“迅雷少女弾”
誰かの大きな背中。少女を軽くおんぶできるほどの、力持ちな男の背中。『美晴』はその背中で、パチリと目を覚ました。
「ん……」
「気がついたか?」
「うん……。ん……?」
目覚めたばかりで、まだ意識がハッキリしない『美晴』に、優しい声をかけてくれる。
暖かい瞳で、『美晴』を見守っているのは、一羽の鳥。
「と……!? 鳥ぃっ……!? 鳥だっ……!!」
鳥の顔が、目の前にある。
「鳥じゃない」
「鳥……じゃん……!!」
「違う。私の名は、正義の味方サンダァアーーーーーーバァアーーーード、マンッ!!!」
「うわっ……! この……鳥……うるさい……な……!」
「だから、鳥じゃないって。私の名は、正義の味方サンダ」
「わ、分かった……! 分かった……から……! ちょっと……静かに……してよ……。寝起き……なんだ……」
「ふむ。静かにしてやろう」
「あれ……? でも、この声……って……、どこかで……聞いたこと……ある……ような……?」
『美晴』は自分の記憶を辿り、この鳥と同じ声を持つ人物を探した。男で、高校生くらいで、いつも高圧的な態度をとる……。
「もしかして……雷太兄ちゃん……?」
「……!」
鳥のマスクを被っているのに、『美晴』はそいつを、自分の兄だと感じた。さらに背中にペタペタと触れ、その大きな背中が兄のものであると、確信まで持った。
「雷太兄ちゃん……だ……! 雷太兄ちゃんだよね……!?」
「ち、違うっ! 雷太兄ちゃんなどではない! 私の名は、サンダァーーー」
「やっぱり……雷太兄ちゃん……だ……! 声で……分かるし……! 雷太兄ちゃんに……おんぶされてる……のか……、おれは……!」
「おい! 違うと言ってるだろ! 私の名は、サンダァーーー」
「なんで……鳥の……マスクを……被ってる……の……? なんで……裸なの……? なんで……おれは……雷太兄ちゃん……の……背中で……寝てたの……? 雷太兄ちゃん……! 教えてよ……!! 何が……あったのか……を……!」
「うるせぇ、この野郎っ!!」
サンダーバードマンは、正義を司る大きな拳で、背中に負った少女の頭をポカっと殴った。
「いてっ……! な、何するんだ……!」
「お前がうるさいから殴ったんだ。背中で騒ぐな」
「殴ること……ないだろ……!? そっちだって……うるさかった……くせに……!」
「黙れ。殴られたくなければ、私のことはサンダーバードマンと呼べ。いいな?」
「わ、分かったよ……。サンダーバードマン……」
「よーし。それでいい。私は正義の味方、サンダーバードマン。お前を助けに来たのだ」
「おれを……助けに……? 本当……?」
「ああ、本当だ」
「でも……、今……おれを……殴った……じゃん……。正義の味方……なのに……」
「それはお前が悪い。反省しろ」
「うーん……なんか、イヤなやつ……。あんまり……助けて……ほしく……ないなぁ……」
「何を言うか。私が来なかったら、お前は今ごろ、どこかに連れ去られていたんだぞ」
「連れ去る……? 誰に……?」
「ふむ、少し混乱しているようだな。では、現在の状況を、お前に説明してやろう。とりあえず、私の背中から降りろ」
『美晴』はサンダーバードマンの背中から離れ、大地に降り立った。
辺りをきょろきょろと見回してみると、車がまばらに数台停まっており、ここがファミレスの駐車場だということを、思い出させてくれた。
「そうだ……! おれは……継本流壱に……捕まって……、こんなところ……まで……連れてこられて……たんだ……!」
「その通り。ここは夜の駐車場。そして、正面を見てみろ」
「正面……?」
サンダーバードマンが指差す方向。『美晴』は正面を見た。
するとそこには、一人の怒り狂った男がいた。
「ハァ、ハァ……。クソ鳥野郎、いい加減にしろよ……! 美晴を、俺に、寄越せっ! ハァ、ハァ……ゲホゲホっ!」
継本流壱。もう美晴の父親とは呼べないあの悪党が、そこにいた。ハァハァと息を切らし、ひどい量の汗を流している。顔は真っ赤になり、瞳は今にも人を殺してしまいそうなくらい血走っている。
その様子を見た『美晴』は驚き、サンダーバードマンに尋ねた。
「継本流壱……だ……! おれを……連れ去ろうとした……ヤツ……! すごく……怒ってるけど……、かなり……疲れてる……みたいだな……。なんで……??」
「ヤツの手からお前を取り返し、私はお前を背負った。そしてヤツを挑発しながら、ヤツの攻撃をひたすら華麗に避けたのさ。ひらりひらりとな」
「避けた……!?」
「ああ。普段から体を鍛えているバスケットマンの私と、ただの中年のおっさんであるヤツとでは、体力の差は歴然。お前をおんぶしながらでも、私は余裕で追いかけっこに勝った」
「そういうことか……! じゃあ……、早く……ここから……逃げよう……! 継本流壱の……体力が……回復する……前に……!」
「いや、逃げ切れないだろう。ヤツには自動車がある」
「そうか……。じゃあ……ここから……どうする……? 作戦を……教えて……よ……! サンダーバードマン……!」
「そうだな。ここは正義の味方らしく、悪党をやっつけるなんてどうだ?」
「えっ……!? 継本流壱を……倒す……の……!?」
「ああ。天才的な戦略が、私の頭の中にある。我々を、必ず勝利に導くだろう」
「おお……!」
「しかし、私一人では実行できない作戦なんだ。だから……協力してくれるか?」
「きょ、協力……? 雷太兄ちゃんと……おれが……?」
『美晴』は、心が熱くなるのを感じた。
素直に嬉しかった。「出来損ない」とか、「愚弟」とか、「劣等」とか、色々言ってきたあの雷太兄ちゃんが、今は自分を頼ってくれている。自分の力を、必要としてくれている。こんなことは初めてで、やっと男として実力が認められたような気がした。お前は二瀬雷太の弟だと、そう言ってくれてるように感じた。
「うん……! 協力……するよ……! おれは……、何を……すれば……いい……? サンダーバードマン……!」
しかし、『美晴』の喜びは、この一瞬だけ。
「よし、分かった。いいか、よく聞けよ?」
「うん……!」
「まず、私がお前のケツを蹴る」
「え……?」
「おい、聞いてるのか?」
「ごめん……聞こえなかった……。もう一度……言って……!」
「まず、お前のケツを思い切り蹴り上げる」
『美晴』の心に湧き上がった熱い感情は、冷水をぶっかけられてすぐに消えてしまった。
「はあぁ……!? おれの……おしりを……蹴るっ……!? なんでっ……!?」
「飛ぶためさ。鳥のようにな」
「いやいや……! 意味が……分からないっ……!」
「私がお前を蹴って、空へと飛ばす。お前はその高さと勢いを利用して、あのおっさんにトドメの一撃をお見舞いしてやれ。いいな?」
「よくないっ……!」
「大丈夫だ。優しく蹴るから」
「なんで……蹴るんだよ……! その……説明を……しろ……!」
「私は手を出せない。バスケットマンだから、暴力事件を起こしちゃいけないんだ。なので、お前にやってもらう」
「だからって……、蹴らなくても……いいだろ……! 両手で……持ち上げて……放り投げる……とかさ……!」
「相手にキャッチされたらどうすんだよ。いいか、こういうのは勢いが大事なんだ。蹴る、飛ぶ、必殺パンチでいくぞ。覚悟決めろ」
「わ、分かったよ……! やってやる……! 大きく……深呼吸して……すぅー……はぁー……。よ、よし……! 来いっ……!」
ぷりっと、お尻を少し突き出す。発射準備はこれで完了。『美晴』はぎゅっと目をつぶって、その時を待った。
サンダーバードマンは、トントンと軽くステップを踏み、少女を数メートル先のおっさんの元までぶっ飛ばす準備を始めた。
「さあ行け。我らが共演、究極の電磁砲。“迅雷少女弾”……!」
右脚、左脚、そして右脚は、空を掴む。跳ぶ、跳ぶ、飛ぶ。最後は右脚で強烈な、強ーーーーぅ烈なっ、インパクト。
「いいいいいぃっ……!! いったぁああっ……!!」
ボゴォッ!!
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──
*
夕方を過ぎ、夜になった公園。その公園の名は、やまあらし公園という。
鳥のマスクを被ったヒーロー気取りの大男と、ヒリヒリと痛むお尻をさすっている少女は、二人で並んで歩き、公園のベンチまでやってきた。とりあえずベンチに座る……ことはできなかったので、大男は少女をベンチに寝かせることにした。
「いやあ、ナイスコンビネーション。必殺パンチが炸裂したな」
「……」
むすっ。
「悪党を、一撃でノックアウトだ。これで一件落着だな」
「……」
少女は眉間にシワを寄せ、むすっとした顔をしている。
「お、怒ってるのか?」
「あんなに……強く……蹴らなくても……よかった……のに……!」
「いや、その、悪かったって。本気の本気で、ごめん」
「痛い……! 痛いぞ……! おしりが……痛い……!」
「ぐぅ……。だ、だから、謝ってるだろ」
「あー、痛い……! 最悪だ……! 高校生に……蹴られた……!」
「悪かったって言ってんだろうが!! 何が望みなんだ!? 何でも言うこと聞いてやるから、許せよっ!!」
「ふーん……。じゃあ、許して……やっても……いいけど……」
なんとなく、兄の扱い方が、弟にも分かってきた……かもしれない。少なくとも、今はもう遥か遠くの存在じゃない。変なマスクを被ってはいるけれど、ちゃんと近くにいてくれている。
しかし……。
「とにかく勝ったんだからいいだろ! ほら、グータッチ」
「うん……!」
「サンダーバードマンと、えーっと……美晴ちゃんの、勝利に」
「美晴……ちゃん……?」
「名前、合ってるだろ? 違ったか?」
「ああ、うん……! 合ってる……と……思う……」
雷太と話してるうちに、風太はすっかり忘れてしまっていた。今の自分が、『美晴』であることを。つまり、雷太は目の前にいる女の子を、自分の弟だと認識していない。
(そっか……。雷太兄ちゃんは、おれのことを美晴だと思って、話しかけてたんだ……)
距離はかなり縮まったと思ったが、まだ一枚の壁があった。その壁は想像以上に高く、分厚く、風太の気持ちに影を作るには、充分な大きさだった。
ほんの少しだけ、心が曇る。
「小学生の、女子だよな? 女だろ?」
「うん……。おれは……じゃない、わたし……は……『美晴』……」
「きっと、良い女になるぜ。俺が保証してやる」
「えっ……? 本当……?」
「ああ。うちのマネージャー、真音と同じくらい上等な女になる。あと5年もすればな」
「そっか……。は、はは……」
心の中で、首を横に振る。そして、「それでもいい」と、風太は開き直って笑った。
今だけは、『美晴』として見られても構わないと思った。
「雷太兄ちゃん……!」
「ん? どうした?」
「雷太兄ちゃん……って……呼んで……いいの……? 設定、もう……忘れたの……?」
「はっ! そうだ……! 私は雷太兄ちゃんなどではないっ! サンダーバードマンっ! 正義の味方っ!」
「サンダーバードマンっ……!」
「ふむ。なんだ、少女よ」
「雷太兄ちゃんに……伝えて……ほしい……ことが……あるんだ……!」
「よし、伝えてやろう。言ってみろ」
「母さんに……一言……! 『お弁当、残してごめんなさい』って……! 謝ってくれ……! それが……、パフェ早食い対決で……勝った……おれたち二人からの……願いだから……!」
「分かった。もし雷太くんに会ったら、母親に謝るように伝えよう」
「ありがとう……。サンダーバードマン……」
ようやく尻のダメージが回復した『美晴』は、ゆっくりと身体を起こし、ベンチに座った。
サンダーバードマンは、その様子を見届けると、静かに立ち上がった。
「どうやら回復したようだな。これで、私の仕事は終わった」
「もう……行っちゃうの……?」
「ああ。そしてもう二度と、お前たちを助けには来ない。サンダーバードマンの出番は、今夜が最初で最後なのだ」
「そっか……」
「心配はいらない。お前たちなら大丈夫だ。俺に……じゃない、雷太くんに勝った時のように、二人で力を合わせて乗り越えていけ」
「うん……!」
「では、私はこれにて失礼する。もうすぐ、ここに風太が来るハズだから、美晴ちゃんはそいつと合流して、自宅まで送ってもらえ。いいな?」
「分かったっ……!」
ハハハと高笑いしながら、サンダーバードマンは走り去ろうとした。雷のように疾く、空を舞う鳥のように華麗に。
しかし数歩ほど走って、いきなり立ち止まり、くるりと振り返った。
「すまーん! 一つ、言い忘れてたー!」
「なにー!?」
「美晴ちゃーん! 風太に会ったら、伝言を伝えてくれー!」
「伝言ー!?」
「『早食い対決もいいが、次はバスケットボールで勝負しよう! それまでに、俺を超えられるように、たくさん練習しておけ! 凡百な弟よっ!!』となっ!!」
「分かったーっ!」
「では、今度こそ本当にさらばだっ!! ワハハハハハ!!」
ハハハと高笑いしながら、サンダーバードマンは公園の奥へと消えていった。
もう二度と、彼が現れることはないと知りながらも、風太は喪失感など微塵も感じず、クスクスと小さく笑った。
「『凡百』、かぁ……。ちょっと……だけ……格上げ……かな……?」
そして、少し時間が経ってから、公園に『風太』がやってきた。『風太』は『美晴』の姿を見つけると、すぐにベンチに駆け寄って来て、隣にドカッと座った。
「風太くんっ!」
「おう……、美晴か……? 大丈夫……だったか……?」
「わたしのことはいいんですっ! 風太くんこそ、大丈夫でしたか!? 何かされませんでしたか!?」
「大丈夫……。無事に……逃げ切った……。ケガも……してない……。お前が……サンダーバードマンを……呼んでくれた……おかげだよ……」
「サンダーバードマン? わたしは、風太くんのお兄ちゃんとマネージャーの真音さんに、助けを求めただけですけど……」
「真音さんは……どこに……?」
「真音さんは、警察に電話をしてくれました。『小学生の女の子が、男の二人組に誘拐されそうになってる』って。今ごろ、ファミレスで警察の人に事情を……」
「そうか……。やっぱり……高校生って……すごいな……」
雷太と真音は、それぞれが何をすればいいかの判断を瞬時に下し、実行に移してくれたのだ。高校生の二人は、とても心強い味方だったと、『美晴』は改めて実感した。
「真音さんは、『もしも美晴ちゃんが無事だったら、そのまま家まで送ってあげて』って、言ってましたけど……」
「雷太兄ちゃん……も……同じこと……言ってたな……。あとは……高校生に……任せて……、おれたちは……もう……帰ろうか……」
「あ、でもっ! 今日のこと、まずお母さんに報告しておきたいですっ!」
「じゃあ……病院に……寄ろう……。もちろん……二人で……一緒に……な……」
今回はなんとかなったが、まだまだ問題は山積みだし、邪魔してくる敵も多い。まとめて解決する手段はなく、一つ一つ、乗り越えていくしかない。雷太が教えてくれたように、二人で力を合わせて。
「ふぅ……」
ぐっとノビをして、息を吐き出す。
「『美晴ってやつは……存在すら……望まれてない……』、って……」
「うん。わたしも、美晴なんか消えたほうがいいと思ってた」
「そんな……わけ……ないから……な……? 勝手に……いなくなるな……。ここに……いろ……」
「はいっ。あなたという、騎士のそばに」
風太のヒーロー気取りのカッコつけと、美晴のお姫様ぶったメルヘン脳は、実はすこぶる相性がいい。それに本人たちが気づけば、もう少し距離が縮まるかもしれない。
*
ところ変わって、ここは二瀬家。風太の実家である。
ガチャッと音を立て、誰かが玄関の扉を開けた。風太のお母さんこと「二瀬守利」は、帰宅した小学生の息子を出迎えるつもりで、玄関までやってきた。
「フウくん、おかえ……」
「あ……」
フウくんじゃない方の息子が、玄関にいた。
「え!? ら、ライくんっ!!? ライくんなのっ!!?」
「うわっ、うるせぇな」
「ライくん、どうしたの!? 突然帰ってきて!」
「声がデカいって。静かにしろよ」
「なんで帰ってきたの!? 学生寮、追い出されちゃったの!? ライくんのことだから、きっと隣人とトラブルになったのねっ!?」
「違うっ!! 追い出されてねぇよっ! まるで俺を、トラブルメーカーみたいに言いやがって」
「いや、ライくんはトラブルメーカーでしょ。いつもフウくんのこといじめるし、同級生に酷いこと言って泣かせたりするし。私は昔から、汚い言葉や暴言はやめなさいって、注意してるのに」
「昔から……口うるさいババアだったなぁ、そういえば。とにかく今日は、ケンカをしにきたわけじゃないんだ。ただ、メシを食いに来ただけなんだよ」
「メシ?」
「風太と会って、色々あったんだよ。それで、なんか色々あって……。説明するのは面倒だな。とにかく、メシを食わせてくれよ。いつもの、変な野菜料理でいいからさ」
「分かったわ。晩ご飯、作ってあげるわね。でも、その前に……」
「ん?」
ピシャッ!! バチンッ!! ベチンッ!!
激しい往復ビンタが、雷太の頬を三度捉えた。
「いてぇっ!? このクソババア、いきなり何すんだっ!!」
「クソババア?」
鬼。
「ひぃっ!?」
「お母さんに向かって……口うるさいクソババア、だなんて。しばらく会わない間に、また一段と口が悪くなったわねェ。ライくん?」
「あっ……! いや、その……!」
「愛息子には抱擁を。バカ息子には制裁を。それが、我が家のルール。忘れたとは言わせないわ」
「い、言い間違えたっ……! 母さん、ごめんっ……!」
「絶ぇーーーっ対に、許さーーーーーんっっ!!!」
「うわぁーーーーっ!!? 助けてぇーーーっ!!!」
雷太は、久しぶりに実家へ帰ってきたことを後悔した。