学級裁決
(蘇夜花……!)
『美晴』は蘇夜花を睨んだ。
こいつの凄惨な過去を知っても、まだ諸々の恨みや憎しみは消えていない。しかし蘇夜花は、『美晴』に少しもひるむことなく言葉を続けた。
「もうっ。そんな怖い顔しないでよ。ちょっと美晴ちゃんとお話がしたい気分なだけだよ」
「はなし……?」
「最近の美晴ちゃんは、よくしゃべるみたいだからさ。この際、本音で話し合ってみてもいいかなって」
「まず……、この前の……社会のノートの……ことを……」
「ああ、あれね。実は、あれをやったのは五十鈴ちゃんなんだよ。その前のブラウスは真実香ちゃん。本当にわたしじゃないの」
「でも……! お前は……近くで……見てた……ハズだろ……!」
「そうだね。あなたの言う通りだよ。周りでそれを見ていることしかできなくて、ごめんなさい」
蘇夜花は、あっさりと頭を下げた。話の流れの中で、ごく自然に。
「……!」
不意のことに、『美晴』は少し戸惑った。こうもあっさり頭を下げられると、すぐに返す言葉が出てこない。
周囲は誰も蘇夜花の謝罪を気にすることなく、それぞれの友達と会話をしながら、廊下を歩いている。
「美晴ちゃん、少し二人きりで話をしない? 誰にも聞かれたくない真相を語りたいんだ」
蘇夜花は小さな声でささやいた。
『美晴』は警戒し、きょろきょろと辺りを見回したが、近くに五十鈴や真実香の姿はない。遠くに界が歩いているのは見えたが、こちらに気付くことなく夢中で友達としゃべっている。
(本当に、二人きりなら……)
『美晴』は小さく頷いた。
*
蘇夜花の提案で、誰もいない場所……全校集会が終わった体育館の中で、話すことにした。体育館の裏で『風太』と待ち合わせをしているので、蘇夜花との話の後、すぐにそっちに行こうと考えている『美晴』にとっても、それは都合がよかった。
二人で体育館に向かって歩きながら、蘇夜花は話を始めた。
「さっきの全校集会でのわたしの話、覚えてる?」
「うん……」
「ここに転校してくる前の学校でね。……あったんだ。わたしへのイジメが」
二人で階段を降りる。
体育館は、一階の下駄箱ゾーンを抜けたさらに奥にある。
「前の学校では学級委員をやってたんだよ、わたし。あの時はただ、先生に褒められるのが嬉しくて、軽い気持ちで学級委員になったの」
「そのころ、わたしのクラスでは、リーダー的存在のミサを筆頭に、女子の大きなグループができつつあったんだ。天下統一! って感じでさ」
「まぁ、良く言えば『友だちの輪が大きくなっていった』ってところかな。わたしも、気付けばそのグループの中にいたよ。友達はいっぱいだし、学校生活は充実してた」
「みんな仲良しで、学級委員としてもやりやすかったよ。最高のクラスだと思ってた。でも、みんなの繋がりの根源は……イジメだった」
「ヨミコちゃんって子がいてね。リーダーのミサを中心に、その子をいじめてた。学級委員のわたしは、それに対して見て見ぬふりをしてたんだ」
「ヨミコちゃんをみんなでいじめると、他のみんなには一体感が生まれる。ヨミコちゃんは、このクラスに必要な犠牲だと……そう思ってた」
二人は下駄箱を通り過ぎた。
蘇夜花はまだ話し続けている。
「ある日、ミサは言ったんだ。『ヨミコを金魚の水槽で溺れさせよう』ってね。誰も、それに反対する人はいなかった」
「でもね、わたしはもうガマンできなくなって、言ったよ。『もうやめようよ! そんなことしたらヨミコちゃん死んじゃうよっ! みんな間違ってるよ!』ってさ。それがダメだったみたい」
「ミサは、今度は標的をわたしに変えてきた。びっくりなのはヨミコちゃんだよ。その子も、わたしをいじめる側に回ったんだ」
「ヨミコちゃんとミサは結局、仲良くなってハッピーエンド。わたしはトイレに呼び出されて、カッターナイフで背中を切られバッドエンド」
「怖かった。誰にも相談できなかった。この学校に来るまで、一人で抱え込んだよ」
蘇夜花の声は震えていた。
*
体育館に到着した。
蘇夜花と協力して、重くて大きな引き戸をガラガラと開ける。当然、その中には誰もおらず、館内の電気は消えていた。窓を覆うカーテンから漏れる光のみが頼りなので、薄暗い。
「……」
『美晴』は黙ったまま、蘇夜花の話を聞いていた。
しかし、蘇夜花が今話したことは、全校集会で彼女が読み上げた原稿の再放送にすぎない。
「……と、まぁここまでは、さっき集会で話したことだね。おさらいはもういいかな?」
「う……ん……」
「じゃあ、真相を話すね」
「ああ……」
蘇夜花が誰にも聞かれたくないという、真相を。
「今の話、ウソだよ」
『美晴』は聞いた。が、耳を疑った。
「えっ……? は……?」
「では、どこまでがウソなんでしょーか? 全部がウソってわけでもないの。一部だけウソなの」
「う、ウソっ……て……」
「答えはね、さっきの話の中の『わたし』と『ミサ』が逆なんだよ。驚いた?」
「どっ、どういう……ことだ……?」
「もうっ、ニブいね美晴ちゃんは。つまり、女子をまとめて大きなグループを作り上げたのが『わたし』。わたしのやることに水を差してきたのが、学級委員の『ミサ』」
「なっ……!?」
「ウソの原稿を書くの、大変だったよ。ミサの視点から状況を説明して、ミサの気持ちになって文章を書かないといけなかったから」
「前の……学校……は……!? ミサは……どうなったんだ……!?」
「わたしが転校した、その後の学校のこと? ヨミコちゃんがわたしのグループを引き継いだよ。引き継ぎの証として、わたしがカッターナイフでミサの背中に一本の傷をつけ、ヨミコちゃんがもう一本の傷をつけて、×印を作ったっけ」
まるで自慢でもするかのように、蘇夜花は詳細をペラペラと語った。
つまり蘇夜花は、月野内小学校の先生や生徒を含めた全員の前で、「わたしは過去にイジメを受けていました」と、ウソをついたのだ。
「なんで……そんなウソを……ついたんだ……!?」
「ふふふ。逆に聞くけど、『過去にイジメを受けていた女の子』の話を聞いたら、普通の人はどういう気持ちになると思う?」
「え……!?」
「『かわいそう』とか、『優しくしてあげよう』とか、『心に寄り添ってあげよう』とか。あとは、『イジメをするやつは許せない』とかもあるね。少なくとも、『もっと苦しませてやろう』とは誰も思わない」
「……!」
たしかに『美晴』にも、蘇夜花への同情の気持ちはあった。その気持ちがなければ、ここまで素直について来たりはしなかったかもしれない。
「特に大人はね。弱者は良い人だと勝手に思い込んでくれるから、誰もわたしを疑わない。こうしてわたしは、『イジメを経験したけど今は元気に生きている女の子』になることで、誰からも攻撃されない絶対的な地位を手に入れた」
「そんなことの……ため……だけに……?」
「けっこう大事なことなんだよー? ほら、『普段の行い』って言葉があるじゃん。何かあったときに、先生はわたしと陰キャな美晴ちゃんのどっちを信用すると思う?」
「こ、こいつっ……!!」
込み上げる怒りに任せて、『美晴』は蘇夜花に掴みかかろうとした。
「きゃあっ!!」
しかし蘇夜花は、『美晴』の手に胸ぐらを掴まれた瞬間、わざとらしく大きな悲鳴を上げた。
「痛いっ! 美晴ちゃん、急に何するのっ!?」
「はあ……!? まだ……何も……」
その時突然、体育館の扉が開いた。
「まさか、ここまで蘇夜花の言った通りになるとはね。蘇夜花の先読みがすごいのか、それとも美晴が単純バカすぎるのか」
そこに立っていたのは、五十鈴だった。
五十鈴はスマートフォンのカメラをこちらに向けて、一回だけカシャリと写真を撮った。
「それは悪手よ、美晴。弱者に暴力を振るってるようにしか見えないわ」
「な……!?」
「まだやるの? これ以上やるなら、先生にこの写真を見せにいくけど」
「や、やめろっ……!!」
全校集会が終わったばかりなので、今は特にマズい。誰もが蘇夜花の味方をしてしまう。
『美晴』は蘇夜花からパッと手を放し、悔しさに満ちた声で叫んだ。
「どうして……こんな……くだらないことを……するんだ……!? そんなに……美晴への……イジメが……楽しいのか……!?」
『美晴』の問いに対して、蘇夜花はニッコリと笑って答えた。
「わたしたちは、イジメなんかしないよ。イジメっていうのは、心の弱い人がする恥ずかしいことだから」
予想していなかった答えに、『美晴』は目を丸くした。
「は……?」
「勘違いしないでね。わたしが過去に受けたのはイジメだけど、あなたが今受けているのはイジメじゃない」
「何を……言ってるんだ……?」
「イジメじゃなくて、"学級裁決"なの。だから、これからはそう呼んでね」
「学級……裁決……?」
「そう。クラスみんなで誰が悪いかを決めてから、刑を執行してるだけなの。美晴ちゃんは独りぼっちだから、ちょっと不利だけど、みんなの意志が正義だから仕方ないよね」
「ふざけるなよ……! やってることは……ただのイジメだろうがっ……!!」
「ふふふ。でも、これで言い切れるんだよ。6年2組にイジメはないって」
「学級裁決」という言葉が、6年2組の意識を変えた。自分たちは正義だと思っているからこそ、連中は非道な行いも平気で楽しむことができるのだ。
(くそっ! クソッ、くそっ!!)
風太の心と美晴の身体は、全く同じ感情を持っていた。しかし、二人分の悔しさがあってもなお、それをぶつける場所は見つからなかった。
「ふーっ……! ふーっ……!」
奥歯をグッと噛みしめ、肩を震わせながら、『美晴』は体育館を出ていこうとした。
「あら、どこへ行くつもりかしら?」
「……!?」
目の前には、五十鈴が立っている。
そいつを押し退けてでも出ていくつもりだったが、『美晴』はそれをしなかった。五十鈴の手に握られているものを見て、立ち止まってしまったからだ。
「お前……! それはっ……!」
「ブラとショーツよ。誰かさんの」
それは、『美晴』が『風太』に着せてもらうために学校に持ってきた、水色のブラジャーとパンツだった。袋に包んで、ランドセルの奥にしまっておいたハズのものだ。
「可愛いデザインね。誰かに見せるための下着かしら」
「やめろっ……! 返せっ……!!」
五十鈴の手から必死に取り返そうとしたが、美晴の身体では力も身長も全然足りない。五十鈴にブラジャーを持った手を高くあげられると、小さな『美晴』は完全に無力だった。
「誰の物かは分からないし、教室の黒板に貼り出そうかしら」
「この野郎っ……! おれを……バカに……」
そう言いかけた時、『美晴』は背後から右肩をポンッと叩かれた。
普通の人なら反応して振り向く程度だが、今の『美晴』の右肩には、グロテスクな青アザがある。
「うぅあっ……!! 痛いっ……!!」
ビリリと激痛が走る。それと同時に、全身から汗が一気に噴き出す。
『美晴』の肩を叩いた蘇夜花は、悪びれもせずに自分の言いたいことだけを言った。
「さて、そろそろ"学級裁決"を始めるよ。わたしたちと一緒に来てくれるよね? 美晴ちゃん」




