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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第十四章:風太6歳 美晴4歳
109/127

曇天の空の下


 午後の第一試合。

 ひよこ高校vsこがめ高校。結果は155-14で、ひよこ高校の大勝。

 まるで鬱憤(うっぷん)が溜まるような試合だった。一人の選手が、ただ守って攻めているところを、ずっと見せつけられただけ。エキサイティングという言葉からはほど遠い、終始単調かつ大雑把(おおざっぱ)な試合。

 その原因を作ったのは、紛れもなく二瀬雷太である。「今日の雷太はちょっと様子がおかしい」と、ひよこ高校の監督やマネージャー、チームメイトたちは感じていた。プレーに身が入っていないというか、試合に集中できていないというか……それでも圧倒的な実力を持つ“雷鳥”は、誰にも止められなかった。


 試合後、体育館の外の木陰(こかげ)で休む雷太に、バスケ部マネージャーの真音(マネ)は静かに近づいた。


 「俺を呼びに来たのか? 真音」

 「ううん。『次の試合、雷太はスタメンから外す。しばらくベンチで休め』って、監督からの伝言。負けても大丈夫な消化試合だし、温存しておきたいんじゃない?」

 「いや、俺は試合に出る。監督にそう伝えろ」

 「やだ。伝えないよ。私も、雷太くんは休んだ方がいいと思うし」

 「どういうつもりだ」

 「だって、さっきからずっと変だもん。雷太くんの様子。弟くんと何かあったの?」

 「弟……? あれはお前の仕業(しわざ)か、真音」

 「げっ! やばっ、バレた?」

 

 その通り。先ほど『美晴』と『風太』を雷太に会わせたのは、真音の仕業である。


 「あいつは今どこにいる?」

 「弟くんなら、もう帰っちゃったよ。さっき来たバスに乗って」

 「そうか。それならいい」

 「ねぇ、さっきは何を話したの? 兄弟なんでしょ? お母さんが作ったお弁当は受け取った? 美晴ちゃんって子とは話した?」

 「少し走ってくる。お前はここで、タイムを計ってろ。下等(かとう)な脳を持つ女よ」

 「か、下等っ!? 私のこと!? ちょっと、無視しないでよっ! 質問に答えてから行ってっ! 雷太くんっ!? 雷太くぅーーーんっ!!」


 叫ぶ真音を置き去りにして、雷太は駆け出した。

 次の試合、ベンチで休んでいるつもりなんて毛頭ない。こんなところで休んでしまったら、(おのれ)も風太のような存在に成り下がってしまうと、雷太は自分に言い聞かせた。


 *


 「次はー、やまあらし公園前。やまあらし公園前です。お降りの方は、お忘れ物のないようにご注意ください」


 バス停に到着し、『美晴(フウタ)』と『風太(ミハル)』はバスを降りた。

 のんびり揺られて15分。さっきまで二人がいた総合市民体育館も、今ではずいぶん遠い場所になってしまった。


 「美晴……?」

 「……」

 「おい……! 返事を……しろよ……!」

 「……」

 「いつまで……ボーッと……してるんだ……! この……バカ……!」

 

 あの瞬間から、『風太』は茫然(ぼうぜん)としたまま、動かなくなっていた。渡せなかったお弁当を手に持ちながら、まるでロウ人形みたいにカチコチに固まっている。そんな石化状態を解除すべく、『美晴』は『風太』のほっぺたをペチペチと叩いた。

 

 「はっ!! ……あれ? 風太くん? ここはどこ?」

 「ほら……、早く……行くぞ……。ちゃんと……自分の足……で……歩け……。って……言っても……、それは……おれの……足だけど……」

 「あっ! ま、待ってくださいっ! わたし、まだどういうことか理解できてなくてっ!」

 「理解……なんか……しなくて……いいよ……。さっきの……ことは……もう……忘れて……くれ……。びっくり……させて……悪かった……な……」

 「で、できませんよ、忘れるなんてっ! 風太くんのお兄ちゃんが言ったあの言葉は、どういう意味なんですかっ!?」

 「もういい……って……。離れて……暮らせば……何か……変わるかも……って……思ってた……。でも……、雷太兄ちゃんも……おれも……何も……変わってなかった……。それだけの……話だ……。おれの……考えが……甘かったんだ……よ……」

 「だから、それがどういうことなのかって話ですっ! 兄弟の間で何があったのか、ちゃんとわたしに説明してくださいっ!」

 「うるさいなっ……!! 黙れよっ……!!」


 『美晴』は苛立いらだち、声を張り上げた。


 「雷太兄ちゃんが……言っただろ……!? 『出来損ないの哀れな弟』……だって……!! おれは……出来損ないの……弟……なんだよ……!! 分かったら……、もう……何も……聞いてくるなっ……!」

 「そんなっ……」


 その言葉を聞いて、『風太』は酷くショックを受けた。

 いつも前向きで明るく、誰にでも立ち向かえる勇気と強さを持った憧れの「主人公」が、「風太くん」だからだ。自虐なんて、してほしくなかった。自分のことを、「出来損ないの弟」なんて呼ぶそいつの姿は、見たくなかった。


 「ち、違いますっ!」

 「いいんだ……。おれだって……自分が……(みじ)めで……情けない……弟だって……ことは……分かってる……。本来なら……雷太兄ちゃん……の……前に……姿を現す……ことすら……恥なのに……」

 「やめてくださいっ! 風太くんはそんな人じゃないっ!」

 「あ……? じゃあ……、なんだって……言うんだ……! おれは……出来損ないの弟……で……いいんだよ……! 臆病で……何の力もない……哀れな……弟だ……!! 何も……知らない……クセに……偉そうな……こと……言ってんじゃ……」

 「……っ!!」


 バチンッ!!

 強烈な平手打ちが、『美晴』の頬に直撃した。


 「痛っ……!! み、美晴……お前……、やる気か……!?」

 「風太くんは、わたしの友達なのっ!! これ以上、友達の悪口を言わないでっ!!」

 「……!?」


 それは、いつか『美晴』が『風太』に言った言葉。ブーメランのように返ってきた。

 『美晴』はハッと気付き、目を大きく見開いた。

 

 「……」

 「……」


 少しの間、互いに沈黙。

 『美晴』は痛む頬をさすりながら、自分が自虐を重ねたことを静かに反省していた。

 『風太』は自らの胸に手を当て、悲しげな瞳で『美晴』をじっと見つめていた。


 「何があったのか、わたしに話してくれますか?」

 「ごめん……。やっぱり……どうしても……話す気には……なれない……。これは……おれと……雷太兄ちゃんの……兄弟の問題……だから……」

 「そう、ですか。とても残念です」

 「悪かったな……。お前を……こんなことに……巻き込んで……しまって……。蘇夜花(ソヨカ)のこととか……100ノートのこととか……、今は……解決しなきゃ……いけない……問題が……、山ほど……あるのにさ……」

 「そんなこと……!」

 「今日は……ここで……別れよう……。お前は……もう……家に帰って……いいぞ……。雷太兄ちゃんが……食べなかった……弁当を……、おれの母さんに……返して……あげて……くれ……」

 「風太くんは?」

 「おれは……病院に……行く……。お前の……お母さんに……会ってくるよ……。あの人のことが……心配なのは……おれも……同じだし……」

 「分かりました……」


 『風太』は、今から風太の母親に会う。

 『美晴』は、今から美晴の母親に会う。

 それぞれ異なる目的(ミッション)を持ち、二人はやまあらし公園前のバス停で別れた。

 

 曇天(どんてん)の空の下、二人の心もまたどんよりと曇っていた。


 *


 「308号室……308号室は……。あ、ここだ……!」


 病院の308号室。美晴のお母さんが入院している場所である。

 『美晴』はその部屋の前までたどり着き、入室する前に自分のほっぺたをペチペチと叩いて、気合をいれた。


 「よし……! ボロが……出ない……ように……! 二瀬風太は……一旦……片付けて……! 美晴っぽい顔……美晴っぽい仕草……美晴っぽい声……! あー、あぁー、あぁ~~~↑↑」


 声の高さを一段階上げ、より女子っぽい声を目指す。美晴のお母さんに余計な不安を与えないため、とにかく今は『母親想いの娘』を、完璧に演じきるのだ。

 『美晴』はそれを自分に言い聞かせ、最後に「おはなしボード」とホワイトボードマーカーをしっかり構えると、部屋の中へ突入した。


 「お母さんっ……!」


 第一声。高さ、ボリューム、台詞……すべてがパーフェクトに美晴っぽいなと、『美晴』は心の中で自分を褒めた。


 「美晴……? 来てくれたのね……!」


 ベッドの上の美晴のお母さんは、娘の顔を見るなり、パッと笑顔になった。

 慎重かつ大胆に、『美晴』はベッドのそばへと歩み寄った。


 《体の調子はどう?》

 「ずいぶん元気になったわ。美晴が看病してくれたおかげでね」

 《それはよかったね!》

 「うふふ。お手紙もありがとう。美晴の優しい想いが伝わって、私もすっごく暖かい気持ちになったわ」

 「へっ? お、お……お手……紙……?」

 「ほら、これ……」


 お母さんはそう言うと、ウサギの絵が描かれた便箋(びんせん)をスッと差し出した。

 便箋には、「大好きなお母さんへ 娘の美晴より」と書いてあるので、『美晴』が知らないハズがない。


 「ああ……! こ、これね……! 知ってる知ってる……! わたしが……書いたヤツ……ね……!」

 「大切にするからね。何度も何度も読み返して、辛いときはあなたの言葉を思い出すから」

 「そ、そう……だね……! そんなに……感動的なこと……書いたのかな……、わたし……!」

 「ええ。だから、その手紙のお返事として、これを……」

 「ん……? お母さん……、これ……なに……?」

 「私からのお手紙。でも、目の前で読まれるのはちょっと恥ずかしいから、家に帰ってから読んでくれる?」

 「ああ、うん……。そう……する……ね……」

  

 『美晴』は、お母さんからの手紙を受け取ると、中を開かずそのままポシェットへと押し込んだ。

 これはまずお母さんへの手紙を書いた本人に読ませてやろうと、そう決めた。


 「あ……! そういえば……おれ……じゃなくて、わたし……、何も……持ってきて……ない……! お見舞いの花……とか……果物……とか……!」

 「ううん。必要ないわ。私は美晴とお話しできるだけで充分だから」

 

 母と娘。自分のことを男だと言い張る『美晴』も今だけは、お母さんのために幸せな時間を作ってあげようとした。

 しかし、暗雲(あんうん)は突然やってきた。この空気に割って入ってくる男が一人、現れたのだ。


 「へぇ、そいつが美晴か。しばらく見ない間に、大きくなったな」

 「「……!?」」


 それは、黒いジャケットをラフに着こなし、センシティブでスマートな雰囲気を漂わせる、中年の男性だった。小学生の『美晴』から見れば、ちょっと怪しい雰囲気のおっさんだ。

 おっさんはポケットに手を突っ込みながら、こっちにやってきた。


 「だ、誰だ……?」

 「ふはは、無理もねぇか。7年ぶりの再会だ。親愛なる俺の娘、継本(つぎもと)美晴(ミハル)ちゃんとは」

 「俺の……娘……? って、ことは……こいつは……美晴の……お父さん……!?」

 「おいおい、『こいつ』呼ばわりはないだろう? 仕事帰りのパパに向かって」

 「ぱ、パパ……」


 かつて、美晴の父親だった男だ。昔に離婚したとは聞いていたが、その男が目の前に現れるなんて、『美晴』は思ってもいなかった。

 チラリと美晴のお母さんの方を見ると、お母さんはいつになく鋭い瞳で、その男をギリリと(にら)んでいた。

 

 「ごめんね、美晴。今日はもう、家に帰ってくれる? お母さん、この男の人と大事な話があるから」


 睨まれている男は、ヘラヘラと余裕そうに笑って立っている。


 「俺は構わないぜ? 美晴も(まじ)えて、三人で話しても。フランス料理のレストランにでも移動するか? ん?」


 お母さんは悔しそうに、声を張り上げた。


 「行きなさい、美晴っ!!」

 

 従うしかなかった。もう親子の幸せな時間は消え、大人同士の空気になっていることには、『美晴』でさえも気づいていた。

 「う、うん……」とだけ返事をすると、『美晴』は急いで病室を出た。これから美晴の両親は、何について話し合うのか……。


 「……」


 それが気になるので、『美晴』は308号室の外で立ち止まり、隠れて聞き耳を立てることにした。


 *


 308号室。病室の中で()わされる、男女の会話。

 継本(つぎもと)流壱(リュウイチ)と、戸木田(ときた)望来(ミライ)。数年前までは夫婦だった二人だ。


 「いくつになった? 美晴は」

 「11よ」

 「へぇ、あれで11か。あまり良い顔面(ツラ)とは言えないが、化粧(けしょう)次第(しだい)でモノになる可能性はあるな。今後の成長も加味すると、(ちち)(しり)も悪くはない」

 「なんてこと言うの。自分の娘に対して」

 「ふはは、正直ですまない。プロデューサーなんてやってると、そこらの女をタレントとして使えるかどうかで見てしまうんだよ。一応、褒めたつもりなんだぜ? これでも」

 「よく分かったわ。私、流壱さんと離婚して正解だった」

 「それはお互い様だ。望来」

 「……!」


 流壱は、そばにあったパイプ椅子(イス)に腰を降ろした。


 「まあ、殺気立つなよ。お前が倒れたと聞いて、今日は見舞いのつもりでここにきたんだ。ケンカをしたいわけじゃない」

 「見舞い……?」

 「そうさ。慈悲じひぶかいだろ? 仕事で忙しいのに、わざわざ別れた元妻のところへ来てやったんだ。美談にしてもいいくらいさ」

 「私には美晴がいる。あなたが来なくても、あの子が来てくれるだけで充分だった」

 「強がりはよせよ。ガキから手紙や花をもらったところで、何が満たされるんだ。俺は、今のお前に必要なものを、見舞いに持ってきてやったんだぞ」

 「今の私に、必要なもの……?

 「ああ、すでに手配してある。この病院で『のんびりと寝ていられる権利』を、な」

 「まさかっ……!」

 「ふははっ、喜べ……! お前と美晴は、俺によって生かされてるんだ」

 「か、勝手なことしないでっ! そんな(ほどこ)しなんて……!」

 「んー? 俺の見舞(みま)(きん)は必要なかったか? 正直に答えてみろ」

 「う……!」


 望来は口をつぐんだ。

 自分の入院費、娘の生活費……今抱えている不安の根源は、間違いなく金だ。そもそも金さえあれば、朝から晩まで必死になって働いて、倒れることもなかっただろう。

 望来は自分の無力さを痛感し、勝ち誇る流壱を前にして、静かに悔し涙を流した。


 「うっ、うぅっ……!」

 「これが、お前と俺の差だ。おれが与えた『権利』を有効に使って、お前はしばらく入院してりゃいいさ」

 「何が、目的なの……? こ、こんなことして……!」

 「おう、その話だ。今からその話をする。泣きながらで構わないから聞け、望来」

 「……!」

 「俺にあってお前にないものが、金だとしよう。じゃあ、お前にあって俺にないものが何か、分かるか?」

 「私に……あるもの……?」

 

 流壱は指をパチンと鳴らし、怪しくニヤリと笑った。


 「美晴だよ。俺の目的は、お前から美晴を引き取ることだ」

 「なっ……!!?」


 その言葉は、望来の心臓に突き刺さった。


 「そ、そんなっ……!!」

 「もちろん金は積む。だから、何の争いもなく円満に、美晴を俺に渡してほしい。悪い話じゃないはずだぜ」

 「だ、ダメっ! 美晴まで失ったら、私っ……!!」

 「フフ、それがお前の“子育て”か?」

 「どういう意味……!?」

 「お前の子育ては、ただの自己満足だって言ってるんだよ。お前の『母親ごっこ』に、美晴は付き合わされてるんだ。いい加減、あいつを自由にしてやれ」

 「そ、そんなことないっ……!!」

 「そう言い切れるか? 子どもを育てるのに時間と金が必要なことぐらい、俺だって分かるぞ。美晴はお前の娘だが、お前は美晴の母親として充分な環境を与えられたか? 仕事に追われて、親子の時間すら、今まで充分になかったんじゃないか?」

 「そ、それは……! うぅ……」

 「さっき、美晴がここにいたが、あいつの服をちゃんと見たか?」 

 「花柄のワンピースのこと……? 私があの子に買ってあげた……」

 「そうだ。背中に大きな汚れがあったし、スカートにシワもできてた。女ってのは、ガキの頃からルックスやファッションを気にして、交友関係を頻繁(ひんぱん)に変えるらしいが、美晴は大丈夫なのか? 日常生活に不満はないか、美晴に聞いたことはあるか?」

 「き、聞いたこと、ない……」

 「(あき)れたな。それでよく親が名乗れるもんだ。それだけ親子の意思疎通ができていないなら、最悪のパターンもあり得る」

 「最悪の……パターン……?」

 「イジメだよ。美晴は、学校でイジメられてるんじゃないか?」

 「え……!?」

 「美晴個人の問題もあるが……まず、片親の貧困家庭ってだけで、周りからの見る目は変わるんだ。もしも美晴が学校でいじめられていたら、親であるお前の責任だぞ」

 「わ、私のせいで、美晴が……!?」

 

 望来は頭を抱えた。もし最愛の娘がそんなことになっていたらと考えると、震えが止まらなかった。そして同時に、娘が苦しんでいるのも全て自分のせいだと思い始めた。


 「ど、どうすればいいの……? 私……」

 「イジメってのは、そう簡単には終わらない。ある教育学者が言うには、環境を変えてあげることが一番の対処法だそうだ」

 「環境を、変える……?」

 「例えば……もし俺が美晴を引き取ったら、転校することになるわけだから、生活環境は変わるよな。俺が知り合いのスタイリストにでも頼めば、美晴の貧相なルックスは変えてやれるし、美晴自身も内面から変われるかもしれない」

 「……」

 「食べ物もそうさ。成長期の美晴に、美味くて栄養のあるものを食わせてやれる。スマホやパソコンだって買ってやれるし、塾や習い事だって通わせてやれる。中学に上がれば部活の出費もあるし、学用品だって馬鹿にならないが、それくらいは俺が用意してやるさ。可愛い娘のためだからな」

 「わ、私には……できない……」

 「だろうな。このままだと、親子二人で辛い思いをするだけだ。俺が美晴を預かれば、みんなが幸せに生きられるんだよ」

 「……」

 「どうするんだ? 親として、決断してみせろ」

 「わ、分かったわ……。少し、考えさせて……」

 「ふはは、良い返事を期待してるぞ。また後日(ごじつ)会おう」


 革靴の足音を鳴らしながら、流壱は308号室を出た。

 外で聞き耳を立てていたはずの少女は、流壱が部屋を出る頃にはもういなくなっていた。だから、少女の葛藤(かっとう)が両親に伝わることは決してなかった。


 *


 その日の夜。

 『美晴(フウタ)(サイド)


 (どうしよう、どうしよう……!)


 布団の中で、少女は悩みに悩んでいた。


 (あのおっさんはムカつくし、美晴のお母さんを泣かせたことは許せないけど、これは……どうしたらいいんだ!? イジメを終わらせられるなら、美晴にとっては一番の幸せだよな? もしかして、これは大きなチャンスなんじゃないか……? 美晴は、お父さんのことをどう思ってるんだろう? お母さんのことをどう思ってるんだろう? おれは、どうしたらいいのかな……)


 夢を見るその瞬間まで、少女の葛藤は終わらなかった。


 *


 時を同じくして、こちらは『風太(ミハル)(サイド)


 (どうしよう、どうしよう……!)


 布団の中で、少年は悩んでいた。さっきの少女と同じように。


 (やっぱり気になる! 風太くんのお兄ちゃんは、どうして風太くんやお母さんに、あんな悪口を言ったのかな。もし兄弟ゲンカをしているなら、風太くんは『出来損ないの弟』って言葉に対して、あんな態度をとらないハズだよね。過去に何があったのかすごく気になるけど、部外者のわたしが知っていいものなのかは分からないし、知ったところで何ができるってわけでもないし……。でも、やっぱり気になる……!) 


 夢を見るその瞬間まで、少年はずっと考え込んでいた。

 部屋の壁に吊り下げられた、サッカーボールとバスケットボールの(ふさ)を見つめながら。


 (あれ? そういえば風太くんって、バスケットボールをやったことあるのかな? 野球やサッカーで遊んでるのは見たことあるけど、風太くんが友達とバスケットボールをしてるところは、一度も見たことないような……)


 ────────

 ────

 ──


 *


 『風太』は夢を見ていた。

 肉体から離れて(たましい)だけになり、ふわふわと飛んで、白い空間の中をさまよっている、不思議な夢。『風太(ミハル)』は美晴(ミハル)となり、魂の(おもむ)くままに、前へ前へとふわふわ進んだ。ふわり、ふわり、進んだ先にあった世界は、天国や地獄などではなく、ごく普通の、男の子の部屋……。


 *


 「ふわぁ~あ……」


 美晴はパチリと目を覚まし、あくびをした。

 正確に言うと、無理やり()()()()()()()()()


 (うん……? 身体が……変……?)


 目を開いたその瞬間から、美晴は大きな違和感を感じた。

 口を動かしたつもりだったが、それは心の声となり、音として吐き出すことができなかったのだ。さらに身体の自由も効かず、まるで誰かの操り人形にでもなったかのように、全ての関節のコントロールを奪われている状態だった。

 

 (まさか、わたしの身体が、勝手に動いてるの……!? そ、そんなこと、あるわけが……)


 不思議な感覚。寝起きからいきなり突きつけられた謎に、美晴が戸惑っていると、今度は無理やり口を開かされ、のどから音を出すように身体が動き出した。


 「だれぇ? さっきから、うるさいなぁ」

 (わたしの口が、また勝手に……! どうなってるの!?)

 「しずかにしてよ。おれ、まだねむたいんだ……」


 その声は、すっかり使い慣れた風太の声ではなく、元々自分のものだった美晴の声でもなく、全く知らない幼い男の子の声。


 (こ、この状況は何!? どうして、わたしの口が勝手に動くの!? あなたは誰……!?)

 「おれ? おれは、ふたせふうた。6さい。むにゃむにゃ……」

 

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