第51話 布石
湖畔のほとりに広がる花畑は戦場に変わる。向かい合う双方に、戦う以外の選択肢はない。
三人はルピアに注意を向けながら体制を整え、少しずつ間合いを計り自分たちの陣形を整える。それはまるで盤上の駒組のように、定められた動きを決められた手順で構築していった。大盾の行動はとても迅速かつ流麗に行われ、戦場を静寂で包み込んだ。
それに対して、ルピアは薄く笑う。それはメティスの大盾の行動を嘲笑っているのだろうか、それとも仕掛けてくる攻撃への期待なのだろうか。ブラッドたちが万全の体制を整えるのをただ見据え、見て見ぬふりをしているかのようだった。
沈黙によって空気は張り詰め、緊張が支配する中で、駒たちは鋭い目で敵を見据えている。お互いの瞳の中には、お互いの敵の姿と、激しい闘志が宿る。その静けさとは裏腹に、盤面では激しい戦いが既に繰り広げられていた。
突如、その静寂を引き裂いて放たれたルーナの一射は、ルピアの頭部を正確に狙っていた。その矢の軌道を追うように、ブラッドと陸奥は同時に前進し、間合いを詰めた。
ルーナの放った矢を、ルピアは寸前で首を軽く傾けてなんなく避ける。そして、その瞬間に合わせてブラッドと陸奥はお互いの進行方向を交差させ、左右を素早く入れ替えた。
その体の入れ替えの隙間を縫って、ルーナの二射が全く同じ軌道を描きながら放たれる。
しかし、その矢は一射とは違い魔法が込められ、ルピアの目前で突然加速した。
それは、ルピアの虚をついた攻撃だったが、その矢が加速する瞬間を苦も無く捉え、ルピアは身を素早く躱す。
この攻撃ではルピアを捉えることは出来ない、それはブラッドたちも分かっていた。
だが、矢を躱す一瞬の隙はできる。その姿勢が崩れる瞬間を狙い、陸奥の鋭い斬撃とブラッドの重厚な大剣が、ルピアに襲いかかった。
二つの斬撃はその一瞬に合わせて重ねられたものだが、そこにはほんの僅かの差が生まれる。常人には到底見切ることなどできない刹那を、ルピアの嗅覚は感じ取り、その僅かの隙間をまるで液体のような身のこなしで滑らかに通した。
これまで幾度となく繰り返されてきたこの三人の連携攻撃は、多くの敵を仕留めてきた。その中には一度では倒し切れなかった者も確かにいた。しかし、この連携攻撃が全く当たらなかった敵はこれまでいない。
だがそれでも、大盾の一同に動揺はなかった。なぜなら、前回の戦いで見たルピアの戦闘能力から判断すれば、この結果は十分予測の範囲内だったからだ。
ブラッドたちは次の攻撃を備えながら、再び陣形を整える。
その一方で、この刹那の攻防はルピアに眼前の敵の価値を悟らせた。ただそれだけの事に、ルピアは再び薄く笑った。ブラッドたちにルピアの笑みの真意はわからない。もし、その笑みが油断であったなら、それはブラッドたちがこの攻防に仕組んだ布石の効きを意味するが、言葉を捨てた戦場では確かめる術はなかった。
戦場の大きな流れが循環しているかのように、大盾は同じ陣形を組み直し、再び同じ攻撃を繰り返す。
速やかに放たれたルーナの一射は、先ほどと全く同じ軌道を辿りルピアの頭部を狙う。そして、ブラッドと陸奥もまた全く同じ行動をなぞり、ルピアとの間合いを詰める。
しかし、ピッタリと重ねた同様の魔法が込められたルーナの二射目は、ルピアの虚を突くことなど到底かなわず、完全に見切られる。
だがそれでもブラッドと陸奥は同じ攻撃を重ねた。
無謀にすらみえた陸奥の斬撃は、ルピアが万全である分だけ遠かった。ほんの数瞬の間に、重ねてブラッドの大剣が迫りくる。
にもかかわらず、それでも初撃より広がった隙間は、ルピアにとって反撃するのに十分な時間を生んだ。その隙を見逃す訳もなく、ルピアの左の一撃が陸奥を襲う。
対して、斬撃が伸び切った体勢の陸奥は避けることも防ぐことも叶わない。
この一瞬の攻防を巡る結末は、双方の期待を裏切った。
陸奥がルピアに放った初撃が浅かったのは、ルピアが万全であったからだけでない。
この斬撃の正体は、敵の反撃を誘い出し、返す刀で切り上げる二撃目にこそあった。だがそれもルピアが反撃をしなければ成立しない。その正体を巧妙に隠しつつ、この前提を成立させる為の一連の連携攻撃は、この時点で成功していたと言えるだろう。
陸奥は、周到な準備を整えた渾身の返し技を放つ。
しかし、全神経をその斬撃に集中させる中で、陸奥の目だけが信じ難い姿を捉えた。
陸奥の返し技は、ルピアの一撃を受け流したはずだった。いや、確かに攻撃を受け流されたルピアは体勢を崩したが、その姿勢からまるで空中を舞うかのような体捌きを魅せる。そして、その爪は尚もまだ止まることなく、陸奥に死を与えるために忍び寄る。
全感覚が集中し研ぎ澄まされた陸奥は、直観的に良くて互角となる結末を予測する。絶体絶命の中に置かれ、陸奥は迫りくる死を前に潔く、相打ちとなる覚悟を決めた。
しかし、その予測はブラッドによって覆る。ブラッドの一撃は、本来は陸奥の返す刀を挟み込む形で打ち下ろされるはずのものだった。
だがそれを攻撃の直前で変えた。
それは本能か、経験か、本人にも説明はできないかもしれない。ただ言えるのは、皮肉なことにルピアが尋常ならざる敵であったことが、その変化をもたらした。
ブラッドは土壇場で逆袈裟に斬り上げる。しかし、この攻撃はルピアに向けられたものではなかった。
この攻撃の矛先は、陸奥の斬撃に文字通り重ねられた。ブラッドの一撃は、陸奥の斬撃を押し上げ一瞬の加速を生む。
それが、ルピアの爪を虚空に止めた。
爪を止め身をひるがえしたルピアの着地点をルーナの弓矢が襲う。しかし、ルピアはまるで背中に目があるかのように矢を察知し、空中でしなやかに躱した。
双方が離れたことで、この激しい戦いにようやく少しの間が生まれる。そしてそれは双方に、戦闘前の思惑の修正を要求した。
ルピアは左手を一瞥し、握りしめた。
目の前の敵に傷つけられるなど、戦う前には思いもしていなかった。まして、かつて一番弱いと見下したウサギの一撃で、中指の爪を落とされるなど屈辱以外の何物でもなかった。
ブラッドたちはこの一連の連携攻撃で仕留めたかった。
命を賭した攻撃の対価が中指の爪一本だけでは、到底割に合うものではない。そして示された、今の攻防ではルピアの命には届かない、という現実は、ブラッドたちにより大きな代償を支払う覚悟を求めていた。
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一方その頃、ブラッドたちと別れたオレンは世界樹に向かっていた。湖から世界樹を繋ぐ森の中を、昨日見た地図の記憶を頼りに急ぐ。道中、もし魔獣にでも遭遇したらオレンに抗う術などなかったが、そんなことすら思いつかないほどに、別の感情がオレンを突き動かしていた。
やがて、オレンは地図に記してあった名もない大岩に辿り着いた。この大岩に沿って進めば世界樹の根元まですぐそこだ。だが、今のオレンには、この大岩は単なる目印以上の意味があった。ここは、高い木々に囲まれた深い森の中で、遮られずに空を覗くことができる唯一の場所だった。
「ここなら…。」
オレンは大岩に近寄ると空を見上げ、勇者から託された魔子回路を発動させた。その魔子回路は、魔法の使えないオレンでも扱えるように予め魔素が込められたごく簡単な魔法が起動するものだった。
その魔法は上空に向かって眩い閃光を走らせる。そしてある高度まで到達すると、まだ明るい空の中で星のように輝いた。その星の輝きは、色を変え何かの信号の様に点滅を繰り返すと、やがて消えた。
オレンはそれを見届け、そして再び世界樹へと走り出した。
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物語は一度、まだ空に星が輝く中、オレンがミカビ村を旅立った時まで遡るー




