第69話 勇者様、慌てふためく
勇者ヒナの死からの復活という奇跡は、その日より瞬く間に王国全土を駆け巡った。
渦中の人となったヒナには、最強勇者クレメンタインとはまた別種の崇拝のまなざしと、その一方で疑念を抱く鋭い目の、そのどちらもが向けられた。しかし、本人は普段通りの素知らぬ顔で、そのどちらも全く気にすることはなかった。また、傑出した力を持つ勇者を相手に、軽々しく手を出す輩なども現れたりはしなかった。
王国のみならず、勇者教団としても死者蘇生術の究明は最重要事項であるはずだったが、ヒナの行動に制約を課す対応をとらなかった。それは、勇者教団が『勇者特権』という不文律を自ら破ることはできない道理と、勇者クレメンタインがそれを命じなかったためだった。
ヒナの復活は、『メティスの大盾』に大きな喜びをもたらした。彼女が戻ったという事実は、深く沈んでいた彼らを明るく照らした。しかし同時に、仇となったルピアとの戦いは大盾に厳しい課題を突き付けた。
今の自分たちでは、魔王どころか、一匹の魔界の獣にすら遠く及ばない。自分たちの未熟さを痛感し、焦燥と重圧が胸を締め付ける。戦いによって受けた傷は癒えても、敗北の傷跡は拭い切れずにいた。だが、また再び同じ悲劇を繰り返すわけにはいかない。次の戦いを前に、一刻も早い戦力の立て直しを彼らは必要としていた。
リーダーであるブラッドは、自分たちが置かれた状況の理解に努めていた。目標は明確だった。一人一人がさらなる強さを求めること、そしてさらに連携に磨きを賭けること、武のさらなる頂きへと到達するために、超えるべき山はわかっていた。しかし問題は、どうやればその山を登れるかにあった。まるで歩み方を忘れてしまったかのように、これまで確かに足元に積み重ねてきたものを、粉々に吹き飛ばしてしまうほどの衝撃を、ルピアとの戦いから受けていた。
生まれながらにして絶対的な力を持つ勇者クレメンタイン。その圧倒的な存在を前に、自分たちの力が劣っていることは否定できない。だが、自分がそう生まれなかった以上、その力を求めることに意味はないと悟っている。それに、どれほどの力を持つ彼女といえど、一人で全ての魔族を滅ぼすことはできない。だからこそ、ブラッドたちには自分たちなりの役割がある。それを果たす覚悟と自負だけは、揺るがなかった。
六年前に起こった魔族侵攻の残した影が、ブラッドの心には染みついている。クレメンタインが魔界へ遠征中だった時に始まった侵攻が王国へ迫った時、対応に遅れたクレメンタインに代わり、最も奮戦したのは大盾だった。
当時の大盾には、まだヒナはおらず前任のクラリエという魔法使いがいた。彼女の支援型の魔法は他の三人と相性が良く、メティスの大盾に欠けている部分を補うように仲間を助け、よく貢献していた。
だがその戦いの最中、クラリエは魔族の手にかかり命を失った。その瞬間を思い出すたび、ブラッドの胸の奥に鈍い痛みが広がる。そして、ルピアとの戦いは、同じ場所の同じ傷をより深くした。
ブラッドの胸中には、大盾と名乗りながらも、結局誰も守れなかった、その煤けた誇りが燻ぶっている。
ルーナは、今回の一件により、ことさらヒナを可愛がるようになった。出会ったときから、その幼い見た目と表情を気に入り可愛がってはいたが、私生活にまで踏み込む一線は超えていなかった。それが、どこへ行くにも、何をするにも行動を共にするようになり、過剰なほど世話を焼くようになっていた。そんなルーナに対し、ヒナは素知らぬ顔で、好きなようにされていた。
そんな折、ルーナにハーペリアの武器の完成の知らせが入った。
早速、魔導院に出向いたルーナと付き合わされたヒナたちが到着すると、迎えに現れたのはページとタンゴールだった。彼らは二人を魔塔の特殊な設備が並ぶ一区画に案内すると、そこには花だけとなったハーペリアと、その隣に神秘的な光沢を放つ弓が丁寧に飾られていた。
「このハーペリアという魔法植物は、非常に興味深い存在でした。」
ページは、研究者らしい熱意を滲ませながら口を開いた。
このときページは、ハーペリアの分析や武器の開発、世界樹の実の解明、さらにはワイ・バーンの改修といったいくつもの大きな課題を同時進行で取り組んでいた。その小さな体には、想像を超える驚くべき巨大な情熱が宿っている。そして、そのほんの一息からは、その内なる熱量が言葉となって噴出した。
「この百合の花は、黒と白が織りなす独特の色彩を持ちながらも、柔らかくしなやかな植物らしさを残しています。しかし、驚くべきはその葉と茎です。これらは硬度の高い金属の性質を持ち、通常の草花では考えられないような強靭さを備えていました。」
「それだけでも十分に研究心を掻き立てられましたが、なんと、この植物の真髄は、蕾の部分にありました。」
ページのその言葉に呼応するように、タンゴールが頷き、補足するように言葉を続けた。
「まだ花にならない蕾だけが、植物の柔らかさと金属的な性質を同時に持つ、極めて特殊な素材だったんだ。
この相反する性質が融合しているハーペリアは、他のどんな魔法素材とも一線を画しているんだよ。」
二人の目の前に差し出された弓は、その言葉通り金属の光沢と自然の調和が見事に表現されていた。その弓は、ただの武器とは思えないほど美しく、まるで生命を宿しているかのような存在感を放っていた。
タンゴールは弓の間近で、その構造を指し示しながら解説を始めた。
「弓幹には茎の金属部分を使って、金属弓として仕上げたけど、そうは思えないほど軽いよ。
でも安心して、弓の強度は倍の鉄を使ったものより頑丈だから。
それで、貰ったハーペリアから取れる蕾の数は限られていたから、使用箇所は厳選させてもらったよ。
弦とそれを繋ぐ弭、それに握りの一部分、たったそれだけだけど、その力は最大限発揮できるはずさ。」
その弓の半透明で蜘蛛の糸のように繊細な弦が、光を受けてほんのりと七色に輝いている。その淡い輝きに照らされながらページは、弦を指差し言葉を繋げた。
「この弦は魔素を込めなければ、まともに引くことすら叶いません。
しかも、単純に魔素を注ぎ込めばよいわけではなく、このハーペリアの持つ意志と呼べるものと心を通わせなければ、矢をまっすぐ飛ばすことすら難しいでしょう。使用者との同調が不可欠なため、誰にでも扱えるものではありません。
正に、魔弓と呼ぶにふさわしいものです。」
それは、武器づくりの観点からは逸脱していた。そもそも、その専門ではないコハクフクロウに武器の開発を依頼したのは、ただの性能の良い武器では意味がないためだったが、それは想像を超え、今のルーナがまさに求めていたものを象徴するかのようだった。
ルーナの視線は、自然とその魔弓に吸い寄せられる。その姿を視線に捉えながら、ページとタンゴールは微笑み、最後に付け足した。
「ルーナさんなら、この弓との魔法属性の相性は良いと思います。きっと、この弓の持つ力を引き出せるはずですよ。」
その言葉に押されるようにルーナはその魔弓を手に取った。その姿は、あの夜の白鳥の湖の水面に映し出された月影のように、幻想的な輝きと高潔さを帯びていた。
「まるで、月の銀枝に咲く可憐な花姫のようですね。」
照れもなく自然とこぼれたページの詩そのままに、その弓は魔弓ミストルティンと名付けられた。
それから、ルーナはその魔弓に心を奪われたかのように夢中になった。その結果、ヒナとの間に再び距離が生まれたが、本人は全く気にすることはなかった。
大盾の中で最も苦悩していたのは陸奥だった。
ルピアの圧倒的身体能力を前に、築き上げてきた剣技がねじ伏せられたことも屈辱的だったが、何よりも愛刀を失ったことは、わが身の半身を失ったに等しい喪失感をもたらした。
陸奥は代わりとなる刀を求めて、カラダリンの元に訪れていた。
「金銭で手に入るような刀であれば、手に入れることも可能ですが、世に名立たる名刀となると、そう簡単には参りませんね。」
首を振るカラダリンの慎重な言葉は、陸奥の望むようなものではなかった。その声に含まれる穏やかな調子が、逆に焦燥感を煽った。陸奥が武器商人ではなくカラダリンを頼ったのは、言われたようなことは分かった上で、有益な情報を得るためだった。
「となると、現在分かっている刀の所有者に直接交渉するか、あるいは新たに作り上げるか…。
どちらにせよ、私から紹介はして差し上げられますが、納得のいくものを手に入れるには、どうしても時間が必要になるでしょう。」
カラダリンが提示した代替案は、今の陸奥にとって現実的な選択ではなかった。曇った表情を見せる陸奥を見て、カラダリンは少し間を置き、また別の選択を示す。
「…案外、あなたの故郷に戻られて探した方が、近道かもしれませんよ。」
その言葉は図らずも、心の中に閉じ込めていた古傷を、無遠慮にまさぐられるような痛みと不快さを感じさせた。それは、穏やかな笑みを絶やさない陸奥の整った顔を歪ませる。拒絶の言葉と引き換えに吐き出した大きなため息には、行き場のない苛立ちが宿っていた。
陸奥は自分の胸の内を隠すように早々に立ち上がり、会話を切り上げた。取り合えずのつなぎとして、形だけの刀でも用意しようとした考えも忘れ、逃げるようにカラダリンの元を後にした。
そんな中、一同はオレンの失踪を知ることとなる。




