好きなノート
「今日もがんばってね」
そこにいたのは、身長が『美晴』より少し高いくらいの、ポニーテールの女の子だった。
この子が誰かは知らないが、『美晴』の心臓の鼓動は急激に速くなった。
「……!」
美晴の友達かと思い、あいさつを返そうとしたが、声が出せない。
(なんだ……!? この、寒気は……!)
身体が拒否している。まるで自分の身体が、そいつの存在ごと否定しているようだった。
『美晴』は何も言わなかったが、そいつは満足そうにニッコリ微笑むと、そのまま先に学校へと行ってしまった。
*
そして、月野内小学校に到着した。
『美晴』は校舎内の階段を昇り、6年2組の教室を目指した。6年2組の教室は、6年1組の教室を通りすぎた先にある。
(下駄箱に靴がなかったし、美晴はまだ登校してないのかな)
『風太』が学校に着いていないことを確認するため、『美晴』はさりげなく6年1組の教室を見渡した。
「この前さぁ、お父さんと野球を見に行ったんだよ」
滉一だ。
「なにそれ可愛いっ! どこで買ったの!?」
笑美だ。
「ついに買ったぞ、バトルムエタイ2。今日ウチでやろうぜ」
龍斗だ。
それぞれがそれぞれのグループで、楽しそうに話をしている。
みんな、普段は風太ともよく話すクラスメートだ。しかし、今の風太に声をかけてくる友達は、一人もいなかった。
(おれが風太じゃないから、か。今のおれは本当に、風太には見えないんだな)
その教室の風景を見れば見るほど、6年1組から疎外されているような気がして、『美晴』はだんだん教室を眺めているのが辛くなっていった。
(行こう……)
6年2組の教室へと進む。
美晴の席はもう分かっているので、背負っていた赤いランドセルをそこに降ろした。
教室の中の雰囲気は、6年1組とあまり変わらず、それぞれが自分の仲良しグループで会話をしている。ここでも、『美晴』に話しかけてくる生徒は一人もいなかったが、『美晴』はあまり気に留めずに教室を出た。
(今のうちに、美晴に会っておきたいな)
最終目標は、元の自分に戻ること。
そのためには、入れ替わりの原因を突き止める必要がある。原因について何か知ってそうなのは美晴だが、今の美晴はあまり協力的ではない。美晴が協力的でなければ、「おれが本物の風太だ!」なんて言っても、誰にも信じてもらえない。
よって、現在のミッションは「美晴を協力させること」。元に戻る気がなさそうな美晴に、やっぱり元の自分に戻りたいと思わせてやればいいのだ。
(大丈夫。入れ替わったまま生活するなんて、上手くいくワケがないんだ。そのうち、美晴も元に戻りたいと思うさ)
美晴が『風太』に成り済ましていることに対して、今はそれほど深刻に考えてはいなかった。
これは、ただの「家出」みたいなもの。美晴の精神が、美晴の身体から「家出」しているだけ。入れ替わり生活が大変になったら、きまぐれに帰ってくるだろう……と、風太は思っていた。
(よし、ちょっと説得してみよう。おれにはおれの居場所があって、美晴には美晴の居場所があるってことを教えてやれば、気持ちも変わりやすいかもしれない)
話す時間さえあれば、説得も上手くいくハズだ。
『風太』が学校に来たことがすぐに分かるように、『美晴』は校門が見える場所を探すことにした。
(この学校で、校門やグラウンドの様子が見やすい場所といえば……やっぱり図書室かな)
*
(美晴、早く来い!)
『美晴』は図書室の窓辺で、『風太』が校門に現れるのを待った。
しかし15分ほど待っても、『風太』の姿は見えなかった。ゆっくり話ができるような時間はもうなくなっていたが、それでも『美晴』は待ち続けた。
(このままだと、遅刻しちゃうんじゃないか……?)
少し不安に思いつつも、根気強くじっと校門を見張っていると、そこへやっと待ち人が現れた。
「え……」
その姿を見て、『美晴』は言葉を失った。
6年1組のクラスメートである翔真、宙、実穂、そして雪乃と一緒に、『風太』は校門に入ってきた。5人グループの端っこにいるものの、しっかり会話に参加している。
「なんで……、あんなに……みんなと……仲良さそうに……」
今、独りぼっちなのが『美晴』で、友達と一緒にいるのが『風太』だという現実を、しっかりと突きつけられた。
美晴の目を通して見る自分は、とてもキラキラしていて、楽しそうだった。かつての自分よりも、『風太』は6年1組のみんなと仲良くしているようにさえ見えた。
「おれの……居場所……」
すっかり『風太』と話をする気分ではなくなり、『美晴』はまた6年2組の教室へと戻っていった。
*
キンコーン。
起立、礼、着席を済ませると、1時間目の授業が始まった。6年2組の担任である陣野先生(中年男性)は、教室の電気を消してスクリーンを降ろした。
「はい。じゃあ、道徳の授業を始めまーす」
道徳の授業とは、小学生にとってのボーナスタイムだ。
DVDを見るだけで、一時間の授業がほぼ終わる。しかも、DVD視聴中は教室の電気が消されて暗くなるので、よほど見張りの厳しい先生ではない限り、生徒たちはガッツリ居眠りをすることができる。
そして今の『美晴』にとっても、道徳は都合がよかった。
(ふぅ。とりあえず、一時間目は乗り切れそうだな。美晴らしくする必要はなさそうだ)
軽快な安っぽい音楽と共に、スクリーンに動画タイトルが映し出される。
チャラッチャララー♪ ババーン!
「いじめを考えよう」。
全く興味がないタイトルだ。
『美晴』は大きなあくびをし、机の上に腕枕を作った。
(道徳の時間って、こういうのばっかだよな。学習用の安っぽいドラマを見せて感想文を書かせる、いつものパターン)
所詮は、どこかの会社が作った道徳教材。『美晴』は、その安っぽいドラマをフィクションだと割り切って、ぼんやりと眺めていた。
「あいつ、気持ち悪いよなー」「ほんとだよなー」「気持ち悪いから、仲間はずれにしようぜー」「そうしようぜー」
教室のスクリーンでは、気弱そうな男の子へのイジメが始まっていた。しかしそれでも、『美晴』の退屈そうな目は変わらなかった。
まるで興味が湧かない理由は、イジメを現実で見たことがないからだ。このドラマみたいなことを、した覚えはないし、された覚えもない。
(いじめてくる相手なんて、パンチでブッ飛ばしてやればいいのに。なんで反撃しないんだよ。男なら戦えよ。情けないな……)
そして『美晴』は、机に伏して眠りに堕ちた。
朝からあまり気分の良くない出来事が続いていたが、ここで30分ほどの休息がとれたので、『美晴』は心をリフレッシュすることができた。
*
1時間目の道徳が終わり、2時間目が始まる前に、『美晴』は6年1組の教室を見に行った。
しかし残念ながら、『風太』どころか教室内には誰もいなかった。6年1組は理科の授業でフィールドワークをすることになったので、全員外に出てしまっているらしい。
(昼休みか放課後にならないと、じっくり話せるチャンスもなさそうだな。まぁ、仕方ないか……)
諦めて、6年2組の教室へ。
教室に戻った時、5人くらいの女子が美晴の机を取り囲んでいるのが見えた。その中には、今朝出会ったポニーテールの女子もいた。
(ん? あいつら、おれの席で何やってるんだ?)
『美晴』が不思議に思って近付こうとすると、そのタイミングでキンコーンとチャイムが鳴り、女子たちは机から離れていった。
(あいつらは、美晴の友達なのかな?)
さっきの女子たちのことを気にしつつ、『美晴』は着席し、授業の準備を始めた。
2時間目は社会科。机の中から社会のノートを取り出し、軽快にペラッとページをめくっていく。それはまるで、お気に入りの絵本の好きなページを探す、幼い少年のように。
(違うぞ。おれは、美晴のキレイなノートが好きなだけだ。美晴本人のことは、むしろ嫌いだぞ。あいつが努力しているところは、ちゃんと評価するってだけだよ)
見えない誰かに言い訳をして、『美晴』はワクワクしながらページをめくっていった。
(美晴のノートは、文字がキレイで分かりやすいだけじゃないんだよ。小さいイラストとかも描いてあって、読んでて楽しい気持ちになれるんだ。なんていうか、勉強を楽しくするためのノート作りをしてるって感じでさ……)
なかった。
(あれ……? え……ええっ!? あれっ!?)
その社会科のノートには、文字が書いてあるページが一つもなかった。
しかし、新品という訳でもない。ノートをよく見ると、文字が書いてあったであろうページには、ハサミで切り取られた跡があった。
(おかしいな。国語や理科のノートには、そんなことしてなかったのに)
意味不明な形跡に動揺しながらも、『美晴』は授業の開始に合わせて、ポーチ型ペンケースからシャーペンを取り出そうとした。
「……?」
不自然に、ペンケースがゴワゴワしている。
開いて中を覗いてみると、そこにはぐしゃぐしゃに丸めた紙屑が、溢れそうなくらいに詰め込まれていた。
『美晴』は、その屑山から一つを手にとり、静かにそれを開いた。
「……!」
*
2時間目が終わると、『美晴』は相手を睨み殺すような目つきで、今朝のポニーテール女の前に立っていた。




