バッドエンド
「みんな聞いてっ! 蘇夜花が、『デメ』やってもいいってさ!」
真実香は、クラスの全員に聞こえるように叫んだ。
「「「……!?」」」
その一言で、教室がシーンと静まり返った。
床で寝かされている『美晴』以外の全員が、真実香を黙って見つめている。
「……本当に蘇夜花が言ったのか。それ」
『美晴』の腹の上に座っている界が、最初に口を開いた。界は大きく目を見開き、少し冷や汗を垂らしている。
そんな界に対して、真実香は笑顔で答えた。
「うんっ! 時間も5分作るから、美晴に『デメ』やっていいって言ってた! 職員室でちゃんと聞いてきたよっ!」
やはり『美晴』は、間違いなく「デメ」を受ける。
(デメ……?)
虚ろな目をしたまま、『美晴』は耳に入る謎の単語に疑問を持っていた。
腹部は潰され、両腕は踏みつけられ、右肩はビリビリと痛む。今から自分の身に降りかかる「デメ」が何なのかは分からないが、もうそれを拒否する力は微塵も残っていない。
「蘇夜花ちゃん、怒ってるよね。きっと」「当然だよ。美晴が悪いんだから」「で、誰がやるの? 蘇夜花も五十鈴もいないけど」「うわっ、おれ初めて見るかも」
観衆たちがざわつくなか、界は『美晴』の腹から降りると、力の抜けた『美晴』の胸ぐらを引っ張りあげて、無理やり身体を起こさせた。
「おい、手足に力入れろよ。もう1発、蹴られてェのか? あァ?」
界の乱暴な言葉を聞くと、『美晴』の身体は恐怖で震えた。
(嫌っ……。やだっ、怖い……)
涙だけはガマンしたが、心は完全に折れている。心が折れたせいで「かよわい美晴」の封印が解け、本来の弱虫女である自分が抑えきれなくなっている。
『美晴』は手足に力を入れて、ボロボロの身体を支えた。
「ここに座れ」
界の言うことを聞くしかなかった。
『美晴』が少し腰を上げると、脚は一番楽な姿勢を選び、「女の子座り」で教室の床にへたり込んだ。
界はそれを見届けると、一旦闘技場から退場し、掃除用具入れなどがある教室の後ろへと向かった。
──月野内小学校の一部のクラスでは、生き物を飼育している。生徒か先生が自分のクラスに持ち込んで、そのままクラス全員のペットとなるのだ。
2年3組にはカブトムシの幼虫、4年1組にはオカヤドカリ。大抵は大きめの水槽に入れられ、ランドセルを収納するロッカーの上で飼われている。
そして、この6年2組にもペットはいた。
ゴトッ。
力なく項垂れている『美晴』の前に、大きな水槽が置かれた。
(なんだ、これ……?)
教室の後ろに行った界は、二人の男子を引き連れて戻ってきた。
「冬哉、琥太郎。お前らは、美晴の腕を押さえとけよ」
「えぇー!? 界は!?」
「おれァ、この水槽を押さえとかなきゃダメだし」
「自分だけ楽な方じゃんっ!」
「でもよォ、執行人やるよりかはマシだろ?」
「それは、まあ……。そうだけど」
男子三人で小競り合いをした後、その中で一番図体の大きい界が、観衆に向かって大声で叫んだ。
「キモムタァ! お前、ちょっとこっち来いっ!」
界に「キモムタ」と呼ばれて、前に出てきたのは、小太りの小さな少年だった。
「へぇっ!? ぼっ、ぼくぅ!?」
おどおどしていて、気弱そうだ。
「キモムタ。お前が執行人をやれ」
「なっ、なんでぼくなんだよぉ。か、界くぅん」
「いいからやれ。それとも、テメェが美晴の代わりに『デメ』を受けるか?」
「ひえぇっ! わ、分かったよぉ! し、執行人やるよぉっ!」
界にびくびくと怯えながら、キモムタは『美晴』の首根っこを掴んだ。
『美晴』はキモムタを軽蔑するような目で見ていたが、キモムタのほっぺたは何故か赤く染まった。
「執行人はキモムタな。よし、始めるか」
そう言うと、界は水槽のフタを静かに開けた。
その中にいたのは……金魚だった。黒いデメキンが一匹、飼育用水槽の中を悠々と泳いでいる。
(えっ……?)
『美晴』はワケが分からず、界の顔を見た。
「『デメ』のルールは簡単だ。お前がデメキンを口で捕まえるか、3分経ったら終わり。まァ、口を使って金魚すくいをやれってことだよ」
説明されてもなお、界の言っていることはさっぱり理解できない。
(何を……言ってるんだ……?)
しかし聞き返そうにも、口から言葉が出ない。
そうしている間に、無情にも『デメ』は始まってしまった。
キンコーン。
3時間目開始のチャイムが鳴ると同時に、『美晴』の顔は、金魚がいる臭い水槽へと無理やり押し込まれた。
チャプッ。
着水する。
『美晴』は身体を動かそうとしたが、ただでさえ抵抗する体力がないのに加え、腕も首も強く押さえつけられていて、身動きがとれない。唯一、自由になっている脚をバタつかせても、この状況を解決するような力にはならなかった。
(うっ、臭いっ……! 息が……苦しいっ……!)
『美晴』の息の限界は、すぐに来てしまった。入水する前に、しっかりと空気を蓄えることができなかったからだ。
金魚を捕まえるどころか、水の中で目を開けることすらできない。水はひどく濁っていて、金魚のエサや糞が大量に含まれている。
(助けてっ! 誰か、助けてっ!)
極限状態の中では、少年と少女の影が何度も重なり、『美晴』は無意識に少女のような口調で声にならない言葉を叫んでいた。
6年2組の中心で、まるで拷問のような責め苦が行われている。しかしそれでも、観衆の中から戸木田美晴を助けようとする人間は現れなかった。
「ぶはぁっ……!!」
ザバッ。
『美晴』の首が、水槽から引き上げられた。長い髪を伝って、毛先からは汚水がジョボジョボと垂れ落ちている。
「はあぁっ……、はあっ……、はあぁっ……!」
瞳を大きく見開き、『美晴』は何度も大きく呼吸をした。
やっと苦しみから解放された……と思いきや、汗でにゅるにゅるしたキモムタの手は、まだ『美晴』の首根っこを掴んでいる。
「おいキモムタァ、ちゃんと操作しろよ。金魚すくえてねェじゃねェか」
「うっ、うん……」
苛立つ界に睨まれ、キモムタはもう一度、『美晴』を入水させようとした。
「やっ、やめ……て……!」
口調は少女のものだが、ようやく『美晴』の口から、まともな言葉が出た。
しかしキモムタは、一瞬ひるむも、『美晴』の後頭部を押さえつけている手を止めなかった。
「息がっ、できな……むぐっ」
『美晴』は、また水槽へ押し込まれた。
今度は鼻や口の中に、汚水が流れ込んできた。肺に蓄えておいた空気はすぐに消費してしまい、もう水を飲み込むしかなかった。
(このままだと、本当に……死……)
地獄のような時間が続いた。
*
そして5分後。
6年2組では、何事もなかったかのように、算数の時間が始まった。しかしその教室には、『美晴』の姿だけがなかった。




