第74話 勇者様、考え込む
ー東の帝国ー
王国の東境を越えると、その先には帝国ユーラの広大な領土が広がっている。東の帝国は王国と長きに渡り、幾度となく争いを繰り返していた。しかし、その争いの歴史も今や終わりを迎え、現在両国は共存の時代へと歩みを進めている。
帝国が誕生する以前、かつてこの地には、発展よりも自由を重んじ、規律を嫌う風土が強く根付いた東方諸国が乱立していた。そのため、秩序を重視する王国とは本質的に相容れず、たびたび衝突を繰り返していた。加えて、東方は外敵の脅威にも晒されていた。王国と同じく魔族の侵攻は脅威であったが、東国にとって真の脅威とは魔族ではなく、火山地帯に住む火竜だった。天災のごとく荒れ狂う太古の火竜に成す術は無く、国は荒廃していった。
東国を統一し、初代皇帝となったノワールが築き上げた帝国体制とは、これらに対抗するための東方諸国の軍事同盟の側面が強く、諸国に強固な君主統制を敷くものではなかった。それは帝国とは名ばかりの、実質的には小国の独立自治が認められた連邦国家というべきものだった。
そして現在、帝国の統治者である皇帝リースリングは穏健派として知られ、国民からの支持も高い。王国や勇者教団へのわだかまりも、今や歴史の名残として留まるに過ぎない。
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陸奥は故国のフジを目指し、広大な帝国を渡っていた。
東国フジは帝国の最果て、燃え盛る火山地帯に接する辺境の地。その地は、古くから火竜の脅威に晒され続けてきた。しかし、それでもなお、フジの民は強かに国を守り続けてきた。彼らを支えたのは、まさにその脅威の源でもある火山地帯からしか採れない貴重な鉄鉱石だった。震える大地から掘り出されるそれは、通常の鉄よりもはるかに強靭で、しなやかであるという。その鉄を鍛え抜き、極限まで研ぎ澄ますことで生まれた刀こそが、フジの剣士たちの矜持であり、唯一無二の魂だった。
帝国を越えて進む旅路の中では、王国では目を引く陸奥の出で立ちも地味に紛れる。異民族の文化が幾重にも交錯する帝国内においては、その特徴的な衣装も奇異なものとは映らない。多様な文化が渦巻くこの地では、彼もまた無数の旅人の一人として溶け込んでいた。
誰に気を使うこともない一人旅の道すがら、陸奥はある宿場に足を踏み入れた。名も知らぬその町は、旅人や商人が行き交う活気に満ちていた。馬の嘶き、露店の呼び声、漂ってくる肉料理の香りが交じり合い、賑やかな喧噪が辺りを満たしている。
その喧騒の中、陸奥はふと足を止めた。その日の宿を探していた彼の目に、偶然映ったのは鍛冶屋の看板。在り来たりな煤けた木製の看板や、珍しくもない鉄を叩く音に心が引かれたわけではない。ただ、微かに感じた故郷を想わせる鉄の匂いが、無意識のうちに敷居をまたがせていた。
その鍛冶屋は年老いたドワーフが営んでいた。一目でドワーフと分かる輪郭を持ち、中央で雑に継いである古びた兜を被った店主は、こちらに視線だけを送る。人けのない店棚には典型的なドワーフの意匠で作られた武器防具が並んでいた。品数は少ないが、一つ一つが丁寧に作られた確かな職人の品々だった。陸奥の目から見ても、それらは悪くない品であることは分かった。しかし、彼の興味はそれよりも自身が感じた匂いの正体だった。
両者の間にしばらくの沈黙を挟んで、老いたドワーフは話しかけてきた。
「…、こりゃ、珍しいお客さんじゃて。東国の方が、ワシの店に何の御用かな?」
その問いに、陸奥は少し躊躇した。鍛冶屋に目的なく訪れるなど、普通はありえない。それを誤魔化すため、取り繕った言葉が口をついた。
「…、少し、武器を見せてもらってよろしいですか?」
「良いですとも。見るだけなら、いくらでも。じゃが果たして、東国人のお眼鏡にかないますかな。」
店主は顔のしわをより深くして微笑みながら快く応えた。陸奥には、東国を強調する言葉が少しひっかかったが、気にする素振りを見せず、店内の武器に目を向けた。
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ドワーフとは主に鉱山師として各地を放浪し、一つの場所に留まらず、掘り尽くしたらまた次へ、新たな鉱脈を探し求める種族である。その生活はまさにモグラのように地中深くに潜り込み、岩盤すらも砕いて前進する。そして彼らは、ただ採掘するだけでなく、同時に鍛冶師としての顔を持つ。彼らは、掘り当てた鉱石を精錬し、卓越した技術であらゆるものを生み出す職人でもある。武器や防具はもちろん、工具や装飾品、時には緻密な機械時計すらも作り上げる。
世界各地に散らばる彼らは、共通の習性を持ちながらも、その土地ごとの環境や資源に応じた独自の技術を編み出してきた。火山地帯に住まう者は灼熱に耐える精錬法を極め、極寒の山脈に根付く者は氷を砕く刃を鍛え上げる。そしてそれらの技術は、極稀に発見される濃い魔素を放つ鉱石と融合し、魔道具として特別な力を付与される。
他種族では到底耐えられないような環境下で作り上げられた彼らの武器は、単なる切れ味や耐久性という点だけでは計れない力を秘めている。しかし、それゆえにそれらの武器は使い手を選ぶ。その武器の真の力を引き出すには、相応の使い手であることを要求される。そしてそれゆえに、流通する数も多くない。
ーーー
それらの武器は確かに良いものだった。しかし、ドワーフが作った武器にしては物足りなさを感じさせた。並べられた武器には、一つとして魔法の力を感じるものは無かったのだ。この様な宿場では、ドワーフが作った高級な装備を買える客など、そうそう来るものではないから表には出していない、と容易に想像はできたが、ただそれなら、何故この地に店を構えているのかという疑問も過る。精巧に作られたそれらの武器は、一見すると完成品のようだった。しかし、陸奥の目にはこれらは何かの試作品のように映った。
一通り武器を眺めて辿り着いた陸奥のその違和感を見透かすように、ドワーフの店主は静かに声をかけた。
「…、東国のお方、もしよろしければ、そのお腰のものを見せてくれませんかの?」
低くしゃがれたその声は、ただの興味本位とも、礼節を装った詮索とも違っていた。何かを確認するような義務感に近しい響きを孕んでいた。
「…………。」 陸奥は迷った。
本来であれば、考えるまでもなく拒むべき申し出だった。己の刀を、今しがた会ったばかりの異国の職人に渡すなど、あり得ない。安易に触れさせることすら、許されぬことだ。まして、今陸奥の腰にあるのは、無惨に折れた愛刀だった。己の恥を晒すなど、あってはならないことだった。
にもかかわらず、陸奥を迷わせたのは、ここに立ち寄る原因となった直感と、そんな陸奥の考えを全て見透かすような、店主のしわの奥に潜むまなざしだった。
しばらくの逡巡と沈黙の後、陸奥は応えた。
「…、どうぞ。」 陸奥はそう言って、鞘のまま刀を差しだした。
店主はそれを受け取り、ゆっくりと刀を抜いた。姿を現らす折れた刀を見ても店主は眉一つ動かさず、その視線は元の形がみえているかのごとくまじまじと刀身を見定めた。
「…。これは美しい刀じゃ。
しかし、これはまた、無茶な戦いをされましたの…。」
「…、直接の破断の原因は横からの強い衝撃によるもの。じゃが、その原因を生んだのは、峰に重ねた強烈な大剣の一撃。」
店主は折れた刀身をみただけで、陸奥の戦いを見届けていたかのように言い当てた。そして、刀から眼を逸らしその眼を陸奥に向けると、最後に一言付け加えた。
「…、これほどの戦いをして、よく生きて帰ってこられましたの。」
その言葉に、陸奥は思わず眼を逸らした。その言葉に、陸奥の胸は深く抉られた。敗北は元より、一対一であれば間違いなく殺されていたであろう戦いの痛みが蘇る。生き残ったのではなく、ただ生かされたに過ぎぬ自分を見透かされたようだった。
「…、これと同じ物が作れますか?」
陸奥は口を滑らせた。それは、何気なく訪れた見ず知らずの鍛冶屋にする要望ではなく、ただ痛みから逃れる為のものだった。
「…………。」
店主は沈黙したまま刀を鞘に戻し、そして陸奥に差し返した。しばらくの逡巡と沈黙の後、店主は応えた。
「…、東国の方、この老いぼれの昔話に少し付き合ってもらえますかの?」
その老いたドワーフの誘いを、陸奥には断る理由などなかった。




