第66話 勇者様、顔を上げる
ここは、異世界アルオン大陸。人と魔が生きる世界―
この大陸の中央には『タワー』と呼ばれる巨大建造物がある。その神話の時代からそびえ立つタワーからは、大陸を東西に横断する巨大な魔法障壁が発生し、この障壁によって、大陸は人の世界と魔の世界に分断されていた。
この大陸のある村で、一人の少年が忽然と姿を消した。
それは、タワーの頂から見れば捉えようもない、大陸の片隅でただ小石の一粒が弾けただけの出来事に過ぎない。しかし、その小石が生んだささやかな波紋は、次なる物語の扉をそっと押し開ける。
ー王都アプルス魔導院 魔塔ー
塔の居住区では、『コハクフクロウ』のページとペールグランの二人が、『塩の天秤』のカラダリンとアンシアたちと共に、テーブルを挟んで、シュレに付き添われたミーヤと対峙していた。
終始俯いているミーヤに、ページが話を始める。
「本日は、大変ご足労をおかけしました。」
「お兄さんの件、突然のことで驚かれたでしょう。大変なご心労と存じます。」
ページは、いつになく控えめで丁寧な言葉を選びミーヤに向ける。
「さて、本来であれば、人探しはクラウンナイツが管轄する職務なのですが…。」
そう前置きしたページは、ミーヤの心境を思いやりながら、慎重に明瞭な説明を続ける。
「お兄さんが失踪した状況にはいくつか不可解な点があり、それを基に手掛かりを照らし合わせた結果、世界樹の実に関係する可能性が高いと判断しました。そこで、我々も特別に事件の解明に協力させて頂きました。」
その説明を、ミーヤは俯いたまま黙って聞いている。
「少し、当時の状況を整理させて頂きます。」
「お兄さんは、失踪する前日に『メティスの大盾』の三名と共に、世界樹の実を手に入れる為、魔界へ渡りました。
その道中にて、大盾は魔族と交戦し、お兄さんは一人で世界樹を目指しました。
その後、我々も加勢して魔族を退けることに成功し、お兄さんも世界樹の実を手に無事戻られました。」
「しかし、その翌日に、オレンさんはいなくなった。
家が荒らされた形跡もなく、むしろ身の回りのものが丁寧に整理されていた。
そして、当人にも特段変わった様子がみられず、また、手紙なども残さなかった。」
「以上の状況を踏まえて、我々が出した結論を申し上げます。」
ページは一呼吸おいてから、告げた。
「…、お兄さんは、世界樹の実を手に入れる際に、ご自身の身を引き換えにした魔法契約を行ったと推測できます。」
その宣告を聞き震えるミーヤを、隣のシュレが抱きしめ、手を取り支えた。そしてしばしの間、ミーヤがようやく落ち着きを取り戻すと、代わって尋ねた。
「…。それじゃあ…、オレンは…、もう帰ってこられないんですか?」
その問いに、ページの横からペールグランが答える。
「これはまだ、推測の域を出ない事ではございますが…。」
そう前置きしたペールグランは、告げた。
「残念ながらその可能性は極めて低いと言わざる負えません。」
その宣告を聞き、シュレはミーヤの手を握りしめる。
「魔法契約とは、願いと代償を双方の同意の元に取り交わす魔法儀式です。
必然的に、願いが大きければ代償も大きくなり、そしてまた、契約が破られたときの罰も重くなります。」
「オレンさんが交わした契約の内容は恐らく、世界樹の実と引き換えに、彼の身を差し出す事。
そして、その契約を秘匿する事。少なくとも、この二つであったと考えられます。」
「この契約の履行に際して、オレンさんには事をなす為に一日の猶予が与えられ、そして、その時間で全てを遂げた彼は、誰にも知られず期限を迎え…、そして契約は執行された。
そう考えると、オレンさんの身に起きたことと、その言動に矛盾がないように見受けられます。」
ペールグランは、明瞭な説明を淡々と続ける。その上で、一つの可能性を付け加えた。
「ただ…、この通りであったとしても、彼の身に危害が及ぶことはないかもしれません。」
「なぜなら、もし命を目的としているなら、そもそも、この魔法契約自体が成立しない可能性が高いからです。」
「彼は世界樹へ辿り着いた時、一人でした。ですので、具体的に何が起きたのかを我々は把握できません。」
「ですがもし、彼に危害を加える事を目的とするのなら、抗う力を持たない彼に、このような契約を施す必要がありません。」
「世界樹の実との交換条件など持ち出すまでもなく、その場で好きにできたことでしょう。」
「ですので、この契約をした者の目的は、彼の命そのものではない可能性があります。」
それは、もしにもしを重ねたほんの僅かな可能性だった。その僅かな可能性は、事実を論理的に組み立てるペールグランが、推測から事実を探し出すことで信憑性を生んだ。
それを受け、再びページが口を開いた。
「今後、お兄さんの所在を確認するために、世界樹へ向かい調査することも検討しましょう。並行して、他の可能性の調査も進めていきます。どうか、我々に任せてください。」
ページは、丁寧な言葉を選びミーヤに向けた。それは、失意の中にある彼女に贈る前向きな言葉だった。
「一つよろしいですか?」 しかし、そこにアンシアが口を挟んだ。
「もし、世界樹で御兄さまの無事が確認できたとしても、すぐに連れ帰ることは難しいかもしれません。」
「なぜなら、これが世界樹の実に関わる契約魔法である以上、御兄さまを強引に連れ帰れば、それは契約の破棄を意味します。」
「契約を強引に反故にした場合の罰がどんなものなのか、具体的には分かりませんが…。
少なくとも、今の状況をより悪くさせるのは間違いないでしょう。」
「あるいは、その影響は世界樹の実の恩恵を受けた勇者ヒナにも及ぶかもしれません。」
「その様なことは、御兄さまも望まないのではないでしょうか。」
アンシアが語るこの問題の難しさは、ただ兄の無事を祈るミーヤの心に、どうすることもできない現実を突きつける。兄を助けたいのに、手を出せない無力さは、ミーヤの胸に焦燥と不安を渦巻かせた。
冷淡のようにみえるアンシアもミーヤを傷つけることが本意ではなく、同情はしていた。それでも伝えたのは、現実に備えておくため、現実は想定より残酷である可能性も十分に考えられたからだった。
そんなミーヤに向けて、ページは励ますように言葉を送る。
「繰り返しになりますが、お兄さんの捜索は続けます。他の様々な可能性も考えて、まずは安否確認を最優先としましょう。」
「私、ページの勇者の名にかけて、絶対に見つけ出すと約束します。
ですのでどうか、お兄さんの無事を信じて待っていてください。」
そのページの言葉は、まだ十歳の子供の容姿から発せられたものとは思えないほど力強く、自信に満ちていた。その小さな勇者の言葉に、ミーヤの心は少し軽くなり、顔を上げた。
「そうそう。お兄さんも、ミーヤさんが悲しまれるのを望んではおられないと思います。」
ページはミーヤの心に笑顔で応えた。
「調査の進捗がありましたら、こちらからご連絡します。それまでどうか、お体を大切になさって早まったことはされませんように。」
この場の最後に、ページはそう言って二人を見送る。
問題の解決には程遠いが、それでも抱えていた不安に少しの晴れ間を覗かせて、ミーヤたち二人は魔導院をあとにする。その二人を家まで送るため、ペールグランが付き添い魔塔を出て行った。
そして、このような場で珍しくずっと黙っていたカラダリンは、目を閉じ深く息を吐いた。その姿を、アンシアは物言いたげに見ていた。




