ケンカはだめ
玄関には雪乃が立っていた。
「雪乃っ……!?」
「美晴ちゃん、おはよっ! あれ? なんでホワイトボード持ってるの?」
「これは……。昨日……たくさん……声を出した……から……、今日は……喉を……休ませてやろうと……思って……」
「文字を書いておしゃべりするってこと!? じゃあ、ペン借りるね!」
「え……」
別にお前は筆談する必要ないだろ。と、『美晴』は思った。
雪乃は勝手にペンを手に取り、おはなしボードにさらさらと文字を書いた。
《みはるちゃん こんにちは》
さっきおはようって言ったのに。と、『美晴』は思った。
《ゆきの おはよう》
「もしかして今日、忙しい?」
《べつに》
「やったぁ! 遊びに来たよっ! 美晴ちゃん!」
《どうやって この家に?》
「ふっふっふ。それはねぇ、わたしの嗅覚で、美晴ちゃんの匂いをたどって……」
《本当は?》
「風太くんナビのおかげだよっ!」
《風太くんナビ?》
開いたドアの陰から、雪乃が連れてきた「風太くんナビ」とやらが、そっと姿を現した。
「こ、こんにちはっ」
「おはよう……」
申し訳なさそうにモジモジする『風太』に対して、『美晴』は少しムッとした表情であいさつを交わした。
「ねぇ、美晴ちゃん。わたしね、あなたのお家にすっごく興味あるの! もしよかったらー、そのー、なんというかー」
そう言いながら、雪乃はキラキラした目で訴えかけてきた。相変わらず、下手くそな交渉だ。
やれやれと呆れながらも、『美晴』は雪乃を迎え入れることにした。
《いいよ あがっても》
「ほんとっ!? それじゃ、お邪魔しまーす!!」
ドタドタと足音を立てながら、雪乃が家の中へと入っていく。
それに続いて、さりげなく家に入ろうとしていた『風太』の姿を、『美晴』は見逃さなかった。
「おい……! お前は……待て……」
「お、お邪魔しますっ」
《そのことばやめろ ここはおまえの家だ》
「で、でもっ! 今はあなたの家だからっ」
《それなら なんで おれの家に ゆきのをかってにつれてきた?》
『美晴』が不満に思っているのは、『風太』が雪乃を連れてきたことだった。
入れ替わりのこと、イジメのこと……何も知らない雪乃の前では、『美晴』は美晴らしくしないといけないからだ。
「ち、違うんですっ! 雪乃ちゃんの方から『一緒に美晴ちゃんの家に行こうよ』って、わたしを誘ってきたんですっ」
《ゆきのが? なんで?》
「雪乃ちゃんは、『風太くんと美晴ちゃんを仲直りさせてあげたい!』って、思ってるらしくて」
《なかなおり? 何の話だよ》
「おそらく、保健室でわたしと風太くんが、掴み合いになった時のことだと思います。あれから雪乃ちゃんは、ずっとそのことを気にしていたみたいで」
風太と美晴が入れ替わった初日の話だ。あれから色々なことがありすぎて、『美晴』には遠い昔の出来事のように思えた。
あの時、二人が掴み合いのケンカをしていたことが、雪乃にとってはショックだったらしい。彼女に余計な心配をさせているという罪悪感は、『美晴』にも芽生えた。
「もうケンカはしてない……って……雪乃に……言えよ……」
「一度はそう言いましたけど、雪乃ちゃんはあまり信じてくれなくて。それに……」
「それに……?」
「風太くんは……やっぱりまだ、わたしに対して怒ってると思って。あなたにずっと嫌われたままなのは、イヤだからっ」
「あのな……。それは……また別の話……だろ……。それを……解決したい……なら、おれの……身体を……今すぐ……返せよ……」
「わ、わたし、風太くんとは仲良くなりたいんですっ!!」
「だから……、それは……今……関係ないだろうがっ……! おれが……お前を……嫌ってるのは……そういう……意味……じゃなくてさ……! なんていうか……その……り、理解しろよっ……! バカっ……!!」
引き裂く。
「ケンカはだめーーっ!!!!!」
突然、雪乃が二人の間に割って入り、マンションの全室に聞こえるくらいの大声で叫んだ。
「「!!?」」
『美晴』と『風太』は、驚愕の表情のまま、大声の発信源の方に顔を向けた。
その発信源は、眉間にぎゅっとシワを寄せて、ほっぺたをぷっくりと膨らませている。
「風太くんも、美晴ちゃんも、ケンカはだめっ!」
ぷん、すか、ぷん。
「……」
「……」
『美晴』と『風太』は顔見合わせ、一度アイコンタクトをした。
そして、気迫を放つ雪乃に対し、まずは『風太』が声をかけた。
「ゆ、雪乃?」
「何? 風太くん」
「わたしと風太く……おれと美晴は、ケンカなんてしてないよ?」
「ウソついてもだめだからねっ! 今してたでしょ!」
「今のケンカは、その……前のケンカとは違うケンカだよ」
「どんなケンカでも、ケンカはだめなのっ! お互いに傷つくだけなんだよ?」
「そ、そうだね……」
『風太』は雪乃にあっさり敗北した。
見ていられなくなって、今度は『美晴』から雪乃に声をかけた。
「雪乃……。あのな……」
「何? 美晴ちゃん」
「おれと……こいつの……ケンカは……、そういう意味の……ケンカじゃ……なくて……」
「待って!」
「えっ、何……?」
「『おれ』とか『こいつ』とか、男の子のしゃべり方を真似するのはだめっ!」
「は……? な、なんで……?」
「男の子の真似をするから、男の子みたいに激しいケンカになっちゃうんだよ! もっと優しい言葉を使って!」
「どういう……理屈だ……」
「美晴ちゃんは女の子なんだよ? 試しに、もっと女の子っぽくしゃべってみて。そしたら、ケンカもなくなると思うの!」
「違う……。おれは……」
「ねぇ、風太くん。風太くんもそう思うよね? そっちの美晴ちゃんの方が、かわいいよね?」
雪乃は『風太』に話を振った。
当然、入れ替わったままでいたいと考えている『風太』が、それに異論を唱えるはずもなく。
「う、うんっ。もっと女の子らしくした方がいいと思う」
『風太』は雪乃側についた。
「こ……この野郎っ……! 裏切ったな……!?」
「『この野郎』はだめっ! ちゃんと『風太くん』って、呼んであげて! 優しい言葉にしてっ!!」
「……っ!」
屈辱だった。まるで、名前まで奪われたような気持ちだった。
しかし、ここでケンカを続けたとしても、雪乃が悲しそうな顔をするだけで、何も良いことはない。
『美晴』はできるだけ前髪で顔を隠しながら、その小さく可愛い声で、ぼそぼそっと言った。
「ふ……」
「ふ?」
「風太……くん……」
『美晴』は悔しくて仕方がなかったが、それを聞いた『風太』と雪乃は大喜びした。
「な、名前で呼んでくれてありがとうっ、美晴っ!」
「やったね! はい、じゃあ仲直りの握手!」
雪乃は、『美晴』の右手と『風太』の右手を掴むと、手のひら同士を触れさせ、握手を促した。
『美晴』はその手に力を入れようとしなかったが、『風太』は満更でもない様子で手を握ってきた。
「じゃあ、まず風太くんから。ごめんなさいして?」
「お、おれも悪かったよ。ごめんねっ」
『美晴』の目の前にいる「この野郎」は、ムカつくくらいにあっさりと、謝罪の言葉を述べた。述べやがった。
この状況で、今さら『美晴』だけが拒否することはできない。
「わ、わたしの……方こそ……、ごめん……なさい……」
この平和的で素晴らしい結果に、雪乃は大満足だった。
「よーし、ケンカはおしまい! 改めてお邪魔しまーす!!」
「お邪魔しますっ!」
バタンッ!!
『美晴』は二人の来客が家の中に入るのを見届けると、玄関の重い扉を、やつあたりのフルパワーで閉めた。




