わたしにとってのイジメ
(あいつ……!?)
小箱蘇夜花。
昨日、美晴のノートをぐしゃぐしゃにしたあいつだ。しかもそれを、「ただの勘違い」で片付けやがったあいつだ。そして、「デメ」を6年2組に指示したのもあいつだ。
(そのあいつが、前の学校でいじめられてた……!?)
現在は、給食の後の5、6時間目。
人権学習に興味のない生徒や、集中力がとっくに切れた生徒は、そろそろ眠たくなってくる時間帯だ。6年1組の列では、健也が大きなあくびをしながら目をこすっている。
ただ、『美晴』の様相だけは違った。もう眠気は消し飛び、今は誰よりもステージ上での発表を聞く姿勢を作っている。
「……!」
蘇夜花はポケットから折り畳んだ原稿用紙を取り出し、それを読み始めた。
「『わたしにとってのイジメ』。6年2組、小箱蘇夜花」
蘇夜花は、ここに転入してくる前の学校で自分がいじめられていたことを、赤裸々に語った。
前の学校では、学級委員をやっていたこと。イジメをしている子を注意したら、自分が標的にされてしまったこと。誰も味方をしてくれなかったという孤独。そして……。
「ある日、いじめっ子の『ミサ』を含むイジメグループは、わたしを女子トイレに呼び出しました。わたしは怖くて声も出せず、誰かに助けを求めることもできませんでした。そしてミサは、カッターナイフを取り出すと……」
そこで蘇夜花は、言葉に詰まった。
女の先生が一人、蘇夜花に駆け寄り「大丈夫? 続けられる?」と、様子をうかがっている。蘇夜花は先生の方を見て、小さく首を縦に振ると、再び原稿の続きを読みだした。
「ミサはカッターナイフを取り出すと、わたしの背中に大きな傷をつけました。それからしばらく経って、身体の傷は無事に消えましたが、心の傷は今でも残っています」
「イジメは、心の弱い人がすることです。イジメをするのは、恥ずかしい人間です。もし、あなたが現在、いじめられているなら、一人で抱え込まずに誰かに相談してみましょう。きっと、その人が力になってくれるはずです」
「これで『わたしにとってのイジメ』を終わります」
パチパチパチパチ……。
『美晴』は蘇夜花の話を、真剣に聞いていた。
(過去にいじめられていたからって、今誰かをいじめることが許されるわけじゃないっ……!)
と、激しい怒りを感じるところもあれば、
(いじめられた経験があったからこそ、美晴をいじめるんだな。蘇夜花自身も怖いんだ……)
と、ほんの少し同情するところもあった。
(あいつと……蘇夜花と真剣に向き合えば、もしかしたら何か変わるかもしれない)
そして『美晴』は、もし機会があれば、蘇夜花と一度じっくり話をしてみたいと思った。
*
キンコーン。
6時間目終了のチャイムが鳴る。
全校集会が終わり、ぞろぞろざわざわと体育館から出て行く6年生たち。その荒波の中に、『美晴』はいた。
どうにかして人混みの流れを掴んで、体育館から出て行こうとしていると、『美晴』はそこで誰かに呼び止められた。
「風太くんっ」
と言っても、今の『美晴』を心の方の名前で呼ぶことができるのは、一人しかいない。
「……!」
『風太』だ。
「来てっ」
『風太』に連れられて、『美晴』は誰もいない体育館の裏へと向かった。
*
体育館の裏。
そこにある2、3段ほどの短い石段に、少年と少女は腰を降ろした。
目の前には学校の敷地を囲う金網フェンスぐらいしかなく、かなり殺風景な場所だ。校舎から離れているので、騒音もほとんど聞こえない。
「か、かわいい服、選びましたねっ」
『風太』は、『美晴』がはいている白いフリルスカートを見て、そう言った。
しかし『美晴』は、自分がなぜ今日こんなスカートをはいているのかを知らない。昨日「デメ」を受けてから、今日雪乃に出会うまでの間に、何があったのかを、『美晴』は覚えていないのだ。
「女の子として、オシャレを楽しんでるんですか? わたしの身体で、かわいい洋服を着てっ」
「違う……。そういう……つもりじゃ……ない……」
「そ、そうですか」
「これは……気にしないで……くれ……」
「はい……」
そして、少し恥ずかしそうに『風太』は尋ねた。
「わたしの、か、身体を初めて見て……その、どう思いましたっ?」
『美晴』は正直に答えた。
「見てない……」
「えっ!?」
「だから……、一度も……見て……ないって……。お前の……身体……とか……」
入れ替わってから二晩が過ぎたが、少なくとも、風太の記憶の中に「美晴の裸」はない。
「お風呂とか、着替えはどうしたんですかっ?」
「お風呂の代わりに……服を……着たまま……身体を……タオルで……拭いた。着替えは……目をつぶって……やった」
「そ、そこまでして……」
「でも……」
「でも?」
『美晴』は、自分の肩の辺りにあるストラップを、服の上からつまんだ。
「これは……自分では……脱げない……から……。美晴に……着替えさせて……ほしい……」
昨日の朝、下着一式を袋に入れて赤いランドセルに詰め込んだのは、このためだ。美晴のプライベートな部分に精一杯配慮したが、ブラジャーとパンツの着替えだけは、どうやっても回避できなかった。
「わたしが、あの時……風太くんとトイレに行った時、『目をつぶってください』って言ったから、ですか?」
「うん……」
「一度も、一度もわたしの、は、裸をっ、見てないんですか!?」
「うん……」
「……!」
『風太』はうつむいて、『美晴』の顔をまともに見ようとはしなかった。
その心中にあったのは、罪悪感だ。女の身体を押し付けたうえに、「裸は見ないでほしい」というワガママな約束を、守らせてしまった。『美晴』に無理やり背負わせた物の多さと大きさを、『風太』は改めて理解した。
「あっ! あの、これ……」
『風太』は、手に持っていた袋を『美晴』に渡した。
「ん……?」
「昨日、これを渡しに行ったんですけど、ふ、風太くん、急いでたみたいで……。覚えてませんか?」
「きのう……??」
昨日の出来事を思い出そうとしても、頭に浮かんでくるのは、一昨日の記憶だけ。
よく分からないまま『美晴』は袋を受け取り、ガサガサとその中にあるものを取り出した。
「これ……ブラウス……?」
「そ、そうですっ! わたしの方で、洗濯しておきましたからっ」
入れ替わり初日に『美晴』が女子更衣室で見つけた、チョークの粉まみれだったブラウスだ。チョークの汚れは、今はキレイさっぱり消え去っている。
「どう……して……?」
「わたしの部屋を片付けた時に、持って帰ったのでっ」
初日の、「みはるのへや」の片付けをした時に持ち去ったのだと、『風太』は説明した。
しかし『美晴』が聞きたいのは、そんなことではない。
「なんで……この服……、チョークで……汚れて……たんだ……?」
「あ、あのっ、それは、わたし、その……ドジで、えっと」
ウソだ。そいつが明らかにウソをついていることは、『美晴』にも分かった。
自分がいじめられていることを、そいつは隠そうとしている。その意図を、『美晴』は心の中で考えていた。
「……」
「……」
しばらくの間、お互いに黙り込んでしまった。
そして、一つの結論に至った『美晴』が、その沈黙を破った。
「知ってる……よ……」
「えっ?」
「もう……おれも……経験したんだ……。何が……あったかは……分かってる……」
「ふ、風太くん……」
「だから……6年2組で……お前の身に……起きてることを……」
キンコーン!
帰りのホームルーム開始のチャイムだ。『美晴』のしゃべりが遅すぎるので、まるで言葉を遮るかのようなタイミングで、それはいつも学校全体に鳴り響く。
「ごめんなさい。わたし、もう行きますね」
『美晴』の話はまだ途中だったが、『風太』は立ち上がった。
そして、自分のしゃべりの遅さに不満を抱いている『美晴』の顔を見て、『風太』は何かを決意したようなハッキリとした言葉で言った。
「大丈夫。風太くんが何を言おうとしてたのかは分かります。ちゃんと話しますから、放課後、またここで会いましょう」
*
再び、6年2組。『美晴』は教室に戻ってきた。
陣野先生が宿題と連絡事項をクラスに伝え終わり、帰りのあいさつを済ませると、放課後となった。特に学校に用事がない生徒は、早めに帰宅するべき時間だ。
明日から大型連休ということもあり、教室も廊下も人で溢れて騒がしくなっていた。みんな、連休中の遊ぶ予定を、仲の良い友達と相談しているのだろう。
『美晴』には……現在の風太には、一緒に遊ぶ友達がいないので、誰からも声をかけられることはない。
(もし美晴と入れ替わってなかったら、今ごろはおれも、健也や翔真たちと一緒に……)
独りぼっちの少女は、楽しそうに休みの予定を話し合う少年たちを、遠くから見ていた。
「……」
赤いランドセルを背負い、『美晴』は廊下に出た。
目指す場所は自宅ではなく、さっき『風太』と再会する約束をした体育館裏だ。ずっしりとしたランドセルの重みに肩を痛めながら、『美晴』は歩き出した。
すると、その時……。
「ねぇ、美晴ちゃん」
誰かが、身体の方の名前を呼んだ。
『美晴』が振り返ると、そこには先ほどの全校集会でイジメ体験を語った、例のあいつがいた。
(蘇夜花……!)




