ある少女のその後
*
「バスケットボールが、つまらない」
バスケットボール全国大会、小学校低学年の部。
優勝チームのキャプテンである三年生の「彼女」は、表彰台の上で、黄金に輝くトロフィーを抱え、自分に向けられたマイクに向かって、そう言った。
*
「……」
天式理不羅。
今、公園にあるバスケットボールのコートに寝転がって、地面にある小石をぼんやり眺めている、「彼女」の名前。
「つまらない」
全国大会優勝から、一日後。今日、理不羅は日課であるバスケットボールの自主練習をしなかった。その理由は、やる気が全く湧いて来なかったから。
「最初は面白かったのに」
バスケットボールが楽しかったころを、思い出そうとする。やる気に満ち溢れていたころを、思い出そうとする。日々バスケットボールが上手くなっていく、目をキラキラ輝かせていた、幼いころの自分を……。
「隣にいたのに」
幼い理不羅の隣には、いた。オシャレなミュージックビデオとかでよくある、黒いクレヨンで顔をぐちゃぐちゃに塗りつぶされた、一人の男の子。今はもういないが、その時はその男の子がいて、バスケットボールが確実に楽しかった。
「どこに行ったの?」
幼い理不羅は、バスケットボールの練習をしながら、待っていた。毎日、毎日、いつかは戻ってくると信じて、待っていた。しかし、どれだけ待っていても、その男の子は、理不羅の隣には帰ってこなかった。
「どうして消えちゃったの?」
今となっては、理由もあまり覚えていない。ケンカをしたような気もするし、していないような気もする。理不羅はずっと一緒にいたいと思っていたが、その男の子は、理不羅の隣から消えてしまった。
「あの日から、何をやっても、どこへ行っても、つまらない」
一粒の涙が、ほっぺたを滑り落ちる。
しかし、その涙には気持ちが入っていないので、表情は全く変わらない。
「もう一度、会いたい。風太くんに」
*
「ふっふーん♪」
珍しく、鼻歌なんて歌いながら。公園からの帰り道を、陽気に歩く。今の理不羅の目的地は、もちろん「風太くん」の家。
ちなみに、小学校にはしばらく行っていない。バスケットボールが体育の時にしかできないから、という理由で。
「風太くんのお家、どこかな?」
どこにあるかは分からない。でも、日本にある全ての家を一軒一軒回って、インターホンを押して「風太くんの家はここですか?」と聞けば、いつかは正解に辿り着ける。「おう、リブラか。久しぶりだな」って、『風太くん』はひょっこり顔を出して言ってくれる。
「ふふっ、楽しみ」
そう考えた理不羅は、わくわくして、ドキドキしていた。
ネットからバスケットボールを取り出して、指でくるくると回す。「こんなこともできるようになったよ」って『風太くん』に見せたら、「すごいなぁ、リブラは」と、きっと褒めてくれるはずだ。
「すごいね、お嬢ちゃん」
「え? だれ?」
突然現れたのは、『風太くん』ではなく、知らないおじさんだった。
車の窓から顔を出した知らないおじさんが、理不羅を褒めた。理不羅は、あんまり嬉しくなかった。
「おじさんに褒められても、嬉しくない」
「なんだと! おじさんをバカにするな!」
「だって、風太くんに褒めてほしいんだもん」
「うるせぇ! こっちに来いっ!!」
理不羅は腕を引っ張られ、知らないおじさんが乗っている車に連れ込まれた。そして、腕と足を縛られ、口にガムテープを貼られた。
*
少女誘拐バラバラ殺人事件。突然理不羅を拐ったおじさんは、その指名手配犯だった。スポーツをしている少女の手足が好きで、おじさんはそれをキレイに切り取って集めているらしい。
「ここで大人しくしてろ。もし変な気を起こしたら、お前を最初に殺すからな」
真っ暗な地下の倉庫に、理不羅はポイッと放り込まれた。
きょろきょろと辺りを見回すと、倉庫の中には、理不羅以外にも拐われた少女が何人かいた。
「うぅっ……」
ソフトボールの選手みたいな格好をした女の子。
その子には左手がなく、切断面にはしっかり包帯が巻かれていた。
「……」
マラソンの選手みたいな格好をした女の子。
その子には左足がなく、切断面にはしっかり包帯が巻かれていた。
「……!」
初めて見た、身体の一部がない人間。理不羅にとってもそれは衝撃的で、すごく怖くなって、言葉が出なかった。次はお前がこうなる番だと、宣告されてるようだった。
理不羅はバスケットボールの選手なので、おそらく失うのは右手。利き手や利き足をなくして、絶望する女の子の姿を見て、おじさんは興奮するタイプなのだろう。
「え……? ゴミ袋……?」
理不羅と二人の女の子以外に、倉庫の中には、いくつかのゴミ袋があった。
理不羅はなんだかすごく嫌な予感がして、絶対にそのゴミ袋の近くには行かなかった。
*
「お前は足だ。左足」
残念ながら、予想はハズレた。
なぜ左足なのかというと、理不羅の左足の筋肉がとてもキレイだったから、らしい。
「え……」
理不羅は手術台の上に寝かされ、麻酔を打たれて、目を閉じた。そして目が覚めると、もう左足がなくなっていた。
「今回の手術は、思ったよりも時間がかかった。俺は疲れたから、もう寝る。お前も寝ろ」
また、ポイッと倉庫の中に放り込まれた。
「……っ!」
理不羅は、すぐに起き上がろうとした。
でも、立てない。地面に足がつかない。全身のバランスが、いつもとはまるで違う。
「わっ……!?」
重いのか、軽いのかも分からない。左足はもうないのに、頭の中はまだ左足があると思って動いている。
手で起きて、足で支えようとすると、理不羅はコテンとひっくり返ってしまった。
「はぁっ、はぁっ……」
バスケの試合中でも流したことのない量の汗が、理不羅の全身を包む。バクンバクンと、心臓は鳴り止まず、得体の知れない寒気を感じて、身体はガタガタと震えた。
理不羅の視線は、さっきまであったハズの部分から離れず、起こってしまった取り返しのつかない現実を、全く受け入れられていない。
「──!!!」
とにかく、叫んだ。その日の夜はとにかく叫んで、大声で泣いた。ピクピクと動く自分の包帯を見て、発狂もした。
もし、おじさんまで声が届いたら殺されてしまうが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
*
右手、左手、右足、左足。四つ全てを失った女の子は、一体どうなるのか。
理不羅はその答えに、だんだん近づいていた。
「右手……」
それは、もうない。
たくさん練習して、くるくるとボールを回せるようになったのに、もう二度とできなくなった。『風太くん』に褒められることもなくなった。
「今の、わたしの姿を見たら……」
今、もしも、あの人に会いに行ったら。
理不羅を指差して、「手足がないなんて、気持ち悪いな」とか、「近寄るなよ。化け物」とか……。
「言わないでくれるよね……? 前みたいに、わたしと一緒に、遊んでくれるよね……?」
ただの願望。それでも、会いたいと思った。
もし、これ以上身体がバラバラになったとしても、もう一度会いたいと思って、理不羅は冥い地獄の底から、天を見上げた。
「ちゃんと、全部終わらせてから、会いに行くからね。風太くん」
*
その日、おじさんは油断していた。地下倉庫の扉が開いていることも忘れて、グーグーと眠ってしまうという、大失態。
手足のない少女たちにとって、それは絶好の機会となった。
「二人だけで逃げて。わたしは、やることがある」
ソフトボール選手の女の子には、まだ両足があったので、そのままマラソン選手の女の子を連れて、脱出してもらった。
おじさんの家に残ったのは、理不羅といくつかの死体だけ。
「ふっふーん♪」
珍しく、鼻歌なんか歌って。理不羅は、キッチンのコンロに火をつけて、近くにあるものをなんでも燃やすことにした。火事になりそうなものや、爆発しそうなものを、全て強火で焼いた。
「て、テメェっ!? 何してやがるんだっ!!」
しばらくすると、血相を変えたおじさんがドタバタと、キッチンまで乗り込んできた。
こんなに熱くて、こんなに煙が出ていて、こんなに火災報知器が鳴っていたら、普通はのんびり寝ていられない。
「こ、このガキっ……! やめろっ!!」
左足のない理不羅は、おじさんに簡単に捕まり、ステンと転んでしまった。
しかし、もう手遅れ。火事がどんなに恐ろしいかは、小学生でもよく知ってる。
「ゲホゲホっ! くそっ! もうこんなに火の手が……!」
理不羅を取り押さえながら、おじさんは燃え盛る自宅から脱出する方法を探していた。
文字通り手も足も出せない少女に、反撃されるハズがないと、また油断している。だから、理不羅は首を思い切り振った。
「ぐおぉっ!? 痛えっ!!?」
キッチンには包丁がある。包丁で切られると、人体からはブシュっと真っ赤な血が出る。
「こ、このガキっ……! 包丁なんか咥えやがって!!」
おじさんは、首から赤い血をダラダラと流していた。普段は自分が切る側なので、自分が女の子に切られるなんて、想像もしてなかったようだ。
「もひも……」
「な、なんだよ、その目は……! 今、この状況で、俺を殺ろうってのか……!?」
「ふふ……。もひも、ここで、わたひが生きのほったら……」
「ヒッ……!? こ……この、バケモンがぁっ!!」
──「死」が近くにある時、人は人を超える。
「必ふ会ひに行ふからね。風太ふん」