おデコをくっつけて
『美晴』の後ろには涙を拭っている男の子が座っていて、『風太』の後ろには潤んだ瞳の女の子が座っている。
泣き声は止み、部屋はとても静かになった。
『美晴』はそばにあったティッシュ箱から、ティッシュペーパーを二、三枚掴み、鼻をかんだ。そしてその箱を持ち、振り返らずに、背後にある『風太』の頭にパコッとぶつけた。
「痛……」
怒りや哀しみの感情がこもった声ではなく、ただ呟いただけのような「痛……」が、聞こえてきた。『美晴』はその声がする方へ振り向くことなく、今度はそいつにティッシュ箱をそっと差し出した。
「あ、ありがとう……」
『風太』はそこからティッシュペーパーを二、三枚掴み、鼻をかんだ。それが終わると、『美晴』はティッシュ箱を引っ込め、小さく息を吸った。
「美晴……?」
「風太くん……」
「その……。怒鳴ったり……して……悪かった……な……」
「えっ?」
「お前の……言う通り……だよ。この……足首の痛みと……、身体の傷は……、全然……違う……」
「……」
「この足首は……、ちょっと……その……カッコつけた……だけ……なんだ……。美晴に……心配されるのは……情けないと思って……意地に……なってた……」
「意地……」
「足……みてくれる……か……? 本当の……こと……言うと……、痛くて……たまらないんだ……」
「うんっ……!」
二人は向かい合うようにして座り、まず『美晴』が白い靴下を脱ぎ、『風太』に右の足首を見せた。
そして『風太』は、救急箱から湿布、テープ、包帯、ハサミを取り出し、応急処置の準備をした。
「できるのか……? 美晴は……こういうの……」
「簡単な手当てぐらいなら、少しだけ」
「身体の……傷は……、今みたいに……手当て……しなかった……のか?」
「最初のうちは、お母さんにバレないように手当てをしていました。それで消えた傷も、いくつかあります」
「……」
「でも、傷が治ってしまった場所には、また傷をつけられるんです。蘇夜花ちゃんたちが傷をつけるのは、だいたい服で隠せるところなので」
「……」
「だから、もう治すのはやめました。その身体に残っているのは、わたしが『いつか消えたらいいな』と願いながら放っておいて、消えなかった傷です」
「お前……」
「すいません、風太くんに聞かせるような話じゃないですね。わたしの身体を、受け入れてもらわないとダメなのに」
「美晴……」
『美晴』は、女の身体を受け入れる気は毛頭なかったが、「ふざけんな! 絶対に元に戻ってやるからな!」と、今の『風太』に言うことはできなかった。
『美晴』は、細い脚に丁寧に包帯を巻いてくれる『風太』を、じっと見ていた。
*
「はい、終わりました」
「うん……。ありがとう……な」
満足そうな顔で、『風太』はさっき取り出したものを全て救急箱にしまった。
「あ、そうだ。ついでに足の爪を切っておきましょうか」
「ああ……。そうするか……」
『風太』は再び救急箱の蓋を開け、爪切りを一つ取り出した。
その流れに従うように、『美晴』は手を差し出したが、『風太』はその手の上に爪切りを置かなかった。
「えっ? わたしが切りますよ」
「は……? それくらい……自分で……やるよ……」
「ダメですっ! その足首は、まだ安静にしておかないとっ」
「そんなに……足首を……動かさなきゃ……いいだけだろ……! 平気だって……」
「テーピングが取れたり、包帯が外れたりするので、大人しく座っていてくださいっ!」
「爪切りまで……お前に……頼んだ……つもりは……ないぞ……! 余計なこと……するなっ……!」
「か、カッコつけてないで、わたしに頼って下さいよっ!」
「いや……、これは……カッコつけてる……わけじゃない……って!」
「とにかく、わたしが切るので動かないでっ!」
「うわっ……やめろっ……! 爪切りを……寄こせっ……!!」
『風太』が勝手に爪を切ろうとするので、『美晴』は抵抗して足をバタつかせた。
爪切りには鋭い刃がついているので、手に持ったまま振り回したりすると、非常に危険だ。皮膚を噛めば、当然出血もする。
しかし今回の事故においては、爪切りの危険性は全く関係なかった。
「ちょっと、風太くんっ! 暴れないでっ!」
「うるさいなっ……! いいから……おれに……爪切りを……渡せよっ!!」
「そ、そんな強引に奪うなんて……きゃっ!?」
「うわっ……!!」
ごつんっ!
『風太』がベッドに倒れこんだので、そいつの右手首を掴んでいた『美晴』も一緒に倒れてしまい、おデコ同士をぶつけた。それはまるで、入れ替わり物語で男女が入れ替わる時のようなハプニングだった。
『美晴』が『風太』に覆い被さった状態で、二人はおデコをぴったりとくっつけたまま、シーンと動かなくなった。
「……」
「……」
そして、ドクンと心臓が鳴る。
(え……?)
ドクン、ドクンと、また鳴る。
(心臓の音……?)
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。どんどん早くなる。
(な、なんだこれ!? どっちの心臓の音だ!? おれか、美晴か……!?)
身体が密着しているので、どちらの音かは分からない。でも、その鼓動はとにかく大きくて早かった。
『美晴』はパチリと目を開け、おデコを『風太』から離して相手の顔を見た。
「なっ……!? お、おい……美晴っ……!? 大丈夫かっ……!?」
『風太』は目を閉じていて、ほっぺたを真っ赤にして、口からはぁはぁと息を吐いていた。その顔はまるで、高熱にうなされている時のよう。
パチ……と薄い目を開けた『風太』は、囁くように『美晴』に言った。
「はぁっ、はぁっ……。風太くん、こそ……」
「えっ……!?」
言われてやっと自覚したが、『美晴』も『風太』と全く同じ状態になっていた。つまり、心臓の音の答えは、どちらかではなく二人の音。
「はぁっ……はぁっ……。な……何が……あった……!? 今……おれたちに……何が起こったんだ……!?」
「わ、わたしにも、よく分かりませんけどっ……。はぁ、はぁ……もう一度、おデコをくっつけてみてくださいっ」
原因を究明したくて、『美晴』はスッと瞳を閉じ、もう一度『風太』のおデコに自分のオデコをピトッとくっつけた。
(あっ! これだ……! なんだこれ……。頭の中が、ヤバいっ……)
触れた瞬間、背筋がゾクゾクして、全身が過剰なまでに敏感になった。それと同時に、自身でも分かるくらいに、自分の脳から何か特殊な物質がドバドバと溢れ出た。
(ヤバいけど、気持ちいい……)
少しでもおデコを離すと、気持ち良さがフッと消える。逆に擦り付けるように密着させると、素肌が敏感になっているため、気持ち良さが何倍にも膨れ上がる。
条件は「素肌の密着」だ。この不思議な現象について、まずは一つ解明した。
(でも、美晴の手がおれの足に触れた時は、こんなことなかったよな? くっつける場所も、何か関係があるのかな)
目をつぶって考えながら、『美晴』はひたすら快楽の感じ方を試した。
爪切りの取り合いでケンカしていたことなんて、もう忘れてしまっている。そしてそれは、『風太』も同じだった。
「はぁっ、はぁっ……。何……? この、気持ちいい感じ……」
おデコを中心に、一つの鼓動が二人の身体の中に響いている。だから、『美晴』が離れれば『風太』も少し寂しそうな顔をして、『美晴』がくっつけば『風太』もまた目をつぶって自分の快楽に集中した。
「な……なんだろうな……これ……」
「わ、わかんないけど、すごいですねっ……」
「ああ……。こんなの……初めてだ……」
「わたしも、初めてっ……」
求めて、力が入っていく。
精神が女の『風太』よりも、精神が男の『美晴』の方が、こういう時の「押し」は強い。
「ふ、風太くんっ。ちょっと、強すぎっ……」
「わっ……! ご……ごめんっ……!」
しかし、押し返されると弱い。何故なら、女の子に対してまだ慣れていないから。「いいじゃねぇかよ。ちょっとぐらい」というセリフが言えたらカッコよかったのだが、経験豊富なモテ男ではないので言えなかった。
『美晴』は本当に相手が嫌がってると思い、腕立て伏せのような動きで、すぐにおデコを離した。『風太』はクスッと笑いながら、パチリと目を開けた。
「あれっ?」
そして『風太』は、ぱちぱちと瞬きをした。
「風太くん、ちょっと前髪を上げてもらえますか?」
「え……。前髪……?」
言われるがまま、『美晴』は自分の前髪を上げた。
それを見た『風太』は、大きく目を見開いた。
「ウソ……。今ので、こうなったの……?」
「な……なんだよ……。何が……あったんだ……」
前髪を上げている本人は、何を見られているのか分からない。
『風太』は右手の人差し指で、『美晴』のおデコにある傷痕にそっと触れた。
「ちょっとだけ、小さくなってる……。わたしの傷」




