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勇者様は裏切らナイ  作者: 世葉
第二幕 夕闇の勇者と篝火の古竜
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第71話 勇者様、呼び出される

 それは、まったく突然のことだった。ある日、何の前触れもなくペールグランがミーヤの家を訪れた。

 唐突に現れた勇者に、ミーヤは戸惑った。兄の失踪の件で顔を合わせた時は、その外見に注意を払う余裕すらなかったが、今目の前に立つ彼女はまるで別人のようにすらみえた。格式高い綺麗な長いローブを、優美さと気品を包むように着こなすペールグランの姿は、この簡素な家ではひどく場違いに映った。

 同じ勇者でもルーナの活気ある魅力には夢中になったが、それとはまた違う崇高な高嶺の花には、どこか触れることさえためらわせるものがあった。

 どう接するべきか悩み、しどろもどろになるミーヤを前に、ペールグランが柔らかく切り出す。

「本日は、オレンさんとはまた別の用件で伺いました。

突然で申し訳ありませんが、少し、あなたとお話したいのですけれど…。

魔導院まで、一緒に来てくれますか?」

 ペールグランの提案に、ミーヤは固まった。勇者からこのような申し出を受ける理由に、全く心当たりがなかった。一拍おいてその硬直が解けると同時に、ミーヤの口から言葉が漏れた。

「嘘でしょ…。」

 その言葉にペールグランは、丸眼鏡越しに少し眉を動かした。

 ただ、そうはいっても、兄の件でお世話になっていることもあり、不思議には思ったがミーヤは受け入れた。

「…、わかりました。ついて行きます。」

 ミーヤは簡単な準備をして家を出た。家のすぐ外で待つペールグランは、移動魔法を唱えるために錫杖を片手に持ち、もう一方の手をミーヤへと差し出す。その仕草をみて、ミーヤがその手を握ったとき、ペールグランがふと問いかけた。

「ミーヤさん。どうして、『嘘でしょ』って言ったんですか?」

 ペールグランの意外な質問に、ミーヤは一瞬きょとんとしたが、すぐに照れ笑いを浮かべながら心の内を明かした。

「えっ? ああ、えっと…、勇者に呼ばれるなんて、まったく心当たりがなくて…。学校でも、先生に呼び出されたことなんてないし…。えへへ…。」

「そうですか。では行きます。」

 ミーヤの答えに対して特に気にする様子もなく、ペールグランは錫杖を天にかざして、よどみなく移動魔法を詠唱した。

「風の精霊よ。烈風を走らせ、かの地へ導け。」

 次の瞬間、かつて兄が絶叫した移動魔法と同様の衝撃をミーヤは受けた。しかし、その反応は対照的だった。

 その衝撃が体を突き抜けた瞬間、視界に広がる景色がぐるりと回転し、心臓の鼓動が跳ね上がる。その脈動が胸の奥に詰まっていた何かを弾けさせ、ミーヤの心を解き放った。ほんのひとときの空の旅の中で、地上に落ちる恐怖を忘れ、重力に囚われない自由はただ純粋に楽しかった。

 ミーヤの生来の性格のせいなのか、風魔法への適性がそうさせるのか、あるいはこれらの因果は相反しているのか、自分の魔法の力では到底できない体験の中ではしゃぐミーヤを、ペールグランは静かに見守っていた。


 やがて風が弱まり、二人はふわりと地面に着地した。ミーヤの足元の固い石畳の感触に、空中を駆けた高揚感が吸い取られていくように、現実の体の重みが戻ってくる。体の中のざわめきが魔法の余韻として残る。ほんのわずかな間の感動を、ミーヤは惜しみながらも心を切り替えた。そうして彼女たちは、魔導院へと到着した。

 魔導院の魔塔に案内されたミーヤを待っていたのは、ページとノエルだった。つい先日訪れた場所だったが、隣の見慣れないダークエルフのノエルの姿と相まって、また違った印象を受けた。

 ペールグランは二人にミーヤを引き合わせると、短い別れの言葉を残し、足早に去っていった。ペールグランの足音が鳴り止むころに、残されたミーヤにページが二度目の挨拶をする。

「どうも、お久しぶりです、ミーヤさん。」

 彼の声は柔らかくも、どこか微かな疲労の色が浮かぶ。続けて言葉を紡ぎながら、ページは身を正した。

「まず、あなたには謝らなければなりません。

オレンさんの件について、未だ進展が得られておらず、本当に申し訳ありません。

そして、本来ならこちらから伺うべきところを、お呼び立てしてしまいましたことも…。」

 そう言って、彼は深々と頭を下げた。その姿勢には誠意が込められていたが、ミーヤにとっては幾分過剰な謝罪に思えた。兄の捜索が容易でないことは、もう覚悟しているからだ。気を遣われることに、かえって気恥ずかしさを覚えながらミーヤは口を開いた。

「そんなに気にしないでください。あの、それより、どんなご用件なんですか?」

 ミーヤの当然の問いに、ページは眼を逸らす。

「…、そうですね…。

ところで、ミーヤさんは、このみかんについてどこまで聞いていますか?」

 そう言って、彼はテーブルの上にそっと小さな果実を置いた。それはオレンの果樹園で育てられたみかんだった。

「…、それは…。」

 ミーヤは突然差し出されたみかんを見て、息を呑んだ。見慣れているはずのみかんから、兄と過ごした最後の夜の記憶が蘇る。これは世界樹の枝を接木して生まれた奇跡の実であること。それが兄を世界樹へと駆り立てた理由であること。そして、この実を美味しいと感じる者は限られており、自分もそのうちの一人だということ。

 ただ、オレンですらみかんにどんな力があるかまでは正確にはわかっていなかった。ゆえに、ミーヤもみかんの持つ力の核心部分については知るはずもない。

「…、そうですか。」 ページは頷きながら、言葉を選びつつ話を続けた。

「我々はですね、このみかんの味がどうにも気になってしまいまして…。

独自にこの果実を美味しいと感じる人を探してみたのです。ですが…、一人も見つかりませんでした。」

 話を続けるページの横で、目を伏せるノエルの視線は静かにミーヤの様子を見つめている。

「つまり、あなたと勇者ヒナ以外、このみかんを美味しいと感じる人はいないのです。」

 言葉に力を込めるページの話は、ミーヤの胸にのしかかる。その重みを無意識に振り払うかのように、単純に浮かんだ疑問が、自然と口をついて出た。

「…、でもそれに、何の意味があるんですか?」

 ページの声は熱を帯び、少し早く大きくなる。

「それなんですよ、我々が知りたいのは。

この実を美味しいと感じることに何の意味があるのか、なのです。」

 間を置かずページは続ける。

「そこでお願いがあります。この実を幼少期から口にしてきたあなたの力をぜひ、お借りしたいのです。

そうした次第で、本日お声かけさせていただきました。」

 ミーヤはようやく自分が呼ばれた理由を知ったが、納得はできなかった。ミーヤは困惑した。自分にとって日常の一部に過ぎない習慣に、意味を考えたことなど無かった。協力を求められても、何をどうすれば良いのか見当もつかない。それに、自分と同じように勇者ヒナがこのみかんを美味しいと感じるなら、彼女の方がふさわしいと思った。

 そんなミーヤの心の奥を見透かすように、隣で黙っていたノエルが口を開き語り出した。

「…、お嬢ちゃん。アンタのお兄さんには、アタシも少なからず因縁があってね…。

少し後悔しているんだ。アタシのしたことが、あの子を焚きつけてしまったと…。」

 ノエルの声は低く、やさしく静かに紡がれる。そして一呼吸おいて、意を決したように続けた。

「だからさ、本当は、あの子の妹を面倒ごとに巻き込むのは、アタシは反対なんだ…。

でもね…、どうなんだろうね。未来のことなど誰にもわからないし、わかっていても、ままならない。

人の子とは、得てしてそうあるようにもみえる。

お嬢ちゃんだって、もしかしたら、誰よりも強い勇者になるかもしれない。」

 ノエルの不思議な言葉は、ミーヤを瞬きさせる。言葉の意図も意味もわからないが、自分が誰よりも強い勇者になるなんて絶対にないことは理解できた。

「まっ、それは言い過ぎたか…。

やはり兄弟なのかな、手を焼きたくなる不思議な魅力がアンタたちにはあるよ。フフフ…。」

 自分の言葉の反応を楽しんでいるようにノエルは最後に笑みをみせた。そんなノエルとは対照的に、いたって真面目な顔でページはミーヤに一つ、提案をした。

「君、勇者にならない?」

 単刀直入なページの言葉は、それ故にミーヤを一層困惑させた。

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