……おれの着替えを……そいつが見て……、興奮して……」
「どんなのだった? びっくりした?」
「ああ……もう……この話は……おしまいっ……!」
「へー、そうなんだ。まるはね、おふろでパパのをみたよ。パパはすぐにかくしちゃったけど」
「あっ……!」
今、『美晴』の口から出たこの「あっ……!」は、「あっ……! おれもそういうことにしておけばよかった」の「あっ……!」だ。美晴に父親がいないことなんて、藤丸は知らないだろうし。
『美晴』が謎の後悔をしている間に、藤丸は次のページへと進んだ。
「ねえさん、しんぞうだよっ! どき、どき、どきのしんぞう!」
彼女の言うとおり、次のページには心臓のイラストが描かれていた。
「へんなかたち……」
「うん……」
藤丸がそのページ内で興味を持ったのは、「心臓に関するあれこれカウンセリング」の項目だった。
「これ、よんでくださいっ!」
「えーっと……『Q:大好きなあの子のことを考えると、何故だか心臓がドキドキしてしまいます』……だってさ」
「つづきもおねがいしますっ!」
「『A:それは恋ですね。恋の病という、とっても素敵な病気なんです。恋が愛へと変わるまで、その病気をお大事に』……って書いてある……よ」
「あっ……! それって……」
藤丸は、ハッと何かを思い出したような顔をして、『美晴』を見た。
「藤丸……ちゃん……?」
「みはるねえさん、いってたよね」
「えっ……? 何を……?」
「『わたし、すきなひとがいるの』って」
「ええぇっ……!?」
「やっぱり、そのひとのことをかんがえると、どきどきする?」
「ちょ、ちょっ、ちょっ、ちょっとまって……!!!!」
「えっ、なんですか?」
「誰だよ……! 美晴の好きな人って……!!」




