曇天の空の下
午後の第一試合。
ひよこ高校vsこがめ高校。結果は155-14で、ひよこ高校の大勝。
まるで鬱憤が溜まるような試合だった。一人の選手が、ただ守って攻めているところを、ずっと見せつけられただけ。エキサイティングという言葉からはほど遠い、終始単調かつ大雑把な試合。
その原因を作ったのは、紛れもなく二瀬雷太である。「今日の雷太はちょっと様子がおかしい」と、ひよこ高校の監督やマネージャー、チームメイトたちは感じていた。プレーに身が入っていないというか、試合に集中できていないというか……それでも圧倒的な実力を持つ“雷鳥”は、誰にも止められなかった。
試合後、体育館の外の木陰で休む雷太に、バスケ部マネージャーの真音は静かに近づいた。
「俺を呼びに来たのか? 真音」
「ううん。『次の試合、雷太はスタメンから外す。しばらくベンチで休め』って、監督からの伝言。負けても大丈夫な消化試合だし、温存しておきたいんじゃない?」
「いや、俺は試合に出る。監督にそう伝えろ」
「やだ。伝えないよ。私も、雷太くんは休んだ方がいいと思うし」
「どういうつもりだ」
「だって、さっきからずっと変だもん。雷太くんの様子。弟くんと何かあったの?」
「弟……? あれはお前の仕業か、真音」
「げっ! やばっ、バレた?」
その通り。先ほど『美晴』と『風太』を雷太に会わせたのは、真音の仕業である。
「あいつは今どこにいる?」
「弟くんなら、もう帰っちゃったよ。さっき来たバスに乗って」
「そうか。それならいい」
「ねぇ、さっきは何を話したの? 兄弟なんでしょ? お母さんが作ったお弁当は受け取った? 美晴ちゃんって子とは話した?」
「少し走ってくる。お前はここで、タイムを計ってろ。下等な脳を持つ女よ」
「か、下等っ!? 私のこと!? ちょっと、無視しないでよっ! 質問に答えてから行ってっ! 雷太くんっ!? 雷太くぅーーーんっ!!」
叫ぶ真音を置き去りにして、雷太は駆け出した。
次の試合、ベンチで休んでいるつもりなんて毛頭ない。こんなところで休んでしまったら、己も風太のような存在に成り下がってしまうと、雷太は自分に言い聞かせた。
*
「次はー、やまあらし公園前。やまあらし公園前です。お降りの方は、お忘れ物のないようにご注意ください」
バス停に到着し、『美晴』と『風太』はバスを降りた。
のんびり揺られて15分。さっきまで二人がいた総合市民体育館も、今ではずいぶん遠い場所になってしまった。
「美晴……?」
「……」
「おい……! 返事を……しろよ……!」
「……」
「いつまで……ボーッと……してるんだ……! この……バカ……!」
あの瞬間から、『風太』は茫然としたまま、動かなくなっていた。渡せなかったお弁当を手に持ちながら、まるでロウ人形みたいにカチコチに固まっている。そんな石化状態を解除すべく、『美晴』は『風太』のほっぺたをペチペチと叩いた。
「はっ!! ……あれ? 風太くん? ここはどこ?」
「ほら……、早く……行くぞ……。ちゃんと……自分の足……で……歩け……。って……言っても……、それは……おれの……足だけど……」
「あっ! ま、待ってくださいっ! わたし、まだどういうことか理解できてなくてっ!」
「理解……なんか……しなくて……いいよ……。さっきの……ことは……もう……忘れて……くれ……。びっくり……させて……悪かった……な……」
「で、できませんよ、忘れるなんてっ! 風太くんのお兄ちゃんが言ったあの言葉は、どういう意味なんですかっ!?」
「もういい……って……。離れて……暮らせば……何か……変わるかも……って……思ってた……。でも……、雷太兄ちゃんも……おれも……何も……変わってなかった……。それだけの……話だ……。おれの……考えが……甘かったんだ……よ……」
「だから、それがどういうことなのかって話ですっ! 兄弟の間で何があったのか、ちゃんとわたしに説明してくださいっ!」
「うるさいなっ……!! 黙れよっ……!!」
『美晴』は苛立ち、声を張り上げた。
「雷太兄ちゃんが……言っただろ……!? 『出来損ないの哀れな弟』……だって……!! おれは……出来損ないの……弟……なんだよ……!! 分かったら……、もう……何も……聞いてくるなっ……!」
「そんなっ……」
その言葉を聞いて、『風太』は酷くショックを受けた。
いつも前向きで明るく、誰にでも立ち向かえる勇気と強さを持った憧れの「主人公」が、「風太くん」だからだ。自虐なんて、してほしくなかった。自分のことを、「出来損ないの弟」なんて呼ぶそいつの姿は、見たくなかった。
「ち、違いますっ!」
「いいんだ……。おれだって……自分が……惨めで……情けない……弟だって……ことは……分かってる……。本来なら……雷太兄ちゃん……の……前に……姿を現す……ことすら……恥なのに……」
「やめてくださいっ! 風太くんはそんな人じゃないっ!」
「あ……? じゃあ……、なんだって……言うんだ……! おれは……出来損ないの弟……で……いいんだよ……! 臆病で……何の力もない……哀れな……弟だ……!! 何も……知らない……クセに……偉そうな……こと……言ってんじゃ……」
「……っ!!」
バチンッ!!
強烈な平手打ちが、『美晴』の頬に直撃した。
「痛っ……!! み、美晴……お前……、やる気か……!?」
「風太くんは、わたしの友達なのっ!! これ以上、友達の悪口を言わないでっ!!」
「……!?」
それは、いつか『美晴』が『風太』に言った言葉。ブーメランのように返ってきた。
『美晴』はハッと気付き、目を大きく見開いた。
「……」
「……」
少しの間、互いに沈黙。
『美晴』は痛む頬をさすりながら、自分が自虐を重ねたことを静かに反省していた。
『風太』は自らの胸に手を当て、悲しげな瞳で『美晴』をじっと見つめていた。
「何があったのか、わたしに話してくれますか?」
「ごめん……。やっぱり……どうしても……話す気には……なれない……。これは……おれと……雷太兄ちゃんの……兄弟の問題……だから……」
「そう、ですか。とても残念です」
「悪かったな……。お前を……こんなことに……巻き込んで……しまって……。蘇夜花のこととか……100ノートのこととか……、今は……解決しなきゃ……いけない……問題が……、山ほど……あるのにさ……」
「そんなこと……!」
「今日は……ここで……別れよう……。お前は……もう……家に帰って……いいぞ……。雷太兄ちゃんが……食べなかった……弁当を……、おれの母さんに……返して……あげて……くれ……」
「風太くんは?」
「おれは……病院に……行く……。お前の……お母さんに……会ってくるよ……。あの人のことが……心配なのは……おれも……同じだし……」
「分かりました……」
『風太』は、今から風太の母親に会う。
『美晴』は、今から美晴の母親に会う。
それぞれ異なる目的を持ち、二人はやまあらし公園前のバス停で別れた。
曇天の空の下、二人の心もまたどんよりと曇っていた。
*
「308号室……308号室は……。あ、ここだ……!」
病院の308号室。美晴のお母さんが入院している場所である。
『美晴』はその部屋の前までたどり着き、入室する前に自分のほっぺたをペチペチと叩いて、気合をいれた。
「よし……! ボロが……出ない……ように……! 二瀬風太は……一旦……片付けて……! 美晴っぽい顔……美晴っぽい仕草……美晴っぽい声……! あー、あぁー、あぁ~~~↑↑」
声の高さを一段階上げ、より女子っぽい声を目指す。美晴のお母さんに余計な不安を与えないため、とにかく今は『母親想いの娘』を、完璧に演じきるのだ。
『美晴』はそれを自分に言い聞かせ、最後に「おはなしボード」とホワイトボードマーカーをしっかり構えると、部屋の中へ突入した。
「お母さんっ……!」
第一声。高さ、ボリューム、台詞……すべてがパーフェクトに美晴っぽいなと、『美晴』は心の中で自分を褒めた。
「美晴……? 来てくれたのね……!」
ベッドの上の美晴のお母さんは、娘の顔を見るなり、パッと笑顔になった。
慎重かつ大胆に、『美晴』はベッドのそばへと歩み寄った。
《体の調子はどう?》
「ずいぶん元気になったわ。美晴が看病してくれたおかげでね」
《それはよかったね!》
「うふふ。お手紙もありがとう。美晴の優しい想いが伝わって、私もすっごく暖かい気持ちになったわ」
「へっ? お、お……お手……紙……?」
「ほら、これ……」
お母さんはそう言うと、ウサギの絵が描かれた便箋をスッと差し出した。
便箋には、「大好きなお母さんへ 娘の美晴より」と書いてあるので、『美晴』が知らないハズがない。
「ああ……! こ、これね……! 知ってる知ってる……! わたしが……書いたヤツ……ね……!」
「大切にするからね。何度も何度も読み返して、辛いときはあなたの言葉を思い出すから」
「そ、そう……だね……! そんなに……感動的なこと……書いたのかな……、わたし……!」
「ええ。だから、その手紙のお返事として、これを……」
「ん……? お母さん……、これ……なに……?」
「私からのお手紙。でも、目の前で読まれるのはちょっと恥ずかしいから、家に帰ってから読んでくれる?」
「ああ、うん……。そう……する……ね……」
『美晴』は、お母さんからの手紙を受け取ると、中を開かずそのままポシェットへと押し込んだ。
これはまずお母さんへの手紙を書いた本人に読ませてやろうと、そう決めた。
「あ……! そういえば……おれ……じゃなくて、わたし……、何も……持ってきて……ない……! お見舞いの花……とか……果物……とか……!」
「ううん。必要ないわ。私は美晴とお話しできるだけで充分だから」
母と娘。自分のことを男だと言い張る『美晴』も今だけは、お母さんのために幸せな時間を作ってあげようとした。
しかし、暗雲は突然やってきた。この空気に割って入ってくる男が一人、現れたのだ。
「へぇ、そいつが美晴か。しばらく見ない間に、大きくなったな」
「「……!?」」
それは、黒いジャケットをラフに着こなし、センシティブでスマートな雰囲気を漂わせる、中年の男性だった。小学生の『美晴』から見れば、ちょっと怪しい雰囲気のおっさんだ。
おっさんはポケットに手を突っ込みながら、こっちにやってきた。
「だ、誰だ……?」
「ふはは、無理もねぇか。7年ぶりの再会だ。親愛なる俺の娘、継本美晴ちゃんとは」
「俺の……娘……? って、ことは……こいつは……美晴の……お父さん……!?」
「おいおい、『こいつ』呼ばわりはないだろう? 仕事帰りのパパに向かって」
「ぱ、パパ……」
かつて、美晴の父親だった男だ。昔に離婚したとは聞いていたが、その男が目の前に現れるなんて、『美晴』は思ってもいなかった。
チラリと美晴のお母さんの方を見ると、お母さんはいつになく鋭い瞳で、その男をギリリと睨んでいた。
「ごめんね、美晴。今日はもう、家に帰ってくれる? お母さん、この男の人と大事な話があるから」
睨まれている男は、ヘラヘラと余裕そうに笑って立っている。
「俺は構わないぜ? 美晴も交えて、三人で話しても。フランス料理のレストランにでも移動するか? ん?」
お母さんは悔しそうに、声を張り上げた。
「行きなさい、美晴っ!!」
従うしかなかった。もう親子の幸せな時間は消え、大人同士の空気になっていることには、『美晴』でさえも気づいていた。
「う、うん……」とだけ返事をすると、『美晴』は急いで病室を出た。これから美晴の両親は、何について話し合うのか……。
「……」
それが気になるので、『美晴』は308号室の外で立ち止まり、隠れて聞き耳を立てることにした。
*
308号室。病室の中で交わされる、男女の会話。
継本流壱と、戸木田望来。数年前までは夫婦だった二人だ。
「いくつになった? 美晴は」
「11よ」
「へぇ、あれで11か。あまり良い顔面とは言えないが、化粧次第でモノになる可能性はあるな。今後の成長も加味すると、乳や尻も悪くはない」
「なんてこと言うの。自分の娘に対して」
「ふはは、正直ですまない。プロデューサーなんてやってると、そこらの女をタレントとして使えるかどうかで見てしまうんだよ。一応、褒めたつもりなんだぜ? これでも」
「よく分かったわ。私、流壱さんと離婚して正解だった」
「それはお互い様だ。望来」
「……!」
流壱は、そばにあったパイプ椅子に腰を降ろした。
「まあ、殺気立つなよ。お前が倒れたと聞いて、今日は見舞いのつもりでここにきたんだ。ケンカをしたいわけじゃない」
「見舞い……?」
「そうさ。慈悲深いだろ? 仕事で忙しいのに、わざわざ別れた元妻のところへ来てやったんだ。美談にしてもいいくらいさ」
「私には美晴がいる。あなたが来なくても、あの子が来てくれるだけで充分だった」
「強がりはよせよ。ガキから手紙や花をもらったところで、何が満たされるんだ。俺は、今のお前に必要なものを、見舞いに持ってきてやったんだぞ」
「今の私に、必要なもの……?
「ああ、すでに手配してある。この病院で『のんびりと寝ていられる権利』を、な」
「まさかっ……!」
「ふははっ、喜べ……! お前と美晴は、俺によって生かされてるんだ」
「か、勝手なことしないでっ! そんな施しなんて……!」
「んー? 俺の見舞い金は必要なかったか? 正直に答えてみろ」
「う……!」
望来は口をつぐんだ。
自分の入院費、娘の生活費……今抱えている不安の根源は、間違いなく金だ。そもそも金さえあれば、朝から晩まで必死になって働いて、倒れることもなかっただろう。
望来は自分の無力さを痛感し、勝ち誇る流壱を前にして、静かに悔し涙を流した。
「うっ、うぅっ……!」
「これが、お前と俺の差だ。おれが与えた『権利』を有効に使って、お前はしばらく入院してりゃいいさ」
「何が、目的なの……? こ、こんなことして……!」
「おう、その話だ。今からその話をする。泣きながらで構わないから聞け、望来」
「……!」
「俺にあってお前にないものが、金だとしよう。じゃあ、お前にあって俺にないものが何か、分かるか?」
「私に……あるもの……?」
流壱は指をパチンと鳴らし、怪しくニヤリと笑った。
「美晴だよ。俺の目的は、お前から美晴を引き取ることだ」
「なっ……!!?」
その言葉は、望来の心臓に突き刺さった。
「そ、そんなっ……!!」
「もちろん金は積む。だから、何の争いもなく円満に、美晴を俺に渡してほしい。悪い話じゃないはずだぜ」
「だ、ダメっ! 美晴まで失ったら、私っ……!!」
「フフ、それがお前の“子育て”か?」
「どういう意味……!?」
「お前の子育ては、ただの自己満足だって言ってるんだよ。お前の『母親ごっこ』に、美晴は付き合わされてるんだ。いい加減、あいつを自由にしてやれ」
「そ、そんなことないっ……!!」
「そう言い切れるか? 子どもを育てるのに時間と金が必要なことぐらい、俺だって分かるぞ。美晴はお前の娘だが、お前は美晴の母親として充分な環境を与えられたか? 仕事に追われて、親子の時間すら、今まで充分になかったんじゃないか?」
「そ、それは……! うぅ……」
「さっき、美晴がここにいたが、あいつの服をちゃんと見たか?」
「花柄のワンピースのこと……? 私があの子に買ってあげた……」
「そうだ。背中に大きな汚れがあったし、スカートにシワもできてた。女ってのは、ガキの頃からルックスやファッションを気にして、交友関係を頻繁に変えるらしいが、美晴は大丈夫なのか? 日常生活に不満はないか、美晴に聞いたことはあるか?」
「き、聞いたこと、ない……」
「呆れたな。それでよく親が名乗れるもんだ。それだけ親子の意思疎通ができていないなら、最悪のパターンもあり得る」
「最悪の……パターン……?」
「イジメだよ。美晴は、学校でイジメられてるんじゃないか?」
「え……!?」
「美晴個人の問題もあるが……まず、片親の貧困家庭ってだけで、周りからの見る目は変わるんだ。もしも美晴が学校でいじめられていたら、親であるお前の責任だぞ」
「わ、私のせいで、美晴が……!?」
望来は頭を抱えた。もし最愛の娘がそんなことになっていたらと考えると、震えが止まらなかった。そして同時に、娘が苦しんでいるのも全て自分のせいだと思い始めた。
「ど、どうすればいいの……? 私……」
「イジメってのは、そう簡単には終わらない。ある教育学者が言うには、環境を変えてあげることが一番の対処法だそうだ」
「環境を、変える……?」
「例えば……もし俺が美晴を引き取ったら、転校することになるわけだから、生活環境は変わるよな。俺が知り合いのスタイリストにでも頼めば、美晴の貧相なルックスは変えてやれるし、美晴自身も内面から変われるかもしれない」
「……」
「食べ物もそうさ。成長期の美晴に、美味くて栄養のあるものを食わせてやれる。スマホやパソコンだって買ってやれるし、塾や習い事だって通わせてやれる。中学に上がれば部活の出費もあるし、学用品だって馬鹿にならないが、それくらいは俺が用意してやるさ。可愛い娘のためだからな」
「わ、私には……できない……」
「だろうな。このままだと、親子二人で辛い思いをするだけだ。俺が美晴を預かれば、みんなが幸せに生きられるんだよ」
「……」
「どうするんだ? 親として、決断してみせろ」
「わ、分かったわ……。少し、考えさせて……」
「ふはは、良い返事を期待してるぞ。また後日会おう」
革靴の足音を鳴らしながら、流壱は308号室を出た。
外で聞き耳を立てていたはずの少女は、流壱が部屋を出る頃にはもういなくなっていた。だから、少女の葛藤が両親に伝わることは決してなかった。
*
その日の夜。
『美晴』側。
(どうしよう、どうしよう……!)
布団の中で、少女は悩みに悩んでいた。
(あのおっさんはムカつくし、美晴のお母さんを泣かせたことは許せないけど、これは……どうしたらいいんだ!? イジメを終わらせられるなら、美晴にとっては一番の幸せだよな? もしかして、これは大きなチャンスなんじゃないか……? 美晴は、お父さんのことをどう思ってるんだろう? お母さんのことをどう思ってるんだろう? おれは、どうしたらいいのかな……)
夢を見るその瞬間まで、少女の葛藤は終わらなかった。
*
時を同じくして、こちらは『風太』側。
(どうしよう、どうしよう……!)
布団の中で、少年は悩んでいた。さっきの少女と同じように。
(やっぱり気になる! 風太くんのお兄ちゃんは、どうして風太くんやお母さんに、あんな悪口を言ったのかな。もし兄弟ゲンカをしているなら、風太くんは『出来損ないの弟』って言葉に対して、あんな態度をとらないハズだよね。過去に何があったのかすごく気になるけど、部外者のわたしが知っていいものなのかは分からないし、知ったところで何ができるってわけでもないし……。でも、やっぱり気になる……!)
夢を見るその瞬間まで、少年はずっと考え込んでいた。
部屋の壁に吊り下げられた、サッカーボールとバスケットボールの房を見つめながら。
(あれ? そういえば風太くんって、バスケットボールをやったことあるのかな? 野球やサッカーで遊んでるのは見たことあるけど、風太くんが友達とバスケットボールをしてるところは、一度も見たことないような……)
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*
『風太』は夢を見ていた。
肉体から離れて魂だけになり、ふわふわと飛んで、白い空間の中をさまよっている、不思議な夢。『風太』は美晴となり、魂の赴くままに、前へ前へとふわふわ進んだ。ふわり、ふわり、進んだ先にあった世界は、天国や地獄などではなく、ごく普通の、男の子の部屋……。
*
「ふわぁ~あ……」
美晴はパチリと目を覚まし、あくびをした。
正確に言うと、無理やりあくびをさせられた。
(うん……? 身体が……変……?)
目を開いたその瞬間から、美晴は大きな違和感を感じた。
口を動かしたつもりだったが、それは心の声となり、音として吐き出すことができなかったのだ。さらに身体の自由も効かず、まるで誰かの操り人形にでもなったかのように、全ての関節のコントロールを奪われている状態だった。
(まさか、わたしの身体が、勝手に動いてるの……!? そ、そんなこと、あるわけが……)
不思議な感覚。寝起きからいきなり突きつけられた謎に、美晴が戸惑っていると、今度は無理やり口を開かされ、喉から音を出すように身体が動き出した。
「だれぇ? さっきから、うるさいなぁ」
(わたしの口が、また勝手に……! どうなってるの!?)
「しずかにしてよ。おれ、まだねむたいんだ……」
その声は、すっかり使い慣れた風太の声ではなく、元々自分のものだった美晴の声でもなく、全く知らない幼い男の子の声。
(こ、この状況は何!? どうして、わたしの口が勝手に動くの!? あなたは誰……!?)
「おれ? おれは、ふたせふうた。6さい。むにゃむにゃ……」




