母と娘と娘の友達
*
「いいか……? 作戦……通りに……やるんだぞ……」
「はい。ここから先は、わたしが風太で、あなたが美晴ですねっ」
「そうだ……。お互いの……しゃべり方を……しっかり……思い出して……」
「あ、あ、あー。コホン。お、おれはこんな感じかなっ?」
「うーん……、もっと……男っぽく……できないか……? おれって……そんな……女みたいに……ナヨナヨ……してない……し……」
「なっ、ナヨナヨ!? うぅ、難しいです……!」
「お前さ……、前から……思ってた……けど……、二瀬風太の……再現度……低い……よな……。はっきり言って……ヘタ……だ……」
「わたしが下手なんじゃなくて、あなたの理想が高すぎるだけ……」
「おい……、生意気……だぞ……。美晴の……くせに……」
「友達になったから、生意気も言います。……そこまで言うなら、風太くんはどうなんですか? 戸木田美晴に、なりきれますか?」
「できるよ……。うぅ……うらめしやー……」
「ひどいっ! っていうか、ごまかさないでくださいよ。ちゃんとわたしの真似をしてっ!」
「ほ、本番……で……がんばる……よ……。とにかく……行くぞ……美晴……! おれと……お前の……過去に……、決着を……つけよう……!」
「はいっ!」
『美晴』は少女らしく。『風太』は少年らしく。二人は互いの話し言葉を交換し、意を決して病室の扉を開けた。
この308号室のベッドで療養しているのは、戸木田美晴の最愛の母、戸木田望来である。
「誰……?」
扉が開く音に気付き、望来はそちらへと振り向いた。
そこにいたのは、最愛の娘。いつもとなんら変わりなく、赤の他人と入れ替わっているなんてことは考えられない、とっても可愛い我が娘。望来は歓迎の意を込めた笑みを浮かべたが、娘と共に入室してくる謎の少年が目に止まり、少し首をかしげた。
「美晴……?」
「おっ、お母さんっ……! 元気っ……!? お見舞い……来た……!」
何やら緊張しているらしく、『美晴』のしゃべり方は、いつもよりさらにぎこちなかった。
「ええ。私はいくらか元気になったけど……そちらの子は?」
「えっ……!? ああ……! こいつ……!? こいつ……の……こと……だよね……!? うん……、今から……説明……を……!」
本来の戸木田美晴は、気弱でおとなしい女の子。男子に向かって「こいつ」なんて、絶対に言わない。
少年はそれが気に食わなかったのか、無言のまま『美晴』の脇腹を軽く小突いた。
「いてっ……! わ、わかってる……。緊張して……間違えた……」
「美晴、どうしたの? そちらは?」
「この人……の……こと……だよね……! えっと……、話せば……長く……なるんだけど……、今日は……こいつに……お母さんも……会ってほしくて……連れてきたって……いうか……その……」
「私に、会わせたい人?」
「う、うん……。それじゃあ、美晴……じゃなくて……風太くん……、元気よく……張り切って……自己紹介……して……!」
台本でも読み上げるかのように、『美晴』はしゃべった。まるで、自分のセリフパートを早く終わらせようとするかのように、焦りながらしゃべった。
ご紹介に預かり、『美晴』の隣にいた謎の少年は、一歩前へ踏み出した。
「は、初めましてっ! 美晴ちゃんのお母さんっ!」
少年もまた、緊張して声が震えている。
「初めまして……」
「ぼ、ぼくは、二瀬風太って言いますっ! よろしくお願いしますっ!」
「二瀬風太……くん?」
「そうですっ! ぼくは、美晴ちゃんの、お、お友達ですっ!」
「美晴の、お友達……」
一人娘の美晴が、学校の友達を紹介しにくるなんて、初めてのことだった。異性はもちろん、同性の友達ですら、紹介してもらったことは、一度もない。美晴はおとなしい性格で、社交的ではないことは幼少期から判明していたので、母親としても、これまで友達に関する話題を避けてきた部分はあった。しかしそんな美晴が、突然、異性の、会わせたい人として紹介したのが、この「二瀬風太」という少年なのだ。
望来は興味を持ち、その少年の瞳をじっと見つめた。
「風太くんは、月野内小学校の6年生?」
「は、はいっ! 美晴ちゃんとは、クラスが違うけど……」
「美晴とはよく遊ぶの?」
「はいっ! さ、最近は、よく遊んでますっ」
「何をして遊ぶことが多いの?」
「えっ!?」
ここで、回答を用意していなかった質問が来た。
ここまでは台本通りだっただけに、『風太』は少しパニックになった。『風太』は言葉に詰まり、『美晴』の顔をチラリと見たが、『美晴』は目をつぶったまま、首を左右に振るだけだった。
「え、えーっと……!」
「異性の二人だから、普段はどんなことをして遊んでるのかなって。答えにくい質問だったかしら?」
「い、いやっ、そんなことないですっ! 遊びだよね? えーっと、えーっと、わたしたちは、その……」
「『わたし』?」
「違うっ! おれっ! おれと、美晴ちゃんは、えっと……なんだろう……? 女子と男子で、やりそうな遊び……あっ!」
「思い出した?」
「トランプ、とか……!」
「トランプ?」
「そう! トランプっ! ふ、二人で……ババ抜きとか、するのっ!」
「二人でババ抜き……」
「あ、あれ? 二人でババ抜きは、おかしい?」
「ううん。そんなことないわ。美晴と風太くんは、とっても仲良しなのね」
「うん……!」
男女共に楽しめそうな遊びを咄嗟に思いつき、なんとか上手く切り抜けられた……と、『風太』は思った。
『風太』の隣に立っている『美晴』は、「いや、流石に二人でババ抜きはしないだろ……」と思ったが、それを口には出さずにぐっと堪えた。
娘とその友達の顔を順に見て、望来はどこか安心したように微笑んだ。
「美晴? あなたに聞いてもいい?」
「ん……? あっ、おれの……ことか……! いや……違う違う……、おれは美晴……わたしは美晴……。な、なぁに……? お母さんっ……!」
「どうして、今日は風太くんをわたしに会わせたいと思ったの? 風太くんをここへ連れてきた理由は、何?」
「……!」
本題だ。話を切り出すタイミングは、今しかない。
『美晴』はすぅっと息を吸い込み、自分の中で緊張を解いた。そして、『風太』よりもさらに一歩前へと進んだ。
「あのっ……! 伝えたい……ことが……あって……!」
「伝えたいこと?」
「わたし……、今……とても……幸せに……生きてる……からっ……!」
「えっ?」
「風太……くん……の……他にも……、雪乃……ちゃん……とか……安樹……ちゃん……とか……、月野内小学校には……友達が……いっぱい……いるのっ……! みんな……仲良し……で……、わたしの……周りは……、いつも……笑顔で……溢れてる……! だから、わたしの……ことは……何も……心配……しないでっ……!!」
台本の通り。打ち合わせで『風太』から伝えられたセリフを、『美晴』はしっかりと覚えて、感情のこもった言葉にした。
「美晴……」
「大切な……人が……たくさん……できた……! わたしを……支えて……くれる……人も……たくさん……いる……! あとは……お母さん……だけ……!」
「私?」
「うん……! お母さんが……帰ってきたら……、もう……何も……いらない……! わたしは……ずっと……お家で……待ってるから……、無事に……帰ってきて……、また……元気な姿を……見せて……! それだけが……今のわたしの……願いなのっ……!!」
「……!!」
「いつも……ありがとう……! お母さんっ……!!」
出した答えはそれだった。
美晴の元父親、継本流壱の言葉なんかに、惑わされないように。望来が間違った決断をしてしまわないように。現在の生活がとても充実していることと、娘から母への感謝の想いを、ストレートに表現した。
望来はハッとして、自分の口を手で覆った。頬を伝って落ちてきた涙の粒が、その手の上を零れていく。どうやら、想いはしっかりと伝わったようだ。
「うぅっ、ぐすっ……!」
「大人の……事情は……よく分からない……けど……、わたしの……ことを……信じて……!」
「うん、大丈夫っ……。もう、美晴を、不安にさせたりなんか、しないからっ」
「わたしは……お母さんを……信じてる……よ……!」
「ごめんね。頼りないお母さんで、ごめんね……。私、ちゃんと母親らしくするからっ。美晴も、これからもずっと、私の娘でいてくれる……?」
望来は、そばで佇む『美晴』と『風太』の二人に、そっと手を伸ばした。
しかし、震えている。望来の右手は、まだ先の見えない将来に不安を感じて、少し震えている。誰が見ても分かる通り、優しく包んでもらいたいという気持ちが込められた、臆病な右手。
「うゔっ………! お、お母゛さぁん゛っ……!!」
その手を握ったのは、美晴の友達の少年だった。
母娘の愛とは関係ないはずの少年なのに、この場にいる誰よりも号泣している。『美晴』は「いや、そこは絶対おれが握るところだろ……!」と思いつつも、台本を忘れて感極まっている『風太』を、暖かい目で見守ることにした。
当然、娘が握り返してくると思っていた望来も、少しだけ困惑した。
「ふ、風太くん……?」
「お母さ゛んっ! もう゛大丈゛夫っ!! ひぐっ……! 何も、心゛配しなくてい゛いよっ……!!」
「ふふっ。手を握ってくれてありがとう。風太くんは優しいのね」
「そうな゛のっ! 風太くん゛は、とっても゛優しい゛人なの……!!」
「あらあら。まずは、涙と鼻水を拭いて。さっきまでのカッコいい顔を、私に見せて」
「あうぅっ……! ぐしゅぐじゅ、チーンッ!!」
『風太』は一旦手を離し、そばにあったテッシュで涙を拭き、しっかりと鼻をかんだ。
そして再度、望来に近づき右手をぎゅっと握った。
「お母さんっ……!!」
「美晴のこと、よろしくね。優しい風太くん」
「うんっ! 美晴ちゃんのことは、何があっても風太が守るから、安心して……!! おれは、美晴ちゃんを守る騎士だから……!!」
「騎士……?」
「うん! 誰よりも強くて、優しくて、勇敢な騎士っ……!! わたしはっ、おれはっ、二瀬風太はっ……!! 友達を守るために戦う、立派な男の子になるのっ……!!」
流石に、これ以上は聞いていられない。この野郎は、台本を無視してしゃべりすぎだ。
『美晴』は『風太』の腕をガッと掴み、自分の方へと引っ張りながら、ムリヤリ作った笑顔で、母親に別れの挨拶をした。
「さて……! そ、そろそろ……、わたしたち……行くよ……! お母さんに……話したいことは……全部……話せたし……!」
「ふふっ。風太くんは、とっても面白くて、とっても優しい、美晴のお友達。覚えておくわ」
「覚え……なくて……いいよ……! こいつ……、ときどき……ちょっと……頭が……おかしくなる……から……! 今度……この病院で……検査して……もらわなきゃね……! あははは……」
「いつでもいらっしゃい。あなたたち二人を見てると、私も元気をもらえるわ。私が退院したら、お家にも呼んであげてね」
「はーいっ……! バイバイ……お母さん……! ほら……、早く……行くぞ……メルヘン馬鹿……!」
『美晴』はさらにグイグイと引っ張り、病室の外まで『風太』を引きずり出した。まだまだ暴走が止まらない『風太』は、扉が閉まる寸前まで、望来に向かって大きく手を振っていた。
望来はまたクスリと笑い、小さく手を振りながら、去り行く二人を見送った。
*
病室の外。
周りに誰もいないことを確認してから、『美晴』と『風太』は、しゃべり方を元に戻した。そして、まずは反省会。
「お前なぁ……!」
「すみませんっ! 気持ちの昂ぶりが、抑えきれなくてっ!」
『美晴』は、右手のこぶしを振り上げながら、スカートから伸びる脚をガニ股にするという、女の子らしくないポーズで怒った。
『風太』は、真っ赤になったほっぺたに両手を添えて、内股で太ももを擦り合わせてモジモジするという、男の子らしくないポーズで謝罪した。
「何が……、美晴ちゃんを……守る……騎士……だよ……! ファンタジーな……物語じゃ……ないんだぞ……!!」
「ごめんなさい……。お母さんの前で、かなり恥ずかしいことを言ってしまったかもって、自分でも後悔してますっ」
「ほんとだよ……。何が……騎士だ……。ありえないって……、おれが……騎士……なんてさ……。ほんと……騎士とか……ナイから……な……」
そんなことを言いつつ、『美晴』の頭には、一つの記憶が蘇っていた。
それは、「王子様って呼んでほしい?」と尋ねてきた4歳の美晴に向かって、「おれは王子様よりも、王国騎士がいいな」と、宣言した時のこと。
「あんな……恥ずかしいこと……言うなんて……さ……」
相手に怒っているように見せかけて、実は自分に言い聞かせている。
「バカ……みたいだよ……。まったく……何を……言ってるんだ……」
「でも、もし本物の風太くんなら、あれくらい言うだろうなって、わたしなりに再現したつもりでっ……! わたしのお母さんも、きっと安心してくれたはずですっ! そ、そんなに嫌ですか? 人を守る騎士っ!」
「はぁ……!? そんなの……嫌に……決まって……」
嫌なわけがない。
「嫌な……気は……しない……けど……」
「えっ? 風太くん、今なんて……?」
「ああ、もうっ……!! 努力は……してみる……って……こと……だよ……!! 騎士に……だって……なれるなら……なりたいさっ……!! 人を……守るために……戦うって……、めちゃくちゃ……カッコよく……ないか……!?」
「そ、そうですっ! その通りっ! 風太くんはカッコつけだから、そんなこと言っちゃうんですっ!」
「調子に……乗るなっ……!」
「ごめんなさいっ!」
「行くぞ……美晴……!! 次は……おれの……戦いに……!!」
覚悟を新たに、いざ決戦の地へ。
舞台となるのは、とあるファミリーレストラン。そこで待つ一人の男と戦うため、『美晴』と『風太』は、沈む夕陽を背に駆け出した。