クラスの団結力
今は2時間目と3時間目の間。少し長めの休憩時間なので、6年2組担任の陣野先生は、教室を離れている。
『美晴』は、今朝のポニーテール女の前に立っていた。
「……」
「美晴ちゃん? 何か用?」
「ぉ前……だろ……」
「え? 何?」
「あれ……やった、の……お前……だろ……!」
「えぇ? 美晴ちゃん、いつも声ちっちゃいから、よく聞こえないよ」
「美晴のノート……! ぐしゃぐしゃにしたのお前だろって言ってんだ……!!!」
それは絶叫に近かった。
突然響いた大声に反応して、誰もが『美晴』とポニーテール女がいる方へと振り向き、教室の中はシーンと静まり返った。
「ふーっ……! ふーっ……!」
『美晴』は呼吸を荒くしながら、歯が砕けるくらいに食い縛っている。さらに拳もギュッと強く握り締め、肩をワナワナと震わせている。
いきなり手を出さなかったのは、目の前のそいつが女であるからという、最後の理性だった。
一方、ポニーテールの女は少しだけ驚いたが、すぐに余裕を取り戻し、口元に笑みを浮かべた。
「へぇ~。美晴ちゃんって、そんな大声も出せたんだ」
明らかに見下し、バカにしている。戸木田美晴は自分より下の存在だと、この女は認識しているのだ。
『美晴』は二人分バカにされている気がして、さらに怒りの炎を燃やした。
(こいつは絶対、おれに、美晴に、謝らせてやるっ……!!)
ただ、熱くなりすぎてはまともに会話ができない。
『美晴』はひとまず呼吸を整え、脳を落ち着かせた。
「はぁ……はぁ……。なんで……美晴の……大切な……ノートに……あんなこと……したんだ……!」
「ノート? ノートねぇ。ノート……。うーん、何のことでしょう?」
「とぼけるつもりかよっ……!」
「だって本当に知らないし。ねぇ、思い違いじゃない? わたしが美晴ちゃんの大切なノートをぐしゃぐしゃにした、なんて」
「お前が……やったところ……! おれは……ちゃんと……見てたんだ……!」
「『おれ』? ちょっと、そんな言葉どこで覚えたの? 美晴ちゃん」
そいつが白々しく『美晴』を茶化すと、周りにいる6年2組の連中もクスクスと笑った。
(なんだよっ! なんで笑うんだ……!)
どんなに強気な言葉も、しゃべっているのが『美晴』の小さくて可愛い声では、必死に虚勢を張っているように聞こえるらしい。
まるで、キャンキャンと吠える小さな犬。そんな風に見られているということに気付くと、『美晴』の中にある勢いは、少し弱くなった。
「くっ……!」
そして突然、睨み合う二人とは別の場所から、一つの声が上がった。
「あら、これは何かしら?」
『美晴』が振り返ると、そこには第三者であるロングヘアの女子がいた。そいつは美晴の社会のノートを広げ、教室全体に見せびらかしていた。
「五十鈴ちゃん、それはなぁに?」
ポニーテール女が尋ねると、五十鈴と呼ばれたロングヘア女は、パラパラとページをめくりながら答えた。
「えっと……美晴のノートみたいね。ぐしゃぐしゃにされたって、聞いてたけど……」
それは、ちょっとだけページ数が少ない、ただの白紙のノートだ。丸めた紙屑の方が無いと、ノートがハサミで切り取られたことは証明できない。
「どうやら、美晴の勘違いだったみたいね。蘇夜花」
五十鈴は勝手な結論を出し、クラス中に聞こえるように言った。
「えぇー? そうだったのー?」
蘇夜花と呼ばれたポニーテール女が、それに合わせて下手な芝居を打つ。
二人のそのやりとりで、静かだった周囲にざわめきが起こった。
「うわっ、ひどーい」「蘇夜花ちゃんかわいそー」「なんだケンカか? 誰が何やったの?」「てゆーか、美晴ってあんなキャラじゃなくない?」「ブチギレてみたけど、勘違いでした。ってワケか」「恥ずかしいやつだな」
『美晴』の頭の中には、うるさいくらいにその声が響いた。
「違うっ……! ぐしゃぐしゃに……されたのは……切り取られた方なんだ……!!」
『美晴』は必死に反論したが、ざわめく周囲に言葉が届くことはなかった。
蘇夜花は諭すような優しい口調で、『美晴』に言った。
「いいんだよ。勘違いは、誰にでもあるものだから。ちょっと張り切りすぎちゃったね」
「ち……、違う……のに……」
「やっと、いつもの美晴ちゃんに戻ったね。やっぱり、小さな声で話す美晴ちゃんの方が可愛いよ」
「く……そ……」
心の中にあった熱気が消え、『美晴』の首の絞まりは一層強くなっていった。
そして、畳み掛けるように苦難は続く。
「ほら、来いよ。美晴」
ガコッ!!
突然、『美晴』は誰かに襟の後ろをグイッと引っ張られ、その勢いでそばにあった机に腰をぶつけた。
「痛っ……!?」
痛みに顔を歪ませながら、『美晴』は自分を引っ張った犯人を見た。
茶色い短髪で、ガラの悪そうな男子生徒だ。そいつの体格は、『美晴』よりも二回りほど大きい。
「ちょっと界くん。あんまり、美晴ちゃんにひどいことしちゃダメだよ? 分かってるよね?」
「あァ、分かってるって。死なない程度には優しくしてやるよ」
蘇夜花が界と呼んだ男子生徒は、余裕そうにヘラヘラと笑った。
『美晴』の相手は、どうやら界に任されたらしい。蘇夜花は五十鈴と一緒に、教室から出て行こうとした。
「待てっ……!!」
「いや、お前が待てよ」
界は、蘇夜花を追いかけようとする『美晴』の長い髪を、乱暴にガッと掴んだ。
首の自由を奪われた『美晴』の頭部に、強い痛みが走る。
「や、やめろっ……!」
「蘇夜花はなァ、おれの友達なんだ。おれァ友達を傷つけるヤツは許さねェって、前にもテメェに教えたよなァ? 何か言いてェことがあるなら、このおれに言ってみろよ」
蘇夜花と五十鈴は教室を出てしまったのか、もう姿はどこにも見えない。
観衆の望み通り、『美晴』は界と対峙するしかなくなった。
「はぁ……はぁ……。なんだ……?」
「おれ」じゃなくて、「わたし」が怯えている。この空気の中に漂う残虐性に触れて、左胸の奥にある小さな心臓が、潰れそうなほどに痛んでいる。
「バカ……!! 怖がるなよ……!! 弱虫女は……どっか行ってろ……!!」
一瞬、「かよわい美晴」が現れて、意識を支配されそうになったが、『美晴』はそいつを怒鳴りつけ、心の中に封印した。
相手は男だが、自分も男だ。『美晴』は全力でやってやるつもりで、覚悟を決めた。
「へェ、マジでやる気かよ。じゃあ、本当にいつもとは違うってことか? へへっ……おい、誰かこいつに賭けてみろよ」
界は、目の前にいる弱そうな女の子を指さしながら、周りにいる連中に言った。
6年2組は、戸木田美晴にとって最悪な形で団結していた。
*
キンコーン。
3時間目。教科は算数。
一つの空席を除いて、6年2組の生徒全員がしっかり席に着いている。担任の陣野先生は、蘇夜花たちと談笑しながら教室に入ってきて、何も知らずに算数の授業を始めた。
「陰キャ女子、突然の発狂」という、さっきまでそこにあった現実を、消し去るように団結力を発揮した、この6年2組で。
誰も座っていない美晴の席から少し離れた場所で、蘇夜花と五十鈴はヒソヒソと話をしていた。
「教室のみんなは上手くやったみたいだね。五十鈴ちゃん」
「ほんとね。感心するほどだわ。みんなの団結力と……誰かさんの統率力に」
「うーん。ノートを切り取るのは、ちょっと失敗だったかなぁ。やっぱり、糊付けにしとけばよかったかも。まぁ、面白いことにはなったけどさ」
「もしかして、美晴にナメられてるんじゃない? 蘇夜花は」
「そうかもねー。今度は、そういう気も起こらないようにしてあげなきゃね」
陣野先生は、計算式をいくつか黒板に書き終えると、「あれ? 戸木田ー? 戸木田はどこだ?」と、6年2組に尋ねた。すると、学級委員の五十鈴は、「美晴ちゃんなら、トイレに行くって言ってました」と、丁寧にウソを答えた。




