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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第十四章:風太6歳 美晴4歳
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美晴の話し方


 小さなお姫様に、風太は告白された。


 (えぇっ!?)

 「えへへ……」

 

 美晴は恥ずかしそうにモジモジしながら、正面の鏡から目をそらした。

 「好き」という言葉の意味も何種類かあるが、その反応はもう、「好き」の意味を一つに確定させたようなものだった。


 (お、おれを……か?)

 「そう。ふうたくんのこと」

 (本気で言ってるのか!?)

 「ほんき。わたし、すっごくどきどきしてるから。ふうたくんも、わかるでしょ?」

 (そりゃあ、分かるけど……!)


 心臓の鼓動も、二人で一つ。

 火照(ほて)る体温も、二人で一つ。

 幼い美晴の身体は、心の中にいる風太にウソをつくことができない。


 「いつも、わたしをみててくれた。いっぱいおしゃべりしてくれたよね」

 (だって今のおれは、それ以外できないから……!)

 「わたし、いつもひとりぼっちで、しゃべるのがにがてだしっ、じぶんがおもったこととか、ぜんぜんしゃべったことないのっ。だから、ふうたくんがわたしのなかにやってきて、いろいろきいてくれて、すごくうれしかったんだよ。わたしのこと、いっつもほめてくれるし」

 (それはただ、お前に聞きたいことがあっただけで……)

 「じゃあ、うそなの? ふうたくんがわたしにいってくれた、いままでのこと、ぜんぶ。ともだちだっていうのも……」

 (違う! おれは美晴のことを、大切な友達だと本気で思ってる! それだけは絶対にウソじゃないっ!)

 「だ、だったら、わたしがふうたくんのこと、すきになっちゃうきもちも、わかるよね? ふうたくんも、わたしのこと、すきだよね……?」


 美晴は、少し(おび)えたような声で、鏡の向こうの自分に尋ねた。

 一方、風太は返答に困っていた。11歳と4歳で年齢がかなり離れているし、そもそも相手は美晴の過去の人格であるわけだが、彼女に好意を寄せられて嬉しいと思ったこともまた事実だった。


 (う……!)

 「みらいのことは、むずかしくてよくわかんないよ。でも、ふうたくんには、ずっとわたしをみまもっててほしいの」

 (おれだって、出来ればそうしたいけど……!)

 「どこにもいかないで。ずっと、わたしのなかにいて。おねがいっ!」

 (そ、その約束はできないっ! いつまで美晴の中にいられるかは、おれも分からないんだ。ある日突然、お別れの言葉すら言えずに、元の世界に帰されるかもしれない。だから、美晴のその気持ちには、上手く答えられない……)

 「そうなんだ……。じゃあ、やくそくはしなくていいよ! そのかわりに……!」

 (その代わり……?)

 「わたしと、ちゅーして。いま、ここで……」

 (えっ!? ちち、ちゅ、チュー!?)


 残された時間が、どれだけあるのか分からない。それを言い訳にして、風太はハッキリとした返答を避けようとしたが、反対に、美晴は大胆な行動に出る決心をつけてしまった。4歳の子ができる範囲での、最上級の好意の示し方だ。


 (つまり、その……! き、キスっ!?)

 「じかんがないなら、いま、ちゅーしないと」

 (な、なな、何言ってるんだよ! 4歳児のくせに、おれをからかうなっ!! だいたい、そんなことできないし……!)

 「できるよ。ほら」


 美晴は小さな手のひらで、自分のほっぺたをペタペタと触り始めた。

 もちろん風太にも、手で触れた感覚と頬に触れられた感覚の二つが、伝わっている。


 (何やってるんだ……?)

 「わたしのほっぺたは、ふうたくんのほっぺた。あたまも、おなかも、おしりも、あしも。ふたりはいっしょ」

 (うぅ……。ベタベタ触るな……)

 「それから、くちびるも。ぷるぷる」

 (それが何だって言うんだよ。二人で一つの身体だってことは、改めて言われなくても分かってる)

 「じゃあ、ちゅーできるね。えへへ」

 (え……?)

 

 美晴はスッと両目を閉じ、視界を真っ暗にした。そして、明らかにキスをする準備である、唇を少し前に突き出したような姿勢を作った。

 ……正面にあるのは、大きな鏡。


 (おい、まさか……!)

 「わたしの、きもち」

 (ま、待てよ美晴っ!! 落ち着けっ!)

 「ふうたくんに、あげる……」

 (ダメだっ!! おれとお前は、そんなことしちゃダメなんだっ!! ちょ、ちょっと待てってば!! うっ、マズい、口が勝手に……!)

 「んー……」

 (んーっ! んーーー!!)

 

 ガシャンッ!! パリンッ……!

 

 鏡に(くちびる)が届くまで、あと数センチ。しかしそこへ、二人の間を(さえぎ)るかのように、大きな物音が入りこんできた。

 

 (……!?)

 「……!?」


 「ガシャン」は、おそらく重い物体が床に叩きつけられた音。「パリン」は、おそらくガラスか陶器が割れた音。

 二つの音は、美晴の母親がいるリビングから聞こえた。


 (美晴っ! 今の音っ!)

 「ママ……?」


 様子が気になった美晴は、プリンセスドレスで着飾きかざったまま、部屋を飛びだしてリビングへと向かった。


 *


 「パパ……!!」

 「おう、美晴か。パパが帰ってきてやったぞ」


 継本(つぎもと)流壱(リュウイチ)。この7年前の世界では、美晴の父親にあたる男だ。悪名高いその男が、ついに4歳の美晴の前に姿を現した。

 流壱は酒に酔っているらしく、顔が薄っすらと赤くなっていた。リビングの机はひっくり返っており、割れた皿の破片が流壱の足元に散らばっている。

 そして、美晴の母親である望来(ミライ)は、腫れ上がった頬を押さえながら、流壱のそばの床で倒れていた。リビングへ来た美晴が最初に見た光景は、まさに流壱の家庭内暴力の瞬間だったのだ。


 「ママっ……!」

 「美晴、部屋に入ってなさい! こっちに来ちゃダメ……!」

 

 望来は美晴を安全な場所に避難させようとしたが、美晴は言うことを聞かずにそばへと駆け寄ってきた。

 

 「ママ、だいじょうぶっ!?」

 「私は大丈夫だから、美晴は向こうへ行ってなさい……。うぅっ、ゲホゲホッ!!」

 「ちが……でてる……! はやくびょういんにいかなきゃっ!! ママ、びょういんっ!!」

 「落ち着いて。口を切っただけよ。なんてこと、ないわ……」

 

 美晴は幼い脳を必死に働かせて、母親を助けようとした。泣き出してしまいそうになったが、涙をぐっとこらえて、今の自分に出来ることを一生懸命探した。

 しかし、その様子を見ても、流壱はただ嘲笑(ちょうしょう)するばかりだった。


 「ふははっ、なんだその服装は。お前ら二人で、のんきに仮装パーティーでもするつもりだったのか? 俺が苦境(くきょう)に立たされているとも知らずによォ」

 「パパ……? パパがやったの!? ママを、なぐったの!?」

 「見りゃ分かるだろうが。ヒック……。まったく、こんな時期に殺人事件なんて起こしやがって……! 俺がどれだけ『BASKET★』に尽くしてやったと思ってんだよ。くそったれ」

 「パパっ! ママをいじめるの、やめてよっ!」

 「あァ? テメェの親父に楯突(たてつ)くとは、良い度胸じゃねぇか。女ってのは男に従順じゃなきゃいけねぇってのに、とんだ不良娘だな。……ほら来い。俺が説教してやるよ」

 「きゃあっ! はなしてっ!!」


 美晴の首根っこを捕まえると、流壱は自分の目線の高さまで美晴の身体を持ち上げた。4歳の女の子がジタバタと暴れても、大人の男の腕力には到底(とうてい)(かな)わず、逃げ出すことができない。


 「うぅっ……! くびが、くるしい……」

 「もう少し(ツラ)が良けりゃ、口が悪くても可愛げがあったがな。生意気なだけの娘に育ってしまったか。ガキ一人まともに育てられない望来は、母親として失格だな」

 「ママは……わるくない……」

 「黙れ。お前が住むこの家も、お前が今まで食ったメシも、お前が着ているその派手なドレスも、みんな俺の金で買った物だ。お前ら二人共、俺のおかげで生きられてるんだぞ? 逆らうんじゃねぇよ殺すぞ」

 「うぅっ……! うわぁーーーんっ……!!」

 

 流壱の、凍りつくような瞳。血の繋がった人間に向けられるものだとは思えない。ギロリと(にら)まれた美晴は、恐怖に耐えかねて涙を流した。

 望来は娘を助けるため、なんとか身体を起こし、流壱の脚にすがりついた。


 「やめてっ! 美晴には手を出さないでっ!!」

 「今回ばかりはダメだ。こいつは、親に歯向かった。無能な母親が甘やかしたせいで、美晴は厳格な父親から(ばつ)を受けるんだ」

 「罰なら私が受けるからっ!! 美晴にだけはっ……!」

 「鬱陶しいぞ。俺にまとわりつくな。どいつもこいつも、バカな女共が俺の(さまた)げになりやがる……! おい、聞いてんのか疫病神っ!!」

 

 ドカッ!!

 軽く振り払い、流壱は望来の脇腹に蹴りを入れた。望来はさらに口から血が混じった(つば)を吐き出し、ミシミシと痛む腹を押さえながらうずくまった。


 「うぐっ……」

 「望来(ミライ)はそこで見ていろ。今から、生意気なガキに対する(しつけ)の仕方を教えてやる。口で言っても分からないなら、身体への痛みで学習させるんだよ。こんな風にな……!」


 流壱は右手にグッと力を込めた。

 その手の中には、幼い美晴の首がある。


 「かっ……、かはっ……!」

 

 瞳からは涙を流し、鼻からはぐじゅぐじゅと鼻水を流し、口からは粘性の唾液を垂らした。のどをキュッと絞め潰すという暴力的な行為は、4歳の美晴の身体が耐えられるものではない。

 しかし流壱は、手を緩めるどころか一層力を強めるまでに至った。


 「うあっ……」

 「痛いか? 苦しいか? これに()りたら、二度と親に逆らうんじゃないぞ。分かったか、美晴」

 「いき……が……」

 「ああ、すぐに放してやるさ。死人はどこぞのバカ一人で充分だ。それに、もしお前が死んだら、望来も後追いで自殺しちまうだろうからなぁ。はははっ、ふはははっ!!」

 

 気道が圧迫され、意識が遠のいていく。美晴がぐったりとして白目をむいたところで、流壱はパッと手を離した。

 完全に意識を失った美晴は、重力に従うままに落下し、大好きな母親の目の前で死体のように転がった。


 「美晴……!? 美晴っ!! しっかりして!!」

 

 *


 意識がない娘を連れ、望来は急いで病院へと車を走らせた。辛うじて小さな呼吸をしているものの、美晴の吐息は非常に弱々しく、今にも途切れてしまいそうだった。手遅れになる前にと、望来は1秒でも早く医者に()せるため必死になった。


 「……!」


 そして数時間後。死力を尽くした甲斐あってか、美晴の意識は回復した。

 身体を起こすことはまだできないようで、目を薄く開け、ぼんやりと病院の天井を眺めている。


 「美晴っ……! あぁ、良かった……!!」


 望来は歓喜し、涙を浮かべて美晴に抱擁(ほうよう)した。このままずっと目を覚まさなかったらどうしよう、目の前で我が子を失うなんてことになったらどうしよう……頭をよぎり続けた不安が、無事に解消された。


 「ママ……?」

 「具合はどう? おかしなところはない? 身体はどこも痛くない? パパにひどいことされたけど……」

 「うん……。いたく……ない……。ママは……だいじょうぶ……?」

 「私は大丈夫よ。……ここは病院。ゆっくり休んで。もうお家には帰らないから、何も心配することはないわ」

 「パパは……いない……?」

 「ええ、もうパパとは終わりよ。あの人には、お別れを言うつもり。これからは何があっても私が守るから、安心して眠って」

 「そっか……。よかっ……た……。けど、あれ……?」


 違和感。何かがおかしい。

 美晴は疑問符(ぎもんふ)を浮かべながら、自分の首元に手を置いた。


 「のどがっ……、ケホ、ケホ、くるしい……!」

 「えっ!? 美晴、どうしたの!?」

 「カヒュッ……。こ、こえが……でない……。あれ……? なんで、コヒュッ……、わたし、こんなに……しゃべれない……の……?」

 「声……!? ま、まさか、さっき絞められたから、のどが潰れてっ……!?」

 「やだっ……! わたし……こんなの……やだよぉ……! ゲホッ、ゲホッ……!! ちゃんと……しゃべりたい……のに……、ぜんぜん……しゃべれない……よぉ……」

 「す、すぐにお医者さんを呼ぶわっ! 美晴、しっかりして!」

 「くるしいっ……! くるしいっ……! ママ、たすけてっ……! こえが……ぜんぜん……でないのっ……! はぁ……はぁ……。わたし、ずっとこのまま……なんて……やだっ……! ううっ……、うわあぁーーーーんっ……!!!」

 「ごめんね美晴っ……!! 本当にごめんなさいっ……!! わたしが、もっと、しっかりしていれば……! ぐすっ、ひぐっ……!!」


 親子二人して、病院の一室で泣き崩れた。

 一度、グチャッと完全に潰れてしまったものは、もう二度と元に戻らない。おしゃべりの楽しさを知ったばかりの4歳の少女は、その日、しゃべるための声を失ってしまった。途切れ途切れのノイズのような音をのどから絞り出しながら、身に降り掛かった不幸に泣くことしかできなくなってしまった。


 (ウソだろ……。まさか、美晴の(のど)が絞まるようになった原因が、父親に握り潰されたから、なんて……! そんな話があるかよっ……!!)


 真相を知った風太は、怒りに震えた。

 しかし、それももう遅い。時間旅行は終わりを告げていた。


 (くそっ……! 意識が、遠くなっていく……。これで終わりだってことか……!? こんな時に、おれは美晴のそばにいてやれないのか……!? せめて……別れの言葉くらい、言わせ、ろ……! まだ、元の世界には、帰りたく、な……)


 ────────

 ────

 ──


 *


 「はっ……!」

 

 パチンとまぶたを開けると、そこは7年後の世界。

 風太は長い旅を終え、元の世界に帰ってきた。現在は、休日の朝である。


 「そうか……。おれ……、帰って……きて……しまった……のか……」

 

 手のひらを広げ、じっと見つめる。

 久々に、身体の自由がきく。グーもできるし、パーもできる。そしてチョキをしたところで、風太は現在の自分が『美晴』であることを思い出した。紛れもなく、そのチョキは『美晴』の手のチョキである。


 「細い……指……」


 11歳の『美晴』の指は、4歳の美晴の指より細長く、そして汚かった。実際に汚れているわけではなく、ケガをしているわけでもないが、『美晴』は自分の指を眺めて、なんとなく汚いと思った。

 

 「美晴は……7年間……ずっと……汚れてたんだ……。おれは……そんなことにも……気付かなくて……」

 

 『美晴』の(のど)に触れ、鎖骨に触れ、胸のふくらみには……触れたけどすぐに手放し、最後におなかをぽんと叩いた。

 美晴のいろんなことが、分かった気がした。そしていろんなことが分かってくると、今度はその身体が、たまらなく(いと)しくなった。恋愛感情とかではなくて、幼いころに遊んで壊してしまったロボットの玩具(おもちゃ)みたいな、哀愁(あいしゅう)の中にある感傷的な愛しさ。


 「うぅ……! 美晴……、美晴っ……」


 自分の身体を抱きしめながら、ベッドの上で左右に転がった。とても変なことをしているという自覚はあったが、そうせずにはいられなかった。

 もしもこの光景を美晴本人に見られたら、きっとドン引きされる……。

 

 ドンドンドンッ!!!


 「風太くん、いますかっ!? 起きてますかっ!!?」

 

 ウワサをすれば、そいつがやってきた。玄関の扉をドンドンと叩いている。


 「うひゃあっ……!!?」


 転がった勢いで、『美晴』はベッドから落ちた。


 「話したいことがあったから、来ましたっ!! 今すぐ、どうしてもっ、あなたとっ!!」

 「いてて……。お、おれも……あるよ……! 美晴と……話したいこと……!!」

 

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