第52話 寝顔
未明にミカビ村を旅立ったオレンは、ちょうど朝日が登り始めた頃にユーザに着いた。いつもの賑やかな商業都市とは全く違う顔を見せるユーザの街並みをオレンは進んで行く。街の喧騒が起き出す前にオレンが最初に向かったのは、ヒナが眠る礼拝堂だった。
オレンは再び、静寂に包まれた中でヒナと対面した。その姿はまるで時間が止まっているかのように、あの時と全く変わらない状態でいるヒナだった。
ただ、たった一つ違うところがあった。どこから入ってきたのだろうか、ヒナの胸の上には子猫のピアが蹲っている。
その姿はオレンに何とも言えない優しい痛みを与え、つい言葉が漏れる。
「そうだったよな、全部お前が運んで来てくれたんだ。」
思いがけないピアとの再会は、オレンを考えさせた。これまで出会った勇者たち、メティスの大盾、コハクフクロウ、塩の天秤、クレメンタイン教団、それぞれとの出来事を思い返す。
その中でオレンが協力を求めるとしたら、メティスの大盾を選ぶのが道理としては正しい。ただもし、大盾の協力が得られたとしても、世界樹までの道中でヒナを殺した敵と再び対峙するようなことになれば、どうなってしまうだろうか。そうなってしまった時、自分は何の力にもなれない。でもひょっとしたら、他の勇者たちなら助けられるかもしれない。いや、そんな都合のいい事が出来るのか、出来たとしてそれは大盾の戦いを邪魔することにならないか、そもそも自分の我儘で勇者たちの命を危険に晒す事が許されるのだろうか。
オレンは昨日から悩み続けていたが、結局、解決する良い考えは浮かばなかった。
ピアの寝顔はそんなオレンの苦悩を癒し、そしてここまで来たオレンに最後の一押しをする。オレンはピアをただひと撫でして礼拝堂を後にした。
オレンは、カラダリン邸に向かった。塩の天秤のカラダリンと会うと決めたのには理由がある。
一つは、オレンが見てきた勇者の中でカラダリンは最も幅広い影響力を持ち、多種多様な情報を持っている人物にみえたからだ。そんなカラダリンが自分の計画をどのように判断するか試したかった。もし、何の興味も引くことが出来ず完全否定されるようなら、大盾を説得することも到底できないだろう。
もう一つは、所在の見当がつく勇者たちの内、最も近いところにいるのがカラダリンだった。王都アプルスの魔導院にしても、キンプーサにしてもオレンの脚では相当かかってしまうし、大盾に至っては何処にいるかすらオレンは知らなかった。といっても、カラダリンに会える保証があるわけでもなく、カラダリン邸に入る前にフィクロやほかの家令たちに門前払いを喰らう可能性も十分あり得た。
しかし、そんなオレンの不安は呆気なく覆った。カラダリン邸に着くと屋敷の前にいた家令の一人から丁寧な応対を受け、オレンはいつかのように邸内の客間に通された。そして円卓には、あの日と同じようにカラダリンと隣にアンシアが座って待っていた。
まるでオレンが来るのが分かっていたかのようなもてなしは、あまりに思い通りに物事が進み過ぎて、逆にオレンの不安を膨らませた。
「オレンさん、どうぞこちらに。」
円卓の向こうから笑顔で招くカラダリンの姿は、本当にあの日を繰り返しているかのように思えた。客間の配置も装飾もそっくりそのまま再現してるように見える空間の中で、まるで間違い探しのように一つだけ、あの日傍らの長椅子で寝ていたハックナインと犬のルノンの姿だけ消えていた。
「カラダリンさん、本日はお会いして頂いてありがとうございます。」
「それから、アンシアさんには、先日大変お世話になりました。」
オレンは円卓に着く前に丁寧に感謝を示し、深く頭を下げた。二人は特に表情を変えることもなくそれを見つめる。頭を上げたオレンが席に座り、落ち着いたところを見計らって、カラダリンは切り出す。
「さて、オレンさん。本日はどういったご用件でしょう?」
「それはー」
オレンは、緊張しながらも世界樹の実について順を追って説明した。その実がヒナを生き返らせる可能性を持っている事、そして父がそれを取りに行って母を治したこと。それから、ハーペリアにまつわる母の出生と、みかんについて、実物を差し出しながらオレンは知り得たことを全て話した。
カラダリンとアンシアは、オレンが話し終わるまで黙って聞いていた。
そして、話が一段落したところで、カラダリンがゆっくりと口を開き、隣に尋ねた。
「今の話、アンシアはどう思いますか?」
カラダリンからの問いに、アンシアは特に表情を変えることなく淡々と話し始める。
「まず、死者を生き返らせるなんて絶対にできません。」
「歴代の大魔法使いたちも、過去のあらゆる文献にも、死者の蘇生を実現した例はありません。ですから、本当に世界樹の実があったとしても、それにその様な力があるとは到底考えられません。」
カラダリンの質問に論理的に答えながら、アンシアはオレンにも語り掛ける。
「あなたのお母様も蘇生されたのではなく、瀕死の状態から回復されたのでしょう? それならば、世界樹の実に死者蘇生の力があるというのは飛躍した考えではありませんか?」
アンシアの核心をついた問いかけは鋭く、昨日までのオレンであれば答えるのは難しかっただろう。しかし、多くの人に支えられながらも、ここまでやってきたオレンに宿る決意と覚悟とみかんが、言葉を造る。
「世界樹の実にどれほどの力があるのか、確かな事は言えません。」
「だけど、その力を受け継いだこのみかんが、母さんの命を繋いだことは事実です。」
「不思議なことにこのみかんは、ほとんどの人が不味いと感じます。でも、ほんの一握りの人は、美味しいと感じるようなのです。母は美味しそうに食べていました。そしてヒナさんも、このみかんを美味しいと言ってくれました。」
「この事に、何か特別な意味があると考えるのは間違っているでしょうか。」
オレンの答えはアンシアの問いへの明確な解答ではなかったが、それでもオレンなりの理屈の通った言葉は少しアンシアを驚かせた。
だからだろうか、アンシアはオレンの問いかけに明確には答えなかった。
「…。治療魔法師としての意見ですが、人を治す癒しの力と人を蘇生する力は全く次元が違うものです。私には人を蘇生する力がどんなものなのか想像することすらできません。」
「もし、あなたがその力を解明するとしたら、それは…。」 アンシアはそこまで言って口ごもる。
その躊躇いをみて、カラダリンは口を開いた。
「アンシアは、ツンデレさんですね。」
「なっ!」 カラダリンのたった一言で、これまで変わらなかったアンシアの表情が変化をみせた。
「そのみかん、一口頂いても?」 そのアンシアの変化を余所に、カラダリンはオレンに尋ねる。
オレンは手を開いて黙って頷く。カラダリンはみかんに手を伸ばし、皮を剥いて一房口に入れた。
「…。いやいや、これは…。」
「なるほど、これは市場には出せませんね。」
カラダリンは苦笑いしながら一人で納得すると、言葉を続けた。
「世界樹の実について、私もこれまで聞いた覚えがありません。」
「その知識を魔界から来た人間がもたらし、そして実物を取りに行った後、その副産物であるこのみかんが、今こうしてここにある。という、オレンさんのお話はとても興味深いものです。」
「けれど、それだけでは世界樹の実が如何なるものなのか、私にも分かりかねますね。」
「それについては、アンシアも同じではないですか?」
「はい。」 アンシアは小さくうなずいて応える。
「…では、こうしては如何でしょう、オレンさん。今から知っていそうな人に聞きに行きませんか?」
カラダリンからの意外な提案は、オレンを驚かせる。
「えっ、それは誰、ですか?」
オレンの反応にカラダリンは微笑みながら続ける。
「あなたもよく知っている、フクロウさんですよ。彼らなら世界樹の実について何か知っているかもしれませんし、たとえ無くても、このみかんを分析して、何か突き止めてくれるかもしれませんよ。」
カラダリンの提案は、オレンにはそれ以上ない理想的なものだった。カラダリンとの交渉次第では、オレンは次の候補としてコハクフクロウの所へ多少無理してでも向かわなければいけないと考えていた。
「ええ、ぜひお願いします。」 オレンは喜んで即答する。
「では早速、準備いたしましょう。」
カラダリンとアンシアは立ち上がり、速やかに準備を始め慌ただしく動き出す。
その傍らで、オレンは不安と緊張から解放され安堵していた。まだ勇者の助力を取り付けたわけではなかったが、それでも自分の話が受け入れられ、取り合えず順調に話が進んだことを感謝していた。
それから間もなく、三人はカラダリンの馬車に乗って王都アプルスの魔導院へと向かった。




