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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第六章:図書館で過ごす長い一日
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サムライわんことハチミツおばけ


 「みはるねえさんっ! まるですっ! ふじまるですっ!」


 『美晴』の後ろをトテトテと、幼稚園児ぐらいの女の子がついてくる。

 

 「ねえさんっ! まってくださ、あぁっ!」

 

 ベチンと、前方ぜんぽう盛大せいだいに転んだ。

 周囲の人間の注目は、かわいそうなその子と冷酷れいこくな『美晴』に集まった。

 

 「みっ、みはるっ、ねぇさっ、ふぇぇ……」

 「だ、大丈夫……か……?」


 関わらないでおこうと思っていた『美晴』も、さすがに名前を(身体の方の名前を)連呼れんこしながら泣かれては、無視できない。

 女の子はひとみうるませながら身体を起こし、図書館の床に座り込んだ。

 

 「ねぇさんっ……! ぐすっ……、なんで、おこってる、の?」

 「怒って……ない……けど……」

 「なんで、むしするの?」

 「ああ……悪かったよ……。ごめんなっ……!」

 「まるのこと、きらいになっちゃったの?」

 「それは……」

 

 本音ほんねを言うと、現在『美晴』の中でのこの子に対する好感度は、そこそこマイナスだった。

 しかし、それを本人に伝えるわけにもいかないので、『美晴』は言葉をのどの奥にぐっと飲み込んだ。

 

 「き、きらいじゃない……よ……」

 「すき?」

 「うん……。すき……だよ……」

 

 出会ってから三分も経ってない女の子に、『美晴』は自分でも何を言ってるんだと思いながら、愛をささやいた。

 女の子はそれを聞くと、こぼれそうな涙を拭いて立ち上がり、図書館の奥の方へとけていった。


 (なんだったんだ? あいつは……)

 

 家から持ってきた本を取り出し、返却窓口のカウンターに並べていると、図書館の司書ししょらしきおばさんが声をかけてきた。

 

 「美晴ちゃん、おはよう」

 「おっ、おはよう……ございますっ……」

 

 このおばさんは、美晴の名前を知っている。 

 つまり、面識がある人間なのだ。初対面の大人が相手だと上手くしゃべれなくなってしまうという厄介やっかいな機能を持つ美晴ののども、今は反応していない。

 

 「分かってると思うけど、藤丸フジマルちゃんには優しく、ね?」

 「フジマルちゃん……? ああ……さっきの子か……」

 「あの子、朝からずっとあなたのことを待ってたのよ。『きょうはね、みはるねえさんがくるひなんだよっ!』って、嬉しそうに走り回っていたわ」

 「へぇ……」

 「あの子のお家のことは知ってるでしょ? きっとさびしがってると思うから、今はみんなで優しくしてあげましょう」

 「……」

 

 あの子の「お家のこと」は知らないが、そういう複雑な家庭の女子は身近にいるので、だいたいのさっしがつく。

 『美晴』は先程さきほどの態度を反省し、彼女への好感度をマイナスからゼロに戻した。


 * 


 「みはるねえさんっ! こっちです、こっちー!」

 

 静かな図書館に、女の子の元気な大声が響き渡っている。館内にあまり人はいないものの、このましくない注目をいちいち集めてしまうので、早くやめさせる必要がある。

 『美晴』は本の返却が終わると、その大声の発信源はっしんげんに早足で向かった。

 

 「藤丸……ちゃん……! 図書館では……静かにっ……!」

 「えへへ、いつものみはるねえさんだっ♪」

 「おれは美晴じゃないっ……!!」

 「ふぇっ!?」

 

 勢いに任せて、思わず怒鳴どなってしまった。

 藤丸はびっくりして、また泣きそうな顔になっている。

 

 「あっ、いや……わたしは……いつもの……美晴……だよ? ほら……いつも通り……暗くて……変なしゃべり方だし……」

 「ほ、ほんとに、みはるねえさんですか……?」

 「えっ……」


 『美晴』は思った。


 (あいつ、この子に「みはるねえさん」なんて呼ばれてるのか。まさか、そう呼ばせてるのかな……?)

 

 『美晴』は、頭の中に「美晴ミハルねえさんとお呼びなさい!」と、幼稚園児相手にガキ大将だいしょう気取きどってるそいつを想像し、思わずプッと吹き出した。


 「そうだよ……。み……美晴……姉さん……だよ……」

 「……」

 「別に……、全然……怒って……ないし……」

 「……」

 「わたしに……なにか……用か……な……? 藤丸……ちゃん……?」

 「……きて」

 「えっ……?」

 「こっち!」

 

 藤丸はそう叫ぶと、右手をぎゅっと握ってきた。

 『美晴』はここ数日、いろんな人に手を握られたが、こんなに小さくて汗でにゅるにゅるしている手は初めてだった。

 

 「おい……引っ張るな……! じゃなくて……引っ張らないでっ……!」

 「はやくはやくっ! こっちですっ!」


 *

 

 藤丸は、『美晴』の手をぐいぐい引っ張り、絵本コーナーのそばにある「こどものひろば」まで連れてきた。

 そこは普通の読書スペースとは違い、机とイスがなく、プレイルーム用のマットが立方体りっぽうたい直方体ちょくほうたいのブロックソファに囲まれているスペースだった。よく見ると、マットの上には積み木やぬいぐるみがいくつか散らばっている。

 

 「ここですわって、まっててっ!」

 「う、うん……」

 

 『美晴』は言われるがままに、どこかへ駆けていく藤丸を見送り、一番大きな青い直方体に腰を降ろした。

 高さは座るのに丁度ちょうどよく、固さも柔らかすぎない程度で、すわ心地ごこちは悪くない。


 「ふぅ……」


 しかしそう思った矢先やさき、『美晴』はすぐにバッと立ち上がった。

 お尻のあたりが、ヒヤッとしたからだ。

 

 (うわぁっ、しまった! 忘れてた! おれ、スカートはいてたんだ……!)

 

 身体をひねり、自分のお尻を見ると、プリーツスカートにはっきりと「折り目」が残っていた。

 座った時に、お尻につぶされてできたもので間違いない。ヒヤッとしたのは、パンツや太ももが冷たいソファに直接ちょくせつれたせいだ。

 

 (うぅ、あんまり気にしてなかったけど、いちいち座るのも面倒なんだな。女の服って)

 

 改めて腰周こしまわりを見ると、スカートという衣服は、なんだかとてもたよりない。「こんなの、風が吹いたら簡単に中が見えちゃうじゃないか」とさえ思う。

 

 (立ってる時も、気をつけた方がいいな。くそっ、なんでおれが、こんな苦労を……!)

 

 今度はスカートをしっかり押さえて、ゆっくりと腰を降ろした。

  

 *


 しばらく座って待っていると、藤丸が一冊の絵本をかかえてこちらへやって来た。

 

 「きょうは、これをおねがいしますっ!」

 

 藤丸が差し出した絵本のタイトルは、「サムライわんことハチミツおばけ」だった。おそらく、絵本の表紙に描いてある刀を持った犬が「サムライわんこ」なのだろう。

 

 「お……お願いって……、何を……?」

 

 一応いちおう差し出された本を受け取ったが、何をすればいいのか分からない。

 『美晴』が動揺どうようしている間に、藤丸はくつを脱ぎ捨てソファに登り、「いつもの場所」にちょこんと座った。

 

 「ふっ……、藤丸……ちゃんっ……!?」

 「それじゃあ、おねがいしまぁすっ!」


 「いつもの場所」とは、ひざの上。藤丸は、『美晴』の膝の上に座っている。

 小さい子に膝の上に座られるのは、『美晴』にとって初めての経験だった。突然のあまりに近すぎる距離に、心臓はバクバクと激しく活動しだした。

 

 「えっ……なっ、何だよ……これ……!?」

 「どうしたの? みはるねえさん」 

 「あっ……! い、いや……なんでも……ないっ……!」

 「じゃあ、はやくよんでーっ!」

 「う……うん……」

 

 冷静になろうとすればするほど、逆に緊張してしまう。なるべく腕の中の女の子を意識しないようにしても、彼女のほんのりあまにおいと高めの体温が、嫌でも伝わってくる。

 『美晴』は落ち着きのない手で表紙をめくり、顔を赤くしながら絵本を読み始めた。

 

 「さ、サムライわんこと……ハチミツおばけ……」

 「はじまりはじまりー」

 

 『美晴』の緊張をよそに、藤丸は楽しそうにお話を聞く姿勢しせいを作っている。

 しかし、絵本の最初のページが終わると、藤丸の笑顔はすぐにくもってしまった。

 

 「さ、サムライ、わ、わんこはっ……だだ、大学で、勉強するためにっ……しょっ、奨学金しょうがくきんの手続きを……」

 「みはるねえさん……?」

 「は、はいっ……!?」

 「どうしたの? なんか、いつもとちがうよ?」

 「だ、大丈夫っ……! いつも通り……だ……よ……?」

 「そうかなあ? ほんとにー?」

 「ほ……本当に……! いつも通り……だからっ……!」

 「うーん、そっかぁ」

 

 会話が終わり、藤丸は再び前を向いて絵本の続きを待った。

 『美晴』は、それにこたえるために続きを読もうとしたが、ますます緊張してしまって声が出せなくなっていた。そんな『美晴』の異変いへん察知さっちしたのか、膝の上の女の子はさらなる行動に出た。


 「みはるねえさんのしんぞう、すっごくどきどきしてるね」


 藤丸は、丁度いい高さにあった『美晴』の胸に、頭をそっと乗せた。

 

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