第62話 付帯条件
カラダリンは強い勇者ではない。勇者とは、強い魔子を持つ人類の中から更に選りすぐられた存在であるが、その選ばれし者たちをさらに順位付けした場合、現代の勇者の中でカラダリンは下から数えた方が早いだろう。
カラダリンが勇者として認められたのは武勲ではなく、六年前の魔族侵攻からの復興事業という商人としての功績である。カラダリンはその後の魔子回路事業の成功を機に、更に多岐にわたる事業を展開し、僅か数年で王国有数の大商人としての地位を築き上げた。そして今や、彼の勇者としての本来の力を知るものは少ない。
一般論として、戦闘において魔子の差は優位性を生む、しかし、それだけで勝敗が決まるわけではない。自分の力を最大限に発揮し、相手の力を最小限に抑えるという類の基本的な戦略は、あらゆる状況に応用され戦術に生かされる。また逆の立場で、そのような状況を未然に防ぐことも当たり前のように展開される。
強大な力を持つルピアに対して、メティスの大盾の三人は武の極みともいうべき連携攻撃をもって挑み、コハクフクロウは叡智の結晶ともいうべきワイ・バーンを主軸として戦った。それに対しカラダリンは財力をもって集めた至宝とも言うべき神器をもって、ルピアを追い詰める。三者三様の戦いはそれぞれの結果を導き、それは力によってのみでは定まらない。
カラダリンが森の奥へ逃げるルピアを待ち伏せできたのは、いくつかの想定を張り巡らせた結果である。その網にかかったルピアを、さらに黄金のショファルの効果によって強制的に無防備にさせた周到さには、初見確殺となるはずの卑怯さを忍ばせていた。にもかかわらず、その一撃で仕留め切れなかったのはカラダリンにとっても誤算だった。それは、今の状態のルピアとですら、覆しようのないほどの力の差がある事を示している。
それで終わらせたかったカラダリンが、なおも立ち上がるルピアに対して、他の神器をもって迎え撃たねばならないのは、本人ですら望まない結果だった。
カラダリンが、黄金のショファルを二度使わなかったのにも理由がある。それはカラダリンが話したショファルの効果には、話さなかった付帯条件があるからだ。
黄金のショファルは、その音色を聞いた生涯に一度のみしか効果を発揮しない。
この秘密を守るため、カラダリンは双子如来で嘘をついた。双子如来の嘘は、ルピアにカラダリンの言葉を疑わせる。本来であれば、一言たりとも信じてはいけない敵の言葉を疑う。その矛盾した行動原理は、疑いを免れた言葉への信頼を生み出す。
もし、ルピアが平常であったなら、こんな嘘などにべもなくカラダリンごと捻り潰して終いだろう。極めて限定的な条件が成立して初めて芽吹く腐朽の嘘は、疑心を取り込み信頼の毒花を咲かせた。
カラダリンは双子如来とノートゥングを併せて、全方位から執拗にルピアを切りつける。しかし、虚像のどれ一つの攻撃もルピアの命を奪うには至らない。実像と虚像が入り乱れるカラダリンの五月蠅い攻撃は、ルピアをただ一層苛立たせる。そしてそれは、平常でないルピアの限度を簡単に引き出した。
「ガアアァァッ!!!」
ルピアの怒りの爆発は、鬱積された負の感情を解放する咆哮となった。我慢を超えた感情は判断力を吹き飛ばし破壊衝動に走らせる。眼前に垂らされた、時間をかけて削られるのを耐えながら勝機を待つか、他の神器の罠があると知りつつ敵の懐に飛び込むか、の二択など最初から存在しないかのように、ルピアはなりふり構わず全力でカラダリンへと襲いかかった。
カラダリンは両手にノートゥングを構え、真っ向からルピアの攻撃に対峙する。しかし、その膂力は凄まじく、完全に防ぎ切れずに体ごと吹き飛ばされた。その力の強大さに、カラダリンは倒されながら改めて戦慄する。
ルピアを罠へと誘導しながらも、一つの錯誤が死に繋がっているのは、カラダリンも同じだった。吹き飛ばされたカラダリンが再び立ち上がった時、その体からこぼれ落ちた双子如来が、まるで図ったようにちょうどルピアの足元に転がった。
手にした神器に吸い込まれるように、ルピアは迷うことなくその力を発動する。動きを止めるカラダリンを前にして、散々苦しめられたその効果をルピアは疑う事は無い。そしてそれは、ルピアの怒りを鎮めるように音も無く、隣に像を結ばせた。
「ドチラニコロサレタイカ、スキナホウヲエラベ…。」
一人でも厄介なルピアの二人分の攻撃を真っ向から受けて立つ術を、カラダリンは持っていない。ルピアの配慮した言葉からは、この戦いの勝利を確信した余裕が漏れる。互いの予感は交錯し、それは次が最後の攻撃となることを繋ぎ合わせた。
「……。」
その無言の返答は、カラダリンの最後の選択だった。
カラダリンには余裕などなく、最後の一瞬に全神経を集中させる。ただ、その無言の中に毒花が育てた種子を潜ませていた。
二人のルピアは動きを揃えカラダリンに襲い掛かる。それに対してカラダリンは、迫りくるルピアを前にして再び黄金のショファルを吹き鳴らした。しかし、勝利へと猛進するルピアには意味を持たず、その音色はもはや抑止にすらならない。
だがしかし、ショファルの音色が初聴となるもう一人のルピアには、その効果が発揮される。動きを止める虚像とそれに近寄るカラダリンを目にし、双子如来の効果が散々刷り込まれていたルピアは、反射的にその爪を虚空へ振るった。
全てはこの一瞬の錯誤を作るため。その為に咲かせた毒花は、角笛の音色に運ばれて外法の実を結ぶ。
この戦い最大の好機を得たカラダリンは、その一瞬に残す神器を全てつぎ込む。
その一つ、カース・グレイル。その杯を術者と対象の血で満たす事で発動する呪いの聖杯。
そしてもう一つは、人魚の赤蝋。この赤蝋は触れた者の血液に変化する。
この時まで伏せて置いたこの二つの神器こそが、カラダリンの切り札。それは、人間相手には決して使わない奥の手だった。
角笛が鳴り止むと同時に、虚像はまた動き出す。そのルピアの行動をなぞる動きは、カラダリンに確定した予測を与える。虚像の次の攻撃を完全に見切っているカラダリンは、その爪にキスでもするかのようにそっと赤蝋の入った瓶を重ね、そしてその場に傅き杯を掲げた。次の瞬間、カラダリンの頭上で割られた瓶から溢れる赤蝋が杯を満たす。全ての準備を整えたカラダリンは立ち上がり、最後の仕上げにノートゥングから滴るルピアの血を杯にくべた。
カース・グレイルの呪いはその体を腐らせる。しかし、死ぬことは叶わずその痛みと苦しみは永遠に続く。一度発動させたら最後、その呪いの解呪はカラダリンはおろか、治療魔法師であるアンシアの能力を以てしても不可能である。
カラダリンがここまでの手を用意しなければならなかったのは、カース・グレイルの付帯条件に起因する。カース・グレイルの呪いは、呪う術者と呪われる対象の双方に分け隔てなく降りかかる。
明確な殺意を超えた悪意によって為された外法の外法は、遂には毒花さえも腐り散らせた。
虚像は音も無く腐り落ちる。しかしその傍らで、深い森の静寂を声にもならぬ苦しみの叫びが鳴り止むことなく引き裂いていた。




