第47話 暗黒
先ほど馬車で訪れたばかりのカカミに、オレンは息を切らしながら戻ってきた。そのままオレンは火竜亭へと向かった。
店内は食事時の繁盛期を過ぎて、混雑の峠は越えていた。姿を見せたオレンにシュレはすぐに気づいていつもの様に挨拶をしてきた。
「あら? オレン。今日はもう来ないと思ってたのに。」
「うん…。ちょっと今日はガモットさんに用があるんだ。」
そう言って、オレンはいつもの席には付かずに店主のガモットの方に向かう。ガモットはそんなオレンを見て何かを察したかのような表情を見せた。
「シュレちゃん。ちょっとの間よろしく。」
ガモットはシュレにそう言って合図を送ると、オレンを店の裏手へ案内した。オレンを前にして、何とも言えない表情を見せながらガモットは言う。
「ま、なんだ…、こんな日がいつか来ると思ってたんだ…。」
「オレン君か、ミーヤちゃんか、それとも二人そろってか、オレんところにそんな顔をしてやって来る日を…。」
そう言いながら髭をさするガモットは、一つ深呼吸をしてから続けた。
「…さあ、何が聞きたい? オレが知ってることなら何でも話そうじゃないか。」
「世界樹の実の事を聞かせて下さい。」 オレンは即答する。
ガモットは覚悟はしていたが、オレンの口から直接、世界樹の実という言葉を聞いて少し表情が変わる。たったそれだけの言葉だけでガモットは理解した。オレンに世界樹の実について話したのが誰で、その人がどこまでの事を知り得て、そして自分が何を言うべきなのかを。
「…、あの時オレは、オーシュに頼まれてオーリーと三人で魔界へ入った。」
「当時、クラウンナイツの二等兵士だったオレとしてはな、立場上そんな行為は止めなきゃならんのだが、オーシュの熱意に負けてな。あのタワーを超えて世界樹に向かうのを手伝った。」
「三人とも魔界へ足を踏み入れるなんて初めてのことだったが、魔界はこっち側と大して変わりがなくて驚いたのを覚えている。」
「道中、魔物と遭遇することもなかった。ただそれは、運が良かっただけだったのかもな。」
「それまで旅立った勇者は誰一人戻ってこなかったのだし、それに六年前には魔族侵攻があったのだから…。」
「そしてオレたちは、世界樹まで障害らしいものもなく辿り着いた。」
「だが、辿り着いたはいいが、巨大な世界樹のふもとで何処をどう進めばいいのか、さっぱり分からなくてな。」
「暫く分かれて探索をしている内に、オレは二人とはぐれちまったんだ。仕方ないんで、オレ一人ではぐれた場所でしばらく待っていた。そうしたら…。」
ガモットは目を閉じ、一息ついてから続けた。
「オーシュ一人だけが帰ってきた。その手にまるで太陽のように輝く世界樹の実を持ってな。」
「オレは何があったか問い詰めたが、オーシュは、『オーリーは諦めろ。』とだけしか言わなかった…。」
「オレは到底納得できなかった。…だがな、オーシュの顔を見たらそれ以上何も言えなくなっちまった。オレたちには時間がなかったし…、いや…、待った。」
ガモットはまた目を閉じる、そして、
「…違うな、オレは知るのが怖かった…。そこで何があったのか本当のことを知ってしまうより、知らないことを選んだんだ、自分で…。」
「その後無事に帰ってくることができたが結局、オーシュには何も聞かないままになっちまったな…。」
そう言って再び目を閉じた。
「…、すまんな。オレが世界樹の実について知っているのは、これだけなんだ。」
ガモットは自分の言葉が、オレンの求めているものに応えられていない事が分かっている。
「……。ありがとう、ガモットさん。」
オレンにとって、確かにそれは求めたものには程遠かった。しかし、ガモットが自分に本心を包み隠さず話してくれたことに感謝の気持ちが込み上げる。それに、あの世界樹へ行って、世界樹の実を手に入れたという確かな事実は、先の見えない暗闇の中にいたオレンに微かな一筋の光をさす。決意を新たに口を結ぶオレンを見て、ガモットは一つ話を切り出した。
「…、オレン君に話しておこうと思っていた事がある。少し、付き合ってくれるか。」
ガモットはそう言って、当時を思い出しながら再び語り始めた。
「オレン君が生まれるずっと前、オレがまだ十代だった頃、オレはミカビ村の親元にいた。」
「その頃のオーシュは、まだ本当に子供だった。子供の頃のオーシュとオーリーとそれからリシャの三人は、ミカビ村で有名な悪ガキでな、よく三人でまあバカなことをして遊んでたんだ。大人に迷惑かけるような悪戯もしょっちゅうだった。」
「そんな姿、今のリシャからは想像もつかないだろ?」
昔を懐かしむガモットからは笑みが漏れる。
「…しかしまあ、そんな三バカも時が経ち成長するにつれ、人並に大人になって、そう言った事はしなくなっていった。」
「そんなある日、オーシュたちのリンゴの果樹園にマリアがふらりと現れたそうだ。」
「旅人や行商人といった雰囲気もなく、マリアはただ一人でそこにいたらしい。」
「これはオーシュに後から聞いた話なんだが、本当に何処からともなく突然現れたんだと。そして、その時こうも言っていた、出会った瞬間に一目惚れした、と。」
「マリアと出会う前のオーシュはな、お世辞にも真面目とは言えない男だった。」
ガモットは少し眉をひそめて言った。
「リンゴの果樹園は弟のオーリーが取り仕切ってたし、あちこちの女性にちょっかい出して遊んでた。」
「そんなオーシュがマリアと出会った途端、すっかり変わったんだ。身寄りのないマリアの生活を支えながら、真面目に働くようになっていった。」
「オーシュのその変わり様にオーリーやリシャはさぞ驚いただろうよ。」
「そうして自然とオーシュとマリアは付き合いだして、それから一年とかからずに結婚した。」
「そしてそれからしばらくして、オレン君、君が生まれたんだ。」
「あの無鉄砲だったオーシュが、父親として家族を守るためにさらに真面目に働くようになった。」
「そのオーシュの姿は、オレン君も覚えがあるだろ? それから先は君が知っている通りだよ。」
その物語は、決意に固まるオレンを緩めた。オレンの知らなかったオーシュやリシャの姿は笑みすら誘う。それは、ガモットなりの張り詰めていたオレンへの気遣いだった。両親を知る人の言葉で両親のことを語ってもらう機会は、人生でそうある事では無い。
話し終えたガモットは髭を触りながら、一つ思い出したように話を付け加えた。
「そうだ、世界樹へ向かっていた時、オーシュに聞いたことがある。世界樹の実の情報を誰から聞いたのか、と。」
「オーシュはこう答えた。『マリアが教えてくれた。』 と。」
「何故マリアが知っていたのか、二人がどんなことを話したのか、そこまでは聞かなかったが、もし本当だったら、何かマリアが残した物の中に、世界樹の実の手掛かりがあるかもしれんな。」
その不意の言葉は、オレンの進む先を指し示した。奇妙な偶然が繋がって起きた奇跡を前にオレンの胸は高鳴る。母が残した日記に、今自分の求めているものかもしれないと思うと、居ても立っても居られなくなった。
「ガモットさん、ありがとう! 俺、調べてみるよ。」
そう言って、オレンは立ち上がり、すぐさま帰ろうとした。
「待ちたまえ。オレン君。」 そんなオレンを、ガモットは呼び止めた。
髭から手を離したそのガモットの表情は、それまでとは違い厳しい顔をしていた。
「…なぜ世界樹の実をオレン君が求めているのか、オレは聞かない。」
「しかしだ、世界樹までどうやって行くつもりなんだ? まさか、一人で行くとでも?」
「君の目的は、世界樹に辿り着くことでも、途中で魔物にやられることでもなく、世界樹の実を持って帰ってくることなのだろう?」
「だったら、生きて帰ってくる準備と作戦を立てるべきだ。それが用意できないならオレは、君を行かせるわけにはいかない。」
それはオレンの浅はかさを指摘するものだったが同時に、オレンを心から心配するものだった。
世界樹の実の情報を手に入れる事が目的となっていたオレンには、実を手に入れる為の方策まで気が回っていなかった。この件に、シュレやショーゴましてやミーヤを巻き込むなどオレンには考えられない。もはや兵士ではないガモットに頼むのも気が引けた。
しかし、そう忠告したガモットは続けて助言する。
「しかし、だ。ここ数日、オレン君はこの火竜亭で、多くの勇者たちと会っていた。」
「この火竜亭で色んな勇者や冒険者、その他諸々を随分と見てきたが、勇者の方から会いに来る一般人など、オレン君以外に見たことがない。」
「あれだけの勇者たちが、なぜ君に会いに来くるのか、何か特別なものがあるのかどうか知らないが、どうだろう?」
「オレン君なら、彼ら勇者に助力を求めることが出来ないか?」
それは全く考えてもない事だった。自分から勇者に何かを依頼するなんて有り得ない事だった。しかし、それは不可能ではないことに気付く、ただ…。
「…、できるかもしれない、でも…。」
オレンの脳裏に過るのは、大盾のブラッドから昨晩言われたことだった。それは曖昧な中、よく分からずに聞いた言葉だったが、今は鮮明に覚えている。
”我々メティスの大盾は金輪際、もう二度と君とは一切関わらない。”
それは今更オレンがたとえ何をしようと、もう覆すことは出来ないのかもしれない。ブラッドの言葉が招く絶望が、暗闇に沈めようと手を伸ばしてくる。だがしかし、オレンに芽生えた決意の花は暗黒を照らしその手を振り払う。翡翠の指輪を握りしめ、オレンはその決意を口にする。
「それでも、俺はやらなきゃいけない。そう決めたんだ。」
オレンのその言葉を聞いて、ガモットは髭をさすりながら呟いた。
「オレン君はやはり…、オーシュに似ているな。」
ガモットの厳しい顔に、少しの笑みが混じる。それはオレンを助けるものだが同時に、オレンに覚悟を要求していた。




