第50話 再び
メティスの大盾とオレンは、すぐに準備を整えタワーへと向った。しかし、世界樹の実を一刻も早く手に入れたい気持ちはあるが、このまま夜に魔界へ侵入するのは非常に危険だということはよく理解していた。そこで、一行は明朝すぐに出発するため、タワーの魔法障壁付近に点在する監視塔で一晩を過ごすことにした。
その監視塔は、防衛拠点としては十分とは言えないが、最低限の人数で魔界側の動向を絶えず観察し、そして何かあれば直ちに危険を伝達する為の設備が揃えてある。オレンたちは、その監視塔を間借りして火を囲んだ。
そこでオレンはブラッドたちから世界樹までの道筋の説明を受けた。オレンもガモットから聞いた話を話す。大盾はかつて世界樹まで遠征をした経験があったが、その時は何も成果を得られなかった。オレンの父が実を手に入れた際に、何か要因や条件があったのか話し合ったが、ここでは明確な答えはでなかった。
夜も深まり話も尽きると、明日に備え一同は就寝し始めた。監視塔の住居としての設備は最小限のものだが、ただそれでも屋根があるだけましだった。そんな中で、オレンは昨晩から一睡もしていないにも拘らず、全く睡魔に襲われなかったのは、寝床が硬かったからではなく、それ程気分が高揚し続けていたからだった。
昨日から様々な人のところに出向き続け、そして今、自分が勇者たちといる事実は、疲労と興奮をかき混ぜてオレンの心を混沌とさせる。
ブラッドはそんなオレンに気付き、声を掛けた。
「寝れないのか?」
「明日は、世界樹の木まで歩くことになる。明日の為に、無理してでも寝ろ。」
簡潔でそっけない言葉だったが、その言葉は暖かみを感じさせる。周囲の冷えた静寂と混ざったその程よい温度は、オレンのこんがらがった心の中にある大事な記憶を溶かし、堰き止めていた言葉を決壊させた。
「…、ブラッドさん、あなたは覚えていないって言ったけど…、六年前、俺とミーヤは確かにあなたの剣に救われたんだ。」
「俺はその時、あなたの背中を純粋にカッコいいと思った。本当に心から憧れた…。」
「俺はあなたの背中にきっと、父親の姿を重ねて見ていたんだと思う。」
「…、でも、もうこれで終わりにします。まだ、どうなるか分からないけど…。」
「でもどんな結果になっても、あなたが昨日言った通り、もうこれで最後…。俺はもう勇者たちとは関わらない。」
「俺は、俺の人生を生きます。」
オレンの覚悟を、黙って聞いていたブラッドは呟く。
「…、そうか。」 ブラッドはたったそれだけしか言えなかった。
一部始終を少し離れて聞いていたルーナの耳がそよぐ。
「あんたもいい加減、先に進みなさいよ。」
寝ているルーナは、聞こえるかどうか分からないほどの小さな声で呟いた。
ーーーー
明朝早くに、オレンは大盾とタワーを超えて魔界へ入っていった。一行は昨日の計画通りに道を進む。初めて魔法障壁を超え、魔界に入ったオレンはとても緊張したが、人間の世界と何の変哲もない魔界の景色はその緊張を次第に薄めていった。
ヒナが命を落とした戦いで、ブラッドたちが何と戦い、どんな戦いとなったのかオレンは知らない。だが、もしこの先でその敵と再び相まみえることになったら、彼らはどうするのだろうか。昨日の彼らとの会話で、オレンは一つの考えに行き着いていた。
だからオレンは躊躇した。勇者の戦いに、余計な口出しをしてしまうことを。たとえオレンの口から出る心配が善意からのものだとしても、それはブラッドたちの戦いを汚すことになるかもしれない。
だからオレンは沈黙した。勇者の戦いに、オレンの言葉が意味を持つことなどありえないのだから。そこは、オレンの意志が介入できる領域ではなく、その領域に立つ勇者たちは、だからこそ、勇者なのだ。
そしてこれは、どんなことをしてもヒナを生き返らせたいというオレンの傲慢でもあった。オレンはただ、出来ることなら何事もなく世界樹に辿り着くことを願った。
ブラッドは決意を秘めていた。絶対にルピアを許しはしないと。しかし、あの俊敏な身のこなしと驚異的な腕力を併せ持つ敵を相手に、無策の戦いを挑むほど愚かではない。ブラッドは対策としてまず、ハーペリアの武器の完成を期待したが、一日二日で出来上がる物でもない。つてを辿り、他に良い手を探ってはみたが、自分たちの戦い方に合う良いものというのは、早々簡単に見つかるものではなかった。
あの時、得体のしれない強敵を前に、ブラッドたちは何もできなかった。それは勇者の誇りを大きく傷つけ、それ以上の大きな傷を残したがそれでも、あの完敗した戦いを糧にブラッドたちは前に進む。ルピアが自分たちより強いことを認めた上で、その力量、思考、戦術、戦略を読み取り対策を練った。
それに対して、ルピアは大盾の三人の手の内を何も知らないに等しかった。ブラッドは勝機はあると考えていた。三人がこれまで培ってきた連携と策をもってすれば、倒せない敵ではないと判断する。
それは決して楽観ではなく、むしろ悲観と言えるものだった。
ただそれでも、現実では往々に想定外が起こる。ブラッドにとってはオレンを連れて魔界に入ること自体、想定外の状況だった。
もし今ルピアと遭遇すれば、オレンの存在はブラッドたちに不利な状況しか招かないだろう。それが分かっていたから、ブラッドはオレンを突き放したのだが、今ここに至ってはむしろ作戦の中心にオレンを据えている。そしてそれを、ブラッドは決して口にすることはないだろう。
日が真上を過ぎた頃、一行はハーペリアのあった白鳥のくちばしと言われる湖畔を進んでいた。世界樹に至るまでの幾つかの経路の内、あえてこの道を選んだのは経路の安全確保を優先したからだ。それは図らずも、母が見た景色を一度見ておきたいというオレンのささやかな願いを叶えた。恐らくもう二度と見ることのないその景色は、湖畔に広がる花畑の美しさ以上に心を満たした。
その矢先ー
「「「ワォオオォォーー…」」」
湖畔の花を全て舞い上げるほど、突如として狼の遠吠えが響き渡った。
一時の安息を破られたオレンはその声に驚き、狼狽えながら辺りを見渡した。
それに対して大盾の三人は極めて冷静に振舞う。決して忘れることのないその声は、ブラッドの闘志に火をつけ、武者震いさえ感じさせた。そのブラッドは慌てるオレンに近づいて肩を握る。
「…オレン。世界樹までの道はわかるな?」
「ここからは、一人で世界樹に向かってくれ。我々はここで奴と戦う。」
肩から伝わる重みがオレンを落ち着かせ、そしてブラッドの言葉が状況を理解させた。
「世界樹の実、必ず取って来なさいよ、オレン。」 ルーナはオレンの頭を撫でる。
「出来れば四つ、フフッ。お願いしますよ、オレン。」 陸奥はオレンのもう片方の肩を叩いた。
そして、ブラッドはオレンの背中を押した。 「さあ、行けっ!」
オレンの中で様々な感情が渦巻く。その全てと、己の無力を飲み込んでただ一言を絞り出した。
「どうか、死なないで。」
オレンは決して振り返らずに、走って行った。
ブラッドの背後からオレンの姿が見えなくなるのと入れ替わるように、ブラッドの正面に敵が姿を現した。
風と一体化したかのような速さと軽やかさをもって、輝く金色の体毛をなびかせながらルピアは降り立った。
再びまみえたその姿は、ヒナとの戦闘の傷は癒えている様にうかがえるが、右腕の爪は欠けたままだった。そしてその首には、銀鎖で繋がった翠緑に輝く指輪が光る。
ルピアのその姿は、ブラッドたちが背を向けた後、ウィーナがどうなったのかを容易に想像させたが、目の前の敵以外に注意を逸らす余裕は許されなかった。
「ヨォ。マチワビタゾ。」
ブラッドたちにルピアの言葉の真意はわからない。ただ、弱者を嘲るだけのものなのか、それとも戦士の矜持を示しているのか、そのどちらだとしても、ブラッドたちの決断は変わらない。戦闘態勢を整え、そしてこれまでもそうして来たように、ブラッドは仲間に絶対の信頼を預ける。
「ああ。待たせたな。」
ブラッドの口から放たれたらしくない言葉が、決戦の開始を告げる合図となった。




