第43話 翠緑
翠緑の詩人の歌声に放蕩者のわめきが絡み、街に並ぶ商店には人々が行き交う。商業都市ユーザは、いつもと変わらない賑わいに包まれていた。
オレンは、なんとか遅れることなくユーザに着いた。いつもの裏路地を辿りルガーツホテルに着く頃には、曇り空から雨が降り出し始める。裏口でいつもの様に待っていたショーゴと共にリンゴを移すと、そのうちに雨はだんだんと強くなった。簡易の雨具はあれど、激しい雨の中をボロ馬車で帰るのは大変な事なのだが、この雨は今のオレンにとっては恵みの雨だった。
今朝のミーヤとの喧嘩が引っかかり、今日はなるべく家にはいたくない。そう考えるオレンは、雨をやり過ごすのを言い訳に、ショーゴの仕事を手伝えないか頼んでみた。
ショーゴの手引きで、オレンは力仕事や雑務を任された。オレンはその仕事を真面目にこなす。そこには、前回の償いの気持ちも少しはあったかもしれない。そうこうしていると、しばらくしてショーゴから話しかけてきた。
「…そんで、例の指輪はどうしたんだよ?」
「確か、今日が期限の三日目だろ?」
その質問は、オレンが忘れかけていた楽しかった昨日の記憶を呼び起こす。ヒナに指輪を渡した光景は同時に、それとそっくりなヒナに初めてみかんを渡した光景を思い出させる。そしてそれは、オレンに苦い記憶の味を少し忘れさせた。
「あー…、まあ、うん。」
「渡せた、かなー…。」 オレンの返事は、歯切れは悪いが嘘はない。
「マジかよ! やったじゃねーか!」
ショーゴにはちゃんと渡せたことが予想外だったようで、本気で驚いているようだった。自分の事の様に喜ぶショーゴは続けて言う。
「いやぁ、実を言うとさ…、ちょぉっと、楽しみにしてたんだよなー。」
「あの指輪の呪いが、ホンモノなのかどうかってさ。」
ショーゴの冗談はオレンを笑いに誘う。当たり前のように、オレンはその言葉が本気で言っていないことを理解してる。笑うオレンを見てショーゴは続けた。
「そんで、どこまで?」 それはとても端的に、核心を問う。
その質問に、オレンの笑顔は消え、一息ついてから話す。
「…。渡した、だけ…。」
その答えに、ショーゴの笑顔も消え、指をさし言い放つ。
「ハー…。やっぱお前さあ、指輪に呪われて、一回死んどけ。」
当たり前のように、オレンはその言葉が本気で言っていることを理解して、無理して笑った。
「ハハハ…。」
オレンの乾いた笑いが尽きるころ、それを横目で見ながら、ショーゴは尋ねた。
「んで、今日は何があったんだよ?」
「え? なんで?」 唐突な質問に、オレンは逆に聞き返す。
「なんでって、バレバレだよ、バーレバレ。」
「なんで家に帰りたくねーんだよ、…兄妹喧嘩でもしたのか?」
オレンは図星を突かれ、返す言葉を失った。
そして、誤魔化すのを諦めたように一息ついてから、オレンは今朝のミーヤとの喧嘩のあらましを話し始めた。
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「…ふーん、なるほどな。」
「…まあでもさ、そこは、お前の方から頭下げるしかねーんじゃねーのか?」
オレンの荒い話を聞いただけで、ショーゴは最適な解決策を導く。そして、それはオレンにも分かっていることだった。それ故に、オレンの未熟な感情が理解を妨げる。
「…、ハァ…。俺、悪い事してないのに…、ま、いいけどさ、それならそれで。」
ショーゴは子供っぽく拗ねるオレンをなだめるように諭す。
「だから、それだけミーヤちゃんにとって、クレメンタインって勇者は特別なんだろ?」
「それは…、だって、それは分かってたから、手伝おうとしたのに…。」
本当に子供のような堂々巡りの駄駄に呆れるでもなく、ショーゴは付き合う。
「……。お前さあ、ここでヒナちゃんのパーティ―があった夜の事、覚えてる?」
その唐突な質問は、オレンの心を揺らす。オレンがここ数日で体験した事は、ほんの一週間前のその出来事から、全てが始まっている。それを忘れるなど、絶対にあるはずがなかった。
オレンの返事を待つことなく、ショーゴは続けた。
「お前があのパーティーで、どんなだったか、分かってる?」
「えぇ…。」
「うん、あれは…、本当に迷惑かけて悪かったって思ってるよ。」
オレンは、約束を破りパーティーを潰しかけた事を言われたと思い、戸惑った。あの場所でやったことを反省していることに嘘はないが、それを今、咎められることには不満を持った。
「その事じゃねーよ。その前!」
「お前がやらかす前、どんなだったか。分かってんのかっつってんだよ!」
ショーゴは声を上げるが、そこには笑いが混じる。しかし、オレンには意味が分からず、とても混乱した。
オレンの理解を待つことなく、ショーゴは続けた。
「お前のさぁ、給仕に紛れながら勇者ブラッドを目で追っかけてる姿が、どんだけ気持ち悪かったか、教えてやろうか?」
ショーゴのその言葉は、ひどい侮辱や嘲りを含んでいた。ショーゴはオレン以外にこんなことは言わない。そしてオレンも、ショーゴ以外にこんなことを言われたら許さないだろう。これは、二人の間にしか許されない言葉だった。
ショーゴの言葉には笑いが勝る。その笑いは、遅れて理解するオレンの照れ笑いを誘った。
「…、いや…。いいよ。」 赤面するオレンに、ショーゴは追い打ちをかける。
「お前はあれから、別の勇者様に乗り換えたみたいだけどな。」
「兄妹仲良く、揃いも揃って、勇者様大好き。」
「似たもの兄妹じゃねーかよ、まったく…。」
ショーゴの言葉の追い打ちに、オレンは笑いを堪えられなかった。反芻し何度も吹き出した。
しばらくして、最後にはついに、笑いも悩みも枯れ果てた。一息ついて、オレンはスッキリした表情で顔を上げる。
「……。ハー…。そっかー。」 「ああ、そうだよ。」
「でもそんなには気持ち悪くなかったろ?」 「あ? ホントに知りたいのか?」
そんなやり取りをしながら、二人はルガーツホテルにて仕事をつづけた。
一通り区切りがついたところで、外はまだ雨だったがオレンは家に帰る決心をした。外の天気とは裏腹に、心の靄が晴れたオレンの気持ちは晴れやかだった。
そんな時に、ルガーツホテルにメティスの大盾の一行が姿を現した。オレンはちょうどその姿を見かけ、思いも寄らない偶然に歓喜する。
もし、普段のオレンだったら気付けたかもしれない。外の雨に濡れたままの姿を、張り詰めて憔悴しきっている表情を、その異様な雰囲気を、浮かれた気持ちが目を曇らせ、そのただならぬ気配を察することができなかった。
ブラッドに近寄り、オレンは躊躇なく声をかける。
「ブラッドさん、こんにちは! あれ、ヒナさんはいないんですね。」
それは至って普通の言葉だったが、今この時に限り、絶対に口にしてはいけない言葉だった。
「ーー!!」
ブラッドの張り詰めていた感情を繋ぐ糸がブツンと切れる。
その音は、本人にはハッキリと聞こえるほどだったのかもしれない。それ程までに制御を失った感情は暴走し、次の瞬間、ブラッドは右手を振り上げ、オレンの顔面に叩きつけた。
少年と言えど大人ほどの重さのある体は、宙を舞う。オレンの体はそのまま壁に激突した。
衝突音と、物が壊れる音、偶然その場面を目撃した人々の悲鳴や驚嘆が広がる。音が人を呼び、騒ぎが瞬く間に大きくなった。
「ちょっとアンタ! なにやってんのよ!!」 周囲の騒めきの中、ルーナの怒声が飛ぶ。
「少年! 少年!…」
周りの喧騒の中でルーナの声はハッキリと認識できたが、やがて来る痛みから逃れるようにオレンは意識を失った。




