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勇者様は裏切らナイ  作者: 世葉
第一幕 約束の指輪
59/106

第41話 勇者様、名乗る

 対峙する両者の間の空気が凝縮される。それは圧縮限界に近づくほど遅く、体感時間ではさらに遅々と進む。表面張力で膨らむグラスに、一滴一滴水を垂らすような緊張の中、限界を破る最後の一滴が落とされる。その瞬間、凝縮は反転し大爆発を起こした。

 ワーウルフは最短距離で陸奥を強襲する。繰り出される鋭利な連続攻撃は、そのどれもが急所を狙った一撃必殺の威力を秘めている。対して陸奥は打刀を構え応戦するが、筋力、反応、柔軟性、全てで相手が上回り、さらには足場の不利が枷となる。その野性的な攻撃を陸奥は辛うじて剣技で捌くが、攻防の手を容易く容赦なく奪っていく。

 金色のワーウルフの体格は狼と見間違うほどだった。その体格はヒナと比べてもより小柄なほどだが、その身体は想像を絶する膂力を発し、さらにそれ故に稲妻のように素早く動いた。

 陸奥の手が尽きる寸前で、ルーナの援護射撃が陸奥とワーウルフの間に割って入る。弓矢の軌道、更にそれに乗じた陸奥の反撃、その攻撃全てを見透かしたように、未然にワーウルフは一旦退き距離を取った。

 そしてそれを嘲るでもなく、ただ一言吐き捨てた。

「一番弱イウサギヲ助ケルカ…。」

 挑発され返された陸奥は、冷静さを失いかける。たった一度の攻防がもたらした緊張と、疲労と、事実が陸奥の心を粟立たせた。

 両者の間に割って入るブラッドは、そこに生じる隙を埋める。

「挑発に乗るな。」 陸奥の暴走を見透かしたように、未然にブラッドは一言、言葉を掛けた。

 二人の攻防は大盾の一同にワーウルフの強さを知らしめる。これまで魔界で対峙した魔族の中で、間違いなく最強であり、そして、初めて出会う勝敗の見えぬ敵だった。一瞬も気を抜けない状況が、一旦退き体勢を立て直す機会さえも許さない。油断すれば瞬時に首をはねられる。最初の衝突から弾かれ別れたこの距離が、まだ敵の間合いの中であることを容易に悟らせた。


 緊張の中、幸いにも最後尾に位置しているウィーナにヒナは囁く。

「ウィーナ、逃げて。」

 しかし、その声はウィーナには届かなかった。ウィーナは強暴なワーウルフを前に怯えるでもなく、むしろ全く逆の感情を抱いていた。ウィーナの探求心か、あるいは好奇心がそうさせるのか、神々しくすらあるその金色の風貌に見惚れていた。

「ウィーナ!」

 二度目の声で、ウィーナやっと我に返り状況を理解する。しかし、どうしようか躊躇していると、背中の大袋からゴーレムのラカタンが飛び出して、ウィーナを押し始めた。ウィーナは不本意ながらその場から少し離れる。

 だが、逃げる者を追うのは狼の習性か、あるいはヒナの囁きを聞き取っていたのか、ワーウルフは容赦なく無防備なウィーナに狙いを定め襲い掛かった。

「水の精霊よ。川を逆巻け、波打ち拒め。」

 そのヒナの魔法によって、ワーウルフはウィーナに到達するより早く、波に呑まれた。そしてさらに、ヒナは魔法を続けて唱える。

「土の精霊よ。寄せ集まれ、獣を捕えよ。」

 河原の砂利や石が礫となって水中に捕えたワーウルフを襲う。ゴシャシャシャッ! と湿った鈍い連続音が幾重にも積み重なった。

 しかし、礫の層の中心部にいるであろうワーウルフには、礫の攻撃ごときは通じない。まるで汚れを落とすように、耳の先から尻尾に向かって体毛を震わせ、ただそれだけの動作を以て礫を弾き返して見せた。

「風と火の精霊よ。渦巻け、燃やせ、螺旋を焦がせ。」

 そして、ヒナはそこまでを予測していた。ワーウルフが礫の塊から脱出した瞬間を狙って、炎の渦で包み込む。

 どれほどの身体能力があっても、一つの体で別々の動作を同時に二つ取ることは出来ない。その瞬間を狙った見事な連続魔法は、ワーウルフを業火で包んだ。


 ヒナの容赦のない連続魔法を前に、ブラッドたちですら息を呑む。

 より間近で見ていたウィーナに至っては、ヒナの魔法を目を輝かせ感動的な表情を見せる。先ほどからの緊張が、少し緩む。だがしかし、誰もがあのワーウルフがこれで終わるとは到底思えなかった。大盾の一同は警戒しながら、この機に体勢を立て直す。

 するとその時、炎の渦から笑い声が響いた。

「ハッハッハッハッハッ…。」

「…我ガ名ハ、ルピア。オ前ハ?」 ワーウルフはルピアと名乗り、名を尋ねた。


 この名乗りは、強者を前にした戦士の誇りか、あるいは野生動物の威嚇行動なのか、その心理までは読み取れない。ルピアの金色の姿は業火と一体と化し、日輪のように煌めく。その姿を見せつけるように、ただ直立していた。


「ヒナ。」 その問いに短く答える。

「ソウカ…。」


 炎の渦は次第に収まっていく。炎は金色の体毛を焦がすことすらできていなかった。大盾の一同は、自然とヒナを支援する陣形を整える。現時点で、おそらくそれが最も勝率の高い戦術であった。本来大盾の主力である近接の二人が攻撃に入るのは、ヒナを邪魔することに成り兼ねなかった。

 ルピアからは怒気は消え去った。全ての感情は消え、完全に獲物を狙う獣となる。その気配の変化に、業火の渦に巻かれていた戦場は反転し、冷気が辺りに漂う。冷えた感覚は再び研ぎ澄まされ、戦いの第三幕が上がるのを、お互いがただ静かに待っていた。


「土水光の精霊よ。光を跳ねる水鏡磐、盾を連ねて、城を固めよ。」

 この戦いで初めてヒナは先手を取った。

 だが、その魔法は攻撃の為のものではなかった。地の利を生かしたその魔法は、土と水で作られた鏡面仕上げの円板を大小幾重にも重ね、複雑な構造の防御陣を作り出した。

 それでもルピアはお構いなしに突進する。ルピアを止めるには水鏡は余りに脆く、簡単に砕け散っていく。

 しかし、この防御力の無い水鏡の城は、ヒナの虚像と実像を幾重にも重ね、その行く手を迷わせる。狼が頼りにする嗅覚は、絶えず流れる激流に誤魔化された。


「「「火土闇の精霊よ。火を食む瑞鳳、岩戸に閉じ込め、奈落に落とせ。」」」

 水鏡の城にヒナの呪文が響く。その声は反響し、何処から発せられたのか掴ませない。

 ルピアは構わず突き進み、容易く城の中心部に到達したが、そこには誰一人の実像もなかった。ヒナの虚像のみが残る土くれの城に、ルピアは自ら砕いた水鏡に囚われて、城外の情報から閉ざされた。


 ヒナの魔法は、水鏡の城の直上に周囲の砂利や石を集結させ、中心部を圧縮し高温、高圧状態を作り出す。その塊は自身を溶解させながら、礫を飲み込み続け巨大化していく。そして巨大化の終息を合図に、城を覆うほどに成長した巨大な岩の熱塊は放たれた。

 巨大な岩塊は鏡を粉砕しながら、一切の隔てなく全てを押しつぶす。虚像の城に残されたルピアは、遅まきながら異変に気付く。この城外からの攻撃は、ヒナを追って城に攻め入ったルピアにとって、心理の虚を突かれたものだった。見上げるルピアの頭上には禍々しい厄災が迫る。しかし時すでに遅く、逃げ場など何処にも存在しなかった。


「オオオオオッ!」 ルピアはこの戦いで初めて冷静さを失った。


 水鏡の防御陣が作られた時点で脱出していたウィーナとブラッドたちは、事の顛末を外から見守る。ヒナの魔法は、その普段の印象からは想像もつかない壮大さと、それに頼らない緻密な戦略性を持ったものだった。勇者の力とは常人からはかけ離れたものだが、その勇者から見ても常軌を逸したヒナの背中は、それぞれに様々な心境を映し出した。


 ドゥヴォォォォン!! と深く重い破裂音が響く。これまで一度も聞いたことがないような轟音は、地震のような衝撃波を伝播する。熱塊の衝撃波は川面をめくり上げ、一部は蒸発し、残りは水滴となって舞い上がる。ほどなく天より地を叩く雨音は、ブラッドたちにこの戦いの終幕を告げる最終曲フィナーレとして一面に降り注いだ。

 ただ、ヒナだけは何に動ずることもなく、自らが破壊した一帯の爆心地を静かに見据えていた。

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