迷子にならないようにね
「み、美晴……?」
『風太』はイスに座っているので、現在も身体が反応しているかどうかは、目視では判断しづらい。
しかし『風太』の挙動は、まだ明らかにおかしい。
「はぁっ……はぁっ……」
口からは荒い吐息が漏れ、顔は真っ赤になっている。そして『風太』の視線は、自身がはいているズボンの股関の辺りに向けられている。
『美晴』は、着る途中だった花柄のワンピースを姿見に掛け、『風太』の方をくるりと向いた。
「立て……よ……」
「今は無理ですっ!」
「もう……分かってる……から……、立てって……」
「無理ですっ!!」
「そうか……。分かった……」
説得には応じてくれそうにない。
『美晴』は強制的に確かめることにした。
「嫌ぁっ! やだぁっ! 来ないでっ!」
「手を……どけろ……」
「きゃっ、だめぇっ!」
『美晴』に触られないように、『風太』は自身の股間をバッと隠した。そしてその手に強く力を込めて、恥ずかしいことになっているソレを、ぎゅうぅっ……と押し潰そうとした。
しかし、そんなことをしても興奮が収まるハズがなく、自分で自分を痛めつける結果になるだけだと、男子歴の長い『美晴』は分かっていた。
「邪魔……するなよ……!」
『美晴』はその両手を無理やり引きはがそうとしたが、やはり女の力では、男の『風太』に対してどうにもならなかった。
「やめてぇっ! 見られたくないっ!」
『風太』の身体は、ぶるぶると小刻みに震えていた。
(美晴……)
初めて経験する男体特有の現象に、『風太』も気が動転しているのだろう。強引に解決するのは、説得する以上に難しそうだ。
『美晴』は小さく深呼吸をして、今の自分が出せる限りの優しくて甘い声を出した。
「美晴……?」
「はぁ……はぁ……」
「ごめん……。もう……勝手なことは……しない……から……、落ち着いて……話を……聞いてくれ……」
「はいっ」
「原因は……、この……おれの……身体……か……?」
「え……?」
「お前が……興奮……してる……原因は……、おれが……今……服を脱いだ……せいか……?」
「じ、自分では、分かりませんっ……。けど、そうなのかもしれません」
「そっか……。でも……、昨日……おれが……裸になった時は……こんなこと……なかった……よな……。その場の……空気の……問題……かな」
「見てただけなのに、な、何もしてないのに、勝手に、こうなったんですっ……! す、すごく、力が入ってるというかっ! こ、こんなにっ、苦しそうになって!」
「大丈夫……だから……落ち着け……」
「ど、どうすれば、収まるんですかっ!?」
「ほっとけば……勝手に……収まる……よ……。なるべく……ヘンなこと……考えるな……」
「へ、ヘンなことって……!?」
「なんていうか……、え、エロいこと……だ……! 女子の……下着とか……」
そう言いかけて、『美晴』はハッとした。
自分が今、ブラジャーとパンツしか身に着けてない女の子だということを、思い出したのだ。逆効果にも程がある。
「はぁっ、はぁっ……。あぁっ! またっ……!」
「うわぁっ……! ごめん、美晴……! とりあえず……服を……着ないと……」
『美晴』は急いでワンピースを着て、ひよこ色のカーディガンを羽織った。美晴のお出かけコーデが、即行で完成した。
「ふぅ……。これで……収まった……か……?」
「い、いえ、まだ興奮してるみたいですっ」
「い……意識……するな……よ……。おれを……女だと……思うな……! 女として……見るな……!」
「は、はい……」
『風太』は今だけ、目の前の女の子を「本物の風太くん」として、強く意識することにした。
それにより、異性に対する興奮よりも、「風太くん」の前でこんな姿を晒して恥ずかしいという感情が、どんどん上回っていく。
「は、恥ずかしい、ですっ!」
「なんでも……いいから……、そのまま……別のことを……考え続けろ……!」
「風太くん、わたし、おかしいですかっ!? か、身体が急に、こんなことになる、なんてっ」
「別に……。男なら……普通の……ことだから……気に……するな……。こうなったのは……初めて……なんだろ……?」
「はい……!」
「……」
『風太』を安心させるために、口では「気にするな」と言ったものの、『美晴』も内心は平気ではなかった。
確かに「男なら」普通のことだが、美晴は女だ。その美晴が自分の……女体を見て、初めて興奮を覚えたのだ。つまり、女の精神では上手く制御できずに、肉体の方がしっかり男として反応してしまった、ということになる。
そう考えると、全く他人事とは思えず……。
(やっぱり、心は身体に逆らえないのか? 身体の意思が強くなると、おれは女になっていって、美晴は男になっていくのかな……)
それからしばらく興奮状態は続いたが、『風太』が穏やかな心を意識して深呼吸を繰り返すと、興奮も少しずつ落ち着いていった。
*
「二人とも、おっそーい! 早く行かないと、夜になっちゃうよー!」
『美晴』と『風太』は、玄関の外で雪乃と合流した。
流石に待たせすぎたせいか、「プンプン」という擬音が聞こえてくるくらいに、雪乃は怒っていた。
「ごめん……なさい……。雪乃……ちゃん……」
何も考えられない『風太』の代わりに、『美晴』が謝った。
『美晴』の隣にいる『風太』は、まだ顔を赤くしながら俯いていた。
「……」
「罰として、風太くんは向こうでわたしに何か奢ること! いい?」
「……」
「風太くん?」
「……」
「ふ・う・た・くんっ!!」
「……はっ! は、はいっ!? わ、わたしですかっ!?」
思わず口から飛び出した、少女のようなセリフ。
雪乃は少しだけ顔をしかめ、『美晴』は隣にいる『風太』を肘で小突いた。
「もー、なんか変だよ風太くん。何かあったの? 美晴ちゃん」
「さ、さあ……!? な……なんでも……ないと……思います……よ……!」
「ふーん。ま、いっか。出発しよっ!」
気を取り直して、三人は大型ショッピングモール「メガロパ」へと向かって歩きだした。
*
月野内小学校の規則では、子どもだけでメガロパへ行くことを禁止している。しかし、先生にバレることはほとんどないので、その規則を律儀に守っている生徒はほぼいない。
休日のショッピングモール。
天気も良く、時間帯は昼下がりなので、人で溢れかえるには充分な条件を満たしている。
「風太くんも美晴ちゃんも、迷子にならないようにね?」
三人の中で一番迷子になりそうなヤツが、そう言った。そいつを真ん中にして、『美晴』と『風太』で両脇を歩いている。
雪乃を少し前で歩かせ、ヒソヒソ声で『美晴』は『風太』に伝えた。
「お前……、もう……大丈夫……なの……か……?」
「は、はいっ。心配してくれて、ありがとうございます」
「いや……。どちらかと言うと……今……心配……してるのは……、お前よりも……こいつ……だよ」
「雪乃ちゃんですか? 何か心配ごとでも……」
『風太』が言い終わらないうちに、雪乃は叫んだ。
「わぁーっ! ストロベリーアイスだー!!」
どうやら、アイスを売っている店を見つけたらしい。雪乃の目にはもうストロベリーアイスしかなく、ダッシュでその店のある方へ行ってしまった。
「ほら……な……?」
「なるほど」
*
「あっ! 風太くんの好きなカードゲームのお店があるよっ!」
「きゃーっ! あの服かわいいー! ちょっと見てくるねっ!」
「本屋さんあったよ! 本屋さん! 美晴ちゃん好きだよね、本っ!」
「お菓子の掴み取りだって! やろうやろう! 二人も早くおいでよーっ!」
*
そして、次に辿り着いたのは、スマートフォン売り場だった。
雪乃は未だに全力で、売り場にあるオレンジ色のスマートフォンをドンドンとタップしている。そんなに強く触ったら壊れるんじゃないかという勢いで、画面を突っついている。
「「はぁ、はぁ……」」
その売り場から少し離れた休憩スペースで、『美晴』と『風太』は座っていた。
この二人も、雪乃と同様にスマートフォンを持っていないので、売り場の商品に興味はあったが、残念ながら今は体力の回復を優先しなければならない。
「おれが……言いたかったのは……こういう……こと……だよ……」
「い、いつも、こんなに元気なんですか? 雪乃ちゃんは」
「今日は……特に……元気みたい……だ……」
「ここへはよく来るんですか? 二人きりで」
「二人きりの……時は……あんまりない……かな。男子か……女子か……大抵……他に……誰か……いるな……」
「そ、そうなんですか」
二人でそんな話をしていると、しばらくしてスマートフォン売り場から雪乃が出てきた。
しかしこちらへは近づいて来ずに、「わたし、ちょっとトイレ行ってくるねーっ!」と叫ぶと、また走って遠くへ行ってしまった。
*
15分が経過した。
「雪乃ちゃん、遅いですね」
「どこかの……店に……寄ってるんじゃ……ないか……?」
*
30分が経過した。
「時間、かかってますね……」
「そうだな……。遅いな……」
*
45分が経過した。
「と、トイレが混んでるのかな?」
「うーん……」
*
1時間が経過した。
「風太くん」
「美晴……」
「迷子ですよね?」
「迷子……だな」




